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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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原爆の実態

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「原爆の投下は戦争を終わらせるために仕方ない。落とされたのは日本の軍部のせいだ」

「今更アメリカを悪者にしても何もならない」

「私の父母は日本が戦争に負けてよかったと言って、アメリカに感謝している」

とういう意見をコメント欄に戴いたので、あの原爆の本質について
記しておきます。http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/d4df8b79b8bf8adaaa83397f74b3c3fc

皇后陛下が原爆について語られる。

 

 

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h19sk.html

 

 今年8月の新聞に,原爆投下後の広島・長崎を撮影した米国の元従軍カメラマンの死亡記事と並び,作品の一つ,「焼き場に立つ少年」と題し,死んだ弟を背負い,しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真が掲載されており,その姿が今も目に残っています。同じ地球上で今なお戦乱の続く地域の平和の回復を願うと共に,世界各地に生活する邦人の安全を祈らずにはいられません。(皇后陛下)

 

長いですが心に沁み入る動画です。

原爆に関しては膨大なので、簡略にメモ書きします。 

広島と長崎への原爆投下は、人類史上、最悪の罪障として記憶されるべきもの。
戦勝国敗戦国という対立構図ではなく、人類視野で糾弾さるべきもの。

アメリカはこの極悪非道の「実験」を糊塗するために、日本を悪人にでっち上げ、それを中韓が悪用、現在に至る。

広島で20万人の市民、長崎では14万9000人の市民が殺された。
計約35万人。他に生存して苦しみ続けた人たちがその数倍。

広島と長崎に落された原爆の「種類」がそれぞれ違っていた。2種類を使い分け、それぞれの実験結果を得るためのデータ集めの目的であった。

広島は通称「リトルボーイ」は、「ウラン235型原爆」。
長崎のは通称「Fat Man」、「プルトニウム型原爆」です。

なぜ「実験」と断定するか。

原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、次のように公式を述べている。

「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」

2種類の原爆を使った「実験」であったと、明記されている。実験で35万人、赤ん坊まで含めて殺された、それが原爆の真実。

「軍国主義化し、侵略国となった悪の日本を懲らしめるために、アメリカは原爆を落したのである」(日教組主張)←これを信じ込んだのが、コメ欄に書き込んだ方でしょう。「実験」が真実です。

「ソ連に対する威嚇攻撃として、日本に原爆を投下した」とも、アメリカはいい抜けするが、しかし「実験」という言葉をいったん発したので、虚偽は露見している。

対ソ威嚇という目的であるとしても、効果はなかった。原爆投下の3日後には、ソ連は日ソ不可侵条約を破棄、対日戦線に参加している。

広島への原爆投下の後のトルーマンの公式声明。

President Harry S.Truman Address to the Nation, 6 August 1945

広島への原子爆弾投下のトルーマン大統領声明

(1945年8月6日)

Sixteen hours ago an American airplane dropped one bomb on Hiroshima, an important Japanese Army base. That bomb had more power than 20,000 tons of TNT. It had more than 2,000 times the blast power of the British "Grand Slam," which is the largest bomb ever yet used in the history of warfare

(今から16時間前、米国の一航空機は日本陸軍の最重要基地である広島に1個の爆弾を投下した。その爆弾は、TNT火薬2万トン以上の威力を持つものであった。それは、戦争史上これまでに使用された爆弾の中で最も大型である英国の「グランド・スラム」の爆発力の2000倍を越えるものであった)

ことの悲惨さを覆い隠すための隠蔽が行われていることに着目。
(真実なら隠すことはない)

広島を「日本の陸軍の最重要基地(=an important Japanese Army base)」と表現しているが、広島の市街地は、陸軍基地ではない!

 戦時国際法は、一般市民の大量虐殺を禁止。原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為。

日本は原爆投下が無くても、降伏しようとしていた。

以下、米国戦略爆撃調査団作成の「最終報告書」。トルーマン大統領に提出された公式な報告書である。

たとえ原爆が 投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土上陸作戦が行われなくても、日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう。

(U.S Strategic Bombing Surbey,Summary Report ( Pacific War ) 1946の26ページより)

以下は、沖縄戦終了直後(昭和20年6月)にブラッドレー米国統合参謀本部議長が米国大統領宛に提出した報告書。

「日本は既に事実上敗北しており、降伏を準備している」

沖縄戦の段階で日本はすでに制海権も制空権も失なっていたのは事実。陸軍も使える武器弾薬尽きていた。 

仮に、日本にある程度の戦争遂行能力があったとしても、本土迎撃の範囲を出なかった。日本に報復能力がないと解った時点で、原爆投下の「実験」がなされた。広島長崎以降の戦争で、原爆が用いられないのは、相手国から報復攻撃を受けるから。

広島の平和記念公園の「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」は従って虚偽である。悪質な実験に対して、過ち呼ばわりはない。

ここで大事なこと。日本もすでにその時点で原爆(新型爆弾)を所持していたという事実。(開発途上、完成段階と2説あり)

しかし使える段階にはあり、 軍の上層部は、この新型爆弾をもって米国に挑みたいと昭和天皇に上奏。しかし、昭和天皇は、この上奏を却下。

昭和天皇いわく「その新型爆弾によって、たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしてもそのために、相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、結果、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら、私はご先祖に申し訳がたたない」

日本が、広島、長崎に原爆が投下されたとき、それが新型爆弾(原子爆弾)だとすぐに分かったのは日本にもすでに知識があったから。そして即刻、抗議文を発表。

The Japanese Government presented a letter of protest as stated below, to the Government of the United States through the Government of Switzerland on August 10, 1945.

August 10, 1945

A New-Type, Cruel Bomb Ignoring International law; Imperial Govern-ment Protest to the Government of the United States.

以下略

翻訳、かいつまんで転載

【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】

 

今月6日、米国航空機は、広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅させました。

広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、そのための施設を施していない普通の一地方都市です。

本件爆撃に関する声明において、米国トルーマン大統領は、「われらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊した」と言っています。

しかしこの爆弾は、落下傘を付けて投下され、空中で炸裂し、極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。

不必要の苦痛を与えるような兵器、投射物その他を使用してはならないことは、戦時国際法の根本原則です。

そのことは、戦時国際法であるハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定されています。

米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、再三にわたって、

「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の世論によって不法であり、相手国が先に使用しない限り、これを使用することはない」と声明しています。

しかし、米国が今回使用した本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、はるかに凌駕するものです。

 略

 日本政府は、ここに自からの名において、かつまた、全人類、および文明の名において、米国政府を糾弾します。

そして即時、かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求します。

昭和20年8月11日

 

当時の軍部や、兵隊、広島や長崎の市民が「過ち」を犯したわけではない。 

戦争は避けたいが、しかしあの戦争あったればこそ、日本は形の上でこそ負けたが、やられる一方の奴隷にはならなかった。世界中の植民地となっていた民族が、独立へ向かって立ち上がった契機となった。大東亜戦争なければ、500年続いた欧米列強による有色人種への植民地支配は、21世紀となった今日でも、なお続いていたどころか、範囲を広げていた。

日本は新型爆弾の使用を放棄したゆえに負けた。すなわち、自らに理があっても武器を持たねばやられるということ。
憲法改正で自衛隊の国軍への昇格、そして核をいつでも持てる体制が必須。

以下は天皇陛下終戦の詔勅。

敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続けるであろうか。

ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。

そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。

日本だけではなく人類文明そのものに言及なさっていることに留意。
事実を事実として見ることが歴史である。
それぞれの国に言い分がある、などとは愚か者と精神的敗北者の口走ること。
控えなさい。

原爆投下の非を突きつけるのは、日本を悪者に自らの人類最大級の悪事を隠蔽したアメリカへの当然の糾弾であると共に、先人の名誉回復のためであり、また人類に三たびの悪事が行われぬための、警告である。だからといって、日米同盟を断ち切るということではない。

 長崎に関しては、B−29が、原爆の投下目標としていたのは、福岡県小倉市(現:北九州市)。しかし日本側の防衛により失敗。小倉であれば長崎以上に被害が大きかった。小倉は平野部で遮蔽物がないので。

最後に、原爆実験の結果を撮影するために派遣されたオダネルが撮った
ある少年の画像と、オダネルの一文を添えておきます。(冒頭の動画にも経緯はあり)

 

【訳文】佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

 10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

 少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

 足は裸足です。

 少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしました。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

 白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。

 男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。

 

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。

 少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

 夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。

 背筋が凍るような光景でした。

・・・・

オダネルは、生涯この少年のことを忘れることはありませんでした。
その経緯も冒頭の動画で語られています。皇后陛下の哀切な思いと
共に御覧ください。オダネルが当時のアメリカのプロパガンダ「日本は韓国と
中国に残虐なことをした」を信じたままであったのは残念ですが、それは
時代が彼に教え込んだ捏造です。今はただ、原爆について祖国を
告発し続けた元米軍兵士オダネルに感謝を捧げ、またご冥福を
祈ります。息子さんが彼の意志を引き継いてくださったことにも
感謝を捧げつつ。

アメリカは原爆投下の他に、大空襲で非戦闘員の大虐殺を行っています。

最後にもう一度繰り返します。原爆投下は不必要でした。
人類史上最も卑劣で、醜い人体実験であり、大量殺戮でした。
アメリカはその犯罪を糊塗するために、日本を悪に仕立て上げ、
中韓がそれに便乗、日本を貶め現在に至ります。

日本国民は真実を知りましょう。

 

田母神論文に見る大東亜戦争の本質

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%9C%9F%E3%81%AE%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E8%A6%B3%E3%80%8D%E6%87%B8%E8%B3%9E%E8%AB%96%E6%96%87

【要約】

●財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトはコミンテルンのスパイかつ日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であり、彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、日米戦争に追込んだ。

●ルーズベルトは戦争をしないという公約で米国大統領になった為、日米開戦のために見かけのうえで第一撃をさせる必要があった。ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した。

●もしハル・ノートを受け入れていたら、一時的に戦争を回避出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第二, 第三の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。

●強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。 

●アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。

 

 【傍証としてドクター中松論文】

 

http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html

(要約)

  原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。

 

  この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つのきっかけになったと思われる。

 

  しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武士道を基に戦争を行ってきたのである。

 

 

東京裁判に関する過去記事

 靖国参拝の是非http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3317cd3f58cffc3c82a5c05306c5d461

“A級”「戦犯」ってなに・・・・Vol.1 終戦、靖国・・・・http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7fae4eba4db746754114ae7cb51da899

“A級”「戦犯」ってなに・・・・Vol.2 終戦、靖国・・・・http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/474686a2cae5c1b28cba917ceeda5583

自虐国の中の靖国 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/8d2e7e2334a124065c6b74bc5e3556e4

巨大な冤罪と靖国 
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5b2c6c2042c3a52b7f20139140c34be3

真実  (東京裁判 Vol ,.5)http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/afbc2ae8f4a799fb1bc04df4ae9bb526

 

 

    


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