本当に頭が悪いのか、悪いふりをして在日の不正生活保護受給を擁護しているのか、分からないけれど、あまりといえばあまりな「天声人語」の悪どさです。
・・・・以下引用・・・・
「(天声人語)生活保護への色眼鏡」
このあいだに続いて堀口大学にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家グールモンの短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。「女を悪く云(い)う男の大部分は或(あ)る一人の女の悪口を云って居るのである」▼卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか▼去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる▼行きつくところと言うべきか、兵庫県小野市が議会に条例案を提出した。受給者がパチンコなどで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったがエープリルフールにはまだ間がある▼筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない▼生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染(し)む声ほど小さく震える。」
・・・・引用、ここまで。
失笑するばかりです。もし、筆者がまともにそう考えて堀口大学訳のグールモンを引いているのであるなら。
グールモンの短文の意図は明らかで、「女を悪く云う男の大部分は或る一人の女の悪口を云って居るのである」は、男の姑息な復讐心を含んでのことで、直接その女の名をあげつらっては男がすたるので、「女というものは」と一般論化して、くさして気晴らしをしているのであって、朝日新聞の筆者が牽強付会するように、その女の部分にいろんな単語を当てはめて成立するたぐいの文章では、そもそもありません。
それだと、グールモンの警句の意味が雲散霧消します。
レミ・ド・グールモン Rémy de Gourmont は詩人でもあり、美意識の所有者ですから、朝日新聞の筆者ごときが総括するような、杜撰な文章は書きません。
グールモンは朝日の嫌悪する貴族階級であることをお忘れなく。この人病気で、容貌が崩れ女性とは対等に付き合えない屈折から、上記の「女を悪く云う・・・・」云々の文章が書かれた、と経緯を見れば、なおさら朝日記者の文学的ぼんくらぶりが、お分かりでしょう。
更に訳者の堀口大学は、日本語の大達人であり加えてジャン・ジュネという泥棒でもあれば受刑者でもあり、男娼でもあった作家のアクロバティックで絢爛豪華なレトリックに満ちた仏蘭西語を見事な日本語に転化したほどの、大詩人です。朝日の下賤の売文屋ごときに、翻訳文を志低い悪文に利用されて瞋恚の炎(ほむら)を燃やしていることでしょうよ。
サルトルがコクトーが三島が賛嘆してやまなかったジャン・ジュネ。
ジュネの文章は文章上の一つの奇跡であり、ジュネは文章の手品師であり軽業師ですが、堀口大学はその華麗な鵺(ぬえ)のごとき文体をよく手のひらに掴み、手綱をさばいて見事です。
朝日の読解力も芸術的感性もない記者ばらが、何をトチ狂って堀口大学の珠玉の訳を自らの悪文に援用するのか。
文化における窃盗犯です。
>去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。
ここでも、意図的に問題の核を書かずに文章上のごまかしをやらかしています。
片山さつきさんがあげつらったのは、「在日の不正受給の1ケース」であって、日本の社会レベルがいまだ在日をあげつらうほど熟成していないので言葉を端折っただけです。
>働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる
一部ではなく、生活保護を受給したその日にパチンコ店に駆けつける一群のいることが、レポートされています。
日本人の労働と税金で支えられている生活保護費を娯楽につぎ込むことの不当さもさることながら、パチンコの経営者のほとんどが在日であり、パチンコで得た利益が北朝鮮に送金されている事実があります。
>「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。
ここでも、文章上の詐術がなされています。
生活保護費をギャンブルに当てるのはよくない、というまっとうな意見がなぜ、「受給者は楽しみを持ってはいけない」という論議にすり替えられるのでしょうね。
楽しみというのは広義であって、俳句もあれば自治体の会館でボランティアで教えられる趣味の会もあります。
この声欄への投書者も変なのであって、お金を使わなければ、楽しみがなく、暗い気持ちで生きて行かねば、とは奇妙な思考の持ち主です。大体、生活保護をもらえず、おにぎりすら買えす飢え死にする日本人がいる中で、掛け金もかけず、国民年金の数倍の保護費をもらう在日がいるという現実をなおざりにしています。
朝日新聞を購読するお金があって、声欄に投書できるなんて、大したゆとりではありませんか。
それに本来人は自分で稼いで生きて行くもので、それが出来ない人への生活保護は権利ではなく、国の恩恵であり、他の国民が汗水たらして働いたお金から渡されているのです。そこへの感謝があれば「暗く」などとは言えないはずですよ、恥ずかしくて。
本来、施設にまとめられ、そこで現物支給され、自立のための手仕事を覚えながらお小遣いの現金はそこで稼ぐという形でもいいのです。最小限、餓えさせないというのが趣旨なのですから。
それを独立した部屋に住まい、現金支給され、楽しみがないなどとは大嘘、つつましい老人の年金受給者よりも場合によったらゆとりがあるはずですよ。
朝日のこの文章は要するに、一般論に見せかけながら、在日の生活保護受給と、それを使ったギャンブルの正当化論です。「天声人語」は名文でも何でもない。それどころか、欺瞞に満ちた悪臭文です。
従軍慰安婦と南京大虐殺の捏造も朝日新聞だし、こんな新聞社の新聞は韓国の田舎の肥溜めにでも浮かんでいればいいのです、韓国人の文字通り尻拭いをした後のシンブンシとして。
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日本語の神様のお一人、堀口大学