人は基本的に強欲で愚かです。魂に一抹の仏性を秘めながら、微かな天使の面影を宿しながら、しかし強欲で愚かです。
そのどうしようもない人間たちが寄り集まって出来たのが世界です。武力無しでは世も時代も変わらず、発言一つに力を帯びさせるのは語彙でも論理でも正義でも宗教でもない、その背後に控えている武力です。問答無用、武力です。
人類誕生以来、人は(その魂において)いささかでも進化したでしょうか。
古代ヤマトの、自然とも人とも丸く融和していたあの時代を思うとむしろ退化ではなかろうかとさえ思われます。
核を得たことで、どうやら終着点ふうに行き詰まり膠着した現代世界の精神に風穴を開けることが出来るとすれば、それは日本古来のヤマト心ではなかろうかと愚考する者ですが、しかしそれ以前に国を護らねばなりません。国無くして己無し。世界に発信できる優れた精神性を有していても、国滅びればその心、滅する。
石原慎太郎氏の言葉を転載させてください。色文字強調とゴチックはべべこの恣意によります。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120702/plc12070203350002-n1.htm
残酷な歴史の原理
2012.7.2
歴史を振り返って見ると世の中を変えたのは絶対的な力、端的にいって軍事力だというのがよくわかる。いかなる聖人がいかに高邁な教えを説こうと、それが物事を大きく動かしたという事例はほとんど見当たらない。
功成り名遂げ成熟安定した国家社会では、人権を含めてさまざまな理念が説かれようが、その実現が利得を離れて成就されたなどという事例はあまり見当たらない。
今日世界一の大国と自負するアメリカは実は世界で最も遅く奴隷を解放した国でしかなく、その奴隷たちも極めて最近まで公民権をあたえられることなく過ごしてきた。
歴史的に見てアメリカが人権の保護に関して最も厚い国だなどというのは彼等自身の虚妄であって、例えばスペインが国家として凋落し、その過酷な支配からようやく解放されようとしたフィリッピンをスペインに代わって乗っ取り植民地にしたアメリカは、独立を志す者たちをバターン半島に追いこみ四十万人もの者たちを餓死させて駆逐した。
こうした事例は人間の歴史の中に氾濫していて、いつの時代どこにあっても軍事を背景にした力がことを決めてきたのだ。わずか三丁の鉄砲を手にしてやってきたスペイン人たちによって呆気なく滅ぼされたインカ帝国の人たちが、キリスト教に教化されて本質的な幸福を●んだかどうかは、いえたことではない。(注:文中の欠字はネットで拾った産経新聞記事ママですが、おそらく『●んだ』は、『掴んだ』ではなかろうかと想像します)
ヨーロッパに誕生した近代文明はほぼ一方的に世界を席巻し植民地支配を達成したが、その推進は決定的に勝る軍事力によって遂行された。それは古代から変わらぬ歴史の原理であっていかなる高邁な宗教もそれを否定出来まいし、宗教の普遍の背景にも歴然とその力学が働いているのだ。
ということがこの日本という国に関し隣国シナとの関わりでも証明されるかも知れぬということを、今一体どれほどの国民が感じとっていることだろうか。
繰り返していうが、今現在日本ほど地政学的に危険に晒されている国が他にどこにあるだろうか。敗戦のどさくさにロシアに貴重な北方領土を略奪され、北朝鮮には数百人の同胞を拉致して殺され、シナには尖閣諸島を彼等にとって核心的国益と称して堂々と乗っ取られようとしている我々。そしてそれら三国はいずれも核兵器を保有しそれをかざして恫喝してくる。
多くの日本人が一方的に頼りにしているアメリカは、自国へのテロ攻撃に怯えイスラム圏に派兵し不毛な戦で国力を消耗し軍備を縮小しとじこもりかねない。彼等が金科玉条に唱えている人権の保護の実態は、シナの覇権主義によって実質的に消滅したチベットへの姿勢を眺めてもうかがえる。民族の個性もその文化も抹殺されてしまったあの国あの民族を本気で同情しているのは私の知る限り著名な俳優のリチャード・ギアくらいのものだ。
日本とチベットではアメリカにとっての比重が違うという者もいようが、国際関係の中でアメリカにとって最重要なものは所詮自国の利益でしかあり得ない。
この今になって私はかつてフランスの大統領だったポンピドーの回想録のある部分を思い出す。引退後彼が訪問して話した当時のシナの最高指導者毛沢東に、「あなたは水爆などを開発し何をするつもりなのか」と質したら、「場合によったらアメリカと戦争をするかも知れない」と答え、「そんなことをしたら二、三千万の国民が死ぬことになりますぞ」と諭したら、「いや、わが国は人間が多すぎるので丁度いい」と答えられ仰天したという。
それを読んであることを思い出した。アメリカでのヨットレースで親しくなった男がかつての朝鮮戦争で新任の士官として分隊を率いてある丘を守っていた時、深夜異様な気配で思い切って明かりをつけて確かめたらいつの間にか目の前におびただしい敵兵が這いよっていた。そこで機関銃を撃ちまくったが次から次へと切りがない。しまいにはオーバーヒートの機関銃に水をかけて撃ちまくった。ようやく夜が明けて眺めたら累々たる死体の山。しかし確かめるとどの兵隊もろくな兵器は持たずに手には棍棒だけ、ろくな靴もはいていない。後にわかったが、彼等は台湾に逃げた蒋介石の残した兵隊たちで、人海戦術として前面に駆り出されその背後には中共の正規軍がいたという。
こういう国家の本質をみればアメリカがたたらを踏むのは当然だろうが、そのアメリカを盲信している日本人も危うい話しだ。
今日のシナの指導者たちがどんな感覚で国民を支配しているかはいざとなるまでわからないし、成熟しかけているシナの社会での兵士も含めて、場合によっては駆り出されるだろう若い世代の覚悟というか、有事に際しての反応はうかがいきれない。
この現代に、彼等が場合によったら核の引き金を引くか引かぬかは占いきれまいが、私たちがその圧力に怯えて、彼等が一方的に核心的国家利益と称する日本の国土の島をむざむざ手渡すことは国家の自殺につながりかねない。
そして日本の国家民族としての決意をアメリカが己の利益のために無視するのならば、結果としてアメリカは太平洋の全てを失うことになるのは自明だろう。
尖閣諸島への対応には、実はアメリカにとっても致命的な選択がかかっていることを知るべきに違いない。
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(転載以上)
批評の贅言は不要の簡潔、正確無比な文章かと思われます。
石原慎太郎氏は決して書かぬし、言葉にはまして出さぬであろうけれど、現在の日本国民に対しての乾いた深い絶望を感じ取れる文章でもあります。絶望は時として怒りの鎮まった形でもあります。絶望すれど、しかし投げるわけには行かぬ。ご年齢からして、明日の命の保障が日々失せ、死と寄り添うことの多い日々であろうかと拝察します。
我欲が沈静化し、澄み切った心境の湖には真実が映ります。石原氏の述べていることは、恐ろしいほどの真実です。
石原氏の澄明なる文章を前に、弊ブログを引き合いに出すは烏滸の沙汰であるけれど・・・こちらでも、早期から中国による日本のチベット化への懸念は筆にしています。それがない、という保障はどこにもないのです。少しくもの思い、いくばくか想像力を有した人ならば、誰でもそう思う。
何度も引き合いに出して恐縮ですが、新潟市の国際課に電話をして土地売り渡しへの懸念を表明すれば笑いながら、懸念を否定されるのが現在の日本です。自虐史観という麻酔薬を注入されて、1億総催眠状態。
いざ中国が尖閣へ、沖縄へ、九州へ、本州へと上陸して来た時、何が起こるか、チベットの成り行きをちらとでも見て、明日は我が身やも知れぬと思える想像力があれば、実のところのんきに反原発運動などやっている場合ではない非常時なのだ、と悟るはず。9条改正に向けて心はチリチリと焦燥するはず。そして、できれば核の保持をと。
尖閣というアラーム装置がしきりに鳴り響いているのに、それを聞きつける国民は僅かばかり。微かだった音が日々高まりつつあるというのに。
国盗られて占領される可能性をかたわらに、いささか乱暴な言い方ではありますが、原発の1つや2つ、ヒステリックに騒ぎ立てるほどのことか。死者は原発事故のそれより遥かに上回るというのに。苦しみも痛みも恐怖も原発事故の比でありはしない。
というごときことを書くと、この日頃粘着しているストーカーがまたぞろ論旨も読み取れぬ貧弱な頭脳で、「原発推進派」のレッテル張りをして来て片腹痛い。何度も書いているけれど、拙ブログ主は福島の遥か以前から、筋金入りの反原発・脱原発派。ただ、現在この状況で反原発・再稼働反対を言うのは拙速で危険であると申し上げています。経済的な意味でも、核の知識・技術の放棄がもたらす防衛上の危険性という意味合いからも。まして今現在の反対運動は明らかに全共闘世代を中心の、左翼のそれなのに。世界に左翼思想は数あれど、いずれも自国を一義に置いてのこと、自国毀損を目的にした左翼は日本固有の病理です。
短いけれど、石原氏の真実を述べた文章を熟読玩味した目で、改めて反原発運動の主唱者たちを見れば、まことに愚者の顔をしています。
【備考】 関連べべこ過去記事
ブログを始めて比較的初期の頃の記事なので、勇み足やひょっとしたら過剰な煽り、未熟な記述があろうかと思われますが、大筋は現在とさほど考えが変わっているとも思えません。
過去記事
「あなたの彼が去勢される日」
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/e874c8943febda5c81d92f680099b5ec
「人民解放軍を日本に入れてはならない」
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/0b172893097a1a0f32b237f441ca297d
(読み返してみたら、随分おどおどと慎重に筆を進めています。でも舌足らずな未熟な表現もありながら、思考の基本形は現在も変わってはいません)
「収回琉球 開放沖縄」 琉球を取り戻せ、沖縄を開放せよ