天皇陛下における祭祀王としての霊性の必然性、また祭祀以外は付随的なもので宮中祭祀こそは、天皇を天皇たらしめる最大唯一の要素だと
主張して来ました。
このほど東大の矢作直樹医学部教授が、病床の天皇陛下に付き添われた経験から、魂の不滅を前提に、天皇陛下の祈りの重要性について語られているので
それをご紹介します。
霊的見地からのみ申せば、霊的不浄にまみれている皇太子と雅子妃の
天皇皇后即位など、あり得ません。多少とも霊的感性を持つ人なら
阿吽で伝わりますよね・・・。
皇太子と雅子妃擁護の竹田恒泰氏などは、皇太子の祈りを賛美していますが、
嘘だとはっきり申し上げます。真摯に皇祖神に向かい合うお方に、あんな
不浄の憑き物は寄り付きません。失礼ながらお顔の相も澄むはずです、
神事をまともにおやりなら。
中近東との外交とか、新しい形の公務などとおっしゃっている
世俗に目の行かれたお方に、祭祀専念はご無理かと存じます。まして、反日韓国人要人や中共軍の少将と個人の意志で接触なさっているようでは。
矢作教授の文章に目を通される前に、念のため・・・・。皇太子と皇太子妃については、ブログ主が勝手に私見を述べているだけで、矢作教授が何か
おっしゃっているわけではありません。
しかしながら天皇皇后がなぜ被災地に繁く足を運ばれているか、それは「被災した方々を励ますだけではなく、被災で亡くなられた方々の鎮魂のため、慰霊のためでもあるのです」という言葉は東宮夫妻に向けたい思いがします。
あの方たちが決定的に判っていらっしゃらないのはここです。
判っていれば、訪問10分の、表通りでお手振りパレードの、
被災者に識別ワッペンをつけるの、台本を用意するのと
被災の方々にはむろん、死者の方々に無礼なことはなさらないでしょう。
大震災1ヶ月目の月命日に東宮御所で「お楽しみ会」を開く無神経も
なさらないでしょう。死者への悼み、国民の悲しみ苦しみと思いを共にする
お心のない方々に、天皇皇后におなりになる資格はございません。
死者への敬意のない方々は、祭祀も疎かにして、なさらないでしょう。
祭祀を大切になさらない方々はもはや皇族ではありません。
http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-83fd.html
シンクロでしょうか、こういう記事をアップした時、
高橋とみよさんが、「萬邦無比の国体」というタイトルで
「神勅」についてブログアップされています。天皇と祭祀の必然性を
神勅の見地から述べられたユニークな文章で、お薦めします。
「神勅」は、実のところ、目からうろこでした。
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