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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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日本は拷問などしていない

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先の項目に付記しようと思ったのですが、付記にしてはじゃっかん長過ぎるであろうことと、大切なことですの別立てでアップすることにしました。

日本からの修学旅行生が多く行かされる西大門刑務所における「日帝が行った拷問」として展示されている内容が虚偽捏造であることは、先稿で動画を添えて述べました。まずもって朝鮮の拷問の凄まじさに驚いて「拷問禁止令」を出したのは、他ならぬ日本であったということを知っておきましょう。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001

今日はその補足説明です。

「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」

『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト

アーソン・グレブストが喝破した通り、拷問を禁止したのは日本です。日本毀損でよく行われるように、真逆のことが宣伝されています。

●日本の統監統治時代

李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。

しかし日本の刑務官が帰った後、朝鮮人により拷問があったとされています。

●日韓併合(日本統治)前は、「1坪に15〜16人」詰め込んでいた監獄だったが、

1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2.9人」まで大改善された。
これによって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。← 虐殺するつもりの囚人に、なんのためのこの「改良」と「優遇」でしょう。

階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎を作った。 

金正日統治下の北朝鮮ではいまだ凄まじい拷問が残っていたことは、脱北者が証言するところです。

 韓国・世宗大学校日本文学科教授の朴裕河は

「解放後50年間の歴史はきれいさっぱり消し去られたまま、日本に対する憎悪と恐怖を育てる場所としてのみ存在している」として批判している。

・・・・他ならぬ韓国人教授が「日本に対する憎悪と恐怖を育てる場所としてのみ存在している」と規定している場所へ、日本からの修学旅行生たちが連れて行かれ、贖罪の意識を抱いて帰って来て、それを学校のHPに書いて伝える。韓国の狙い通りの構図が出来上がっていますね。

その一方、ベトナム戦争時における韓国軍の想像を絶する暴虐にはいっさい触れられず、生徒もその事実は教えられないまま、ひたすら罪悪感を抱かされるだけの修学旅行です。

韓国側の売り文句

http://www.youtube.com/watch?v=K-yFkU9HtCs

「韓国のアウシュビツと恐れられていた西大門刑務所
日帝はここで50万人以上の抗日義士を虐殺した
韓民族抹殺のために作られた刑務所
日帝の蛮行を世界に知らせる」

上記の文章自体にすでに矛盾があります。「韓民族抹殺のため」と言いうかたわら「抗日義士」と自ら限定している矛盾。日韓併合はもともと、朝鮮側に請われて国際法上も無問題。それに対して抗日分子が50万人もいて、ましてそれを処刑したという史実はない。一刑務所で50万人を限られた歳月で虐殺、の不自然さ。

虐殺のために、近代的で明るい刑務所など改めて建設などしない。狭い部屋に押し込まれ横になって寝るスペースもない囚人部屋をゆったりと横になれる部屋に設計したりしない。

李承晩ラインで半島へ拉致された漁民たちが受けていた扱いが狭い部屋に数名が押し込められて、交代で横になるしかない、まさに朝鮮「伝統」の囚人部屋でした。日帝はそれを大幅に改良、向上させたのです。

李氏朝鮮下の極悪な地獄の如き刑務所を、近代的な刑務所に建て替え、拷問を禁止した日本。アウシュビッツのごとき大虐殺の場にする意図が皆無です。何の脈絡もありません。

韓国にはきっと「鶴の恩返し」などというお話はないのでしょうね。よく言われるように恩を仇で返す国。でも世界にはそんな国ばかりではない。

「貧しい我が町の住民から集められるお金は、日本の人から見ると、わずかかもしれない。
でも、私たちを救ってくれた人たちをなんとか助けたい」

2006年に大規模な地滑りに見舞われ、1千人が死亡したフィリピン中部のレイテ島セント
ベルナルド町のリコ・レントゥサ町長。仮設住宅を建て、復興を担ったのが日本政府の援助
だったことから今回、「恩返し」の募金活動を始めた


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