(学研)
ふと読まねばならぬ気がして取り寄せた本。結構大部ですが、速読法を身につけているのでなんとか90分程度で読了。
むろん、全体を俯瞰で掴むレベルの荒っぽい読み方なので以降、精読を心がけながら再読、本書を基軸にゆるい天皇小論を試みようかと。
数行ずつの続き物で、任意(at random)に。
まず、非常に面白かったのは天皇と祭祀との関わりが基軸に
書かれていて、しかしAmazonなどの書評を読む限り、そこに
焦点を当てたものは見当たらず。
昭和天皇の卓越した霊的感受性が記述されていて(これは少々驚きました)、実はそこが、本書の肝でもあれば天皇論の核に当たるところかと
思われるのに。
それと、カトリックがいかに皇室を取り込もうと動いたかが詳述されていて、
皇后陛下の入内にGHQが動いたな、とほぼ確信。
無論GHQが証拠となる痕跡を残すわけもなく、傍証から読み解いて
行くしかないのだけれど。
但し、あくまでもGHQによる皇室弱体化政策の一環としての
カトリック記述なので、カトリックそれ自体への論評ではないことを
予(あらかじ)め表明しておきます。
まずは昭和天皇の優れた霊的感受性について。
(つづく)。。。。あくまでも「気まぐれ任意な」続き物なので、期待しないでくださいね。それにブログ主の主観による「感想」レベルです。なので、文責は著者ではなく、BBにあります。
以下、ページ数は時系列では進めません。行きつ戻りつの抜粋転載です。
抜粋転載した文章が色文字です。
P66 *当時、皇位継承権のある皇族の中に身持ちの良くないものが居り、天皇は彼らの教育にも胸を痛めていたのであった。
皇族に対して批判するとすぐさま「不敬な」とパブロフの犬的条件反射で
反感を示す人がいますが、皇族だからといって全てが人格晴朗で頭脳優秀、
人格申し分なし、というわけではないのですよ。
敬するに値せざるお方を批判したからといって、それは「不敬」には当たらないのではないでしょうか。
P66 *陛下は「自分の耳には、ときどき天上から妙なる音楽が聞こえてくるのだが、これは幻聴だろうか、あるいは病気なのだろうか」
どこからともなく雅楽のような澄み切った音色が聞こえることがあるという。その音色に包まれると、天皇の身も心もひとつに溶け合い、この上ない恍惚感に浸されるのだという。
三上はさっと姿勢を正し、「それでこそ天皇陛下なのです」ときっぱり返答した。
「優れた天皇は、陛下のように天と交信し、天の声を聴く霊能を開いておられたのです」
「優れた天皇」という言い方に着目。裏を返せば優れてないお方もいらっしゃるわけです。当然のことですね。優れていない天皇を仰いだら、民と国家は悲劇です。それゆえに、廃太子廃妃の制度があります。
天皇は日本のみならず世界の祭祀王であらねばなりませんが、それには天と交信できる能力が必要だということでしょうか。
この、たぶん多くがわけわからないオカルトとして、読み過ごしかねないフレーズを、なぜBBがまともに受け取るかというと、BBも異界との交信が稀にあるからです。
音楽は経験ないのですが、男たちの声で読経の声(どこの国のお経か、言葉の判別つかず)。ただ直感で、これはチャンティングだな、と。最初は歌かと思い、昼間だったのですが、近くの酒場でカラオケで歌っているのかと思ったのでした。
それと共に、お線香の香り。その後に、インドの聖地を訪れるような出来事が
連なります。
音も香りも神仏界の、どのレベルからの伝達であったのか解りません。
昭和大帝のように天上の高みとリンクしていた、とは思いません。
もっと階層の低いところ。
こと神仏がからむことでは、能(あと)う限り謙虚でいたいと思います。
つづく(かもしれない)
P34 言論界では天皇の退位と戦争責任を問う意見が盛んになっていた。(中略)
昭和二十三年に発足した芦田内閣は、宮中改革を行い、天皇への上奏を取りやめ、宮内庁長官と侍従長を無教会派のキリスト教徒に交代させていた。
これも、皇室が論じられる時、見過ごされがちな一節、しかし非常に
重要な含みを帯びた一節であろうかと思われます。
注 無教会主義のキリスト教徒は「イエス・キリストは無教会であった」「パウロは無教会であった」との理解を共有することが多い。また、無教会主義は「教会」よりも「キリストの十字架」を重んじると言われる。