誇リ高キ大日本帝国 「日本とある国のお話」
戦火の火蓋が切って落とされたとき、パラオの男たちは話し合い、自分らも共に闘わせてくれと日本軍に名乗り出る。
「お前らごときとそんなことが出来るか」と侮蔑的に怒鳴られ、パラオの青年たちは裏切られた思いで悔し涙を流しながら
疎開の船に乗り込む。昨日まで苦楽を共にした日本軍の見送りすら無い。
船が沖に向かって進見始めた時、浜にいっせいに駈け出してきた兵士たち。
彼らは船に手を振り、日本の歌を声を張り上げて歌った。
そう、日本軍が彼らを冷たく断ったのは、玉砕を覚悟の闘いにパラオの人々を巻き添えにしたくない一心だったからなのだ。
戦は日本軍の惨敗に終わり、横たわった日本兵のご遺骸をパラオの人たちは泣きながら
埋めた。
動画の5分39秒前後より碑文
この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
あなたが日本の国を通過することあらば
伝えて欲しい。
この島を死んで守った日本軍守備隊の
勇気と祖国を想うその心根を・・・
ペリリュー島守備隊長、中川大佐の遺影と遺品は靖國神社の資料館「遊就館」に展示されています。
日本と日本軍を愛し敬った人たちは多い。アジアの植民地を自由の天地へ解き放ったのは日本だ。世界には親日国が多い。
ペリリュー神社
所在地 パラオ・ペリリュー州 主祭神 天照大神ペリリュー島の戦いで戦死した日本兵・軍属 創建 1944年(昭和19年)
碑文の作者はしかも、敵のアメリカ人なのです。
ペリリュー神社の境内には、日本軍の戦いぶりに衝撃を受けた太平洋艦隊総司令官のチェスター・ニミッツの作として
「諸国から訪れる旅人たちよ 、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い 、そして玉砕したかを伝えられよ 」米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ
「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island. Pacific Fleet Command Chief(USA) C.W.Nimitz」
という文字列が彫られた石碑(1994年に建立)がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
敵をして見事だと感嘆せしめる、これぞ大和魂の面目躍如たるところでありましょう。
日本人の性根よ目覚めよ。
大和の民は温和なるも、ひとたび立ち上がるや烈々たる気迫に満ちてありき。