祭祀と災害の相関性についてコメ欄に、次の書き込みを頂戴しました。
>いまだに、どこか、科学的疑問を感じてしまう私ですが
このように感じる方々も多いと思われます。現代では当然の反応でしょう。
言い方が難しいのですが・・・・あの災害もこの災害も、全てが祭祀がないせい、おろそかであるせい、という意味で過去の記事を書いたわけではありません。証明のしようもないことなのですから。
ただ、祭祀王としての祭祀を抜いたら、天皇の存在意義が、つまり皇室全体の意味がなくなるという領域のことだと思われます。
科学を持ち出すと、とたんに瓦解するのが皇室で、左翼の人達がそういう考えで、小和田家も典型的ですね。唯物論者。かつて外務省時代に部下が、伊勢神宮と出雲大社に関する英文を書く際に小和田氏に意見を伺ったところ、「そんなもん、全く興味ない」と言い放った男です。
そしてその環境下に育てられた娘は、現在のていたらくです。
実は皇后陛下も、似たような環境で‥‥‥‥・【神道的には】ある意味無神論に近いお家でお育ちになりある種のご思想を、根強くお持ちです。
小和田恒氏・その「罪と罰」 《転載・拡散自由》 保存版
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2e682ebf1e94d19c4563bb5378f6830d
民族のメンタリティというものは、必ずしも科学的に整合性のあるものでは出来上がってはいません。
古神道も最初は「道」の形を取っていず、それは古代日本人の霊的直感であったと思います。日本民族の精神性の根幹が神道にあることは論を待ちません。「神教」と「教」とは唱えず、「道」であるのが、大和民族の面目躍如であるところです。
これは日本の芳醇で温暖な自然にも由来する宇宙観とでもいうべき感性でしょう。
対立物を想定せず、それが西欧の二元論と基本的に異なる点でしょう。神道内の二元論といえば、せいぜいが清浄と穢れレベルではないでしょうか。清め、祓えば雲散霧消する程度の二元論未満です。穢れと言っても、気枯れ=気が枯れた状態であり、必ずしも対立物ではありません。あるべきものの欠如を穢れと捉えます。
砂漠の荒ぶる神はまさしく、あの苛烈な環境を抜きには誕生していません。砂漠という地獄は戦い克服せねば自らがやられてしまう、対立物でしかありません。日本ではアマテラスであり、大日如来である太陽も砂漠にあっては人間を責めさいなむ凶器です。
日本民族にあっては、自然とは寄り添い恵みをもたらしていただく、対象です。
日本では八百万の神と言われ、一神教と区別されますが、しかしそれらすべての神々も、元をたどれば根本宇宙神であるところの、アマテラス的なるものにたどり着くという考え方もします。「カミの分け御霊」という感性ですね。
不勉強分野なので、これ以上言及するとボロを出しそうなので早めに切り上げますが実感的・体感的カミ論で申せば、それは実在すると言わざるを得ません。
分かりやすいのがいい気の満ちた神社(気枯れ=汚れのある神社は例外です)の、鳥居。いくらか霊的感受性のある人なら、鳥居の内と外での空気感の違いを容易に感じることが出来ます。また本殿から入り口の鳥居へと至る、参道の真ん中の線、正中線をさーっと通っている「神気」を感じます。
正中線は、神の通り道でもあり参拝者は避けて、端を歩くのが礼儀です。
中には神を視覚化する人もいるし、そうでなければ撮影したカメラの映像が捉えていることもあります。金粉という物質化でその存在を知る人もいます。芳香で知覚することも。
神の実在は言葉では表せないので、あると言ったらあるのだ、と強引な言い方になってしまいます。視える、感じるが実は常態であったのが、古代の日本人であったのではないかと愚考しています。穢れが積み重なっていくにつれ、それらの感知器たる直感が鈍くなっているのが今であると思っています。
悪霊の存在で神の実在が逆証明出来るなら、これも多少霊眼の開けた人ならそれこそ皇太子ご一家にまつわる憑き物の多さに辟易としていますね。その逆に秋篠宮家にまつわる画像には時々、神霊が写り込んでいます。
霊的な尺度で見れば、はっきりしている世界です。
受け入れがたくても、それら異次元の存在をとりあえず認めないと、現代における天皇を日本人は見失ってしまいます。古代人は問答無用だったのです。天皇が神そのものでいらした。という言い方が現代人の感性に逆らうなら、祭祀により神=宇宙の最高神とパイプでつなぐことの出来る存在でした。
面白いことに、と言っていいのかどうか・・・東宮家それぞれに憑いている悪霊が多い順番に、雅子妃、皇太子、愛子さま。秋篠宮家には龍神他高級霊のみの顕現。
天皇皇后両陛下には、高級霊も低級霊もほぼ写り込み無しで長いこと来たように思いますが、最近皇后陛下のお写真が怪しくなって来ています。天皇陛下は今のところ無傷でいらっしゃるように思われます。先祖伝来の天皇固有のバリアが築かれているのかもしれません。現在のご様子では今後は解りませんが。「視える、聞こえる、感じる」人は、ほぼ同意見ではないでしょうか。
清子様もそう言えば高級霊の写り込みは拝見していませんが、清い霊的オーラに包まれておいでです。さればこそ、伊勢神宮の祭主のお勤めも出来るのでしょう。
証明出来ないものの実在を何とか述べようとして、以上の愚論です。
ただ、日本人の中には古代の先祖が感知した神々の記憶がまだ刻印されているのではないでしょうか。それゆえにこそ、新年は神社にそして寺に出かけます。
神社に出かければ迷うこと無く手を合わせます。頑ななカルトでもない限り、そのことに抵抗はありません。とりわけ神道は本来宗教に非ず、それは古代日本人の霊的インスピレーションだからです。
いわゆる宗教の定義は、教祖・本尊・経典を備えていることですが、神道は宗教の概念からはいささか外れます。
キリスト教の神もユダヤ教の神もヒンズー教の神もsomething greatと汎用化できぬほど、神の個性が強烈ですが、神道における根本神としての神は、まさしく、まったりとsomething greatであり、だからこそ伊勢神宮に佇む異教徒たちも何かを感得、打たれるのかもしれません。
大雑把な説でしたが、2600年もの長きに渡り皇居内の神域では神の火(忌み火=鑽(ひき)りでおこした清浄な火)が連綿と今に燃え続けており、そこではあまたの神官巫女たちが神に厳しく仕え、祈りを日夜捧げている事実を知れば祭祀には「何かがある」・・・・かもしれない程度には、思いが至るのではないでしょうか。祭祀の欠如が何らかの形で、日本に災厄をもたらすかもしれないその可能性も、感じるのではないでしょうか。
良い意味での右翼ないしは保守というのは、実に神の実在を信じる者のことではないでしょうか。天皇を崇めるのは本来神を崇めるに等しいことであったのが、敗戦でブレが来て現在に至ります。
ある種の頑迷な保守は、天皇が天皇であるゆえに崇め奉りますが祭祀王の役目を果たさなくなり、あまつさえ世間では「左」と呼ばれる政治発言をなさり、内閣を無視なさり韓国大統領に友好を願い出る書簡をお渡しになるなど、神の領域におわす方のなさることではございませんね。
それゆえに、祭祀と災害を結びつける論が出てくる、とそれが今の状況です。
宮中にあまたの神官あり 【転載ご自由に】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2036af29dcb72e04e7eaf91957923ccb
天皇とは何か 「天皇の国師」をめぐる小論 3
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c6b127fa619b2c71db8c7091cb28c569
付記
近く出かけようとなさっていた日光が洪水というのも、何かしら象徴的な気がします。(日光にもそこの人々にも罪はありませんが)戦時中の疎開の跡をめぐるなら、またしても「あの戦争への反省」などというサヨク発言をなさるかもしれなかったのですよね。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2584695.html
関東・東北での豪雨災害を受け、宮内庁は、天皇・皇后両陛下が今月17日から予定していた栃木県日光市への私的ご旅行を取りやめられたと発表しました。
両陛下は今月17日から1泊2日の日程で栃木県の日光市を訪れ、天皇陛下が戦時中に疎開していた日光田母沢御用邸が残る記念公園などをめぐられる予定でした。しかし、栃木県や茨城県などを襲った豪雨災害で大規模な被害が出ていることから、関係機関に災害対応に専念してもらいたいとの(以下略)
・・・・・ここまで
つい揚げ足取りレベルのことを言いたくなる衝動・・・・・
>関係機関に災害対応に専念してもらいたいとの
混乱した最中にいらしても、道はぬかるんでいて汚れるし、楽しめないからかな、とつい根性悪を言いたくなるのです。
だってご自分らは腕を組んで絵画展にいらしたのだから、お言葉も親身なのかどうか疑わしいのですわ。
言われなくても日光では復旧に必死です。復旧に専念しろとおっしゃるなら、どうぞ陛下も祭祀に専念あそばされますよう。
本来の天皇としてのお言葉の他に、庶民流我論が多すぎます。
祭祀王が政治と外交、歴史認識発言をすべきではない件について
天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
皇族の立場について男女の差異はそれほどないと思います。女性皇族の立場は過去も大切であったし,これからも重要と思います。
BB:男女の差がない? だから皇太子に帝王学をお授けではなく、皇后陛下にかぶれて「男女平等」思想でしょうか。
男性皇族は継承権順位の対象になるので、女性とは自ずと気構えと、お立場が異なるはずです。
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
BB:遣日使について学ばれてないのでしょうか。日本が半島から貰ったものって具体的に何ですか?
それと、日本に敬意を抱いで来日帰化した人々と、押しかけ朝鮮難民としての在日を同一地平線上に語られると、真実を見失うし国民が迷惑をこうむります。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
BB:女系の血の一滴、もう何もないし、武寧王は日本人との説もあり、百済が日本の管轄下にあったという説も有力です。
というより前に、なぜこういう浅慮のリップサービスを、ご機嫌取り、をなさるのでしょう。おかげで韓国では天皇の祖先は韓国人、日本人の祖先は朝鮮人と言われていて、本当に気持ち悪いのです。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
BB;いったい何のことでしょうか。植民地化? 強制連行? 性奴隷?
一方的な、捏造を含めた史観を踏まえ、勝手に反省を国民に強いないでください。内閣にも国民にも無断で、韓国大統領に友好を願う書簡を渡すなど、迷惑もここに極まります。皇后陛下は強制とやらの慰安婦の存在を信じこんでシンパシーを寄せていらっしゃるし、困ったことです。
余計なことを発言したりなさったりしなくてもよろしいので、祭祀を粛々となさってくださいませ。
あと責任上、ご長男夫妻の始末をおつけくださいませ。国際的にももう見捨てられています。
・・・・・・・・ここまで
皇后陛下は皇后陛下で、対馬(つしま)より釜山(ふざん)の灯(あかり)見ゆといへば韓国の地の近きを思ふ、などと感傷に溺れた歌を詠まれその余韻で、「謝罪に行きたい」などと。
何をどう吹きこまれ学ばれたか存じませんが、両陛下の日韓問題に関する認識は偏っておられ、いびつです。全て東京裁判自虐史観の上に立った判断であり、それは左翼の思考です。左翼は祭祀も否定します・・・。神の存在そのものを信じてはいません。両陛下が唯物論に傾けば皇族としてのお立場はそこで、終えるべきでしょう。なぜなら、祭祀以外に皇室に皇族に「取り柄」がございますか?raison d'êtreが。
秋篠宮両殿下と、悠仁親王、そしてお二人の内親王に希望をつなぎます。
それ以前はもはや、国のためになりません。
明治天皇の大嘗祭
(明治4年11月17日)
以下の画像が国民の現在の思いと失望、そして衝撃を正確に表現していると思うので、こちらから拝借しました。h ttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.htm
どなたが作られたのか本質をついて、秀逸だと思います。お借りしたことにお礼を申し上げます。
日本の危機を救おうとする総理と、女系宮家に始まる愛子天皇擁立策を潰されて、両陛下ことにも皇后陛下は安倍総理がお嫌い。その護憲論含めた思想的立ち位置も、安倍総理嫌いも、共産党、社民党、在日、SEALs、韓国人、中国人たちと同じなのが、国民は困惑の種なのです。
これ以降は、ご慈愛微笑と、朝鮮式挨拶コンスとお手振りにもう騙されない国民が多くなるのではないでしょうか・・・・
洪水被害の国民と地域に対して、正直なお気持ちを見せてくださって、よかったのかもしれません。国民が絶望に泣いている時に、ご遺体が冷たい水の底にまだあるときに、急に思い立っての絵画見物が出来るお二人だったのですね。
両陛下が楽しまれた絵画展。
両陛下がお好きな平和憲法が禁じた「日本軍の兵士」です。お嫌いでしょうか。
人民解放軍が日本侵攻して皇居を襲う時、身を呈してお守りするのは彼らなのですよ・・・・・。両陛下のために命を懸けてくださるのは、彼らなのに。
宮内庁へのご意見はこちら。
◎E-mail:
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〒100-8111
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秋篠宮殿下妃殿下へ祭祀の全てをお伝えの上、ご移譲を願います。