皇后陛下とカトリックとの関係について、いくらか今まで考察して来ましたが、
決定打となるソースは最初から不可能で、概ね傍証からのアプローチに拠るしかなく、今回もまたそうですが・・・
一つ書きそびれていたことを思い出したので、書いておきます。
それは、今上陛下の皇太子時代にGHQから寄越された米国人のクリスチャンが家庭教師として、洗脳教育に当たったわけですが、もう一人日本人が
いました。
それは小泉信三で、この方がクリスチャンとして正田美智子さんの入内に、
吉田茂元首相と共に動いたことは知っていたのですが、この小泉信三もまた
今上陛下の皇太子時代に教育係としておそばについた方であったのです。
日米2人のクリスチャンが、皇太子時代の天皇陛下には教育係として
ついたわけで、神道のお家でこれは異常といえば異常ではないでしょうか。
皇太子たちの養育係の浜尾侍従もカトリックです。
父子2代に渡るキリスト教系の教育係。背後に意図があったと想定するのが
普通でしょう。
小泉信三はカトリックに近い聖公会信徒です。
吉田茂元首相は晩年洗礼を受けたカトリック信徒です。
吉田元首相は、在日の密入国と不法滞在、犯罪率の高さに音を上げ、
本国への送還をマッカーサに書簡で願い出たほど、GHQとは当時の
宰相として密であったお方。
それがキリスト教仲間の小泉信三と共に、美智子妃入内に動いたことに
微妙な感想を持ちます。はっきり言えば、テニスコートに始まった恋愛劇には
GHQ作、プロデューサー吉田、監督小泉のシナリオがあったのではないかという・・・・
雅子妃のそれと同ケースです。偶然を装った対面と再会。
いずれも、皇太子が夢中になり恋愛にという構図ですが、下世話なことを申し上げればお立場上、女性に接する機会が皆無に等しい、男として最も“血気盛んな”年齢の時に、それなりの女性をあてがえば‥‥‥・失礼・・・・おそばに近づければ、後はシナリオは多少の手助けと、偶然を装った再会の演出があれば、筋書き通りに運ぶのではないでしょうか。
美智子様に関しては、出会いから成婚に至るまで徹頭徹尾カトリックとカトリックに近い聖公会のキリスト教徒が噛んでいることに奇異の念を抱かざるを得ないのです。
以下、皇室とカトリックとの関連に吉田の動きを加味した時系列表です。
1945(昭和20)年8月6日 広島に原爆
8月9日 長崎に原爆
1946(昭和21)年5月22日 第1次吉田内閣発足 ←マッカーサーの占領軍政策化の内閣であることに留意
1947(昭和22)年1月31日 パウロ・マレラ大司教、昭和天皇に謁見
1949(昭和24)年2月 パウロ・マレラ大司教、昭和天皇に謁見
7月30日 駐日ローマ法王庁使節フルステンベルグ大司教、昭和天皇に謁見
1951(昭和26)年4月16日 ダグラス・マッカーサー帰国
1953(昭和28)年7月6日 皇太子継宮明仁親王、ローマ教皇ピオ12世に謁見
10月4日 吉田 茂、小泉信三宛書簡
1954(昭和29)年10月20日 吉田 茂、ローマ教皇ピオ12世に謁見
1957(昭和32)年5月3日 吉田 茂、三谷隆信侍従長宛書簡
5月12日 吉田 茂、三谷隆信侍従長宛書簡
8月19日 皇太子、美智子様軽井沢テニスコートでの「出逢い」
“たまたま”ペアで組む。
1958(昭和33)年11月27日 皇太子婚約決定の皇室会議
1959(昭和34)年4月10日 皇太子結婚の儀
この流れを見つめていると、敗戦後いきなり活発化するカトリックと皇室の
動き。その流れに乗ってカトリックが絡んでの入内ではないか、
それもGHQが噛んでのそれではないかと・・・・・感じる点があります。
あれほど内部に頑強な反対があったのに、皇室会議では全員一致の
賛成票で正田美智子さんの入内決定というのも、不自然な話。
要するにメンバーが全員、予定調和で賛成に回る者だけが
集められていたわけです。皇室内部の強い反対など一蹴できるほどの、
大きな作為が背後に動いた、と見るべきでしょう。そしてそれはおそらく
GHQ解体後も未だ続いている、GHQ‥‥‥‥・日本/皇室弱体化路線。
たまたまコメント欄にも頂戴しましたが、「天皇は神ではない」とあの時代に
娘に教育するご家庭の主婦というのはかなり希少で、しかし美智子様の母堂正田冨美がカトリックだとすると、すんなり納得出来る話ではあります。
カトリック信徒が二人の神を奉ずるのは信仰の崩壊ですから。
*正田家は、美智子様の祖母きぬさんが昭和2年にフランス人宣教師ヨセフ・フロジャック 神父より洗礼を受けられてから、カトリックに ... きぬさんの夫であった正田貞一郎氏も、 戦後、昭和24年に関口教会でカトリックの洗礼を受けられています。
正田冨美は臨終洗礼だとされていますが、祖父母の代からのカトリックの家で、(美智子様を除く)娘も息子もカトリックというお家で、小学校から大学までカトリック系の学校に娘をやる・・・・小学校では転校していますが、それも
ご丁寧に双葉というカトリック系から、聖心へと移らせ、堅くカトリック系に焦点を
絞った教育を受けさせているご家庭の主婦が信徒ではない、というのがむしろ不思議です。
娘の入内にあたって、親が信徒ということを憚って伏せられ、しかし死の床についてまで信仰を偽っていることは出来ず、「臨終洗礼」という形でカミングアウトされたか、というのは拙ブログ主の推理でしかありません。
カトリック信徒の祖父母・正田貞一郎の一家。
見送る実妹の安西恵美子も、洗礼を受けたカトリック教徒。
何度か述べていますが、宗教としてのカトリックないしはキリスト教の批判ではありません。あくまでも「皇室にとっては異教であり異物で在らざるを得ない」カトリックという観点からの記述なので、念のため。
雅子様の場合は、カトリックという「皇室壊し」の異物の代わりに、小和田家当主の反日自虐史観があったわけで、構図は美智子様の場合と全く同じです。雅子様の場合は、カトリックに代わってもっと端的に反日的な、朝鮮母体の創価学会が背後にあります。ご本人や小和田家が囁かれているように学会員かどうかを、知るすべはありません。
ただ外務省時代の小和田恒が創価・池田大作に便宜をはかっていたのはまぎれもない事実。皇太子が創価イベントに出席、池田大作の息子と昼食の席を同じくしたのも事実、公務を怠っていらした雅子様が外務省内の創価グループ大鳳会の面々と親しく夜の会食を共になさったのも事実です。
少なくとも創価との関係は深いと言うべきでしょう。
主治医の大野医師も創価のネットで紹介されるようなお方。
現在の皇室の諸問題を鑑みるに、美智子様と雅子様、入内に至る「構図」が酷似していることに改めて驚かされます。背後に皇室にとっては異教が、あることも。
その言動に於いても実は、美智子様のより悪しき相似形が、雅子様ではないでしょうか。“男女同権”を無言のうちに示唆しながら、いつのまにか男のほうを従わせ、男子一系の皇室の大基本を破壊していらっしゃる、という意味において。
巧みであったのは、美智子様の方でつい最近の「A級戦犯」ご発言まで、国民は気が付かなかったか、気が付かないふりをして来るだけの美点を大きく国民には示されていたのですから。
大変残念で悲しいことですが、ことここにいたって、日本に対しては悪しき言動を露わにお見せになり始めた、と言わざるを得ません。
(追記)原爆投下のエノラゲイに、カトリックの神父が同乗していた?
手を振って送り出したのはプロテスタントの牧師?
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