なぜ日本から修学旅行に行ってはいけないのか?
日本から韓国に修学旅行へ行く事に対する批判記事をアップするときには、その理由をつぶさに書くことはしません。背後に膨大な日韓関係の歴史が横たわるからです。たった一つの短い記事の中で、それを述べることは不可能です。
なので・・・。時折コメント欄に、当の高校生と思しき人達から抗議のコメントを受けます。いわく「余計なお世話、人の学校のことを」「迎えてくれた韓国人はあたたかかった。別れにはお互い涙をこぼした」
画像は日本の数学旅行生たちを歓迎する韓国の高校生たちです。一見、素朴に違和感を抱く人もいるのではないでしょうか。・・・・そう、太極旗だけで日の丸がないのです。看板は掲げられていて、そこに歓迎の辞と小さな日の丸はあるので、それでよしとする人もいるでしょうが、常識的に歓迎の場合は、両国対等の大きさの国旗ですね。
仮にこれが日韓を逆に、日本の高校で行われたとしたら、韓国では日本の高校の非礼さに大騒ぎでしょう。この画像が象徴的でしょう。上辺の歓迎はあるが、幼少期の頃より腹のずいまで反日を叩きこまれた彼らに真の友情はありません。拙ブログ主にも在日の知り合いはいます。あることをしてあげたらそれこそ「涙を浮かべて」感謝してくれました。ここで、終わっていれば某修学旅行生のように美しい涙の物語で終わるところですが、人の付き合いというものは、一過性の旅の中では判りません。お互い非日常の(ある意味では無責任な)感傷がそこに加わるからです。チープな涙です。
ブログ主の知り合いは、こと強制連行に話が及ぶと形相が変わります。北朝鮮はよくぞ日本人を拉致してくれた、金正日に感謝したいと言い放ちます。理由は何十万人という朝鮮人を日本は強制連行したからで、いやそれは捏造で・・・と言いかけても、もはや聞く耳は持ち合わせません。
おそらく日韓併合、竹島に関しても同じ事でしょう。悪いのは一方的に日本と日本人なのです。彼らが友情で流す涙は、日本人は悪者だ、ということが前提での涙だと承知そておかねばなりません。日本人は私たちに悪いことをした。でも、私たちは日本という国は許さないけれど、個々親しく近づいてくる日本人は迎えてあげよう、というほどの意識であり、腹からの親しみではありません。環境が変われば、明日には容易に憎しみと軽蔑に転ずる底浅い親愛の情なのです。
もともと、上下関係でしか人との関係を構築できない民族です。対等な友情はそもそもない。竹島問題など遠い話でなくてもよい、セーラームーンや、ドラえもんがどこの国のアニメなのか、というごときことから話を始めても良いでしょう。それまで親しいと見えていた彼らが、いきなり理解不能のエイリアンに変貌する瞬間を目にすることでしょう。それは、日韓に何か問題が生じた時、韓国側からは日韓友好のいかなる民間イベントも即座に中止してくることを見れば一目瞭然です。少々国と国の間に何かあっても民間交流は絶えない、と思い込んでいるのはお人好しの日本人ばかりです。
韓国批判をすると、必ず一定割合で出る意見「韓国人にも、在日にも良い人がいる」は、日韓の歴史を知らない浅慮からしか出ない意見です。上っ面の友情はあります。中にはまれに個人的に深い関係が生ずることはあるでしょう。竹島、日韓併合他の問題を乗り越えて。しかしそれはあくまでも、個人対個人のことであって、国家間の関係とは別次元です。
韓国へ日本から修学旅行へ行く事の不当性を述べるのは「余計なお世話」なのではなくて、それが国家間に関わることだからです。日韓併合、強制連行、従軍慰安婦、竹島と韓国側が国家として来る出してくる外交―カードは総て捏造に基づくものです。日本から修学旅行に行くということーー学を修めに行くということはーーこれら韓国側の嘘を認めるに等しい行為なのだということは解るでしょうか。
まして、修学旅行生が見せられるものが時として捏造慰安婦であり、戦争記念館であり、日本軍が朝鮮人を拷問したとされる刑務所であるとすれば、それは反日を学ぶための旅行でしかありません。事実ならよろしい。過去には真摯に向き合うべきです。しかし韓国側の提示する知識も展示物も総て虚偽です。
あからさまな反日施設に連れて行かれなくても、景福宮はほぼ定番です。ここでは韓国の妄想歴史が教えこまれます。そして秀吉軍が焼き払ったという嘘が、もっともらしく日本の学生たちに伝えられ、引率教師はそれを否定しません。「修学」にはならない、という理由が解るでしょうか。一方、韓国から日本へ来る修学旅行生たちは、「独島(竹島)は我が領土」だという巨大な横断幕を持参します。互いに意識がまったく異なるのです。
某校における観光への修学旅行に際して、事前学習会。以前、韓国に出かけた生徒たちの感想がスライドで映し出されます。
「ご飯がおいしい」は局所的には事実なのでしょう。しかし、この国の食品汚染ぶりは客観的事実で水道水ですら貯水池に糞尿が流し込まれていた事実は伝えられません。トイレがきれい、も奇妙な感想で、いちおうの文明国ではほぼそうでしょう。にほんごがどこでもOKは大嘘です。旅行団として移動するところは日本人相手の商売なので日本語を心得ているだけです。治安の良さは笑止です。狭い行動半径内で何もなかった、というだけのレベルです。自分の局部的な体験で「韓国の生徒たちは皆好意的で別れには涙まで流してくれた」と感傷的に綴るのと同じ次元です。韓流の勢いが凄い、は何をもって凄いのかデータ的に不明ですが、それが修学旅行と名の関わりがあるのでしょう。
要するに韓国のいいところばかりを無理に並べてみました、というレベル。逆に韓国側は、幼稚園の頃から長年、日本がどんなに悪い国か教えこみ、下準備万全にしての日本への修学旅行なのです。日本で彼らは靖国神社には行きません。遊就館であの戦争の真実について学ぶこともしません。日本人の学生は学ばせられます。それも虚偽を。
トイレが清潔レベルはまだしも、学校によっては事前学習と称して「奈良」や「飛鳥」が韓国語起源で、日本の文化は総て朝鮮から教わったとまで史実に反することを教え込む学級もあります。
修学旅行の受付デスク。手前は教師ですが、チマチョゴリです。日本人教師がサービスで着たのか、在日教師なのかは不明ですが、しかしこれを、韓国に置き換えてみましょう。教師が和服で受付をする。大問題になりますね。日韓、意識がここまで食い違っているのです。日本が友好のつもりで出かけても、あちらは大きな反日横断幕を用意しての「敵地乗り込み」なのです。その温度差を冷静に把握しておけば、もともと感情過多な彼らの、突発的な別れの涙を過剰評価することもありません。コメント欄に「涙」について書いた高校生は、試しにバスから降りて「竹島って日本の領土だよね」と言ってみればよかったのです。涙は瞬時に乾き、彼れからどんな言葉が返ってくるか、それを思い知ることこそが実は「修学」なのですが、浅いまやかしの友情をお互いに演じて、旅行は終わります。
日本国内の学校における自衛隊への見学を取り止めた学校があります。一方に偏った学習になるという理由です。しかし、その一方日本の学生たちが韓国の兵士たちと写真に収まるのは放置です。自国の自衛隊が悪くて、日本を仮想敵国扱いしている国の兵士との交流は構わないとは、なんとも病的に歪んだ状態です。
日本から韓国への修学旅行への疑義は、相場の2倍、3倍の費用のこともあります。かなりの巨額が動くのですが、その価格の目安をどの学校も提示しません。下見と称して韓国を訪れる教師たちが、酒女などの接待漬けになっていないか、キックバックがありはしないか、在日と日教組が動かしていないか、さまざま憶測は流れていますが、真相はまだ判りません。判っているのはどの学校も「なぜ韓国なのか」という明確な理由が提示されないことです。
そして韓国へ連れて行かれた修学旅行生たちの感想からは見事に悪印象は抜き取られ、賛美と感動ばかりが記録されます。(これはあり得ない。100人が100人、感動と好印象などとは) むろん、中には結構多くの生徒がいい印象を抱いているのかもしれません。しかしながら、たかだか数日間の体験と「交流」で韓国は良い国、人々は親切で優しいと思い込み、それがそれからの人生の日韓をはかる物差しとなるならば、非常に偏って危険な物差しと言わねばなりません。
その子もいずれ親となり、中には教師となる生徒もいるわけで、そんな彼らは自覚せずして、反日加担、韓国マンセーのいびつな日本人となり、その子や生徒たちが真実を知る機会を奪う大人になるかもしれないのです。
日本から韓国へ修学旅行へ行くべきではない、という理由は以上です。