今年は古事記が編まれて1300年目の節目の年。
日本人が知っておくべきなのに、なおざりにされているものの一つが古事記ですね。日本の成り立ちから天皇の誕生という、いわば日本という国のルーツが記された本です。
キリスト教文化圏の人たちがバイブルをその思想上の背骨としているように、日本人の精神性の基軸は神道に根っこがありますが、しかし神道には
明文化された思想性がない(それは実は素晴らしいことなのですが)、しかしそれゆえに日本人は自らのアイデンティティ(独自性)を見失いがちです。
形あるものとして考えた時、思い浮かぶのが古事記です。
戦後、GHQの弱体化政策の一つとして「神話」の廃棄と共に顧みられなくなってしまいました。神話を否定するなら、バイブルの処女懐胎は何だ、否定する者など誰もいないではないか、
と卓見を述べられたのは「週刊現代」最新号誌上での猪瀬直樹氏です。(と、どなたかの言を引くと、誰それはこういういかがわしい人物なのだが、そういう者の言を引くとは
何事だふうのお叱りを受けるのですが、この間のデヴィ夫人の言葉引用の際にもそうでしたが、当方「言」は言として、その内容に誤りがないと判断すれば引用・援用します。蛇足で申し上げれば猪瀬直樹氏という
人物を全肯定はしていません。デヴィ夫人に至ってはむしろ存在そのものに疑念を抱いています。しかし、ある事象に対しての言説自体が正しけれはそれは参考として採択するという立場にある者ですので念のため)
猪瀬氏の週刊現代における竹田恒泰氏との対談は、興味深いものでした。時間も不自由していますので、ポイントだけ【要旨のみ】抜き書きしてみます。言葉は端折っていますから確認なさりたければ、最新号の週刊現代で
ご確認ください(竹田氏は作家・慶応大学講師で旧皇族の竹田家出身です)
猪瀬 (武田氏は)女性・女系天皇には異を唱えていますね。
竹田 万世一系の危機。男系女系を区別することで誰がどの「家」に属しているのかが明確だったのだが。・・・(女性宮家創設について)100年単位、1000年単位の皇室の歴史の重大問題を、火急に決めようとするのはおかしい。
猪瀬 そうですね。天皇は神話の時代から現在まで125代も続いている。これはすごいことです。日本人の潜在意識の中に天皇という存在の希少性を認める部分はかならずある。
竹田 万世一系の天皇は世界的にも希少です。
猪瀬 その希少性そのものが権威でもある。アメリカの場合、権威は勝ち上がった者に与えられます。今でも大統領選は4年に1度の内乱なんですよ。日本の権威は125代継承されている天皇によって象徴されている。
(べべこ注:NHKの大河ドラマ「平清盛」に異を唱え続けているのは、その「王家」という一般国民には耳障りな呼称表記もさることながら、天皇をあたかも権力闘争の果てに人為的に得た「地位」だとして
描くのではなかろうか、という疑念があるからです。というごときことを書くと、歴史精通を自認する方々から待ったがかかるのだけど、異論各論ある歴史観を論じる知識はこちらにはありませんし、
また関心もありません。万世一系の希少種として神話を織り込みながらの皇室の存在が、日本という国家の要足り得る、という視点に絞って述べています)
竹田 (女性宮家の創設は)天皇陛下のご意思であるかのように言われていますが、それは疑問です。羽毛田長官が果たして陛下をお守りすることを第一に考えているのか怪しいものです。
猪瀬 習近平国家副主席の来日に際し、政府が天皇との会見をゴリ押しした。
竹田 彼は一度、陛下を裏切ったわけです。
猪瀬 そもそも宮内庁長官というのは、官僚機構の人間で皇室の人間ではない。宮内庁というのはそもそも人事において厚労省の影響力が強い。言ってみれば
(厚労省にとって皇室は)利権なんです。各団体の式典や催しに天皇のスケジュールを押さえることで便宜をはかれば、天下り先の確保につながる。
竹田 陛下は要請があればお受けせざるを得ない。
猪瀬 そのために肉体を酷使される。
竹田 GHQの目的は、日本が二度と欧米に立ち向かうことのないように日本人を骨抜きにすることだったわけで、それには皇室の力を削がなければならない。
猪瀬 戦後教育によって、戦前の日本は北朝鮮のように天皇による独裁国家であったと思い込んでいる人が少なくない。(開戦も)すべて御前会議で決定したといっても、天皇はほとんど発言されなかった。
竹田 (雅子妃について)そのための離婚計画がうごめいているという報道もありますが・・・
猪瀬 皇太子妃という、注目され続ける環境を変えるのが一番よいのでは。
竹田 そもそも、皇太子妃には天皇のような国事行為は課せられていないんです。あえて挙げるなら皇太子妃のご公務は子育てです。
べべこ注:対談の言葉を要約しながら再録していますが、雅子妃に関しては竹田氏は一貫して擁護の立場です。しかし・・・国事行為は課せられていないとはいっても不文律で、皇太子が動かれるところ
妃殿下が同行というのは慣例としてあり、実際に歴代の皇太子妃の皆様方はそのようのお務めあそばされてきました。また、皇太子妃とは申しても、いずれ遠からぬうちにこのままだと皇后陛下におなりあそばすお方です。
失礼ながら務まるのでしょうか?もし子育てが公務とまで言い切られるなら、ご出産こそが、ご公務だということに
必然的になりませんか?すると竹田氏の論点じたいが矛盾を含んで来ます。竹田氏の論を敷衍するなら、男子ご出産を果たし得なかった雅子妃はご公務をまっとうされなかったということになります。
天皇陛下がお世継ぎを国民が望んでいますよ、と言われた言葉に対して雅子妃は周辺が凍りつくほどの口答えをなさったそうですが、ここが最大の問題点でしょう。雅子妃の心得違いです。
出産は必ずしなければならない、しかも男児を、というごとき、一般の女性に対しては決して言ってはいけない、人権に関わることです。しかしながら、皇室というのはそれゆえにこそ
皇室なのであり、すなわち一般の価値観や倫理が通用することのない非常識=神話の世界の住人です。その神話の世界の住人になるお覚悟なきまま、宮中に入られたのが雅子様であり
それを皇太子殿下がご教育なさることなく、それどころか付和雷同、「雅子の人格」などと平然と口になさる。敢えて過激に申せば人格・・・人権等と言う言葉は庶民の民草だけが所有しているものです。
妃殿下は妃殿下で夫である皇太子殿下のお覚悟のなさに乗じて、天皇皇后両陛下のご教育を避けるためお会いすることもうとましがり避け続け、陛下のお見舞いにすらうかがわぬという、甚だしきおふるまい。皇太子妃がどうとかいう以前に人としていかがなのでしょう? もし「人格」などという平民の言葉を用いて人権を主張なさるなら、人としての最小限のお務めを果たされてはいかがでしょうか。人としてすらの義務をお果たしにならない方の「人権」って何なのでしょう。 妃殿下にとっては、天皇皇后両陛下ではなく、単にうっとうしい舅姑ではないのでしょうか。とんでもないことです。よしんば、舅姑であるにせよ、高齢の舅すら見舞わない嫁など、不作以外の何者でもないでしょう。人だと主張なさるなら、人としての本分は尽くされませんと。
一般市民がセレブなご家庭に嫁いだごとき感覚、それゆえご自分の「人間としての」権利のみを主張し続け、ご実家がまたその後押しをする。そこに日本はなく、国民は不在。いずれ皇后となるべきお覚悟は皆無です。その心根が最大の問題点ではないでしょうか。しかしながら男児をご出産あそばされなかったということで雅子妃を責める国民はいないでしょう。自然の摂理なのですから。問題点は、お病気を盾に最小限のご努力すら見受けない
そのご姿勢にあるのではないでしょうか? たとえば、ブータン国王の晩餐会はお出ましになるとご自身で明言され、しかし前日にドタキャンで現場を混乱させました。
大きなイベントを仕切ったことがある人なら、主だった人物(それもおもてなし側)のドタキャンがどれほど、現場に苦痛を強いるか解ると思います。しかも一般のイベントではなく国賓をお迎えしての
それですから、大量の警護の人たちまでもが右往左往します。それも「病気」とあれば致し方ありません。しかしながら、それに対してお詫びのお言葉一つ、ねぎらいのお言葉一つ聞こえて来ないのは
何なのでしょう? 妃殿下がお相手なさっているのは、現場ばかりではありません。日本の品位と威厳がかかっているという点では、国民の期待を裏切ったことでもあります。はじめは、雅子妃の
ご出席はなしとして物事は進められていました。それを横合いからご本人が出ると明言された。それまで大規模に準備されていたことは全てひっくり返されご破算です。最初からやり直し。ところが
前日に「出ません」。余りといえば余りな。そのことに対して申し訳なさがおありなら、せめて国王ご夫妻お出迎え3分間のお務めはお出来になられたのでは? 晩餐会に出席なされない事情説明と非礼を
お詫び申し上げる。それは雅子妃個人の問題ではないのです。国民から国王ご夫妻に申し上げねばならない謝罪でもあるのですから。このたった3分間のご公務すら出来ないほどのお病気なのでしょうか。それほど重篤ならなぜ、出ないことを
前提に進められていた準備をひっくり返してまで「出る」とおっしゃったのでしょう? 毎日わが子へのお付き添い通学ができるだけの元気も気力もお持ちの方なのに? 皇太子殿下におかれても、妃が晩餐会に欠席の無礼を国王ご夫妻に
お詫び申し上げたということも伝わって来ません。天皇陛下はご退院直後でご無理、余計皇太子ご夫妻で担わねばならなかった局面です。出来ないのは仕方ない、でもそのことへの申し訳なさもなく
けろっとしていらっしゃり、雅子妃は日も置かずお元気で私用にはお出ましになる。ことは、ご夫妻の私的な問題ではなく、日本国民のブータン国王への心からのお礼の気持ち、それに付随して至らぬおもてなしに対して
感じる恥ずかしさと申し訳なさがそこにはあるのだということがお解りではないようですね。ときに日本国民の心情を代表して物申さねばならぬお立場であるのに、ご夫妻の視野にはご夫婦+お子様お一人の小さなご家庭しかないようにお見受けします。
晩餐会での皇太子殿下の似合わぬタキシード姿に寒々しい印象を抱いた国民も多いのではないでしょうか。(これが恰幅のいい秋篠宮様でいらしたら。お隣に日本の民族服である和服をきちっと着こなされた紀子さまがいらしたら)。肉体的要件をあげつらうのは、フェアではありませんが、しかし日本国の看板でありますから、正直なところ立派なほうがいい。嫁の尻に敷かれ嫁方の実家にクン呼ばわりされながらニコニコと気兼ね、ご自身の両親はなおざりの、世間によくある男ではありますまいか。それもどちらかというと一家さえはかばかしく仕切れぬ情けない男の部類。もはや皇族ではありません。皇族であるか否か、その意識の在り処こそが決め手ではないでしょうか。痩せ我慢しても、自らの心情は抑えても、国と民が一義。そう据えて代々の皇室は営まれて参りました。口を開けば「雅子が」「愛子が」・・・この御方の口から、日本が、国民が、という言葉が発せられた印象がどうにも希薄なのです。
平たく申せば本音と建前があり、その建前を最大限に前面に押し出してお暮らしになるべき定めにあるのがご皇室というものでございましょう。建前は言葉を変えれば皇室が皇室であるための「思想」、「屋台骨」、「美意識」でもありましょう、
皇室最大の精神性であるところの宮中内祭祀に関しても、東宮ご夫妻におかれましては、祭祀の何たるかのお心得すらないようにお見受けします。祭祀抜きに皇室は在り得ません。祭祀の怠り、それは皇族としての高い精神性の放棄でございませんでしょうか。
凡夫凡人に堕した時点でもはや皇族とは別の何者かにおなりです。皇族であるということはこの上ない犠牲を強いられるものです。その犠牲を国のため、民のためと思える方々が万世一系、男系の希少な位置を守りぬき、125代も続いて現在に至っています。世界史の中の奇跡ともいうべきご存在でありましょう。奇跡を担われる位置に、お覚悟なき方は就いてはなりません。ここまで書いたからには、思いきって本音を申し上げれば、雅子妃はその背景を含めて、故意か無意識にか皇室の破壊者ひいては日本の国体の毀損者だと感じています。ご本人はきっと無自覚に、しかしその背後にある創価学会から中国を含めた勢力はおそらく意図的に。雅子妃という存在を使って皇太子殿下の次の世の天皇陛下としてあるべき精神性を破壊した、とそう見えてならないのです。このご夫妻が天皇皇后と名のみおなりあそばされた時、天皇家は実質的解体・変貌、日本はその精神性の支柱を捨てざるを得なくなります。天皇家の変質は日本人の精神性の基幹、すなわち神道を放擲することと同義だからです。陰謀論は不得手ですし多くは与しませんが、妃殿下のお輿入れこの方の動きを拝見していますとそのような「妄想」を抱いてしまうのです。
・・・・対談の要約文字起こしはこれで、終わりますが、猪瀬氏はごくマイルドな言い方ながら、反論を続けています。
対談の締めくくりが竹田氏の次の言葉でした。
竹田 日本人は雅子妃殿下を皇太子妃から引きずり落とそうとするのではなく、快復なさるのを、ゆっくりと見守るべきだと思いますね。
べべこ注:敢えてコメントはつけません。皆さまはどのようにこの提言を受け止められるでしょうか。
竹田氏はバイブルが各ホテルの部屋の備え付けられている例を引かれ、古事記を日本の各ホテルの部屋に、ということを提唱されていて、これには全面賛同致します。更に古事記を中高校の必須科目に、ということを提案します。