過去記事「司馬遼太郎という名の”国賊”」という過去記事 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c2e39dccae736940fcaff9c6277cefcf
に対して、コメント欄で粘着、絡んできたネットでは有名なストーカー氏の出現があり、それを機にもう一度、司馬遼太郎という作家の思想について検証してみましたが、意見は変わりません。
「国民的歴史作家」という印象のみで司馬遼太郎という作家を捉え、素で語った言葉を案外知らない人が多いようです。
作家としては有能ですが、思想家としては驚くべく幼稚な歴史認識の方のようです、少なくとも朝鮮半島に関しては。
以下、司馬遼太郎『「昭和」という国家』(NHK出版1998年)より抜粋
P52
われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。
むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。
倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか。
私は決して儲かることではないと思うのです。
そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています。帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義と言ってもいいのです。
(中略)明治三十年代にどれだけの産業がありますか。
生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです。
産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します。ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取ってしまったわけです。
何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました。朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水田を取り上げたりした。
実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう。鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った。
イギリス人やフランス人は国家運営を考えます。外に出ていくときに、儲かるか儲からないか。あるいは目先の儲けではなく、百年先に儲かるか。常にそういう計算があるはずです。それが戦略、政略というものだと私は思うのです。
強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけです。
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特に事実とは異なる箇所を青文字にしてみました。
数千年の文化と数千年の独立、という文言に腰を抜かした人もいるのではないでしょうか? いったい、司馬さんはいかなる文献と資料を持ってこれを主張なさるのでしょう。清という李氏朝鮮の宗主国の存在をよもやご存知ないのでしょうか。
水田を奪ったとおっしゃるが、農作物の飛躍的収穫の増大を何と説明するのでしょう。進んだ農耕法を伝えたのは日本です。あたかも日本が植民地にしたかのような司馬さんの言い分ですが、詳細を見れば、違うことは一目瞭然でしょうに。そもそも植民地の定義とは何か。少なくとも持ち出しで相手を豊かにすることに一生懸命になった植民地化など世界のどこに例がありますか。損得とおっしゃるが、損は承知の投資でしたでしょうに? 相手を日本、日本人として扱ったからこその国費と人材の投入でした。
東洋拓殖(東拓)を何か朝鮮を一方的に虐げたニュアンスで捉えているようですが、東拓に絡んで移民した日本人たちの艱難辛苦はご存知ないのでしょうか。開けていない極貧朝鮮農家の中に入って、言語を絶する貧しさに耐え、中には1尾の塩鮭を吊るして置いて、1ヶ月間もかかって細かく切り分けながら食用として命をほそぼそとつないだ、というエピソードも残っています。
そのような日本人たちの辛苦の果てに・・・・
併合のたった30年間で、1千万人足らずだった人口が2500万人に激増、平均寿命は24才から45才へと驚異的伸び、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌、日本からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設された事実すら司馬氏には損得のソロバン勘定でしか見えないらしい。
日本の江戸時代、その後の近代国家の礎を日本が着々と築き続けていた頃、李氏朝鮮は暴虐の限りを尽くしていました。民衆は単なる搾取の対象でした。この簡単な事実に、反駁出来るか司馬遼太郎よ。搾取と奴隷制から開放したのが日本であったというのも事実。民は圧政に喘ぎながら、飢えに苦しむ日々。平均寿命が24才というデータすら知らぬのだろうか。それが日本の併合で圧倒的に長生きするようになった事実を見よ。「日帝の帝国主義」とやらに虐げられていた民が、倍近くまで寿命を伸ばすというのか、愚かしい。
暴虐は朝鮮に対する清であり、民に対する李王朝であります。李朝の容赦無い暴虐下で民の心は病み、ねじくれ現在の異常な韓国人の精神性のベースを作り上げました。北朝鮮がその原型のままです。民が飢えても我関せず、体制批判は地獄送り。
このような李氏朝鮮下での地獄絵図が、韓国の国定教科書では「この世の理想郷」であるかのように、言いなされています。なぜなら、そうしないと日本が乗り込んできて暴虐の限りを尽くしたというフィクションが成立しないからです。地獄から民を救い出したのが日本でした。司馬氏は、併合前の朝鮮が世界の最貧国であったという単純な事実すら無視しています。併合前の朝鮮にいったい、いかなる「文化」が存在したか、司馬氏は具体的に検証した上で、持論を述べるべきです。
台湾には古代から由来の文化がありました。しかるに、日本によって台湾の文化が壊されたり、奪われた形跡は皆無です。なぜ朝鮮ばかりがそれをわめき立てるのか、司馬氏の耳には台湾の人々の声は受け付けぬようです。そもそも、日本がなにゆえ朝鮮の文化を壊さねばならぬのか、その理由を明示していただきたい。文化というものがもし存在するならば。あるのは因習、淫習、蛮習ばかり。それらを開放させたが、日本の罪なのか。
併合解消後も、鉄鋼所、造船、地下鉄・・・オリンピック施設などの建設資金を援助したのはどこか、日本です。
アジア通貨危機の時、IMF資金以外に、韓国を救けたのはどこか。日本です。しかもそのIMFすら、日本は世界で2位の拠出国なのですから、韓国は二重に日本に救われています。
戦後の日本からの借金80兆円は、ほとんど返さぬまま、罵り続け、日本は催促もせず黙っている。5兆円に及ぶスワップにも感謝とてされない。このような状況下で、日本がとにかく悪いと日本を打ち据え続ける司馬氏。日本が永遠に韓国の奴隷になって貢ぎ続ければ、満足なのか。
思想家としては「脱亜論」を説いた福沢諭吉の足元にも及びません。いえ、それどころか思想未満でしょう、事実認識すら欠落しているのですから。
日本の精神論を司馬さんは儲かる、儲からないという次元に引きずり下ろして卑しい史観です。
「強欲な百姓」とは、いったい何を根拠にしての喩えでしょうか?日本の歴史の中で農民が強欲であった時代はあったでしょうか?せいぜい食糧の無い戦争中、物品と引き換えに行った人たちに対して示した傲慢さとか、思い当たるのはその程度の些事ですが。
「恨みを買った」は戦後の外交カードとしてにわかに形成された「恨」であって、当時の朝鮮の大勢は真逆です。日本の軍隊の募集に応募者が殺到、採用されずそれを悲観した自殺者まで出た事実を司馬氏はどう説明なさるのか。日本の軍隊に朝鮮名のままで、高位高官に付き日本兵を指揮していた朝鮮人が一人ならずいたことも、司馬氏は知らぬほど無知なのか。
靖國には朝鮮人の兵士たちも朝鮮名のまま手厚く祀られていることをご存知か。
同じ統治を受けた台湾は「恨」どころか賛美賛嘆である事実をどう説明なさる気か。
本来「恨」は李氏朝鮮に向かうべきところ、それでは民族の歴史的無力と欠陥に行き着いてしまう。近代化は「日本のおかげ」になってしまう。だから「恨」の矛先を日本へ向けた。恨みの中身を、日韓併合に国家レベルで置き換えてしまった。それが真実です。
李氏朝鮮下における奴隷制度、因習の数々が司馬氏の目には、何千年も続いた朝鮮文化と映じるのだろうか。日本に併合されるまでは、李氏朝鮮の社会は豊かで自由で素晴らしい楽園だった、というのが現在の韓国の主張で学校でもそのように教えこまれますが、司馬遼太郎氏よ、あなたは韓国の国定教科書レベルの大嘘つきだ。
しかも論旨に一貫性が無く、
「韓国自身、どうにもならない。李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった」 (第二分冊、50ページ)
なんだか、支離滅裂で・・・・そのつど気分と思いつきで口走っているのではないかとさえ疑われるほど。
「面白い物語の作り手」としては端倪すべからざる才能の持ち主ですが、その歴史認識はおそるべき幼さで「司馬史観」とか司馬の「世界観」などというごとき大仰な批評の対象にするのは滑稽です。
当時の「世界常識」すら心得ていません。日本がロシアに勝った。勝ったほうが統治する。そこに何の問題もない。そもそも「日露戦争に勝ったから、朝鮮統治は過剰防衛」だと言い放つ司馬氏はお花畑としかいいようがありません。外交も侵略も50年100年先を見越してなされねばならず、あの時点で日本が併合していなければ、ロシアは再び朝鮮を狙ったでしょうよ、今度こそは日本に負けないように強兵に励みつつ。こういう単純な流れさえつかめぬという事実にむしろ驚愕します。特有の史観と知識に基づき傑作を書いた作家という思い込みが世間に流布されているだけに。
「国家として儲かることだったのか」という商人的発想に至っては絶句です。地勢的に押さえておくべきエリアとして、日本は損を承知、持ち出しを覚悟で相手を同じ日本、日本人としてインフラ整備や学校、病院の建設に勤しんだ。何を無知なことを口走っているのでしょう。
その作家的手腕は置いておくとして、大江健三郎、村上春樹と並ぶ自虐史観者ではありましょう。上記3名よりは格落ちしますが、文芸作家に擬態した、その実エロ作家渡辺淳一もそう。この三流作家は南京大虐殺を推定だけで肯定(週刊新潮のエッセーで)。森村誠一というのもいます。林真理子は単に愚かなだけで、定見というものはなく、そのつど鳩山由紀夫夫妻を褒めちぎったりという程度ですが。
事実に基づいての自省であるならば無問題、しかし朝鮮が数千年の文化を有し、数千年の独立国であったというごとき基礎知識すら欠落させた思考で朝鮮を持ち上げ日本を貶めることは愚かさも度が過ぎましょう。
別記事で取り上げた「故郷忘じがたく候」という作品では、日本が強制的に拉致して来た朝鮮人陶工の子孫が日本で差別され虐められたなどという事実無根のことを書き散らし、現地の人たちから名誉毀損として訴えられる寸前にありました。
べべこ過去記事 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c2e39dccae736940fcaff9c6277cefcf
司馬遼太郎の、このような驚くべく稚拙な史観の依って来たる要因の一つに次のような思考形態があろうかと、愚考します。
同じく、司馬遼太郎『「昭和」という国家』(NHK出版1998年)より抜粋
「私は、青少年期にさしかかるころから自分を訓練してきたことがひとつあります。中国のことを考えるときは、自分が中国人だったらと、心からそういうようなつもりになることです。そのためには中国のことを少し勉強しなければいけませんが、とにかく中国に生まれたつもりになる。
朝鮮のことを考えるときには、自分が朝鮮人だったらと、あるいは自分が在日朝鮮人だったらと思う。沖縄問題がありますと、自分が那覇に生まれたらとか、宮古島に生まれたらというように考える。そういう具合に自分に対して訓練をしてきました。」(167ページ)
「これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには、まず真心ですね。真心は日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。そして自分自身に対して持たなければいけない。
相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに感じることが大事ですね。」(182ページ)
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「中国のことを考える時」という言い方にある種の失笑を禁じえません。なぜなら、彼の筆名の由来は「「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ているからです。最初から日本を中国の下に置くごとき発想です。その作家人生が、中国に尻尾を振るところに端を発している。
そもそも現在の中国と孟子たちが文化の華を咲き誇らせていた時代の中国と同一視するのが間違いです。
「史記」の著者司馬遷(しばせん)は中国前漢時代の歴史家ですが、現代の中国人や中国人たちとはなんの関係も有しません。彼らは後漢の時代に、ほぼ滅び去っているのですから。司馬さんも多くの日本人と同じく、誤解に基づく中国への思い入れがあるようです。すなわち未だ孔子、孟子、老子、など偉大な思想家たちに連なる民族が住む文化的に偉大な国である、と。いいえ、実態は文化後進国です。2000年前、中国を形成していた民族とは似ても似つかぬのが現在の中国民族です。
日本は遣隋使、遣唐使が持ち帰った無数の漢籍を虚心に学び血肉にしましたが、その恩義を現在の中国や中国人に負っているわけではありません。日本が恩恵を受けたのは異なる民族からです。そもそも中国は異民族の集合体国家であり、孟子たちを綺羅星のごとく送り出したのは現在の文化貧しく、精神の格低い中国人たちではありません。そして、日本が文化を頂いた中国を、司馬さんのように批判もなく崇め奉っていたかというと、そんなことはありません。吸収すべきは吸収して、しかし唐の朝鮮半島侵略に危機感を抱いた日本は、即縁切りをして、外交再開は日清修好条規(1871年)からです。 日本が大切に保存、日本流に消化して血肉と化したのに比して、中国は文化とは隔絶した異民族が支配、中国文化の粋を身に着けているのはむしろ日本人であり、中国人はとっくに漢文の素養を喪失していました。しかし彼らはそれは認めず、孔子や孟子の血脈にあるごとき嘘を並べ立てます。孔子や孟子が彼らの精神性に生きているならば、チベット弾圧はあるはずもありません。嘘つき民族です。 そもそも異民族の集合体国家に、単一の言語など存在したことはありません。異民族集合体で地方により言語が異なる中国で、漢文が統一文化として中国に影響を及ぼしたこともありません。 むしろ、日本が中国に影響を与えました。← 記憶しておいてください。 魯迅がその中の一人ですが、日本に留学した彼は日本人が四書五経をスラスラ読みこなすばかりか暗唱さえしていることに、息を呑みます。日本の漢文を模写しながら彼らは会話体の言葉(白話運動)を編み出した。 かつての日本人のインテリなら多くが手にした「阿Q正伝」(魯迅)すら読んだことのある学生は皆無という調査(北京大学)日本では中国教養の定番である「三国志」「紅楼夢」「水滸伝」すらほとんど読まれず放置されているというのが中国の現在の文化レベルであり、古来の中国文化を忠実に引き継ぎ尊重しているのは、むしろ日本人なのです。レ点など編み出しながら、平仮名、片仮名と融通無碍の日本人の感性が中国の文字を守り抜いて来た。 その結果、魯迅や胡適が推進した中国の文学革命が起こるのですから、日本が中国の言葉に影響を与えたのです。日本人は恩着せがましく言い立てませんので、知る人は少ないのですが、これが韓国だった大騒動でしょうね、ウリたちが現代中国語を作ってやったニダ、と。 (余談に逸れました)
さて司馬遼太郎の中国信仰ともいうべき心情に立った、中国への敬慕と決意を「自己意識の相対化により、他者、他国の痛みを感知しようとする良心と誠実さ」とでも褒め称える層がいるであろうことは容易に予見出来ますが、稚拙です。
なぜなら・・・
司馬の思考形態じたいは、思春期の(言葉を変えれば未熟期の)純粋さに満ちてはいますが、いかにも稚拙。この思考の前にひとたび「他者」を置く時、もろく崩壊してしまうのだから。
世界は思春期の思考を受け入れるほど、清くも良心的でもありはしない。常に腹黒く奸計に満ちていて、そこでは反省や自省など食い荒らされる獲物でしかなく、悪いと思うなら謝罪と金よこせと、「誠意」を見せな、とヤクザ外交カードに即すり替えられるのがオチ。
そして、このての幼い自省家、反省家の特質は、相手の非は見ない、見えない。必然的に、しなくてもいい謝罪をさせられ、そして世界は、いったん謝罪などしたら、それに対してペイし続けていかねばならぬほどにも邪悪です。こちらが誠意を見せたら、相手も腹を割って誠意で接してくれる、というのが司馬遼太郎という永遠の思春期少年の姿勢ですが、幻想でしかありません。それは大人なら、対特ア3カ国のみならず、ロシア、アメリカ・・・。したたか思い知ってすぐ悟る事柄であり、それが成長するということです。
対個人ならまだしも、韓国や北朝鮮、中国という特殊国家を前に良心や誠意など、寄ってたかって食いつくされる臓物の如きものでしかありません。司馬氏の過失は、ひたすら自省的で誠実で相手本意に考える思考を外交の場に敷衍した愚かさにあります。
大人なら瞬時に理解出来ることですが、しかし大人になりきれない永遠の精神的未熟児ともいうべきハンパ大人はいるものです。日教組の自虐史観が最も効率良く植え付けられていた団塊の世代をピークに、日の丸、君が代を拒否する精神的未熟児たちがそうです。
「良心」や「誠実」「反省」を日の丸の代わりに掲げ、侵略を象徴故に国旗は忌避すると言いながら、相手国の侵略や残虐行為には言及せず、相手の国旗も国歌も否定せず、ひたすら自国を貶め相手国からの謝罪に応じ、払う謂われもないお金を払い続ける。しかも、貶めてやまない自国からお金を頂きながら。退職後の暮らしの保障を受けながら。胸の悪くなるような卑怯な連中です。
外交は汚く熾烈な駆け引きです。それを良心や誠実とごっちゃにする。相手も同じ良心と誠実さを持つであろうという思い込み。
自省を表に、それに中韓から付け入れられ、奪われ叩かれそれをよしとし、自分たちの「誠実」ゆえに他の日本人や子供たちまで巻き込んで被害者にしているという自覚もない。中韓の悪辣さが暮らしを痛打するのは生活不安定な一般層なのに、公務員という安定した国家保障の繭の中で国家に依存しつつ、毀損し続けその矛盾にも、誠意の欠如にも気づかない。
頭が悪いのです。受験脳ではない、本質的な頭の出来。
司馬遼太郎は物語の紡ぎ手としては最大限に優秀ですが、頭の悪い作家です。素で奇妙な発言をしなければ価値はもっと高かったのに。
以下余談。高学歴だが頭が悪い男の例。
野田内閣で法務大臣を短期務めた平岡秀夫。元大蔵省の官僚。
大津市のリンチ殺人事件の犯人に対して「それなりの事情があって、そういうことになったと思う」と発言。
この者の思考によれば、今回のイジメ事件もイジメた極悪少年3人組にも「それなりの事情」があるのでしょう。
死刑執行慎重派。頭が悪い自虐史観の持ち主は常にハンパな道徳家であります。
平岡秀夫の売国略歴 赤字はべべこツッコミ
日本の外交はいかなる国家も敵視せずに平和主義を掲げ、←相手が敵視しても言うんかい。握手しようと差し出した手を切り落とされるのが関の山。 国際問題の解決は出来る限り平和的な手段で解決するよう主張している。← 机上の空論。また日本の安全保障に関しては、国連が中心の集団的な安全保障に頼るよう主張している。← 国連はしょせん戦勝国団体。日本を敵国扱いする韓国の が理事長に居座って、日本はお金だけ出させられるATM扱い。 2008年、日朝間の国交正常化をめざす朝鮮半島問題研究会の立ち上げに参加した。←国交成立には互いが国際法遵守の立場でないと成立しない。 2009年6月19日、衆議院本会議において、ソマリア沖の海賊から日本籍の船舶を保護するための海上自衛隊の海上警備行動や、ODAによるソマリア国内情勢の安定をめざす海賊対処法案への反対討論を行った。← 自衛はなんでも反対。 2011年10月25日の法務委員会において、韓国による竹島の不法占拠に対する見解を問われたが、終始して「外務省が管轄する問題」と回答した。← 答えないということは、竹島は韓国の領土であるというご意見らしい。 パチンコ換金合法化を訴えている。←上記含めて見事なまでの朝鮮脳の持ち主。以下も見事な売国づくし。
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟 日韓議員連盟 朝鮮半島問題研究会 北京オリンピックを支援する議員の会 民主党娯楽産業健全育成研究会(常任幹事) 戸籍法を考える議員連盟これだけ朝鮮万飾艦だと・・・・日本人なのか? とお約束の問いを投げかけたくなりますね。
以上、僭越にも司馬遼太郎という国民的作家を遡上に載せましたが、記事の要諦は自虐史観の愚かさについてです。司馬さんの作家としての側面を貶める意図はありません。物語性の欠如故に大衆性が薄く、人口に膾炙しませんが「空海の風景」は珠玉の作品です。
抑えた筆致で、司馬節ともいうべき文章を編み上げていますが抑制ゆえにかえって華やぎが透けて見え、男の色気がにじむ、そんな文体です。「空海の風景」に関して言えば文章も超一流です。