「反戦平和」は結構なことで、広島、長崎、沖縄もそう唱えて戦のない世界になるのなら無問題だけれど、世界はそう甘くはなく、不戦平和を叫ぶその口の中へ銃弾を撃ち込まれるのがこの世の実相です。不戦を叫び武器持たず手ぶらでいれば国際的なひったくりにあって、下手したら命も奪われかねない。
外交は心情で動いているのではなく、利害で動いていて、そこは勝つため獲るための奸計、嘘が存在するのは常識です。日本だけきれいぶっていても、世界は汚く腹黒い。
長崎が平和を唱え、非核を叫んでいる間に対馬は韓国人が溢れ傍若無人、土地は着々と買われつつあり、世界平和のその前に、自らの足元を見よ。広島は広島で「過ちは繰り返さぬ」と念仏を唱えながら、過ちを犯したのは日本でもあるまいに、一体誰を指して言っているのか、聴く耳とて世界には存在しないものを。毎年虚しい祭典。吉永小百合という反戦女優が、長年従事している割には演技力のつかない下手っぴな反戦詩の朗読で、二度と戦争のない世界をと訴えるが、誰も聞いちゃいやしない。
沖縄も、何度か拙稿で触れているけれど、沖縄の民全員が基地に反対しているわけではなく、それは宜野湾市長選で、基地反対派の男が僅差ながら、基地賛成派の候補に敗れたことでも如実に解る。本土から移り住んだ運動家を含めた者たちが自衛隊反対を言うけれど、沖縄の民全員がそれを訴えているわけでもなく、第一日本から自衛隊と米軍基地を無くして、一体何が国家の安全を守ってくれると考えているのか、愚かにもほどがあろう。
基地反対と賛成派が、ほぼ半々で拮抗していること明らかなのに、何やら基地反対、自衛隊嫌悪、本土憎しのイメージが強いのは、とかく反対派の声が、本土から入り込んだ運動家どもの煽りで声高なのと、地元の二大紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」のあたかも、日本に敵対する外国の新聞の如き論調にもよる。この両紙を「イデオロギーに凝り固まった」「知的怠惰による知的欠陥」を持つ新聞だと喝破したのは櫻井よしこ氏である。
その桜井氏が沖縄の知的媒体として推奨しているのが「うらそえ文藝」であり、そこの編集委員の星雅彦氏と、宮城龍彦・沖縄大学教授(社会学)、そして評論家の津嘉山武史氏である。津嘉山氏はケビン・メア氏の「沖縄はゆすりたかりの名人」だと言い放ったとされるのは事実ではなく、左翼活動家で弁護士でもある猿田佐世という女性の罠にはめられたものだと暴露している。(かといって、べべこ的にはメア氏の言葉はさして的外れの誹謗だとも思わないけれど)
「うらそえ文藝」における宮城・星両氏の巻頭対談では「沖縄的なるものの偏狭さが語られ、甘えが分析されている」と櫻井氏は言う。
宮城氏は1972年、沖縄復帰のとき小学校6年生で、その世代に共通の「私は日本人か沖縄人か」という問題意識があった、と宮城氏は述懐するが、今の沖縄の若者は「自分は日本人というよりは沖縄人と言いたい」と主張するそうで、それを宮城氏は彼らの甘えだと突き放す。
「日本人であることに疑いをもつ必要がなくなった彼らが、そういった主張を許してくれる日本という国に甘えている結果だ」というのが宮代氏は斬りこむ。そうした世論形成に寄与してきたのが「琉球新報」と「沖縄タイムス」である、と。
国旗国歌に礼を尽くすべきではない、という発言すら許してくれる祖国の寛大さに甘えて、言いたい放題したい放題の左翼教師どもとも共通する今どきの沖縄の若者のタガの緩み方であり、甘えでしょう。国家とは本来、そのように甘いものではなく、シビアに突き詰めれば命まで賭けざるを得ない問題です。日本人ではなく沖縄人だと名乗りたいなら、日本と戦争をしても独立を勝ち取り、いやその前に日本からの莫大な支援を断る気概を持たねば。貰うものは貰うために手を差し出しながら、一方の手で日本を払いのける。これでは道理が通りません。
沖縄の、偏ったキャンペーンを貼り続ける二大紙はしかし「国を動かすようなところにきている」(星氏)
それに味をしめて、次々に策謀するメディアが存在し、自己の捏造を許容し、他者の捏造を批難する」(星氏)
「反国家・反権力、日本に対する根強い異質感」と星氏は現代の沖縄の思想の特徴に言及し、「沖縄はこの風土の中で異論を封じ込めて来た」と指摘する。
櫻井氏は書く。「異論を唱える人物には二大紙が先頭に立って、物事を捏造し非難し、凄まじい人格攻撃を行なってきた」
・・・まるで、某大宗教の新聞のようですね。宗教的捏造プロパガンダと、攻撃は左翼も宗教も似通うのかもしれません。
被害者であると自らを規定したところから始めると全て、他者のせいに出来てラク、その上賠償を要求できる、という構造はあたかも中韓と似通いますが、中国と沖縄との親和力もゆえないことではないのかもしれません。
そもそも実在もしなかった、強制された慰安婦をネタに日本をゆすり続ける韓国。
実在もしなかった集団自決などをネタに日本をゆする沖縄。
しかしながら、プロパガンダ二大紙の傍ら、極めて正当な論を載せる文芸誌があることに櫻井氏は「大きな希望を抱き続ける」と書いています。
・・・弊ブログでは、それほど楽観的にもなれないけれど、しかし中国や韓国の国民がいつか覚醒して真実を見るようにならぬか、と願うよりは、まだしも現実感はありそうな。
以下、「うらそえ文藝」に関するサイト
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/44c25e1915747cf43bee6c3322278101
抜粋<私はこれまで、沖縄県民の中でも名の通った言論人が、これほどメディアと左翼運動を赤裸々に批判した出版物を読んだ事がありません。星氏の心境に大きな変化を与えた出来事が有ったように読み取りました。
新聞社が急激な経営難になっている事も関わりがあるかも知れません。書庫に残すべき一冊です。S・N >
△集団自決 軍命令ではなかった
1/2【沖縄集団自決】うらそえ文藝・星雅彦氏、1フィート運動・上原正稔氏に聞く[桜 H21/7/27]
2/2【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」−『うらそえ文藝』会見・後半[桜 H21/6/15]
自らを優位におくために被害者という位置に置く、こういうパラドキシカルでもあれば、かつ卑劣な交渉カードは中韓の特徴ですが、沖縄も長くそうでしたね。
沖縄にはしかし、戦後67年という長い歳月の果てにやっと真実を語り始める勇者が現れ始めました。
時の流れというものは時として不動の壁をも、穿ち打ち砕くことがあります。中韓の中に、微弱ながら萌芽するものを見ることもあります。それがこの先どう伸びるのか立ち枯れるのか神のみぞ知る。
・・・さて、奇妙なことに論にも満たぬ稚拙な罵りがコメント欄に来るのはKARAと沖縄に関する記事の時です。韓流の他のタレントを取り上げてもそうでもないのに、KARAに食いついてくる。総連・北朝鮮関係者が多いのか? 沖縄には、まさしく2大捏造キャンペーン紙に染まった被害者フリークがいるせいかもしれません。コメント欄の削除はできる限りせず営んできましたが、このところ読者数が膨大になっていてそれにつれ、鬱陶しいのが這い出てくるようになり、面倒臭いので問答無用に削除させていただくかもしれません、悪しからず。異論反論は尊重しますが「論」に満ちていないものは、お相手するのが面倒だし、そのエネルギーを次の記事を書くことに当てたほうが生産的だし。
と言いつつ、当分の休止モードには相変わらず入りつつあるのですけれど。