「従軍慰安婦」の嘘については、拙ブログで何度か取り上げてきていて、
更に視点を変えて、書かねばと思っているのですが・・・・
「資料」としての映画を動画でチェックするだけでも相当(皆様も)時間を食うと思うので
とりあえず小出しに出して行き、いずれ記事はまとめたいと思っています。あるいは
記事も小出しにして行くか・・・・
今日、資料として提示する映画は鈴木清順監督「春婦伝」(日活)です。
フィクションですが、フィクションゆえにかえって当時の実態がリアルに描かれるという側面があります。とりわけ狙い澄ましたプロパガンダ映画でない限り、単なる風俗の部分を捏造する理由もありませんし。雰囲気を知るという意味でも有効かと思います。(終戦直後の朝鮮人達の暴力に関しては東映のヤクザ映画で描かれています)
ただし、春婦伝には朝鮮人慰安婦も出てくるのですが、ご紹介の動画には日本人慰安婦のシーンだけです。中国でも都市部におけるお商売は楽だったことが映画のセリフでうかがえます。
日本人慰安婦と一緒に戦地に移動している様子を描写した映画もあります。岡本喜八監督「独立愚連隊」(東宝)で、こちらでも1度アップしたこともあるのですが、「独立愚連隊」の動画は断片で残っているのに、朝鮮人慰安婦が出てくるシーンがある動画は、なぜか削除されてしまっているのです。朝鮮人慰安婦以外の動画は残っているのに。
「独立愚連隊」で描かれる次の戦地への移動にとりわけ悲壮感はありません。いかに儲けるか、儲けたら何を買うかというたぐいの会話が日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦との間に交わされていた記憶があります。
「春婦伝」でもそうですね。でも喜び勇んで慰安婦になったわけではなく、お金目当てですから、明るくはありません。映画ではセリフで慰安婦の「時間割」まで示されていて、ハードではありますが十分休みは取れ、韓国側が言い立てるごとき「性奴隷」などではないことが解ります。兵隊との間に自然発生した恋愛まであるようなゆとりぶりで、中には駆け落ちカップルも誕生したようでその後が気になります。
Story of Comfort Women 1/2
以下は「従軍慰安婦」に関するかなり珍しい小野田寛郎氏の淡々とした談話です。
(小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年(大正11年)3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす)
小野田寛郎さん従軍慰安婦を語る
「朝鮮銀行に預金に行って来るよ」
これが朝鮮人慰安婦を訪れる日本兵たちの間の隠語だった。
朝鮮半島から強制連行した売春婦に(それが事実なら)なぜお金を払うのだ。なぜ、こういう隠語があったのでしょう?
およそ世界中、軍隊のあるところ、慰安婦はいる。慰安所に相当する場所はある。道徳論で斬っても無益です。
「従軍看護婦として応募したのに、慰安婦にさせられたの・・・」
とウソ涙を流して「告白」。チップをはずんでもらった。こういうお涙頂戴の嘘話がひとり歩きして、それが日本という国からの「チップ」強要に変貌した側面もありはしないだろうか。また同情して、あるいは騙されたふりをしてチップを渡すほど、兵隊も人情味があったということです。建国側が言い立てる鬼畜の面影はないし、また機構的に鬼畜の振る舞いは不可能です。
天津など、ゆったりした町では兵士たちは、機械的に娼婦に接するよりも、酒を酌み交わし会話を楽しみながら、お互いしっぽりと情感が添うほうを兵隊は好んだといいますが、その通りでしょう。おそらく、「春婦伝」の部隊は戦火が逼迫したエリアであり、さほどの情趣は望むべくもなく、だから慰安婦たちの顔もこわばっているのでしょう。土地によっては情趣も笑いもあったのではないでしょうか。
強制連行などしたら、現地の鮮人たちが黙っているわけはない。
もし事実あったとしたら、黙っていた先人たちが不甲斐なかったということになるが、それでよろしいのか。(慰安婦にするために暴力で狩り集めたという記録も証拠もない)
映画の中では1人の娼婦(敢えて)が「100人を相手する」と行ってますが、それは部隊の数から割り出したノルマであって、1日に毎日100人を相手にしたということではないでしょう。
いずれにしても、破格の高給と引き換えの、覚悟のお商売です。
世界各国、軍隊の赴く所、売春が付き物なのは兵隊たちの心身の欲求を満たし戦意を維持するためでもあり、現地女性へのレイプを防ぐ目的もあります。
また慰安所として軍が管轄すると医者も置き、衛生面の安全もはかれました。
キリスト教原理主義国家であるアメリカは、兵士用の慰安所を置きませんでした。宗教のきれいごとの「嘘」ですね。男性の生理と心理を無視している。
同じく、現代のフェミや左翼が、日本帝国を打ち据える材料に売春婦の存在を引くのも間違いです。
欧州の戦場では米兵によるレイプ被害者が1万4000人(ドイツ人女性 11040人)に上ったと言われています。
沖縄でも、米軍上陸後、米軍兵士による強姦事件が多発した、とこれは事実でしょう。
沖縄だけではありません。日本本土上陸直後は、最初の10日間に神奈川県下だけで1336件の強姦事件が発生したことが記録されています。
日本政府は急遽、進駐軍向けの慰安所を設置。ところが、いずこにも現実無視の「道徳ちゃん」な女性はいるもので、横槍を入れて来たのがアメリカの婦人団体です。
その代案として「自由恋愛」であるパンパンが登場したのですから、現実はきれいごとでは処理しきれません。レイプの多発もあって、混血児が多く誕生して、捨てられたり殺されたりで多くの悲劇を生みました。
慰安所に反対したアメリカの、上品に口をすぼめたおばさま方はこういう悲劇に責任を取るわけではありません。
特殊慰安施設協会(RAA: Recreation and Amusement Association 直訳で「レクリエーション及び娯楽協会」)
特殊慰安施設、廃止前の強姦事件と婦女暴行の数、1日平均数は40件。廃止後の強姦事件と婦女暴行の数、1946年前半の1日平均数は330件。
政府管轄の慰安所を存続し、慰安婦を働かせるべきだったのです。当時は普通の家庭の主婦のみならず、良家の子女が窮迫して、春をひさいでいたという現実があります。
慰安所を禁止したところで、結局飢えた女たちは路上にさ迷い出るしかなかったのです。管理の行き届きた慰安所のほうが彼女たちにとっても安全でした。お金をごまかされたり、半ば強姦めいた変態的行為で傷つけられ、あるいは妊娠させれることも無く、政府管轄下の慰安所なら取り締まれたはずです。
何度も言ってきましたが、朝鮮戦争時、ベトナム女性を文字通り「性奴隷」にして狼藉を尽くしたのが朝鮮人兵士たちで、彼らと現地女性との間に生まれた混血児は「ライタイハン」と言われ、大きな社会問題になっています。
日本人と朝鮮人との間に混血児で問題になったことがないのは、慰安所と慰安婦の存在に帰するところ、大ではないでしょうか。
繰り返します。慰安婦は日本軍が専門ではありません。古今東西、世界どこでも、軍隊の赴く所、売春婦はコインの裏表のようについて回ります。
相手が少年や青年の場合は、需要が小数のせいかこれは文字通り「自由恋愛」でまかなわれたようです。拙ブログ主は、日本占領下の米軍兵士として日本にいた方から、いろいろチャットで取材させてもらいましたが、その方はうんと年長の日本人男性と恋愛関係にあったそうで、ずいぶんなつかしんでいました。同性相手のレイプについて訊いてみましたが、その方は耳にしたことがないということでした。
・・・・以下、小野田さんの談話から拾った余談です。
「中国人に金を見せると殺されるよ」
・・・・国民性として示唆に富むと思います。現代でも本性は変わっていないでしょう。民法231条など、日本人起業家の身ぐるみはがし法に成り果てています。
・・・・というわけで、きちんと1本、論旨の通った小論をまとめるには時間が不自由なのと、これから紹介していく映画他の資料が多く、こうした形で断片でアップして行く方法を選びました。ご理解くださいませ。
(断片で簡略に終わるつもりが長くなってしまいました・・・・・)