難関一橋大学。べべこの頭脳と知識では追いつかない。・・・けれどシンプルに解るのはこれらの問題の全てがある作為で作成されているという事実。その作為とはすなわち「自虐」と「反日」です。
青字がべべこのツッコミで、時間も十分ではなく従って浅いかもしれませんが、意のあるところは汲み取っていただけるかと。
■一橋大学1991年
(イ)1930年代後半から日本は植民地朝鮮に皇民化政策という民族抹殺政策を実施したが、その政策の柱となる具体策を三つあげ、政策の意図がどこにあったのか、述べよ(200字)。
まず問答無用に「植民地化朝鮮」と断定しているのが問題。「民族抹殺政策」と決めつけているのも偏りが甚だしく、日韓併合は功罪を公平なバランスシートで判断しなければなりません。
正解はべべこの知識では解りませんが教化政策、同化政策、言論統制とでも答えれば良いのかしら? 日の丸掲揚、宮城遥拝の強制?言葉を奪い名前を奪いのたぐい?(奪ってないけど)。一方的に「いけない」という観点ではなく、功罪のバランスで公平に判断しなければならないし、また現代の価値観で安易にいけないというのも違うのは、慰安婦問題と同じですね。
■一橋大学1992年より
(イ) 1904年2月、ロシアとの戦争を決意した日本は宣戦布告に先だって、韓国領土を占領するとともに、次々に韓国に対し「議定書」、「協約」、「条約」を強要し、日本の朝鮮支配は一挙に完成にむかって加速された。朝鮮民衆は激しく抵抗したが、日本は直接これらの抵抗をうちくだき、ついに1910年8月韓国を併合した。次の用語をつかって日露戦争勃発から韓国併合までの過程をのべよ(200字)。
日韓議定書 第二次日韓協約 抗日義兵闘争
なんだか「汚い」問題の出し方ですねえ。とにかく、まず「日韓併合は日本の側から一方的に行ったものでよくないこと」という大枠の中に受験生をまず追い込んでおき、更に「日韓議定書」「第二次日韓協約」「抗日義兵闘争」と小枠に閉じ込めて、答えの内容をほぼ規定してかかっているし。
とりわけ「抗日義兵闘争」などという言葉はほとんど、誘導尋問の域でしょう。
■一橋大学1999年 問題リード文より
次の文章は、ある朝鮮人革命家がアメリカのジャーナリストに語った話をもとに書かれたものである。これを読んで、下の問いに答えなさい。
全朝鮮人は右派左派共々に、中国におけるこの(革命の)高まりを己れ自身の国を解放する第一歩と考えて喜んだ。戦闘参加を志願して真先に広東へ馳せ参じた人の中にさまざまな種類の朝鮮人革命家たちがいた。 (中略)朝鮮人は中国人にまじってあらゆる分野で活発に働いた。あるものは顧問として、あるものは黄埔軍官学校や中山大学の教官として、あるものは革命軍の幕僚として。他のものは軍隊に入って戦った。 (中略)今となってはあの北伐に向かう革命家たちすべてが感じていた、浮き立つ心と熱狂を思い出すことさえ難しい。……華北へ、朝鮮へ、私たちの心はおどった。「故国で、満州で、二千万朝鮮人が全アジアの自由のための武器をとって帝国主義と戦おうと待っている」と私たちは中国人に確信をもって語った。
(ニム・ウェールズ『アリランの歌』、1941年、松平いを子訳)
まずもって、最初から反日・親中国の立場の人間の書いたものを採用して出題文とするのがフェアではない。筆者は、反日親中国で有名なアメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーの妻で、スノーの反日思想の影響を受けています。
2012-02-23 04:52:48
■一橋大学 2008年
次の文章を読んで、問いに答えなさい。 日露戦争を機に、日本は朝鮮(韓国)に対する支配を強め、戦争の終結から5年目に当たる1910年には朝鮮を植民地化した。以下に掲げる史料1~2は、この時期に日本・韓国両政府の間に結ばれた重要な取り決め(条約)であり、それぞれ、その一部を示したものである。
〔史料1〕 1904年2月23日調印、日韓議定書 第3条 大日本帝国政府ハ大韓帝国ノ独立及領土保全ヲ確実ニ保証スル事 第4条 第三国ノ侵害ニ依リ若クハ内乱ノ為メ大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ(後略)
問1 日露戦争開戦後に日本の朝鮮に対する支配の強化はどのように進んだのか、戦争後にそれはどのようにして植民地化(「韓国併合」) へと進んだのか、また、こうした日本の政策に対する朝鮮内部における反応はどのようであったのか、説明しなさい。(200字以内)
ここでも、冒頭にいきなり「朝鮮の植民地化」と決めつけた文章での出題ですね。
日本の政策に対する朝鮮内部の反応は? と質問しながら、しかしその前の文章で日本の朝鮮に対する「支配の強化」とネガティブな規定をしてしまっているので、受験生に肯定的立場を取る自由は皆無ですね。朝鮮内部の反応にも肯定的なものはたくさんあったのに、そこはバッサリと無視。受験問題の形をとった、思想統制です。左翼教師がよく言う「思想の押し付け」であり、個々の価値観への侵害でしょう。
■一橋大学 2009年
B 日本による植民地支配の下で朝鮮が担わされた役割は、多様であった。まず重視されたのは食糧供給基地としての役割、日本本国における食糧需給の調整弁としての役割であった。また、中国に隣接する地理的位置に規定されて、中国侵略のための基地としての役割を担わされた。そして、戦争が拡大されるにつれて、総力戦体制の一環に深く組み込まれ朝鮮の人びとはその底部を支える労働力・兵力として広範に動員されるに至ったのである。
問い 1920年代後半から1940年代前半までの時期において、日本の支配の下で朝鮮がどのように位置づけられたのか、その推移について説明しなさい。その際、下記の語句を必ず使用し、その語句に下線を引きなさい。(200字以内)
米の増産 日中戦争 世界恐慌 満州事変 徴兵制
「食糧供給基地としての役割」ねえ・・・・やせこけた土地に原始的な農耕を営んでいた朝鮮人たちに農作法を教えた日本人たちの誠心誠意の努力ぶりが、こういう一方的な表現になってしまいますかねえ・・・。http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/650db2cd4b30d10bdb5b1c1d87372624「指定された語句を必ず使用」というのが相変わらず姑息です。これらの語句を使用するなら、自ずとある一定の文脈に強制的に導かれてしまうのですから。「徴兵制」というのが最もトリッキーなワードだと思います。解答例はこちらをご覧下さい。http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/090221exam.htm
・・・・
教科書検定と同じく、受験問題検定機関のごときものを文科省でも外部でもいいので設置できないのかしら・・・・。もっともその時々の政権で随分変わるでしょうが・・・って、こういう問題に関しては民主も自民も大して変わらないのよね。領土問題と同じく同じ穴のムジナ的に腰が引けたところがあるから。一橋大学・渡辺 治…憲法学。「九条の会」事務局長。憲法九条死守。・吉田 裕…日本近代史。日本の戦争責任論がご専門。『天皇の軍隊と南京事件』
参考過去記事 「早稲田大学で反日試験問題」
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/1d9e2908b6afaa7a631592bc738f40a4