べべこの記事に画像を拝借することも多かった「花うさぎ」さんが急逝されたとのことで
驚いています。ネット上でご不調の噂が流れ、それから数日も経たない出来事です。
瀬戸弘幸さんのブログで、花うさぎさんが着物業界の新聞の社長さんでいらしたことを知り、
さこそとも思いました。一方的に、ブログを拝見してお勉強させていただいていただけの
ご縁でしたが、ありがとうございました。
画像と情報は瀬戸弘幸さんのブログより拝借しました。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/
花うさぎさんのブログには、息子さんからのご挨拶が載っています。
http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/month/201112/
過去記事を含めて有益な情報が満載です。
それにしても・・・・
人はいずれ無一物でこの世を去ります。確かなものは、今日一日、今この一瞬だけです。
その一瞬にどんな火花を発火して生きていくか。日本を護ることに命の炎を燃やされた方のご逝去を惜しむと共にご冥福を謹んで
お祈り申し上げます。床につかれる寸前までブログを更新していらっしゃいました。ネットでの発信力を信じ抜いた方でした。
よりよき死を考えることは、よりよき生を考えること。
いかに死ぬか。そのような思いでいるときにまたシンクロめいて、下田市議の田坂富代さんが死について記述されています。
http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-aae1.html
生と死に関しての感受性はさまざまでしょうが、べべこは命への執着が薄く、今夜息絶えるとしてもちっとも構いません。
ただ与えられた命の時間を十分に生き切っているかという点に関しては不十分と思わざるを得ません。
幾つかの親しかった方の、あるいは愛した動物の死に向き合いながら、命が一瞬にして消え果てるそのあっけなさを思います。
それゆえ、人様にお会いする際には、これが最後かもとどこかで思いつつ会う習慣がいつしか出来ました。朝ある自らの命が夕べまである保障は
どこにもありません。まだ幼い命ですらそうです。それは、震災で皆が、思い知ったことですね。
今日一日、この一瞬という思いで、生きていきたいと思います。皆さまとのご縁は、ネットというはかないつながりでしかありませんが
思いを共有して一つの小さな動きになるのなら、その意味では、はかなくもないのでしょう。
100年後には、今この瞬間に生まれている赤ちゃんですら、もうこの世にはいません。そのような、はかなさの中で欲に駆られて
愚かな選択へと突っ走る人類のありようを吐息と共に考えざるを得ません。時々教えを乞う先生が政府の原発事故調査委員になられました。
事故地を訪れての感慨をうかがいながら、つくづくと人類の愚かさに慨嘆せざるを得ません。人は核という自己の能力を超えたものを持ってしまいました。
かといって、昨今の唐突な原発廃棄運動には乗りません。世界規模で廃絶の方向に向かわない限り、日本の国力を削ぐだけのことですから。
つかの間の生を得ている間に、どのような火花を散らすのか、真剣勝負で生きていたいと思います。
皆さまの命の発火は何でしょう。わが子への、誰かへの想い、国への愛。あるいは他のものであるかもしれません。
死は、ふかぶかとした癒しの森のように感じています。いずれは森へ還って行く命、さてどう使いましょう。
花うさぎさんへの追悼画。ネット上の盟友でいらしたYOHKANさんのサイトから拝借しました。
http://yohkan.iza.ne.jp/blog/entry/2552866/
【付記】 NHK次期大河「平清盛」のHPから、皇室を「王家」呼ばわりする箇所が消え去ったようですね。また肝心の脚本家よりも異常に大きく持ち上げていた特殊史観の考証家の存在も
なくなっています。当初から皇室毀損の考証家を利用する意図を見すかされたせいでしょうか。通常はあり得ないHPの大幅改変です。
糾弾活動が効いたのかどうかは分かりませんが、唐突な変更ですから、無関係ではないでしょう。おかしいことに対してはやはり声を上げて行きましょうね。
フジの次はお宅ですから、NHKさん。国民は片山さつきさんを言いくるめるほど、やわな相手ではありませんから。