Quantcast
Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

雅子妃と皇太子を覆う、小和田恒氏の日本毀損史観

$
0
0

「不敬」という名のもとに、思考停止、あらゆる皇室批判を忌避する
自称保守の方にこそ読んでいただきたい。

反原発や九条反対の反日主義者が繰り出す東宮擁護、雅子妃同情賛美に
耳を傾け、まこと国思う者たちが鳴らす警鐘に耳ふさぐ
愚を犯して欲しくない。

このたびの、“不完全”であったオランダご公務に先立つ2006年、静養のためのオランダ訪問時、皇太子と雅子妃殿下の“恥ずかしいお振る舞い”は海外ニュース経由で耳にしていたものの、ソース不十分で書かずにいた。

たまたま産経新聞(元記事は週刊文春)で見つけたので、いささか旧聞ながら記しておきたい。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/books/breview/648092/

【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】 たとえばこんなことがあった。
ベアトリックス女王の案内でマウリッツハイス美術館を訪問、当時はオランダが誇る名画の数々をゆったりとご覧になったと報じられたが、〈実際には、皇太子ご夫妻はたった十五分でご鑑賞を切り上げられた〉。
 

アーネム市のブルヘルス動物園では「今日はレストランにVIPが来る」と連絡が入り立食パーティーの準備をして待っていた。ところが−−
 〈「いざ、レストランに入っていらしたご家族は、まず一目散に奥のトイレに向かわれた。(中略)用を済ませられると、ご一家はそのまま出口に向かってお帰りになってしまったのです」(従業員)〉

........................

皇太子も雅子さまも愛子さまも、トイレに突進、国賓が来ると急に言われ、慌ただしくもてなしの準備をし、ご一家をお待ちしていたオランダ人従業員たちには目もくれず、「一言もなく、出て行かれた」(従業員証言)

食事の準備もしていたというので、そういう時間帯での急なお立ち寄りであったのだろう。

恥ずかしいことである。日本の週刊誌の取材に対して、現地の動物園スタッフが7年前の出来事を答えた内容である。

お迎えしたオランダ人のスタッフたちは、無言で現れトイレに突進、無言で立ち去った日本の皇太子ご一家がどのように目に映じたであろう。ドタキャン、ドタ出を日本でなさり、それが許されるので、民間でも心得ている普通の礼儀の感覚さえ麻痺なさっているのではないか。不意に出たり出なかったりすることによる、周辺の混乱、大変さは視野にない。警備の問題もある。

わずかながらでも、やっと日本でも隠さなくなった。海外では大きく報道されても日本では全く報道されない、どころか美化して伝えられることが多いので、日本国民は皇太子殿下と雅子妃の真の姿を知らされないでいる。

美化に関しては、たとえば上記の、

>ベアトリックス女王の案内でマウリッツハイス美術館を訪問、当時はオランダが誇る名画の数々をゆったりとご覧になったと報じられたが

実体は入館してから出るまでわずか15分。15分が、「数々の名画をゆったりとご覧」に化ける。捏造報道である。今回のオランダ行きで「雅子妃にオランダ人が何と美しいと驚嘆」という報道も原文を探しているのだが、ない。

この広い建物内にわずか15分。

美術館の短時間滞在も、ご病気だから? 致し方ないと言えばそれまでだが、こと身内とのお食事とか、スキー旅行などは前々から決まっていても「ご体調の波」は訪れず、きちっとお出かけなので、国民はわけがわからない。海外からの賓客があってお会いになるのを拒んだ日に、乗馬をなさったり、お付き添い通学だけは大丈夫であったり。香淳皇后の収斂の儀(葬儀)は欠席でも、お身内の葬儀は絶対に外さない。
医師も小和田家が差し向けた「都合のいい医師」で、病状説明もなされず、皇太子は別医師の見立てを峻拒なさる。

この時のフライトにかかった費用だけで、お付き含めて1,652万円。2週間の滞在で計2千200万円超の出費。「静養」(レジャー)にヘアメイクまで含めた11人ものお付きを引き連れ、実質無料。これをして、悲劇の妃ぶられたり、被害者を演じられると困ってしまう。

今年の渡蘭は専用機なので、一飛びそれだけで国費数千万円。それが悪いとは言わぬ。だが見合った仕事はして欲しい。無理ならしようとする誠意を見せて欲しく、不十分であれば、国民に申し訳ない、という誠実さが欲しい。
国費数千万円に対して、たった3時間のご公務で、日本のマスコミはやんやの喝采。小和田の父は東宮職を差し置いて談話を出し、誉めそやす。今月予定に組まれようとしていた被災地へのお見舞いは雅子妃の「オランダへのお疲れ」でキャンセル、皇太子殿下は山歩き。皇祖神伊勢神宮のそばに行かれながら、立ち寄りもなさらない。総て予見通り。


拙ブログでは海外サイトから、皇太子のご公務における、信じられない常識外れの幼いお振る舞いの画像と記事を載せてきた。改めてそれには触れない。 

このたびのオランダが、多少首かしげるお振る舞いを皇太子雅子妃ともにお見受けしたものの「一見、何とかご無事」であったのは、雅子妃におそらくは、オランダ王室に格別のはからいでつけることを認められた、女官の密かな現場指示があったからではないか?

たとえばルクセンブルグ皇太子の成婚における式典の場には、各国王族共にお付きは許されず、皇太子殿下お一人で参列なさっているのだが、これが目を覆わんばかりの惨状なのだ。過去記事に確か2回ほど、画像と現地の記事とをアップしているので、関心のある方はそちらでチェックされたい。(一方、秋篠宮様ご夫妻の海外ご公務については、これといった悪評、ブーイングは聞こえて来ない)

大体、一国の賓客に対して現地マスコミは、悪評は控える。国民も批判は慎む。
日本のみならず世界のマスコミの常識である。まして妃が「ご病気」と報じられていれば、同情もある。それが、とりわけ皇太子に関しては遠慮会釈がない。
現地のマスコミで、悪しく報じられるのは「よほどのこと」「目に余る」ことなのである。

日本にいらした海外からの王族その他の賓客を、悪しざまにいう状態を
考えて欲しい。「極度に、よほどのこと」でしかあり得ない。皇太子はルクセンブルグ大公国の公務においてはShame「つらよごし」「みっともない」とまで浴びせかけられているのだ。

Shame...Japanese Prince Naruhito does not know how to behave in such occasion and honor the seniority..... It's an important protocol everyone must observe...

ルクセンブルグの人々がとりわけ無礼だというわけではない。自らも王室をいただき、敬意の払い方は心得ている。まして自国の皇太子の結婚式に遠路来てくださった日本の皇太子に対して「みっともない」という評価は、相当のことなのだ。
本来なら自国の皇太子を悪しざまに言われれば、何を、無礼な、といきり立つ。しかし、画像を見る限りでも、言われても仕方がないとうなだれるレベルではあった。

拙ブログは、皇室に関しては秋篠宮様への皇位継承権委譲、もしくは摂政を望む立場でずっと書いている。理由はそのつど、るる述べて来たが、今日は雅子妃の父親の思想について触れたい。これもすでに複数回述べてきたことだが、今回は西尾幹二氏の言葉を借りたい。

一言で言えば、小和田恒氏は反日思想の持ち主で、それを敷衍すれば皇室否定の立場である。それがなにゆえ娘を入内させたのか、テーマが別になるので、今回は触れない。
雅子妃殿下が父親の反日思想にいかほど、影響を受けているのかいないのかは分からない。ただお振る舞いを拝する限り、影響の跡は見出さざるを得ない。そして、皇太子殿下もまた、小和田家の影響下にあるようにお見受けする。

さて、西尾幹二氏の、小和田恒論である。ご本人のサイトから、引用させていただく。記事は2012年3月3日の配信である。(色文字とゴチックはブログ主の任意による)

 『週刊新潮』の記事

『週刊新潮』(2月23日号)に「『雅子妃』をスポイルした『小和田恒』国際司法裁判所判事」という題の記事を書きました。週刊誌をお読みになった方が多いかもしれませんが、お読みになっていない方のためにここに掲示します。

 「雅子妃」をスポイルした「小和田恒」国際司法裁判所判事

雅子妃が療養を始められてすでに8年が過ぎた。なぜ、このような事態が続いているのか。その謎を解く1つのカギは、父親の小和田恒氏(79)にあるという。評論家の西尾幹二氏(76)は、小和田氏を「皇室とは余りにそりが合わない人格」と分析するのだ。(注:昨年3月時点の年齢である。療養は始めてから10年目になる)

 雅子妃殿下のご父君、外交官小和田恒氏の七十九年の人生は、妃殿下の一連の不可解な行動がなかったら誰の関心をも呼ばず、無難に外交史の一隅に小さな名を留めるに過ぎなかったであろう。妃殿下は果して親孝行をしたのか、それとも親不幸だったのか。私の判定は後者だが、そう思うのは戦後史に迎合して必死に生きた小和田氏の生涯に多少とも憐れみを覚えているからである。

 私は今度、小和田氏の雑誌対談やインタビュー記事など資料9編を読んでみた。そこから浮かび上がるのは、アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である。

 安全保障はアメリカに委ね自らは再武装せず経済福祉の追求に全力をあげるべしという「吉田ドクトリン」と、その基礎にある憲法第九条は、小和田氏にとっては時代が変わっても動かぬ永遠の真理、神聖な大原則であるかに見える。世界の新たな情勢下で、軍事力の分担すべき責任がふえている昨今、憲法を改正して再武装への道を開くべきだ、と主張する人がいるが、「この質問に対する答は『ノー』であるべきだ、と思う」とはっきり書いている(『参画から創造へ』第四章)。

 小和田氏が、日本は過去の自分の行動のゆえに国際社会の中で「ハンディキャップ国家」だと言い立てていることはよく知られている。中韓両国に永久に謝罪しつづけなければならない国という意味であろう。1985年11月8日の衆議院外務委員会で土井たか子氏の質問に答えて、小和田氏は東京裁判においてわが国は中国に対する侵略戦争を行った、これが「平和に対する罪」である、サンフランシスコ平和条約第十一条において日本は「裁判を受諾する」と言っている以上、「裁判の内容をそういうものとして受けとめる、承認するということでございます」と答弁しているが、これは百パーセント解釈の間違いである。

 平和条約第十一条は巣鴨に拘禁されている戦犯を赦免、減刑、仮出獄させる権限は講話が成立した以後、日本国にのみあることを明示している内容でしかない。英文では、その内容のjudgments(判決)を受諾する、と書かれていて、「裁判」を受諾するならtrialかproceedingsかが用いられる。国際法学者・佐藤和男氏は英語だけでなくフランス語、スペイン語の正文も参照して、日本は東京裁判そのものを十一条で「受諾」しているわけでは決してないこと、講話後もあくまでも東京裁判史観に縛られることを良しとする日本悪玉論が政府内にも残っていることに強い警告を発している(『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』、原書房)。

 要するに小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ。

 傲慢で権威主義者

 1990年に湾岸戦争が起こり、翌年、小和田氏は外務事務次官になった。審議官時代から、氏は自衛隊の派遣に反対の立場をとっていた。彼の非武装平和主義は湾岸戦争で破産したはずだった。櫻井よしこ氏から対談で、日本人は人も出さない、汗もかかないという国際世論からの批判があるが、と問い詰められても彼は何も答えられない。ドイツがNATO地域外に派兵できるように基本法を改正する件に触れて、「日本の場合は、まだそういう状況まではきていない」と彼はしきりに客観情勢を語ることで弁解する。だが、「そういう状況」をつくらないできたのは小和田氏たちではなかったか。櫻井氏に追い詰められ、「日本という非常に調和的な社会の中で、できるだけ事を荒だてないで処理したい」と思わず三流官僚のホンネを口に出して、私は笑った。

 すべての外務官僚がこういう人ばかりではない。現実を変えようと戦った人もいる。元駐米大使の村田良平氏は日本の自立自存を求めた理想主義者で、その回想録の中で、アメリカが日本の核武装を認めないなら、在日米軍基地を全廃するべしと言っている。

 アメリカの核の傘が事実上消えてなくなっている極東の現実を直視している。徹底した現実家だけが徹底した理想家になれる。小和田氏のような現状維持派は現実も見えないし、どんな理想とも無縁である。彼は船橋洋一氏との対談で、日本という「国を越えた共同体意識」の必要などと言っているが、それは理想ではなく、ただの空想である。

 理想を持たない空想的人格は決して現実と戦わない。戦わないから傷つくこともない。用心深く周囲を見渡して生き、世渡りだけを考える。ドイツ語にStreber(立身出世主義者、がっつき屋)という蔑視語があるが、小和田氏のことを考えると私はいつもこの言葉を思い出す。

 自分の国を悪者にしてこうべを垂れて平和とか言っている方が、胸を張り外国と戦って生きるより楽なのである。そういう人は本質的に謙虚ではなく、身近な人に対しては傲慢で、国内的にはとかく権威主義者である。

 運が悪いことに、皇室とは余りにもそれが合わない人格だ。なぜなら皇室は「無私」の象徴であるからだ。天皇皇后両陛下が現に国民の前でお示し下さっているたたずまいは、清潔、慎ましさ、控え目、ありのまま、飾りのなさ、正直、作為のなさ、無理をしないこと、利口ぶらないこと――等々の日本人が最も好む美徳の数々、あえて一語でいえば「清明心」ということであろう。1937年に出た『國體の本義』では「明き浄き直き心」ということばで表現された。

 皇后陛下のご実家の正田家は、自家とのへだたりを良く理解し、皇室に対し身を慎み、美智子様のご父君は実業世界の禍いが皇室に及んではいけないと身を退き、ご両親もご兄弟も私的に交わることをできるだけ抑制した。一方、小和田恒氏はさっそく国際司法裁判所の判事になった。私はそのとき雑誌で違和感を表明した。小和田氏は領土問題などの国際紛争のトラブルが皇室に及ぶことを恐れないのだろうか。雅子妃の妹さんたちがまるで皇族の一員のような顔で振舞い、妃殿下が皇族としての必要な席には欠席なさるのに、妹たち一家と頻繁に会っているさまは外交官小和田氏の人格と無関係だといえるだろうか。

 確信犯的無信心の徒

 雅子妃は2003年9月以来、宮中祭祀にほとんど出席されていない。ご父君は娘に注意しないのだろうか、これが巷の声である。娘が皇室に入ったのは、ある意味で、「修道女」になるようなことである。覚悟していたはずだ。個人の問題ではなく国家の問題である。勤労奉仕団に一寸した挨拶もなさらない。スキーやスケートなどの遊びは決して休まず、その直前に必ず小さな公務をこなしてみせるので、パフォーマンスは見抜かれている。皇后になれば病気は治り、評価も変わる。今の失態を人はすぐ忘れると、ある人が書いていた。あるいはそうかもしれない。私もかつてそう言ったことがある。しかしそれは妃殿下にウラオモテがあり、畏れ多くも天皇のご崩御を待っているということであろう。天皇皇后に会いたくないとは、今までに前例のない皇太子妃であり、日本国民は代が替わってもこのことは決して忘れはしない。

 皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直だったといわれる。私が恐れているのは皇室がなくなるのではないかという危機感である。小和田氏は代替わりした皇室に対し外戚として何をするか分からない。昔、天皇の顔を正面から見ると目が潰れると言っていた時代がある。今はそんなことを言う人はいないが、皇室に対する畏れと信心の基本はここにある。小和田氏にはどう見てもそういう信仰心はない。彼の師・横田喜三郎氏には皇室否定論の書『天皇制』(1949年)があるが、横田氏にせよ小和田氏にせよ、左翼がかった法律家は日本の神道の神々に対しては確信犯的な無信心の徒である。

日本の民のために無私の祈りを捧げる「祭祀王」としての天皇が、天皇たりうる所以である。祭祀を離れた天皇はもはや天皇ではない。一説では、皇太子ご夫妻が唱えていた新しい時代の「公務」――天皇陛下から何かと問われ答えなかった――は、国連に関係する仕事であるらしい。何か勘違いなさっている。私が恐れるのは雅子妃が皇太子殿下に天皇としてあるまじき考えを持たせ、行動するように誘いはしないかという点である。まさか皇室廃止宣言をするような露骨なことはできまいが、皇室から宗教的意味合いを排除してしまうような方向へ持っていくことは不可能ではない。「祭祀王」ではない天皇は、もう天皇ではなくただの「王」にすぎないが、権力のない今の天皇は王ですらなくなってしまうだろう。ただの日本国国連特別代表などということになれば、日本人の心の中からは消えてなくなる。

 女性宮家の問題がここに深く関わっている。1月24日発信の竹田恒泰氏のツィッターに、旧皇族の一部の協議が23日に行われ、いざとなったら男系を守るために一族から皇族復帰者を用意する必要があると意見が一致した由である。重大ニュースである。

 私は小泉内閣の皇室典範改正の有識者会議を憂慮して、2005年12月3日朝日新聞に次のように書いたが、これを今改めて提出して本編を閉じる。
 

「もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。

 どちらにしても男系で作られてきた皇統の系譜図は行き詰って、天皇の制度はここで終止符を打たれる。

 今から30〜50年後にこうなったとき、『万世一系の天皇』を希求する声は今より一段と激しく高まり、保守伝統派の中から、旧宮家の末裔の一人を擁立して『男系の正統の天皇』を新たに別個打ちたてようという声が湧き起こってくるだろう。他方、左派は混乱に乗じて天皇の制度の廃止を一気に推し進める。

 今の天皇家は左右から挟撃される。南北動乱ほどではないにせよ、歴史は必ず復讐するものだ。有識者会議に必要なのは政治歴史的想像力であり、この悪夢を防ぐ布石を打つ知恵だったはずだ

  - 西尾幹二プロフィール -
1935年東京まれ、東京大学文学独文科卒業。同大学大学院文学修士、文学博士。電気通信大学名誉教授。若い頃から、文学、教育、政治、国際問題等に関する評論活動を展開。著書に「ヨーロッパの個人主義」「ニーチェとの対話」「国民の歴史」「西尾幹二の思想と行動」(全3巻)、「江戸のダイナミズム」ほか。

・・・・・

いかがだろう、当ブログが拙く主張、懸念し続けてきたことを、簡潔に的確無比な言葉で書いてくださったと思う。

小和田恒氏を評して西尾氏は、一般紙への寄稿文であるから「皇室とは余りにそりが合わない人格」と婉曲に表現なさるが、要は東京裁判肯定の反皇室、反天皇の立場。東京裁判では天皇処刑の可能性すらあったことを想起されたい。その裁判の肯定者なのである。

「不敬」という言葉の前にうなだれて、思考停止する心弱い保守の人々に申し上げたいのは、現在皇室と天皇陛下皇后陛下に最大に不敬なのは、皇太子殿下と雅子妃殿下である、と。更に、上回って妃殿下の父親である、と。

参内もろくになさらず、雅子妃にいたっては天皇陛下に口答え、ご入院の折りにはお見舞いすらなさらず、何が不敬と言って、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬという、順徳天皇以来代々受け継がれて来た先帝たちのご遺訓に、皇太子、とりわけ雅子妃は完璧に背いていらっしゃること。
宮中の神には敬意なく、外の鳥居も決してくぐらぬ。

これを不敬と言わずして何というのか。

最大の不敬は、皇太子殿下ご本人と、雅子妃殿下だという言い方を理解していただけただろうか。

他の記事であれば瞬く間に何十とつくツイートが、皇室関連にはわずか。
それだけ日本人のDNAには「不敬」が刻印されているのであろうが、
不敬という言葉や概念が先にあるのではなく、先に尊敬し仰ぎ見ることの出来る皇室ありき、で東宮夫妻が現れるまで、大半の国民の心は自然について来ていた。
今はお相手自身が不敬を働かれ、呆れられる存在に成り果てている。
尊敬は強制されてするものではない。

国護るにあたっては心情に流されず冷静に
賢くありたい。

オランダのWorldcrunch紙に寄せられた批判コメント

 What would you think if a princess of a European county always refuses to go to church?  and refuses to see her own people?

痛烈で、これを読んだヨーロッパの人々は一瞬にして、雅子妃の不敬を悟っただろう。キリスト教圏で、教会に行くことを拒否する王妃など論外、最低なのだ。
日本は神道の国で、天皇陛下は最大の祭祀者、神官なのである。
(ベースであって、むろん他宗教容認である)

refuses to see her own people

her own peopleという言葉に留意。「彼女の民」である。ヨーロッパの王女の
お立場に託して雅子妃の「臣民」への無関心をついた一文である。
ところが、皇太子にも雅子妃にも「わが民」という意識は皆無。
自らの安泰と権利に住して外には視界及ばず、民の幸せも健康も関心外、
被災の民の苦難すら放置。「雅子が」「愛子が」としかおっしゃらず、「雅子は苦難にも耐え、よくがんばっている」
戸籍無く姓持たず、日本国憲法第一条においては、「人格」すら認めずという
特殊なお立場をご本人が理解されていない。ご自身が国民の一員とでも
思われているのであろうか。国民に専用機は飛びはしないけれど。

小和田流・国連式「新しい形の天皇」をお考えならそりゃそうだろう。
この方の視野に国民はいない。
西尾氏もさすがに皇太子殿下には「皇太子殿下は温順で、幼少の頃からご両親にも周囲にも素直」と控えめに美しく表現するが、言葉の裏を返せば自我の確立無く、
頭脳俊敏とは言いがたく、周囲に影響を受けるご性格ということだ。周囲が良ければ美質だが、現在の如き左翼自虐史観、天皇否定の義理の父に支配されている状況では最悪である。

雅子妃の入内にあたっては、父親の思想調査はなかったのだろうか。
あれば、一発で危険信号が点ったはず。否、それ以前に極悪の企業犯罪、
チッソがあったので、小和田雅子嬢は皇太子妃候補から、一度
完璧に姿を消している。

ところが、強固な反対者であられた昭和天皇がご崩御された後、
反日カルトや、朝鮮半島、部●、左翼といった日本の地下にうごめく暗部勢力が
奇妙な形に結託して、雅子妃を宮中へと押しやる。雅子妃もその動きに
抗した気配はない。お断りの意志があれば、さほど困難な状況ではなかった。
いったん候補から完全に滑り落ちた立場であるのだから。
その間の動きに関しては、差し支えない範囲内ではあるが、旧稿で述べた。

拙ブログ主は連打で皇室を憂える記事を掲載しているが、告白すれば
なにほどの愛国者でもない。
ただ日本国の良さは重々承知、その良さを古来より支えてきたのが天皇家で
あることを理解している。
この美しい日本を中韓の如き蛮族にむざむざ侵食されるのは腹が立つし、
皇室もできればお守りしたい。

流れを見つめていると、もはや皇室も良き日本も廃れ行く時代に入ったのかとも
気弱いあきらめが頭をもたげることもあるが、しかし希望は悠仁親王であり、
親王を守り、育む秋篠宮家の存在なのである。

小和田恒というメフィストフェレスに操られた闇の者と、光の存在が
熾烈な戦いを繰り広げている皇室が、現在の日本国家のアーキタイプ
(原型・ひな形)であるような気がしてならないのだ。
中韓の闇が、日本本来の光を覆い奪おうと、列島に押し寄せているが、
雅子妃を「使った」皇室毀損も、その波の一つだと拙ブログでは捉えている。

 【関連過去記事】

いずれも、リンク拡散拡散フリーです。

秋篠宮様へご移譲の可能性か? 【リンク拡散フリー】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c7493d416b2f2ac88a9f9e8d234ccec8

新装版 英文記事に見る雅子妃 【リンク拡散フリー】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5f1a5761d28151f52ea77bb40f45f3cd

雅子妃のご病気が皇后陛下のせいだとする、友納尚子氏への反論【拡散希望】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6fad2cb06ed7b4a49b691d334891907f

皇太子と皇太子妃のnoblesse obligeとは何かhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/eb704163f234fef7a1b26be6bbb4dc3f

一目瞭然
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/

父兄同伴公務http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/69a2df3f4d93c24d00b633971f8d8eb6

国民が真剣に向き合いたい現実http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/bbd236ae1fd3f2abf87bc907d4dbfbc4

ご移譲をと願う心が不遜でしょうかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/590a374feef65465003b02ac43de7c00

雅子妃擁護・褒めまくりの目的は?http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2c6c76921e614ddaae25392ac339a393

外務省に大量に送り込まれ巣食う朝鮮カルト。そのグループ大鳳会と雅子妃との親交は一般紙でも報じられた。

外務省には表に出ているだけで300名の創価学会員がいる。 大鳳会と称して一大勢力を形成。雅子妃とも親交。 役所の中で、池田大作の息がかかった学会員の占める比率が高いのが、外務省であるとされている。

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>