Quantcast
Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

末期の眼が見し蒼き空  ああヴァチカンの英霊たちよ

$
0
0

A級戦犯が祀られているから。
宗教の自由が侵されるから。
靖國神社は否定さるべきであると唱える愚かな論者たちへ。

かのバチカンに1068柱の英霊が五重塔にて祀られていることを知らないらしい。

そもそも神道には教祖も教義も教典もなく、いわゆる宗教の概念からはかなり外れる。そして、分祀を唱える愚か者たちは靖國神社にお祀りされているのは、位牌ですら無く霊璽簿(れいじぼ)、つまり単なる「名簿」であることすら知らない。
分祀と言って、何をどう「分ける」つもりなのか。巨額を投じて戦犯を除いた別施設の建設を唱える輩も無知の極み。

霊璽簿奉安殿(本殿の後ろにある霊璽簿奉安殿は、昭和47年(1972)に建てられた。神霊を合祀する際に用いる霊璽簿を納めるための建物で、和紙で作られた霊璽簿には、合祀される神霊のお名前が記されている)

 更にはA級戦犯があたかも最悪人であるかのごとき、浅薄な思い込みも蔓延しているが、ABCは単なる「戦争犯罪」の「区分け」であって「罪状の段階」を示したものではない。戦争犯罪といっても東京裁判に見られるごとく、復讐裁判、見せしめ裁判の趣が強く、実際に彼ら全てが犯罪者であったというわけでもなく、国会ではとうに彼らは犯罪者としては扱わぬこと、決議がなされている。

しかるに、いまだA級戦犯の分祀のと騒ぎ立てる連中はいったい何者なのか。
これもまた火付け役は、従軍慰安婦の嘘と同じく朝日新聞である。
朝日新聞をいまだ購読している国民は無知であろうし、無意識に日本毀損に加担させられていることに、もはや気づかねばならない。

靖國神社の本来の目的は、異国で命を落とした英霊が日本の各地に散在する故郷への道を見失わぬように、その魂の「入り口として」「道しるべとして」建てられたものである。

「靖国神社まで戻る事ができれば、後は、英霊それぞれの故郷までの道は本人が解る。靖国神社に拘束されるのではなく、各英霊の自由で帰郷もでき、家族や知人等が参拝時に一緒に連れ帰る事も出来る。更に、英霊方の集う場所でもあるので、故郷に戻った後も遊びに行きたくなればいつでも、靖国に行けば戦友等や御国の子孫達が待っている、という仕組となっている」

総理や閣僚の靖国参拝を反対する左翼たちは、宗教心の欠片とて無く、魂の存在を否定する者たちなのに、こと靖國神社には死者の魂が祀られていることを肯定しているらしきこと、笑止である。否定するには、否定する前提の事象が前提としていなければ、否定は不可能なのだから。彼らは狭量であると同時に論理破綻者でもある。

韓国、中国が靖國神社に対して何かもの言う資格はない。他国への干渉であり論外だ。野田前総理のごときは、日本へのテロリストが祀られている韓国の「靖國」顕忠院を参拝し、それが批判の対象にもならぬいびつさ。

日本の政治家が靖國を訪れるだけで騒ぎ立てるのに。総理が他国のテロリストをお参りすることは許され、自国のために闘った兵士たちへの参拝が許されないとは。それにしても、日本に歯向かった運動家たちに手を合わせ、靖國を避ける日本の総理とはいったい何だったのか。日本の総理の皮をかぶった、何か別のものだったのか。

新華社通信の中国人記者などは靖國にお祀りされている御霊を「鬼」と呼んではばからない。日本の記者が中国の戦死者たちを「鬼」呼ばわりしたら、中国でどんな騒ぎになるか。ここでも日本人のもの静かさが裏目に出て言われ放題なのだろう。

この中国人記者は、靖国参拝のことを「拝鬼」と吐き捨てている。

《日本の指導者の「拝鬼」(靖国参拝をさす)の目的が、とうに人類の歴史の中ではりつけにされたA級戦犯たちの魂を公然と呼び戻し、日本の狭隘な民族主義の代弁者としての強硬な姿勢を示し、政治的元手を手に入れることにあることをよく知っているからだ。》

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

靖國神社には英霊の遺骨や位牌もない。日本人なら腹に据えて知っておくべきことである。ただ御霊(みたま)という分けて分けられない存在がそこに鎮まってあるだけだ。たましいを、どうやって分けるのだ? 分祀論の愚かさを知っておこう。

英霊が「具体的に」祀られているのは、ヴァチカンである。

バチカンへの道筋をつけたのは品川寺(東京都品川区)の住職である。同寺の座主仲田順和師が、いわゆるABC戦犯と言われる方々の名誉回復をバチカン市国に懇願、サン・ピエトロ大聖堂に英霊の位牌が奉納された。

これより連合軍の手によって一方的に裁かれABC級戦犯の烙印を押された総ての「法務死」なされたお方の御霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンでローマ法王の御手によりお祀りされることとなった。

偽りの裁きを行ったのは、アメリカというキリスト教徒たちであり、ローマ法王の手になる戦犯たちの祀りは、おごった戦勝国アメリカへの痛烈な批判ともなった。
ローマ法王の弟子である彼らが法王に無言で裁かれたのだ。

日本の英霊を祀る英断を下したのはヨハネパウロ二世であられた。ヨハネ・パウロ二世により、ヴァチカンで英霊を弔う荘厳なミサが執り行われたのであった。

かつて、信教の自由を盾に靖國を訴えた日本人のキリスト教徒がいたが、この事実を知らないのだろう。なんという心の狭さ、貧しさ。GHQが靖國神社を焼き払って、ドッグレース場にしようとしていた時、それを阻止したのも神父たちであった。ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン(Patrick Byrne)神父である。

「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」

「我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」(ブルーノ・ビッテル神父)

とまれ英霊のご位牌は、実は靖國神社ではなくサン・ピエトロ寺院の大聖堂にお祀りされている。靖國神社のご祭神は御剣と御鏡であり、他に物理的なものは、何もない。

更に、東条英機たちの遺灰はもともと、最初から別のお墓に納められている。処刑の後、忍び込んだ有志が遺灰を持ち帰りお祀りしたのだ。

東条英機の墓。分祀、分祀と騒ぎ立てなくても、これこの通り当初から
分祀はされている。

 NHKと共に日本から滅し去らねばならぬもの、それが朝日新聞である。
彼らの日本に対する悪意が何に由来するのかは知らず。ただその意図的歪曲による日本毀損ぶりは余りにもあからさまで、その悪意に気づかぬ日本人が多いことに慄然とするばかりである。
普通に自らの国を大切に思う言辞に対して彼らは「ネトウヨ」と、民団用語を用いて愚かな口で喚き立て、まっとうな日本国民を薄い脳であざ笑う。

 

 日本の英霊供養のミサを執り行ってくださった在りし日のヨハネ・パウロ二世

 

ポーランドの12歳の少年であった頃のヨハネ・パウロ二世。
聡明で深い眼差しがすでに将来を暗示しているかのようです。

日本の英霊の皆さまをご供養くださったヨハネ・パウロ二世さま、ありがとうございました。
ご冥福を改めてお祈り申し上げます。帰天されたあなたは、ひょっとして英霊の皆さまを抱擁し握手を交わしていらっしゃるかもしれませんね。

 

サン・ピエトロ寺院広場におけるミサ。

ヴァチカンの神寂びる鐘ぞ靖國の杜に鎮(しず)もる御霊に降りよ

バチカンの鐘の音

英霊に捧ぐ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて。アーメン。

 いとも尊き三位一体の天主、今この祭壇の上に行われんとする聖祭は、主イエズス・キリストの御苦難と御死去とを、われらにしのばしめ、その御功徳をこうむらしめんとて、御みずから定め給いし祭りなれば、この上なく御心に適い、生ける信者と死せる信者の霊魂に、御恵み豊かなるものなることを信じ奉る。

願わくは、カルワリオにて親しく主の御苦難を仰ぎ見奉りし人々の心もて、このミサ聖祭にあずかることを得しめ、かれらに賜いし御恵みを、われらにも与え給え。特にわれらが祈らんとする死せる信者の霊魂に御慈悲を垂れて、この御功徳をわかち、主の御栄えのうちに入らしめ給わんことをこいねがい奉る。アーメン。

 

同期の桜

カトリックの祈祷文の直後になぜ「同期の桜」なのか・・・。理屈ではなく自然に祈祷文の後に耳に心に響いて来たので載せます。ヴァチカンの空も、靖國の空も、ゼロ戦の若き航空兵士が振り仰いだ空も、同じ空です。
高きもののいます蒼きふかき空。

 

【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)より

巨大な敵艦に急降下で体当たり、玉砕する戦闘機、その若き命の散華。
静かに見つめつつ涙こぼれます。
もはや善悪の彼岸を超え、それは美しい。澄み渡った心がそこにあるから。
敵の軍艦にもまた多くの若き命のあることを知りつつ、背後に父母の妻の恋人の悲しみと痛みあることを知りつつ、なお美しい。
人は静かな平和に焦がれつつ、今しばらくは戦の嵐に身を翻弄させる定めに
あるのかもしれません。人類の業。その闇を突き抜けたあとの澄んだ青空、
それこそが若き命が末期に見た景色であったのかもしれません。

平和を。偽りのきれいごとではなき平和を希求しつつ、手にはいまだ武器を、平和を守るための。剣持つ不動明王は大日如来の慈愛のもう一つのお貌(かお)。聖なる瞋恚をもちて悪を断つ。瞋恚転じて大いなる慈愛へと變化(へんげ)する。

 あびらうんけんばざらだとばん

 

Gloria in excelsis Deo. 「グローリア インエクスセルスィース デオー」

 

Gloria in Excelsis Deo - (Angels We Have Heard On High) Angels We Have Heard On High (Full Studio Version) - David Archuleta - Christmas From The Heart

炎。感じる人は・・・。

            ローマ法王、パウロ二世よ。

                    Love


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>