50年、100年に一度の大雨。妙に感性に鋭いところのあるビートたけしさんが「日本は、砂漠化してなくなっちゃうんじゃなの?」とか口走っていますが・・・・
韓国は大喜びしていますね。その韓国に友好を願う書簡を内閣に無断でお渡しになった天皇陛下、お詫びに行きたいと言われ釜山の灯りに心を寄せられる皇后陛下。いもしなかった強制の慰安婦にも関心がおありとか。
何かが間違っています。
今回の記事は前稿、
両陛下の「ご心配」と「ご訪問」で日本の不幸は解決しません。まず祭祀を。
の補足として記します。
天皇陛下ご親修の祭祀が、ご高齢もあり割愛・中止の流れにあります。
続く天変地異が、そのためとは申しませんが、宮中に祭祀の途絶えるは国家の屋台骨の傾きを招きはせぬかと、それを懸念しています。
ご高齢による祭祀の簡素化自体は致し方無しとして、皇太子の代で復活すればよし、しかし「あの」皇太子にそれが望めるでしょうか。
宮内庁に懸念お伝えすると、「皇太子殿下は皇太子殿下としての祭祀をおやりです」というお答えで、?となりながらも、門外不出要素の強い宮中内祭祀を知悉せぬ身の悲しさで、それ以上追求もなりません。ただ、宮内庁発表の予定表を見れば、両陛下と秋篠宮家の埋まり方に比して、東宮ご夫妻は常に白じろとブランクが多い有様を拝見すれば、疑念が兆すは必定(ひつじょう)でございましょう。
(昨年)
両陛下と秋篠宮両殿下が働かれている間に、東宮はほぼ何もないに等しい日々です。雅子妃に至っては皆無。この方たち、何のためにいらっしゃるのでしょうか。
今年今月は、
皇太子と雅子妃、真っ白。
大金と、大人数の護衛、使用人と莫大な国費を使いつつ、この人達何をしているのでしょう? 何のために、皇室にいるのでしょう?
公務さえ万全でない皇太子がまして祭祀をまともにおやりになるとも思えません。雅子妃にいたっては、目と鼻の先の賢所におみ足を運ばれるすら、厭われておいでです。神域を忌避なさるなら、なにゆえ入内あそばされたのでしょうか。
神域を避ける精神病の女性が、立后なさるのでしょうか。
海外相手の友好も、さなきだに見た目もお振る舞いも貧相な皇太子がお一人で、天皇陛下として担われるのかと思うと、暗澹と致します。
天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭を、そしてその後に続く大嘗祭を行える能力を皇太子殿下がお持ちでしょうか? 現在、高齢を理由に削られつつある祭祀が、次代は皇太子の無能ゆえにやせ細って行くのではないでしょうか。
即位の儀も、雅子妃抜きの前代未聞の? 華やかさを欠いた式典になりそうですが、即位の礼は五輪開催など足元にも及ばぬ、華麗な国威発揚イベントであり、ある意味宮中最大の神事でもあります。その神事を新皇后を抜いたまま行うことに、危惧を抱きます。神事なのですよ? 端なる行事ではなく。
今上陛下と皇后陛下の即位の儀の式典は、世界各国がそのおごそかさ、華やかさ、伝統の深さに目を見張りました。
次代でそれは望めません。新皇后不在は、「病気」「不調」「機能不全」という印象を世界に発信してしまいます。報道は新皇后の欠席と不調に触れざるを得ないのですから。式典の規模が大きいほど、新皇后の不在は、日本のマイナスイメージとして世界に刷り込まれてしまいます。
もう国民は20年間耐えたので、はっきり申し上げれば雅子妃は日本国が背負った貧乏神でございましょう。その御方を伴侶として選ばれた皇太子も、弥栄は託せないのではないでしょうか。
天皇皇后両陛下による、剣璽動座の伊勢ご参拝のおり、本来はお留守を守るべき皇太子とそのご一家はスキーにお出かけでした。剣璽勾玉は、ご承知のように「皇位継承権」の証です。宮中の両陛下のお留守のお守りは秋篠宮殿下がなさいました。
もし秋篠宮殿下がお留守をお勤めなら、本来皇太子殿下は伊勢神宮剣璽動座の旅にご同行なさる筋合いのことではございませんでしたか?
皇位継承権放棄を暗示するような、東宮一家のレジャー行きです。
とは、旧登極令(明治42年皇室令第1号)附式の、第一編 践祚ノ式にある剣璽渡御ノ儀(けんじとぎょのぎ)にあたる国事行為たる儀式です。
剣とは天叢雲剣を指し、璽は八尺瓊勾玉を示しています。
皇位の証として伝わる三種の神器のうち、剣と璽を大行天皇(前天皇)から承継して、新天皇即位がなるのですから、剣璽動座の伊勢行きを放擲、留守さえ守らなかった皇太子に、皇位継承権を放擲、継承の意思なしとみなしてもよろしいのではないでしょうか。
両陛下がお留守の間、宮中の護りにつかれた秋篠宮殿下こそは皇位継承の有資格者ではないでしょうか。
あるいは諸事情から、皇位継承が叶わなければ悠仁親王殿下を幼帝として立て、秋篠宮殿下は摂政として立たれる選択肢もあるかもしれません。
しかしながら国体としては、天皇、皇太子と2つの席がきちんと埋まっているほうが盤石だと思われますが、これは皇太子殿下が廃嫡なさるか、畏れながら薨御の場合でしょう。
皇室典範第三条にいわく、
皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、 皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることが できる。
皇位継承の順序を変えて頂きたいというのが、ズバリ率直なお願いです。
平成に御代が改まってからの、そして近年の天変地異が、祭祀とどう関わりがあるのかどうか、それは埒外の民には解りません。
しかしながら、皇太子夫妻のトンガ行き、静養先にまつわっての地震他、ある程度のシンクロニシティを思わざるを得ません。
偶然の可能性があることは重々承知しつつ、両陛下の動きに伴っても種々ございます。一例を上げると昨年、深夜の「暁(あかつき)の儀」の拝礼を中止されると発表されたとたんに長野で地震がありました。
凡人の理解の埒外ではございますが、皇室始まって以来、連綿と厳格に宮中の一角で、また天皇陛下、時には皇后陛下のご親修で執り行われてきた祭祀には、それなりの意味があると思うのです。
今上陛下におかれましても、ご高齢を理由に祭祀の中止、簡略化をなさるなら、むしろパラオなどの外国行き、被災地ご訪問他、割愛なさり祭祀のために、体力を温存なさるのが、本来のお姿ではございませんでしょうか。
鬼怒川氾濫など、まだ渦中にあり両陛下はお慎みという名の自粛が望まれますが、美術展にお二人でお出かけです。それもドタ出。
グレーの衣装での絵画展見物で、弔慰は表されたおつもりでしょうか?
昭和天皇の御代に、こういうことお有りだったかなぁ‥‥‥‥・?
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20150912/Kyodo_BR_MN2015091201001350.html
美術展がいけないというようなことでもないのですが、あちこちお出かけになられる体力がおありならどうぞ、祈りのほうにお向けくださいませ、というお願いでこざいます。紀子妃のお誕生日すら報道されず、お祝いも表向きにはなされていないような、こんな非常時に。
平成になってからの災害
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皇室の祭祀をやせ細らせ、絶やさぬよう。
海外では皇太子と雅子妃をすでに、員数外に見なしているようです。
廃太子廃妃の上、次代は秋篠宮殿下にご移譲をお願い申し上げます。
宮内庁、各所へのメールは内容もさることながら、数が勝負です。
1行でいいので、祭祀を大切に、そして廃太子廃妃を、と書いて出しましょう。