深田匠さま
まず、ご本人であるということを前提にお応えします。
こちらには、成りすましで人をひっかけようとする心根の
卑しい連中も来るので疑わしい書き方をお詫びします。
つい最近も、ちびっこデビルなる“皇室批判は一切許さず”という
ファッショ結社のごとき一味が、柏餅の名で現れ拙ブログ主を
詐欺的にひっかけようとしたことがあったばかりです。
もう一つお詫びは、最初のコメントに気づかなかったことです。
首尾結構の整った文章なのに、なぜか原因不明なのですが
目を通していませんでした。
皇室批判、なかんずく東宮夫婦批判(呼称は敢えて間違えています。正式な尊称を使う気になれず。以下同様)を始めてからもう数年経つのに、拙ブログに対しての批判文でまともなのが来た試しがないのです。
瞬殺で論破可能な拙劣なものばかり。
東宮擁護派バカばかりという格言が成り立つほどに。
考えればそれも、故なしとはしないのであってまっとうに皇室を見る知能が
あれば、擁護は根っから無理。語るほどに矛盾を露呈するといった、ていのものばかりでした。
やっと、まともにお応え出来る批判文を得たことにまずは、感謝申し上げます。
お答えする前に、深田氏の玉稿を紹介させて頂きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・以下
秋篠宮殿下の次期天皇御即位待望論に賛同します (深田 匠)2016-07-09 21:53:34
秋篠宮殿下に次の天皇としてご即位いただきたいというBB殿のご主張に全面的に賛同します。
パックス・アメリカーナによる世界秩序は終焉を迎えつつあり、かねてよりS・ハンチントンが主張するところの文明の衝突(西欧文明VS中華文明・イスラム文明)も激しさを増しています。
「イスラム国」などイスラム過激派によるテロもまた文明の衝突の一環です。
アメリカの力の衰えによって生じたパワーバランスの空白を中共が時代錯誤的な覇権主義によって埋めようとしています。
その中華覇権拡大を阻止することができる国力と地政学的ポジションを併せ持つ世界唯一の国がこの日本です。
21世紀前半の世界は覇権の循環によって混乱・混沌の時代が一定期間続くでしょうが、この「文明の衝突」を調停できる唯一の国もまた日本だけなのです。
ハンチントンは世界の文明を8つに分類し、その中で日本だけが「国家の国境=文明の境界線」である唯一の国であることから「文明の衝突」による国際的な勢力争いからフリーであり、神道に由来する万物共生観を持つ日本文明は人類全体が目指す普遍的文明に最も近づいていると指摘しました。
人類史的観点においては、中共の覇権主義的野望を打ち砕き人類が平和に共生できる「次の時代」をつくる使命を日本は負っていると私は思慮しています。
そして安倍政権が進めている対中包囲網を基軸とする国際戦略は、まさにその人類史的使命に沿ったものであると私は確信しています。
日本という国家がその使命を果たすにあたっては、そのバックグラウンドとなる最大の「パワー」は世界最古の王家である日本の皇室が持つ圧倒的尊厳です。
核兵器のような類の「パワー」であれば北朝鮮ごとき最貧国ですら有することができますが、力による「パワー」はそれを上回る力によって押しつぶされるのが定石です。
軍事力や経済力を超越したところにある尊厳の「パワー」は、普通の国が持ちたくても持てるものではありません。
人類全体が平和に共生できる唯一の普遍的文明たる神道文明、その文明を体現し神道の最高位の司祭でもある天皇家の存在は、日本のみならず人類全体の大切な「財産」であるといえるでしょう。
中共や北朝鮮のごとき嘘の上塗りで建国された人造独裁国家がいくら毛沢東や金日成を神格化しようとも、決して真似ることすらできない本物の神性がそこにはあります。
しかし間違ってはならないのは、その神性は受け継ぐべき素質や人格のある人物が皇位につくことで一層輝き増すものであり、兄だからといって愚鈍な人物を盲目的に優先することは日本の国体に傷をつけ日本の使命が果たせなくなる可能性が高くなるのです。
典型的な愚かな兄の例は鳩山兄弟を見れば一目瞭然ですが、私は鳩山由紀夫なる人物は日本の憲政史上最低最悪の異常者であったと確信しています。由紀夫が総理になった結果、日本がどれだけ大きなダメージを受けたかは皆さんもよくご存じの通りで、今さら言うまでもないでしょう。
馬鹿が日本を代表する地位につくことは取り返しのつかない国益侵害を生じさせます。
現皇太子および雅子妃は諸外国の王族貴族や海外マスコミから馬鹿にされています。その理由はこちらのブログで色々と取り上げられている通りで、まさに国恥としか言いようがない異常さです。
さらに看過できないのは、ここに具体的に書くことはできませんが私の得ている情報では、中共の工作機関が皇太子の取り込み(事実上の傀儡化)のために水面下で様々な工作を進めています。
日本はシナの属国となることを拒否して独自の文明を構築してきた国です。それは聖徳太子以来の日本の伝統であり国是でありましょう。
ましてや日本が中共の覇権拡大に対峙していかねばならない熾烈な時代に、中共のシンパと化した自虐史観・護憲派の天皇即位など絶対にあってはならないことです。
しかし現実問題としては、現皇太子を廃太子するには皇太子自らが自主的にその意志を示さないと難しいでしょう。
そのためには「雅子妃に皇后はつとまらない」という不動の客観的事実をもって、国民運動として秋篠宮殿下の即位待望論を大きな世論にしていく必要があるでしょう。
そのような提言、そのような国民運動は、保守派こそがやるべきことであると私は思います。
左翼が廃太子を求める運動をやっても世間は「ああ、恒例の天皇制ハンターイの変化球か」としか思いません。
日本の次代、世界の次代を真剣に考える心ある保守派が皇太子の廃太子を求める運動を主導すべきであり、そういう意味でもこちらのブログは重要な存在であります。皇太子夫妻のあきれた実情をタブーなく公開するこのサイトの情報は国民啓蒙の推進に役立っています。
私も現在執筆中の次著ではまるごと一章をさいて、現皇太子の廃太子および秋篠宮殿下御即位待望論を記そうと考えています。
その際には参考サイトとしてこちらのブログも拙著で紹介させていただこうと考えております。
真の皇室問題とは、女系云々を論ずるよりも先に「この常軌を逸した皇太子夫妻が天皇・皇后になることを受け入れられるのか」という点こそが問題です。
私はこちらのブログに掲載されている各記事の記述の全てに賛同するわけではありませんが、皇太子夫妻および秋篠宮殿下に関する記述については基本的に全面的賛同します。
BB殿、今後とも一層のご奮闘をお祈りいたします。頑張ってください。
作家・国際政治学者 深田 匠
但し、私の今上陛下・皇后陛下に対する見方はBB殿とは異なります。私は今上陛下・皇后陛下は崇敬しており、「皇太子とその系統に皇位を継がせようとして皇后陛下がよからぬ策謀をしている」というBB殿の見解は深読みのしすぎのように感じます。
ただ、どのような見解を持たれるかは個々の自由ですから、BB殿に対し両陛下に関する見解を変えろとは申しません。
1つだけ、あくまでも世論を味方につけていくための戦略・戦術論の観点で言わせていただくなら、秋篠宮殿下への支持を広げる国民的世論形成を目指すには、両陛下への批難は封印されるほうがよいと思います。
両陛下を敬愛する多くの国民の共感を得られなくなってしまうと、第一目的である廃太子への支持も得にくくなります。
両陛下への批判は控えられて、皇太子夫妻(特に雅子妃)の呆れ果てた異常な実態を広めることにのみ焦点をしぼられるほうが、より多くの人の共感を得やすいと思います。
こちらのサイトは皇太子夫妻の問題点を見事に指摘・検証されてまとめておられるだけに、唯一その点が惜しまれます。
現皇太子の廃太子を望む同志からの提言としてお受けとめいただければ幸いです。
深田 匠 ・・・・・・・ここまで
整然たる文章であり(というのもプロの方に不遜ですが、余りにも文章未満の拙劣批判ばかり受け取って来た過去からして、実感です)過不足のない内容であると拝読致しました。
拙ブログ主の基礎的立ち位置は、ほぼ深田氏と同じかと思われます。
ただ、天皇陛下崇拝が深田氏他の保守の方々とBBが異なる点は、無条件崇拝はしていない・・・・・してこなかった点にあると思います。
日教組の教育のせいか、性格によるものかは解りませんがブログ主の天皇家への感性は、日本人のDNAがもたらす本能的な畏れに根ざすものではなく、まず日本ありきで、日本が好きである、大事にしたいが先行してのことです。
つまりは、日本大事に想うなら皇室は必然である、と順序に於いてじゃっかん差異があろうかと思われます。しかし、皇室大事は同じでもその出発点に於ける差異が重大であって、それが深田氏と拙ブログ主との見解を分けているのだと思います。
日本ありきで、そのために天皇が必要である、と「頭脳」からのアプローチによる天皇崇敬がブログ主で、初めに天皇ありきではありません。
これは思想的体質ともいうべきことでしょうが、それゆえ盲目的尊崇から自由です。東宮夫妻のありようについて、比較的早く気がついたのはそのせいでしょう。無条件崇拝という感性がないので。
まず皇室大事というのが前提にあれば、必然的に東宮批判に行き着きますね。
これにはご異存がなかろうかと思われます。
しかしその東宮と、考えられない不出来の妃がなにゆえに存在したかを考えると、天皇皇后両陛下、なかんずく元正田美智子さん(敢えてこう表記します)に
行き当たらざるを得ませんでした。
拙ブログを過去から読んでくださっている方はご存知のようにもともと、天皇皇后両陛下に対しては尊崇の念で振り仰いでいました。
いささか観念論に走り過ぎてはいますが、とりあえずこちらの過去記事がその辺りの消息を表しているであろうと思われます。
いずれも、かくあるべき皇室にあらまほしき天皇皇后両陛下という観点から綴られたものであり、無邪気に両陛下を仰ぎ見ていた時期です。
とりわけ皇后陛下の、光彩陸離たる言葉への感性と和歌の天才(希代の歌詠み人であらせられます)、和服の趣味の高さなどは、尊崇以外に敬愛も含んでのことでございました。
話題を深田さまの文章に戻します。
Pax Romanaから Pax Russo-Americana、 Pax Americana と至る
観点から論じたことこそございませんが、 S.ハンティントンの「文明の衝突」は、拙ブログでも取り上げ、7~8つに分けられた文明圏の、一人日本だけが単独で文明圏として屹立していることも承知です。
そして、日本文明の根幹には神道がありその神道を統べる存在としてのスメラミコトがおわし、その頭上にはアマテラスオオミカミが燦燦と輝きおわすことも。
核の抑止力に支えられたPax Americana の黄昏、キリスト教文明、イスラム教文明の行き詰まりと終焉・・・・人類の争い史上では害でしかなかったそれらの存在についても、述べて参りました。
行き詰った地球で、一つ泰明の燭光となるものがあるとすればそれは神道を基盤とした、「日本の精神」であろうとも。
深田氏と唯一意見が分かれるのが、その神道の頂点に立つ存在を今上陛下とはもはや思わぬのが拙ブログ主です。立つべきなのに、立たれていない。
救いは秋篠宮殿下にあり、秋篠宮殿下が皇位を継承する辺りから、日本が整い始め、悠仁親王殿下が天皇として立つ御代に日本は秩序を取り戻し、天皇としての悠仁親王殿下を表象の頂点として、日本は世界への良き発信者となるであろう・・・・と過去、述べましたが現在でもその思いに変わりはありません。
述べたとおり、途中までは深田氏と同じ思考と感性の道筋にありました。
しかしながら、東宮の体たらくを考察するにつけその源を考察せざるを得ず、となれば必然的に、「ご両親」であられる両陛下の存在に目が行きます。
この思考自体はお解りだと重います。
まず雅子さんという、あり得ないあってはならない娘の入内に疑問を持ちました。それはいくつかの意味での不適合者だということなのですが、その中の一つ、客観的に見てもまずかったのが水俣に連なる家の娘であるということでしたが、それを詭弁で乗り切ったのが団藤重光であり、この人物がカトリックであることに、疑問を抱きました。
ご承知の通り、GHQが日本毀損のツールとして用いたのがキリスト教です。
そして、正田美智子さん入内の年の国会議事録に残されてあるように、自民党議員・平井義一氏が正田美智子嬢入内にあたって動いたのが全員キリスト教徒である不自然さを追求しています。
神道の祭祀王の「家」に嫁ぐ娘を担ぎだしたのが全員、キリスト教徒であるという偶然の域を超えた不自然さ。
そして、美智子嬢の父方祖母が帰依していたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックが中でも、美智子嬢入内の立役者であったこと。正田美智子という女性のエンペラーズパレスへの輿入れをアメリカ側が知っている時に、日本政府が知らなかったという奇怪さ。
そして民間からの嫁という現代視点から見ればすんなり受け入れられることも、当時は実は驚天動地、相当の抵抗と批判があってしかるべきなのに、それが皇居内の反応は除いてすんなり受け入れられた不自然さ。
いかに敗戦後の、日本国民の意識が変質していたとは言え、ついこの間まで「神」の位置におわしたお方にいずれなられる方の伴侶が「粉屋の娘」。尤も、粉屋の娘という侮蔑的な言い方が存在していたところを見ると、それもまた国民の受け止め方の一つではあったのでしょう。
美智子さん(敢えてこの呼称)、雅子さん(同じく)と、平民上がりが二人共失敗したことを思うと、血脈の大切さを思わざるを得ません。
ちなみに秋篠宮殿下妃、紀子殿下は欧州の価値観では「騎士(ナイト)」の
お家柄で、それなりの扱いを受けておいでです。美智子さん雅子さん共に、
貴賤結婚の女性、つまり賤しい家の女扱いです。
遺伝学的問題を除けば、やはりしかるべきお家のお姫様を娶るべきであったかと、現在の体たらくを拝見するにつけ、その思いがよぎります。
とはいえ、美智子さまのまとった神話に幻惑されて、美智子さまの
なんとも言えない下品さが目に映じるようになったのは、最近のことです。
所作に滲む媚びも今やっと感知しています。
しかしながら「粉屋の娘」というのは実はもっと深い意味を含んでいます。
というのは、アメリカ産の小麦粉を敗戦国日本に売りつける傍ら、日本人の食生活の変革を目指したGHQが目をつけたのが正田醤油であり、実は美智子さん入内の前にまず正田家がGHQと結んでいたという事実。
ここに至るまでの考察は、さまざまな角度から画像とデータを添えて幾つもの記事がございます。
紛れも無く正田美智子さんはGHQによる仕込みだと断定します。
GHQは更にOSSへと遡り、黄色人種蔑視者であったルーズベルトの
奸計はすでに、日本を武力で叩き潰しても皇室は利用しながら
生き延びさせるという構想がありました。
思えばありとあらゆる手段で日本弱体化を綿密に構想し、呵責無く
やり遂げて行ったGHQが、皇室を手付かずで置いておくことはないのです。
最も日本の日本たる要が皇室なのですから。
深田氏が、両陛下を崇敬なさる理由をお聞かせ願いたいのです。
何をもって崇敬なさるのでしょう?
崇敬には2つの側面がございます。
何があろうと、仮に天皇が殺人を犯そうと天皇であるとというそのことだけで、
無批判に尊敬申し上げる。これも一つの方法論でしょう。
誤解をおそれずいえば、その精神こそが皇統を今まで繋いで来ました。
神の血脈であるがゆえに、批判は無用。不敬罪の発想です。
それも、解るのです。
もう一つは、真に人間性やその才能、品格、容姿などの付加価値を含めての
心からなる尊崇。
いずれでもよいと思うのです。大事なのは日本という扇の要に
天皇陛下がおわすこと。それが単一民族として延々とここまで
来た理由でもありました。
但し・・・・・一番目の問答無用の尊崇は皇室それ自体に自浄作用があり、
お上に厳しい諫言をする、忠臣がいてこそのこと。現在は
美智子女帝が皇室ヒェラルキーの頂点に君臨、天皇陛下を率いているという
病んだ状態にあります。それは皇后の中の「男女同権」意識であり、
GHQのベアテ・ゴードンなど日本をよく知りもしない、元GHQメンバーの
浅き男女同権論と軌を一にします。皇后陛下の盟友である
緒方貞子もその一人です。
さればこそ、皇后が天皇に身を接してひっつきまわり、肘を掴み同等に肩を
並べて歩き、手は天皇より高く掲げ、どうかすると天皇より先立って
闊歩なさいます。ふと漏れる平等意識の現れでしょう。
しかしながら、宮中は「正しい」男女不平等で成り立っています。
それは祭祀が皇室の最大のraison d'êtreだからです。祭祀王は生理的にも
安定した男性でなくては、つとまりません。
生理出産という不浄も、宮中内の特殊な潔癖感では許されざること。
禁裏の特殊な価値観を、近代的男女平等論で捉えることの浅薄さと誤りを、
ご承知ではない深田氏ではないと思います。相撲という神事の土俵という結界内で、男女平等など論じるは烏滸の沙汰。
しかしながら、端的に申せば今上陛下、皇后陛下ともに、GHQの洗脳により
今や皇族の顔をしたエイリアンにおなりです。日本の国体を損ねます。
皮肉の意味ではなく、深田氏のお言葉の援用をお許しくださいませ。
「神性は受け継ぐべき素質や人格のある人物が皇位につくことで一層輝き増すものであり、兄だからといって愚鈍な人物を盲目的に優先することは日本の国体に傷をつけ日本の使命が果たせなくなる可能性が高くなるのです」
まさしくこの文脈における「兄」が今上陛下であり、神性を継ぐべき弟は
常陸宮様であられ、皇后陛下は由緒あるお家からお嫁ぎの華子さまであるべきでした・・・・・というのは、いささか常陸宮殿下への過褒であろうかと思いつつも、今上陛下と皇后陛下のあたかも、左翼運動の夫婦めく言動を拝する時、常陸宮様が遥かに従来の天皇の座に近い、とは思います。
かつて皇后陛下が天皇は国民の象徴であるという憲法の条文に触れられ
「一人の人間が象徴であることなど出来るでしょうか」(大意)と問い返された由、
個人名で発表されております。
実に「半端利口」な小賢しい発言であると、拙ブログ主は受け止めました。
まず、象徴否定は、憲法否定ですね。
ところが皇后陛下は九条の会の左翼連中や元GHQメンバーと親しく交わり、言外に平和憲法護持・九条堅持をほのめかしつつ、しかしその事自体が憲法違反である矛盾にお気づきではありません。
それは天皇陛下も同様です。政府の頭越しに李明博に親書を渡され、平和憲法護持を折りに触れ主張なさるのは、自家撞着です。堅持なさりたい憲法が天皇の政治的言動を許容してはいません。
象徴であるというのは、皇后陛下のように賢しらげに
言葉を解釈することではありません。余計な事はせぬ、言わぬ。淡々と
祭祀を行い、国事行為をなさいませ。他の公務はなさってよし、なさらなくてよし。これに尽きます。象徴とは単に「自我を表に出さない」ことに尽きます。
さして困難なことではありません。
人権や女性の権利というごとき、西欧的一般の薄っぺらい人権意識で歯向かうから皇后陛下の述懐のように「伝統は時に人を苦しめる」というごとき発言となるのです。男女不平等、他からは因習とも思える伝統・・・・と、旧弊を承知で入内なさったのではないでしょうか。今更何をおっしゃる・・・・は雅子妃にもっと、当てはまります。
深田氏のお言葉にそって皇后陛下を拝すれば「軍事力や経済力を超越したところにある尊厳の「パワー」は、人類全体が平和に共生できる唯一の普遍的文明たる神道文明、その文明を体現し神道の最高位の司祭」の妻がカトリックという異教徒で務まるとお思いですか?
美智子様は洗礼済みと思っていますが確証はありません。しかし入内後も
聖イグナチオ協会にお出ましであり、母校の聖堂を頻繁に訪れていらっしゃいます。聖心や白百合に通った皇后陛下のご年齢に近い方々にうかがったのですが、洗礼を受けようと受けまいと感受性の鋭い時期にバイブルを読み賛美歌を歌い十字を切った感性は骨絡みあり、終生消えはせぬ、と。
まして正田家は一族郎党洗礼済みのカトリック教徒です。一人美智子さまだけが例外とも思えぬのですが、少なくとも精神的にはいまだ天照大神よりも心はゼウスにありと思うべきでしょう。
世俗レベルで、カトリックと神道あるいは仏教との融和はあり得ても、皇室という厳しき日本の神の庭にカトリックの神は降臨出来ません。唯一神はしょせん、神道の世界には存在し得ません。
ただ宇宙の根源神としての唯一神、Something Greatという形でなら
神道にも存在し得ますが、西欧の概念による人を罰する人格神とは異なり、
宇宙の営為そのものであることが神道と、キリスト教、イスラム教他との画然と
異なる点でしょう。神道の神は時に厳しくも懐は広いのです。
また天皇陛下も、少年期にGHQによる恫喝と洗脳により「軍事力や経済力を超越したところにある尊厳の「パワー」は、人類全体が平和に共生できる唯一の普遍的文明たる神道文明、その文明を体現し神道の最高位の司祭」では、もはやありません。
それゆえにこそ、両陛下を批判します。「天皇皇后を批判している」のではありません。「天皇皇后とは名のみで、もはや天皇皇后ではなくなった、自衛隊と国歌忌避の自虐史観左翼運動家夫婦」を批判しています。
両陛下や皇太子夫妻への批判を「好き嫌い」でしているなどと、愚かしい発言をする者たちもいますが、深田氏はむろんそのような浅薄な方ではないと存じます。
東宮夫妻に対してと同じく、その地位に見合うか見合わないかという判断です。
知能も品性も、標準を下回ってもそれは従来構いませんでした。誰かが補佐をし、忠臣が諫言をしというふうで皇室自らが廃太子から天皇の処断までやって来て自浄を繰り返しつつ皇統がつながりました。
ところが現在は、皇室ヒェラルキーの頂点におわすのは皇后陛下、女帝です。
天皇陛下を従えての、専横ぶり。チェック機能が皆無です。そのチェック機能を志したのが拙ブログ主です。
東宮批判の頃は一日に、3,4万人のアクセス、瞬間アクセスが200とか400であったのが、両陛下批判を始めたとたん半減して、現在に至ります。従って廃太子廃妃の「方法論」として両陛下批判は賢明ではないとは、実感として承知しています。
それならなぜ続けるのか。ブログ主は実のところ国民の声が高まって廃太子に至るとは思ってはおりません。最盛期の頃でさえ、アクセス数一日にたかが最大6万人。現在は2万前後。ピークの回にあってさえ、微々たる人数です。これで世の中変えられるとは全く思っていません。
しかし発信を続けるのは一人でも真実を知ってほしい、知るべきだと考えるからです。廃太子の「手段」としての発信ではないのです。
もっと率直に言えば、運動などしなくても皇太子の即位はないか、あっても短期に終わると見ています。それは多分に霊的感受性のしからしむる処であり、説明不能の領域です。しかしながら、その部分を否定すればそもそも皇室内祭祀も単なるカルトに堕してしまいます。
神々の采配はあると思っています。東宮に男女産み分けのエキスパートの医師がついても、ついに男子を神は授けませんでした。
従って、愛子天皇擁立もないと思っています。日本の神々を信じるならば。
しかし、それでもなお告発を続けるのはなぜか。告発により真実を知ることが
そのまま日本国民としての魂の向上、浄化、霊位のランクアップになると信じているからです。
本来の神道の息吹を感じるためには、魂の浄化が必要です。
人々の意識が神に添って向上する時、自ずと日本という依所も浄化され、
諸事相調うと思っています。
広めるための「手段」などいっさい考慮にありません。
何が真実なのか、ひたすらそれを考え、調べ愚直に問い続けて来ました。
計算が僅かにあるとすれば、そのつど記事の文体を卑猥体まで
駆使して、工夫はして来ました。
むろん民意の高まりとしての廃太子は大事なことなので、旗を振ってきたのは
事実ですが、それで廃太子成るとは思っていません。天皇陛下ご高齢により、時間が圧倒的に足りません。
皇太子が自ら廃太子を名乗り出ることはあり得ません。総理がある資料を持って宮中を訪れ「お退き下さいませ」という一言で解決の可能性はあると思いますが、総理はそこには踏み込まれないでしょう。ただ皇室典範現行のまま、ふさわしからぬということで突きつける材料は、心証としてあり得ると思っています。
傍証を積み重ねた挙句と、宮内庁に突きつけたその反応を見ながらの心証なのですが、心証は心証に過ぎず、しかし神の采配はあると思っています。
太一なる愚かしい皇室無条件賛美盲目派もそうでしたが、ブログ主の、「皇太子とその系統に皇位を継がせようとして皇后陛下がよからぬ策謀をしている」という点を、深田氏もこだわられるのですね。
これはGHQ関与による正田美智子さん入内の頃からの、膨大な検証の文脈と、傍証の積み重ねによるブログ主の霊感を含めての結論でもあり、訂正する気はありません。大いに有り得ることと思っていますが、太一やら深田氏がこれにこだわるところを見ると、アキレス腱なのでしょうか。
女性天皇肯定という事実が。実弟の嫁を使い、ウィリアム王子と悠仁親王殿下との対面妨害は事実です。
ただこれについて論争する気はありません。皇后陛下の皇祖神と歴代天皇、国民への大きな反逆と不敬の文脈の中では些細なことです。それが事実であろうとなかろうと。
たくさんある負の要素の一つに過ぎません。もっと大きな視野で皇后陛下の、裏切りは存在しています。ただ、女帝擁立には大きなカルト教団絡みが組織で存在しているという可能性は見ていただきたいのです。
あのカルト教団は日本のすべての分野に勢力を及ぼそうとしていて、皇室も例外ではありません。というより、GHQと同じく最も権勢を及ばせたいところでしょう。
皇后陛下の皇祖神と歴代天皇と国民への裏切りを深田氏がご存知の上での尊崇なのか、ご存じないがゆえの尊崇なのかが見えません。
たとえば明治神宮における祭祀で、神前に神官が奏上する時、天皇陛下のみ名が唱えられます。他の神社でもおよそ、環境は同じで天皇を否定した途端、根こそぎ瓦解する価値観、世界観があります。
これは厳密に言えば瓦解はないのです。なぜなら、先に述べたように今上陛下と皇后陛下はGHQの猛毒を浴びせられ、もはや皇族とは別のalienにおなりですから、神前で天皇を賛嘆賛美しても本来、矛盾はないのですが「現場」ではそうも行かぬのでしょう。
あと、感じるのが男性性と女性性が捉える天皇皇后とは違う、という点です。
世の中には、100%の男子100%の女子というのは存在せず、それぞれ
比率の違いがあるだけなのですが、当然のことながら女子は概ね女性性が遥かに男性性より勝っています。
その女性性は、変化や変更を恐れません。失恋で立ち直る時女性は
過去をいともあっさり脱ぎ捨てます。処女と性交した男がある種の
戦利品、記念品としていつまでもこだわるのとは違い、女性は
処女性を喪失した相手を後生大事に記憶したりはしません。
たとえが突飛ですが、男性というのは「頭脳で」論理構築とそれに従い
価値観の構築、理論武装が長年かけて行われるので、その瓦解に
極めて臆病です。
女性は間違いであったと気づいた瞬間、価値観を根こそぎ入れ替えてしまいます。ブログ主の変わり身の速さも女性性のゆえなのかもしれません。
また女性は出産生理という形で、人間の動物性を肉体で知悉しているので
皇族を見る視線も男性と異なり、理念で拝見することはしません。
排泄、出産、性行為を伴う動物としての視点も加えて見るので男性より
厳しいかと思います。
深田氏が、拙ブログ主が提示したすべての資料に目を通して
それでも、両陛下尊崇とおっしゃるなら、それは「理念」への
尊崇であって、実体への尊崇ではございませんね。
それはそれで、いいと思うのです。但し、天皇皇后両陛下が日本の
国体にとって仇なす存在でなければ。
敗戦という過激な状況で、生まれ出た亜種が今上陛下であり、
状況が入内させたのが、正田美智子さんでありこの方は
GHQの目論んだ通り、皇室の担い手ではなく破壊者であり、
日本の国体を弱体化に導く存在です。
前代未聞の皇后であり、天皇です。今まで類例がありません。
敗戦という激烈な放射能により生じた、突然変異種です。
憲法改正に伴い、不敬罪の復活、天皇を元首とする案に反対では
ありません。但し今上と皇太子を除きます。
彼らはもはや皇族ではありません。おそらく空前絶後の超例外的存在です。
空前絶後ではありますが、それは数千年スパンでのこと。1万年単位で先を見晴るかすと、また同じ危うき状況が出来しないとも限りません。
人類の進化は3歩進んで2歩下がるていの、遅々たるものではありますが
進化を遂げ、微々たる飛翔ながら霊性を向上させ続ける存在ではあるでしょう。
同じ過ちを繰り返し進化が止まらぬよう、退歩せぬようにとの思いも込めて
両陛下の告発も続けています。しかしながら言うべきことはもう言い尽くした
感、しきりにあり。
今日去るか明日去るか、と思い続けブログを営んでいます。
ご著書で紹介はよろしいですが、BBブログをブログとしてのご紹介は
いかがなものでしょうか。それこそご懸念のように天皇皇后両陛下
批判をも読者は目にすることとなり、逆効果ではないでしょうか。
目覚める人のほうが少ないでしょう、おそらく。
深田氏に関しては著作権を放棄しますので、どうぞご自分の言葉に
置き換えてご利用くださいませ。そのほうがよろしくはございませんか?
BBの糾弾の矢は、すでに東宮は成れり、落ちた、と思っております。
目下両陛下なのです。むろんその先に秋篠宮両殿下と悠仁親王殿下がおわしてこそ。でなければ、現在の天皇と内廷皇族のレベルでおしまいなら、皇室不要論者とむしろなっています。
だが日本にとって、そして世界にとって皇室は必要なのです。
世界再生のキーは、神道を奉じる祭祀王のみ手にあります。
神道は宗教ではありません。古代日本人の霊感であり、宇宙観です。
天皇はありとあらゆる国家国民への災厄よ、我が身を通せと
凄まじき自己犠牲で本来祈るお方。
それがGHQ育ちの今上陛下にお出来になっているとは思いません。
以降は、霊的フィールドの話になり、客観性に著しく欠けます。よって割愛致します。
しかしながら本来、霊的側面抜きに皇室の存在意義はありません。
以上、意に満たぬ短文ですが全ては膨大な過去記事の中に記してございます。
追記 拙文を書き上げると同時に、相呼応するように天皇陛下の「生前退位」説が流れました。むしろ共時性でしょう、必然。
これで、心ある人は解るような気もするのですが? 背後に女帝ありき、と思います。全て皇室内の采配にGHQ発、元、正田美智子嬢ありき。
理由は定かならず皇太子への溺愛偏愛ただごとならず。
これも女性のほうが敏感でしょう。息子に対した時の目つきとしぐさ、長男と次男で歴然と異なります。民間でもありがちのことです。
追記の末尾に三島由紀夫の言葉を記します。
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし
「英霊の聲」より。
敗戦以降、際限もなく肉を持った人間として降下、堕ち切って現在のお姿です。
皆様へ コメント欄にひきもきらず衝撃のコメントが続いていますが、落ち着いてください。
神々はあの皇太子の即位を許しはしません。即位ならぬか、なっても短期か・・・
自分の生前に溺愛の長子の即位を見たいという皇后の妄執ありきの、天皇の
生前退位説でしょう。元号の変更まで持ちだし、NHKを見ていた人の話によると、皇太子、雅子さまの次に愛子さんの画像を出していた、とか。
更に、
>皇太子ご一家、21日から奈良・京都へ 同庁によると、愛子さまの神武天皇陵参拝は今回が初めて。
落ち着いてことのゆくたてを分析しなければなりませんが、あるいは動きが
露骨になっているかもしれません。むしろ、今まで国民の目に触れぬ暗がりにうごめいていた企みが、陽のもとに引きずり出されようとしているのかもしれません。
正しく皇統が繋がるよう、祈りましょう。運動としての2万人は微弱でも、2万人分の一心な祈りは強力です。
小池百合子氏に、水間政憲氏がついたようですね。
水間氏は、小和田氏の家系への疑義、雅子さんの出自に大胆に触れた方。
女性宮家反対のお方です。生前退位は、安倍政権が改憲に舵切りをすることへのアンチテーゼでもあるでしょう。