半ば休載あるいは不定期更新を標榜している最中、検証する時間がないので、必要最小限の記事です。ご寛恕くださいませ。
まず、正田美智子嬢入内にあたって、時の宮内庁長官が「(美智子さんの母、冨美さん=)副島家の調査をすべきであった」と慙愧の念を漏らしていることに触れておきたいと思います。
何らかの、不審点があってこその上記の言でしょう。
ということを前置きに・・・・
以上の資料はおそらく丹念に読みこめば、あるいは何かが掴めるのかもしれませんが、それは読者さまがたの慧眼にお預けするとして、今回拙ブログ主は一つのことだけを指摘するにとどめたいと思います。
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佐賀藩における副島が下級武士で、醤油(と酒)の醸造販売を行っていたというくだりに着目しました。
当然、誰もが連想するように醤油は美智子さまの父方、正田家の家業でもありました。
そして、その工場は被差別部落エリアにあり、部落の人々が多く信仰する白山神社が祀られてあることから、正田家の部落説、醤油の醸造に部落民を使っていた、という2説が生じ、拙ブログでは今の段階では、いずれの説にも絞り込んでいません。いまだ追求の途次にあります。
ただ、副島家のなりわいで感じるのは正田と同じ、醤油醸造に携わっているなら、現場にいわゆる穢多非人という非差別の人々が、やはりいたのではないか、と。
そして、正田、副島と群馬と佐賀に隔たった両者を結びつけたものは、なんであったのだろうか、と。
公表レベルの話では、どこぞのキリスト教関係のミサで美智子さまの父上が、母上である、当時19歳であった副島冨美氏を見初めたと。
出会った場所がカトリックの場であるのなら、おそらく両者カトリックの洗礼を受けていたであろうし、冨美氏の臨終洗礼は宮中にある美智子妃の立場を糊塗するためのフィクションではなかろうかと想像します。
冨美氏は上海の少女期に「英語のお稽古に、修道院に通っていた」とあります。
だから洗礼を受けていたとは短絡しませんが、カトリック的なるものに少女期から親しんでいたとは言えます。そしてその後伴侶と出会うのもカトリックの場であるのなら、まずご本人がカトリック教徒ではないでしょうか。
そして現在ミャンマーにいる正田姓の某ご親戚の女性もカトリックであることはブログ主は掴んでいて、とにかく祖父母、弟妹、親戚まで総カトリック。
こんな一族郎党カトリック一色の中にあり、美智子さまだけが未受洗ということは、まずあり得ませんね。
国民と宮内庁、そして昭和天皇皇后両陛下に嘘をついての入内であった、ということになるわけですが本稿の趣旨はそこにはなく、正田、副島を結びつけたのは醤油、ではなかったかという可能性についてです。
正田の実家が、穢多非人という人々を現場で使っていたなら、副島も醤油醸造の現場では彼らを使っていた事が考えられるわけです。
すると、両家の接点は醤油ということであり、ひょっとして醤油醸造に関わった被差別部落の人々という・・・・端的に言えば「部落」というキーワードを共通して持つのではないか、という・・・・。
朝鮮人は朝鮮人と、被差別部落の方々は同じ血の人と水面下でつながりあい、婚姻も往々にして同じ相手と結びつく傾向があります。
表向きは解らなくても、裏事情を知っていれば部落同士の婚姻、朝鮮人同士の婚姻であるというケースがあります。
だから、美智子さまの出自が、というごとき性急な結論は出しません。
ただひとつのデータとしてご記憶ください。
小和田雅子さん入内になぜ、部落解放同盟が関わったのか、ということも念頭に置いてください。
美智子さま、雅子さまとお二人を考察するとき、遠くはGHQ,そしてカトリックと創価学会、部落解放同盟・・・・がいやでも背景に見えて来ざるを得ないのです。
更に小和田家は三代前しか家系が辿れぬこと、小和田の実家は北朝鮮部落のエリアにあったらしいことが、小和田家居間の金正日花と併せて思われます。
北の将軍、金正日(キムジョンイル)花
念のため申し上げておきますが、部落だから悪いというごとき偏狭な価値観で申しているわけではありません。
ただ現実、何か問題が生じる場合、その人物が朝鮮の人であったり部落であったりと、データ的に確率が高いのは事実です。
暴力団の構成要員を見れば、一目瞭然ですね。部落出身が一番多く、
ついで朝鮮人。日本人は10%程度しかいません。
ちなみに、連合赤軍の田村高麿は諸事見るに北朝鮮の出身ではないかと、疑われるのですが、小和田の実家がこの田村高麿の家の隣であったと漏れ聞きます。以下は想像による物言いなので、心得てくださいませ、ひょっとしてそこは北出身が多く住む朝鮮人部落ではなかったのでしょうか?
田宮高麿の遺骨は、田宮の兄が北朝鮮から持ち帰り、田宮家の菩提寺である新潟県新発田市の瑞雲寺の墓に埋葬された、と記録にありますが、新潟県新発田市は小和田恒氏の出生地です。
ハマナスは雅子さんのお印。
自分の手形の碑を作らせる勘違いと厚顔、下品。
皇太子夫妻は結婚の儀の時も、雨に祟られたか・・・・・
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小和田恒氏は、中曽根内閣の時に「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁しました。
「国賊である」と渡部昇一氏はじめ、まっとうな保守論者たちは断言しています。
拙ブログ主も心から、そう思います。売国奴だと。
その「国賊」の娘がなにゆえ、宮中に入れたのか。部落出身の元総理に発端が遡るわけですが、内部で熱心だったのは美智子さまであったと聞きます。
なぜ? よもや「部落」というキーワードはそこになかったろうな・・・・という
疑念が一抹脳裏をよぎらないわけではありません。
名家・旧家であるはずなのに冨美の母親名が不明のふしぎ。
あの時代に、室内土足。今でさえ、珍しいのでは?
日本人は室内に泥を持ち込むのを忌む清潔感があります。
ハイヒールを履いた娘より背が高い正田冨美さん。
両親弟妹全員、図抜けて背が高い中、美智子さまだけ低突出して低い。
それでも162センチ。当時の女性としては大きい。
皇太ssiの極端に短い足と低身長は、いったいどこからの遺伝因子?
今上陛下も長身ではないが当時の男としては普通で、足は長い。
いえ、単なる疑問でとりわけ意味はありません。