これは被災地を利用した「お楽しみ」演奏会ではなかったのでしょうか?
学習院OB管弦楽団の定期演奏会で、ビオラの裏に描かれた「奇跡の一本松」を披露する皇太子さま=7日午後、東京都豊島区の東京芸術劇場
被災地ゆかりのビオラを奏でる暇がおありなら、我が身お一人でも被災地に
お運びになられたら? 頻繁に訪れる天皇皇后両陛下や秋篠宮両殿下の
誠意も知らぬげに、わずか1度訪れたきり、その後2年間も被災地は放置。挙句3度目のキャンセル。ただでさえ被災地は疲弊しているのに、そこへ負担を上塗りして平然。
現地の警察はいまだ行方不明者の捜索に手が取られているというのに、それを承知での
3度ものドタキャンでしょうか。行く行くとおっしゃるたびに、警備体制の準備で捜索の手は薄くなるのですよ、ご存知でしょうか、お二方は。
東日本大震災で失われた国民2万人の命を本当に悼む気持がおありなのでしょうか。
週刊誌やネットに出回る不和説打ち消しのための茶番劇。
ついでに被災地訪問を怠けていることへの、言い訳お出まし。
誰が仕組んだのか。意図見え見え。創られたのがバイオリンではなく
最初からビオラだってのもね・・・・・。いやらしいくらいの作為。
その前に被災地を訪れていれば、それなりに盛り上がったのかもだけど、
行かず、チョロチョロ演奏だけされてもね。
「被災地に心を寄り添わせる」とおっしゃった雅子さまの寄り添わせ方がこれ? 周囲にまたまた迷惑をかけながらの「ドタ出」。警備も席の都合も人の配置の都合もあるのですよ、迎えなければならないほうは。 山梨にはドタキャンで、警備と会場設営の準備の人たちに余計な負担を強いながら、皇太子には行けない理由のメモ書きを「代読させる」。
挙句、楽な「被災地関連」ご公務としてビオラの演奏と鑑賞。
東日本大震災わずか1ヶ月目の月命日に、お楽しみ会の東宮一家
サンデー毎日6月21日号より 要約転載
▼3/10大空襲、8月6日原爆記念日は、天皇皇后両陛下、秋篠宮両殿下、他の宮様方も「お慎みの日」として命を落とした国民のために、祈りを捧げられる。
震災1ヶ月目の4/11も同様。両陛下はご公務のかたわら、折りにふれ黙祷を捧げていらした。
▼しかし東宮では愛子さまの学友を集めて「お楽しみ会」で大騒ぎ。
震災から数えてちょうどひと月目、商業主義のテレビですらCMや
娯楽番組を自粛している頃、皇太子殿下のお宅では「お楽しみ」会。
▼4/11午前11時、十数名の学友らが東宮御所へ。はしゃいだ愛子様を注意するでもなく、雅子妃も笑顔でお出迎え。
▼東宮御所の庭でボール遊びや鬼ごっこ。室内ではゲームに歓声。東宮職員2人が子供たちのお楽しみ専用お世話係に配置される。
▼昼食にはサンドイッチ、3時のおやつにはオレンジゼリー。
▼朝11時に始まったお楽しみ会は延々、夜7時まで。この席には皇太子と雅子さまお二人が揃って、にこにこといらした。 皇太子はビデオカメラ、雅子妃はカメラで子どもたちを撮影。震災1ヶ月目のこの日、東宮には1日中子供たちの歓声と笑い声が響いていた。
・・・・・要約転載終わり
震災の記憶いまだなまなましく、日本全土が喪に服している震災ちょうど1ヶ月目の
月命日がこれです。商業主義のテレビですらCMと娯楽番組を慎んでいる時期です。
お二人が本当に、命を失くした国民の冥福を祈っていらっしゃるでしょうか。
皇太子とその妃という以前に、日本人として、いえ人として、どうなのでしょうか。
心というものがあおりなのでしょうか。
国民の中には父母を失くした幼子も、わが子を失くした親もいるのですよ。
それをわずか震災1ヶ月目に「お楽しみ会」を催して子供たちとはしゃぎ興じる。
この前年の8月6日、広島の原爆で20万人の国民が命を落とした原爆の日に、
皇太子はご一家でホテルディナーをお楽しみでした。
水をください、一口水を・・・と焼けただれた口で水を求めながら、死んでいった人たちが
いたこの日に、日本の皇太子ご夫妻はワインをお楽しみでした。
【付記】
小林よしのり
メディアの皇太子・雅子妃バッシングが止まらない。雅子妃が本格的に公務復帰できない現状があるにせよ、「不適格」といった文言が見出しを飾るのは、過去に例のない異常事態である。
いったい、このバッシングをもたらしたものは何なのか。ベストセラー『天皇論』の著者で漫画家の小林よしのり氏が分析する。
* * *
「不適格」──なぜこれほどの暴言が、平気でまかり通るようになったのか。
週刊新潮は「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」(6月20日号)、「『雅子妃』不適格は暗黙の了解『千代田』の迷宮」(6月27日号)と、2週続けて「雅子妃殿下が皇后に不適格との理由から、皇太子殿下は即位後すみやかに退位し、悠仁親王殿下に譲位する」というあり得ないデマを書き飛ばした。宮内庁が2週連続で「事実無根」と抗議する異例の対応となった。
他の週刊誌もひどい。「雅子妃でよかったのかな──結婚して20年経って国民が思うこと」(週刊現代)、「皇后にふさわしいのは『雅子妃38%』『紀子妃62%』の衝撃」(週刊文春)などと、さも雅子妃殿下より紀子妃殿下のほうが「皇后にふさわしい」かのような論調の記事を載せ、週刊ポストまでが「宮内庁内でも議論噴出!『秋篠宮を摂政に』は是か非か」と題し、バッシングに加担している。
これらに共通するのは、「雅子妃殿下より紀子妃殿下のほうが好き」「皇太子ご夫妻を天皇皇后にしたくない」といった単なる「好き嫌い」だけで、天皇を決めてしまおうとする感覚だ。
なんたる思い上がりだろう。国民の側が、まるで選挙で政治家を選ぶようにして、自分たちの好き勝手に天皇を選んでいいと考えている。天皇を総理大臣と同列だとでも思っているのか。
こうした勘違いを生みだすのは、現行憲法における「国民主権」の感覚が染みついてしまっているからだ。憲法1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」だと定めているが、問題はこの後に続く「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という条文だ。
わしは小学校のころ、「主権の存する日本国民、これを『国民主権』という」との教師の説明を真に受けて、「要するに天皇って我々の意のままか!」と思い込んでしまった。「国民主権」の考え方が暴走して、「天皇より国民のほうが偉い」という錯覚を起こしてしまったのだ。いまの皇太子・雅子妃バッシングは、子供の頃のわしのように、幼稚な考え方だといっていい。
天皇の地位は、皇統という「血統のみ」で決まるものであって、そこには国民の好き嫌いなど及ぶべくもない。その背景にあるのは、ポピュリズムに対する警戒心だ。もし血統以外の評価が加われば、必ずや皇太子派と秋篠宮派のどちらがいいかといった対立が起こりうる。かつて天皇家の兄弟同士が争った「壬申の乱」の再来である。
現行の皇室典範は、そうした天皇家同士の争いを避けるために、天皇を継ぐのはまずその長子である皇太子だと明確に定めている。皇太子殿下と秋篠宮殿下の皇位継承順位は、生まれた時点で決まっており、よほどの健康上の理由などがない限り、揺らぐものではない。
そうした原則があるからこそ、天皇や皇太子は、自ら望んで退位することすら叶わないのだ。よって、「天皇陛下と皇太子秋篠宮両殿下、さらには宮内庁長官が話し合って、悠仁親王殿下への譲位を決めた」という新潮の記事は「事実無根」と断言できる。
まして、雅子妃殿下のご病気を条件として皇太子殿下が「天皇として不適格」などという暴論は、見当違いも甚だしい。
美智子皇后陛下の存在感があまりにも大きいがゆえに誤解が広がっているが、天皇と皇后は決して同列ではない。その証拠に、美智子皇后は天皇陛下がお話しになる際、必ず陛下のほうを向き、深くお辞儀をしたままお聞きになっている。
あるいは平成4年の山形国体で天皇陛下のお言葉の最中、火のついた発煙筒を投げつけられた際には、皇后がとっさに右手を伸ばして身を挺して天皇陛下をかばった。一般の夫婦関係とは違い、天皇ただひとりが圧倒的に別格なのだ。皇后を理由に天皇が退位するなど、そもそもあり得ない。
では批判派に聞くが、雅子妃がご病気であることによって、皇太子殿下は公務を欠席されているか。宮中祭祀を疎かにされているか。いや、皇太子殿下は立派にひとりでお務めを果たしているではないか。
いまの天皇皇后両陛下がなさっている、ご夫婦が常にご一緒という戦後の皇室のスタイルは確かに素晴らしいが、だからといって皇后がいなければ天皇の公務が果たせないわけでは全くない。
また、野村一成・前東宮大夫は読売新聞6月11日付のインタビューで、皇太子殿下の公務に臨まれる際の熱心なお姿に「大変感銘を受けた」といい、「妃殿下は公務を軽んじているのでは」という批判も「全く当たらない」と断言した。ご病気も時間はかかるにしても、必ず快癒されると確信しているという。
将来、雅子妃殿下が皇后としてのお務めを果たせるようになる可能性は十分にあるのに、なぜいまのうちから「雅子妃は皇后として不適格、ゆえに皇太子殿下も天皇として不適格」などという倒錯した議論がまかり通るのか。
・・・・・・
アホすぎて反論する気にもなれないけれど。。。。擁護論者のレベルってこの程度? だったら、面倒だからごく簡単に、目についたとこだけ軽く反論。文章、指摘する箇所が相前後するかもだけど。
>単なる「好き嫌い」だけで、天皇を決めてしまおうとする感覚だ。
好き嫌いねえ・・・・。理由はさんざん具体的にデータつきで述べられているのに読む気もないのでしょう。
好き嫌いで皇族が選べないからこそ、皇族には自覚を持っていただかないと。
しかし批判を「好き嫌い」でしか判読できない幼稚脳なら、いつまでたっても何が問題点か解らないでしょうね。
>いや、皇太子殿下は立派にひとりでお務めを果たしているではないか。
はぁ? (´・ω・`)
秋篠宮ご夫妻の公務と表にして比べてご覧。
月によってはゼロ公務。
絵画展見物まで公務としてカウントしても極度に少ない。
行こうと思えば目と鼻の先の被災地訪問をさぼって、熊野の山歩きをしていらっしゃいますが。被災地も結局「雅子と一緒じゃなきゃいやだ」でしょう? スペインに出かけてさえ
おおやけのコメントに「雅子と来たい。雅子と一緒だったら」と言われ、心ある
国民は恥ずかしさに身をすくめました。
>皇后がいなければ天皇の公務が果たせないわけでは全くない。
皇室に不可欠な宮中祭祀は皇后の存在無くしてはやれませぬよ。
まず即位するためには、即位の儀が必要です。新皇后を抜きに、最初の宮中祭祀をどうやって執り行うのですか?
十二単におすべらかしの妃殿下が、一歩賢所からおみ足を踏み出した刹那、
世界の注視の中、新皇后陛下の誕生となります。ご存知ないのですか?
雅子妃にこの即位の儀のお勤めが可能ですか? 随分前から日取りは決まり、
リハーサルを重ね、カメラは世界中から入り、お披露目のパレードも
控えています。
今上殿下の場合はチャールズ皇太子ダイアナ妃他世界から名だたる王室、要人が駆けつけ
世界中に映像が届けられ、世界はその古式豊かな祭祀に感嘆し、日本を再認識、再評価しました。それが雅子妃に出来るのですか?
新しい皇后陛下は精神を病んでいて出られません、と世界に宣伝するのですか?
日本の皇后は精神病です、と改めて世界に告知しなければならないのですが。
いやそれ以前に、皇太子一人の式典では2600年間、先帝たちが積み上げられてきた
伝統=神事が一気に崩れ去ってしまいます。
日本自体が病んだ貧相なイメージで世界に受け取られます。
>野村一成・前東宮大夫は読売新聞6月11日付のインタビューで、皇太子殿下の公務に臨まれる際の熱心なお姿に「大変感銘を受けた」といい
元の職場の上司の批判はしませんわ・・・・。リップ・サービスどすえ。公務に熱心な人が、
昨年の8月は公務ほぼゼロですよ、調べたら。
秋篠宮家とのご公務対照表を見たことおありか? 秋篠宮家数十行、皇太子数行。
秋篠宮家はお子様がたまで総動員のご公務ぶり。
>雅子妃殿下のご病気を条件として皇太子殿下が「天皇として不適格」などという暴論は、見当違いも甚だしい。
妃殿下が病気だから、天皇として不適格? どこの誰がそんな幼稚なこと言ってます?
勝手な思い込みででっち上げた批判は批判になりません。「病気」に関しては、国民は驚くほど寛容で気長にお待ちしましたよ?
その一方、東宮では妃の妹経由の都合のいい医師しかつけず、セカンドオピニオンを提示されても、皇太子自らの口で拒否。国民に対して誠意を甚だ欠いているように見受けます。
「病気を条件として」というのも、随分変な日本語ですね、小林さん。
>将来、雅子妃殿下が皇后としてのお務めを果たせるようになる可能性は十分にあるのに
もう20年経過してますが? それに、もはや妃殿下に公務してくださいなどと言ってませんから。行く気もないのに行くといって現地に迷惑をかけたり、迷惑をかけているのにお遊びご静養が傍若無人なまでに盛大な、その心ばえ、姿勢が批判されているのです。
ご病気と言いながらディズニーランド貸切、スケート場専有、そのつど信号を無視、
一般の交通を遮断してお遊びに疾走。
原爆記念日にホテルディナーに出かけたり、終戦の日に花火大会、東日本大震災ちょうど一月目の月命日に歓声あげてのお楽しみ会、などなどそのあられもないほどのお振る舞いは枚挙にいとまがありません。「国民主権」がどうとかで批判などということとは違います。
前代未聞の皇太子夫妻だから前代未聞の怨嗟と批判と侮蔑の声に取り囲まれているのです。
「国民の合意」がと言い返す時は、不敬がどうの国民ごときが皇室のことを偉そうに言うななどと、時代がかかった言葉にもならない言葉未満の、野蛮な言論封殺でかかって来られた時だけですよ。合意でなんとかなるなら、少なくとも雅子妃はもう皇居からいなくなってますよ?
病気や、公務出来ないことじたいを誰も非難してません。
従軍慰安婦の集会などが行われる国連大学へ通ってみたり、創価学会のイベントに出たり、中韓の工作員と親しく交わっていたりすることは、次期天皇として重大な欠陥だと思いますけどね。「よほどの健康上の理由などがない限り」・・・・理由はあります。まだ他にも・・・ね。
過去記事でさんざん述べてきたので触れませんが。小林さんのこの言い分を裏返せば、「よほど理由があれば」廃太子可能だということですね? 理由はあります。だから述べているのに、読んでないですね。
公務に関してはそれが基幹の問題ではない。宮中祭祀が皇室の基幹です。
愛子さまをいまだ皇祖神を祀る伊勢神宮にさえ伴われないご一家であることを
お忘れなく。鳥居のあるところはなぜか忌避され、宮中三殿さえ妃殿下は
参拝なさいません。靖國神社、出雲大社などへのご神饌もお出しにはならない。
ま、他にも不審の点は多々。見たくない人には見えないのでしょう。
しかし見ないから問題が消失するわけではありません。
いずれそれは皇室を損ね、この日本の要を損傷します。必ずそうなります。
それから悔いても遅いから、今批判をしてお二人の即位を阻止しようとしているということです。批判が即、阻止につながるとは限らないけれど、それでも言わざるを得ない、というのが「気がついてしまった」国民の気持でしょう。
不備な文章ですが・・・。以上。