IMPORTANT 大々的拡散を希望しています。
不定期更新を口にしてまだ間がないのですが「これだけは」アップしておかなくては、と思うことが続きました。
今回はそのうち、最大のものです。心してお読み願いたく、またご存知のように弊ブログ主は常々「大したものは書いていないのだから、消えるなら消えてもいい。だから保存対策はしない」と言って来たこと、ご承知の通りです。
しかし、唯一これだけは保存しておきたいと思っています。
こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが(以前、ちょっとだけ触れました)
第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf
言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。
絶句するような、大変なことも述べられています。
いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めてはいるようだし。
これに併せて、美智子さまが大左翼政党・社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。
◆「なんと、社会党が支援していた美智子さま2015-11-3」
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1
またカトリック団体からの応援があったことも。
こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。
そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。
要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。
そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の
新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。
政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。
OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。
安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。
(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)
「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」
これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。
*北畠親房
北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。
昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。
現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。
第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。
「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」
これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。
秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。
うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。
「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?
現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。
「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」
その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。
それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。
http://www.kikuyou.or.jp/dvd.html
「天皇皇后両陛下の被災地お見舞い-国民に心を寄せて-」DVD59分
•価格:1,500円
しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。
「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」
これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。
このレベルの帝の時は賢い臣下がつくべきですが、臣下の代わりにコントローラーとしての美智子女帝というのが、お寒い現状です。
特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。
そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。
批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては、北朝鮮にさせられてしまいました。
三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。
皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を100年間も受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定はお立場に関わらず国賊です。
思えばこの方が、皇族左傾化の走りであったのかもしれません。
OSS/GHQのシナリオ通りに乗せられての思索。この方もまたあまり頭脳俊敏ではないのでしょう。
今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。
「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」
「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」
宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。
「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。
追記 「15で婚活」ということに違和感を覚える人がいるかもしれませんが、大正期には三木露風が「赤とんぼ」で「十五でねえやは嫁にゆき」と書いた時代からさほど遠くないころだということを前提に置くべきでしょう。
大正期でも15歳での婚姻は早いほうですが、要するに肉体の成熟度の問題で当時は寿命も短かった分、成熟も速く色街での水揚げ、韓国ではキーセン・・・・
思えば18まであとわずか3年。18なら今でも嫁に行ける・・・・と言うとフェミニズムに叱られそうですが親の許諾無しで結婚出来ますね。許諾得られれば16歳も可でしたっけ?
美智子さまのお母さんは19歳で正田英三郎氏と結婚(あるいは英三郎氏との出会い)だったと思います。
美智子さんは比較的早い年齢でのお見合い開始の可能性はあります。
18歳とか・・・・。それと、チークダンスは男性の股間の変化なども解るそうで、それを定期的になさっていた美智子さまは年齢に比して訳知り・・・早熟であったかもしれません。
拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。
ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。
美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者を「公職追放」により、バサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。GHQの走狗として、出世階段を駆け上りました。日本国への敬意があれば出来ません。何かに魂を売らないと。
形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。NHKもGHQに支配されていた頃の体質を色濃く残しています。
美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。
冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、
当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。
祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主の個人情報網で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。
信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。
朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?
もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。
嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。
仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?
私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。
言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。
美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、
象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。
ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントに関わらぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。
象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。
余計なことはしない、言わない。これに尽きます。
こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。
象徴であることが不可能、つまり人間としての自己主張をなさりたいと仰せなら、入内なさるべきではありませんでした。入内してから半世紀になんなんとする現在何を、図々しいことを仰っていられるのでしょう。人間としての主張を率先してなさるから、雅子妃にしめしがつかず雅子妃も「人格否定」とやらお身の程を弁えられません。
そもそも戸籍のない身の上であるからこそ、民から差し出される莫大な富と力です。「普通の人間」としての政治スタンスをお示しになる人に、その立ち位置には反対の国民がお金を差し上げ続ける義理はございません。言動に賛成の共産党や創価学会なら喜んで差し出すのでしょうが、本来皇室をお支えする保守層の大半が憲法改正派です。
美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。
不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。
双方、きちっとお家柄その他調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど「瑕疵」のある縁談なのに。
外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。
他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに
出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。
後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。
その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。
備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャン
と、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて異常に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。
美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。
追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。
WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。
・・・・・・・・・・・・・・ここまで
逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。
更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み
質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。
《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。
平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。
入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?
写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg
《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。
せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。
衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。
更に追記
尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。
平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。
平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html
菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html
菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm
それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
・・・・・・・・ここまで
*再三繰り返していますが、お名前欄の空白unknownや、いかにも、やっつけ的なHNは、読まぬまま削除しています。「通りすがり」も同じく。発言には最後まで責任を持つという意思表明を兼ねて、他とダブらないような常設のお名前を工夫の上、お入りください。
必然性のない「非公開」指定もお控えくださいませ。常連の嫌がらせさんたちも読まず即ハネています。HNを騙っても変えても解るので無駄です、念のため。
たまに「公開処刑」の見せしめに読んでさらしていますが、稀ですから。
反論は大いに歓迎しますが、しかし知能が一定レベルに達してない方へのコメント返しは不毛なので、ご遠慮ください。