「戦後も尖閣の小屋で寝泊まり」…漁師ら証言 2012年7月6日(金)17:35
(読売新聞)
戦中から無人島になったとされてきた尖閣諸島が、実際には戦後も、沖縄の漁師らの「生活の場」として利用されていた――。
沖縄・伊良部島の漁師らの証言によると、尖閣諸島に滞在してカツオを加工したり、食糧を得るために野菜を植えたりしていたという。漁師らは「日本はこうした事実をもっと主張していくべきでは」と訴えている。
「島中を歩いて流木を集めて薪を作った。水は苦くて飲めず、木々の多い魚釣島で水をくんでいた」。18歳で漁船「かもめ丸」の船員として尖閣に渡った奥原隆治さん(80)は振り返った。
伊良部島の漁師たちが、尖閣諸島の南小島にカツオの加工所をつくったのは1950年11月頃。秋から冬になると、周辺には海流の影響でカツオが多く集まり、漁師が船を出していた。製氷技術がなく、漁を何日も続けられなかったことや、片道十数時間かけて伊良部島に戻らずに済むという理由で、漁師や女性従業員ら計22人が最大3か月間、南小島で暮らした。
奥原さんによると、南小島北側の平らな場所に石組みのかまどを設置し、伊良部島から持参した大きな鍋とせいろでカツオを蒸した。女性も近くの小屋で寝泊まりした。奥原さんは「伊良部の漁師は尖閣に夜も昼もいたが、中国は何も言ってこなかった。尖閣は誰が見ても沖縄の島だったからじゃないか」と話す。
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尖閣がしばらく有人の島で、鰹節工場があったことは知る人ぞ知るで、ある種有名な話ですが、この際生き証人が存命の時に政府は、旦那なり写真なり素早く収集しておくべきですね。民主党政権には望むべくもないけれど、いちおう言ってみる。野党の代議士さん。どなたかやってくださらないものか。
鰹節工場の前で、働いていた人々。
なんの写真か解らないけど↑ とにかく上陸した日本人が頑張ってますということで。ブラックエンペラーの構成員さんみたいだけど、
そこら辺は突っ込まずにおきまっす。
風にたなびく越中ふんどし〜♪ 頼れそうなので。
千人ほど船で乗り付けて、越中褌デモ希望〜♪ 褌はヤマトおのこの闘魂♪
ご飯の後、ナプキン代わりに使えます。
・・・冗談はさておき、臍の下二寸の処を締めて居るが肝要
と褌論を真面目に展開したのは「坂の上の雲」にも登場する名将 秋山 真之(あきやま さねゆき)
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。ロシアのバルチック艦隊の迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献した帝国海軍屈指の名参謀なりき。
昔の男が肝が座っていたのは、褌で常に丹田に「気」を落としていたかもしれませんね。日本の古来のものって、凄いですよ。下駄もね。天地の理に叶っている。韓国の男も褌の収監があれば「気」が脳天に上がらず火病らずに済んだかもね。
さて。秋山真之海軍中将の褌論です。 ← 「褌を締めてかかれ」は真実、実感から生まれた言葉でしょう。
武士が戦場に臨むにも相撲取りが土俵に上るにも或は又碁打ちが碁盤に対するにも総て其方面の勝負には之れ無くては叶はぬ必要にて 其効用は「決して睾丸の保護には無之」 実に左記の如き偉大なる効能有之に依る次第に御座候
一、心気を丹田に落着け 従って逆上を防ぎ智力気力の発作を自在にする事
二、腹部に体力を保持し 従って腕力の発作を大にする事
三、気息を容易にし従って息切れを防ぐ事
四、身体の中心と重心とを一致せしめ 従って体を軽くし歩速を増加する事
此等の効用顕著なるは小生が多年実験する処にて 日露戦争中黄海日本海等にも小生は先づ褌を締めて艦橋に上り 確に心気の動揺を防圧し得たる様相覚へ居候
又昔時東海道を早打が二重に褌を締め白木綿に腹を巻き締めて此の長途を三日間に往復したりとの実例に照しても 其効能明白に御座候 然るに近時の青年諸君は世俗の進化と共に此の褌の大効用を知られざる方多く 越中褌又は普通猿股等を用ひらるる故に腹に力が入らず 血が頭脳にのみ逆上する為め 咄嗟危急の場合等に処して肝要なる虚心平気の態度を失ひ 従って出るべき智能も技量も出し得ざる事有之候
無論貴選手等には斯の如き事萬々有之間敷候へ共小生が昨日老婆心より見たる処にては 未だ腹に締りが足らざる様相見受申候 堵て其褌の締方如何と申せば臍の下約二寸の処に巻き更に股に掛け上方に滑り上るを防ぐ事と同時に睾丸を緊縮し 最後に背筋の中央を扼する事が至極効能有之即ち総ての力は此点より湧出と見るものに御座候
又其の締め加減は余り堅過ぎても宜しからず 締上たる処で丁度五本の指を平たく入れて通るか通らぬか適度に御座候 若し又日本流の六尺褌が習慣上具合悪しければ越中褌の紐を一尺の木綿にて巻き締められても宣しく 要するに臍の下二寸の処を締めて居るが肝要に御座候
兎に角緊褌一番を実験し御試に被成候得ば必ず多少の効能は可有之 五十間飛ぶ球が六十間飛び五秒掛る所を四秒に走り三度の過失が二度で済む位の事は確に候
小生目下海軍に奉職致し居り候 其の昔大学予備門に在りたる頃は随分野球に耽りたるものにて貴校の今回の対外御試合も真に不少趣味を以て拝観致し居り 今後両回の御勝負は実に帝国腕力の名誉に関する者と相心得是非共貴選手の大勝に帰する様希望致し 老婆心の発する所を書流して申進候 御笑味被下候得ば本懐の至りに御座候 不一
明治四十年十一月十三日 秋山眞之
慶應義塾 野球選手各位
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格調高い褌論でした。
要諦は
「ヘソの2寸下(約6センチ下)を適度に褌や帯で締めれば、頭に血が上ることなく気力や知力を適宜自由に発揮出来、体力は増加し、普段は三度失敗しているようなものでも、二度の失敗で済むようになる」
ということですね。
和服の帯って、おそらく日本の精神論と密着していますね。和服の復権を。丹田を意識しましょう、日本人。ならば勝つ。
尖閣がなんで褌話題で終わるのか解らないけど、締めだから、褌だけに。
お後がよろしいようで。