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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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自己演出の達人、美智子皇后 《転載可》

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今回は、先の、

ご慈愛仮面がはがされるとき ~皇后もう一つのお顔~ 

への補足記事です。

Wiki

1963年3月4日に第二子懐妊が報じられたが、同月中旬の美智子妃の生い立ちを書いた女性週刊誌連載の小説に絡む小説問題が起こった直後の3月22日に宮内庁病院に緊急入院、翌23日の午後に流産の処置手術が行われた。その後も心身の疲労から体調が回復せず、同年4月より葉山御用邸にて約3か月間ひとりで静養する事態となった。7月上旬から皇太子・浩宮とともに軽井沢で過ごした後、9月1日に帰京し、9月13日の山口国体から、段階的に公務に復帰した。なお、根拠のない中傷に対して一切非難することなく沈黙を守り、その気品ある態度に多くの国民が感銘を受け、週刊誌等の誹謗記事も終熄に向かった。

と、心ない報道に流産してしまったが、一切他者は批判せず健気に立ち直られて、公務にいそしまれた、とその後延々と続くことになる美智子様賛美レジェンドが始まるわけですが・・・・・

しかし、この時の病名は、「胞状奇胎」。
心理的要因ではない病気なのに、心ないマスコミがよってたかって美智子様をいじめたのが原因と書き換えられていますね、今こうして振り返ってみると。

「胞状奇胎」異常妊娠で流産ではありません。

卵子異常による病気で、マスコミからもたらされたストレスが原因ではありません。

でも、国民は漠然と今でも「心ないマスコミを苦に流産され、大変な失意を味われた皇后様」として、悲劇のヒロイン像がインプットされていますね。

措置は子宮内掻爬です。
間違った報道によるストレスが原因である、と後々の批判封じになるニセ情報を誰が流したのでしょう?

再び「報道によるストレス」で、失声症となられるのは1993年(平成5年)10月20日のこと。満五十九歳のお誕生日のことです。

1993年は皇太子雅子さんの成婚の年です。4月12日、皇太子と小和田雅子の「納采の儀」、6月9日、結婚。皇后の失声はその4ヶ月後ですが、それまでの皇后に関する報道の主たるものは・・・・

●天皇陛下が民のためを思い、大事に残されていた森を伐採させて、映画鑑賞まで出来る超豪華宮殿を建てられた。

●宵っ張りで、夜遅くまで女官をこき使う。

●高価な衣装の取っ替え引っ替え。

●皇太后放置、会いに行きもしない。

流産は事実ではなかったにもかかわらず、以来、皇后陛下に関する批判記事は、すっかり鳴りを潜めていました。

それが、吹上御苑内にある超豪華な「お家」が完成した年、1993年に流産報道以来、遠慮していたマスコミが批判を再開したのです。

そして、失声症。インパクトの強いお誕生日の日にという劇場型・・・・とつい皮肉を言ってしまいたくなるのですが、失声症でまた皇后批判は、パタリとやみ、賛美に傾いて行き、再び皇后の勝ち。うっかり清子様に話しかけているところの目撃談もありますが?

失声症の回復の時には「復帰のお言葉」が発せられます。

「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」

と謙虚にお答えになり、しかししっかりと報道内容否定。
省みるよすが、とおっしゃるわりには、まめに週刊誌その他をチェックなさり、あちこち抗議をさせていらしたようですが。

昭和大帝が保存を強く願われた森の伐採は端的に事実なのに、どさくさ紛れに「事実でない報道」と言ってのけちゃってますね。いやー、凄いこと。(報道はほぼ事実だったと思いますが?)

 

 

ショックを感じるとよくお倒れになることも、レポートされています。初めての人は青ざめるのですが、主治医は平然、「よく倒れられるのですか」と問われて「ええ」と無造作なお答え。

演技でなければ、極度の癇癪持ち、ヒステリー体質で、世慣れぬ、女慣れしていない天皇陛下は肝をそのつどつぶし、そうやって自ずと皇后陛下の顔色をうかがうようになられたのかもしれません。以前、何かの記事で皇居内にはよく、何かを咎めだてする皇后の甲高い声が響き渡っている、と読んでその頃はそんな記事を、一笑に付していたのですが・・・。

人からの忠告や批判は気に食わず、いじめと捉え根に持たれるご性格のようで、批判の言葉を幾つか残した浜尾侍従の逝去に際してはご自分はおろか、皇太子にも葬儀に参列させない、こわい面をお持ちです。葬儀会場である教会は、皇居から歩いても10分、車なら5分以下の至近距離なのです。

浜尾さんのおかげで幼少年期の皇太子の、ボロが出ずに済んだのに。浜尾さんも、弟がバチカンの枢機卿でバリバリのカトリック教徒。「お仲間」でしょうに。
現皇太子は「おーちゃん」と呼んで慕い、親王の学校行事・面談に出席することもあり、親代わりでもあった人です。

その方の葬儀には出ず、皇太子もやらず、その一方で森村桂の葬儀には出られ、弔辞まで読まれているというのに。それに、自殺した方に、皇后の立場でいかがなものでしょうか。皇太子が浜尾氏の葬儀に行かなかったのは、雅子妃の差金かと思っていたのですが、皇后陛下の浜尾氏への復讐であったようです。
相手は死者なのですが・・・・。

森村さんと両陛下の交流ぶりは、立ち会ったカメラマンが記しています。

h ttp://ameblo.jp/zero21nk/entry-10490582174.html

皇后陛下が「キャハハハ」と笑う。

キャハハ、に違和感がありますが朝日新聞の記者に、入内前の美智子さんのテニス中「やばい!」という発言を書かれています。やばい、とキャハハが実像に近いのかもしれません。

天皇陛下は「女房に尻に敷かれている」と森村氏の夫と盛り上がっていたと記されています。
こういうこと、一般の前でおっしゃいますか・・・・皇室では女性上位はご法度のはず。すでに、美智子女帝への道は皇太子皇太子妃時代に形作られていたようです。

その場に居合わせたカメラマンの証言です。転載不可だそうなので、原文でお読みください。

しかも、絶句したのは、昭和天皇の病がいよいよ重篤なとき、天皇皇后両陛下は軽井沢の森村桂さんのところへ、遊びにいらしてはしゃいでいらっしゃるのです。

昭和63年9月10日のことで、森村さん夫妻と夕食を楽しまれ、皇后陛下は「キャハハ」と笑われたのでしょうか。

その後昭和天皇は吐血されています。そして下血。

>1988年(昭和63年)9月以後、容態は再び悪化した。8月15日、全国戦没者追悼式が最後の公式行事出席となり、日本各地では「自粛」の動きが広がった
>1987年(昭和62年)4月29日、天皇誕生日の祝宴を体調不良から中座する。以後、体調不良が顕著・・・・
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

こんな時に、軽井沢の友人の家を訪れ、はしゃいでいたご夫妻?
森村家には社会党の人も出入りしていたそうで・・・・
現天皇皇后夫妻とも、森村家で接触、談笑していらっしゃいます。
社会党の人間と交わる天皇皇后両陛下・・・・。

耶蘇女子、九条擁護の赤き皇后までの道のり http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/69e8180c326a724285fd4132aca4f736

老齢の父・義父が重篤になりつつある時、夫婦で軽井沢に遊びに行き、キャハハとはしゃぎます?
一般でもそんなことはしないのが、常識でしょう。
うがって考えれば、これでいよいよあなたが天皇陛下、私が皇后、ついにわたくしたちの時代ですわキャハハ、というご気分でいらしたのか。

香淳皇后が長女を喪われ悲嘆に沈んでいる時に、わざわざ那須の御用邸に夫婦で押しかけ、不平不満をぶちまけたというあのエピソードを思い出します。
その間のことは、先稿に記しました。

鬼怒川氾濫の時の、両陛下の美術見物というお心の冷たさに通底します。

こうしてみると、皇太子妃主導でお慎みの日にも遊びにお出かけになる皇太子一家も、結局天皇皇后両陛下の相似形だと思われます。妃主導のありようも。

失声症から、立ち直られた時の美智子様の第一声も奇妙でした。

「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」

「神道のおうち」の方が使う語彙ではないですね。ピュリファイではなく「禊となりました」ではないでしょうか。その母、冨美さんの「ストラグル」という、不思議な言葉の使い方が思い起こされます。

欧州3カ国ご訪問の折、バチカン訪問が付け加えられていて、これが私的訪問かのかどうか、いまだに分からないのですが、バチカンは付け加えられた印象ですね。とすれば皇后の希望以外にはないでしょう。....というより3ヶ国の意味が希薄で、まず美智子様のバチカン訪問熱望ありきだった可能性もあります。後の3ヶ国はどうでもよかった・・・。

 

 当時の記者の感想。

 

「今回のご外遊の日程にローマ法王訪問が入っているのが不思議です。だって、今回は”三国訪問”と言われ、それは、イタリア、ベルギー、ドイツの三国で、ヴァチカンは入っていない。でも、ヴァチカンは国連に加盟していないが一つの国家です。

つまり、このヴァチカン訪問は国家間の正式な外交なのか、皇室の私的なご交際なのか、よくわからない。

 あるいは皇后のご希望だったのか? と、そんな疑問を感じる人もいるかもしれませんね」

  ・・・・・ここまで

 そして、記者会見がバチカン訪問前に行われるのですが、神道の人がバチカンを訪問するに際して、どのようなお考えで、と訊いた外国人記者がいたのです。

「ローマ法王との会見について、神道を家系とする天皇陛下はどんなご感想をお持ちか。また、カトリック系大学を卒業されている皇后陛下のご感想もお聞きしたい」

外国報道機関(10社)を代表して南ドイツ新聞のヒールシャー記者の質問でした。

天皇陛下はそれなりにお答えになりましたが、皇后陛下は頑として答えを拒絶。
前もってそんな質問は訊いていません、と。普通に、短く適当に当たり障りなくお答えになればよいものを、言外に、その記者のルール違反を責め、答えないことでその記者に恥をかかせたわけです。海外10社もの代表質問者の質問を拒絶ですよ? 気のお強いこと! しかも予定外の質問に答えてしまった天皇陛下をも、ドジ扱いしかねない対応でした。

 

「やっぱり美智子さんってこわいなあ」と居合わせた日本人記者がつぶやきました。

全部予定された質問でなくてはお答えにならないのだそうです。
前もって、さぞかし推敲されるのでしょうね、慈愛優等生のお答えを。
雑な対応でボロ出しまくりの雅子妃と対照的です。

またこの時の予定外の質問内容がカトリックと、ご自身についてのことだったので、アキレス腱だったので余計身構えたのでしょう。バチカン訪問自体がご本人のわがままからですものね。

この時の3カ国訪問はさっぱり意味が解らず、さしたる成果もなく「何しに行かれたの?」と首を傾げられ、2億円(当時の価格)のハネムーン旅行と言われました。事実はバチカン参拝旅であったのかもしれません。

ベルギーで、ファビオラ妃の葬儀に出かけられた時も国際プロトコル上は格下の司祭に深々とお辞儀されていましたね。これはいけないでしょう。世界の儀典上の決めは厳格です。世界が認めた皇室の権威を自ら引き下げること。皇后一人の判断で崩さないで頂きたい。それに付き合ってしまう天皇陛下もいかがなものでしょうか。

それにひさしなしの皿帽子は非礼です。
ひさしを抜くのは宮中からだけにしていただきたいものです。(20年かけて、小和田自虐史観王朝を宮中に築き上げた小和田恒氏のことです。これを言いたくて無理矢理感なひさし)

何が気に喰わないのか、お誕生日会見をすっぽかしたことも。顔色を変えた記者団に詰め寄られた宮内庁に懇願され出て来たものの、不機嫌の塊。立ったままの憤怒会見。

 

またあるときは、何がお気に召されなかったのか、こんなことも。

気性が強く意地がお悪い・・・・。
皇太后や、浜尾さんへの仕打ちなどと合わせての感想です。

秋篠宮家への産児制限など、どれほど非情なことをなさるのか、また皇統をそこまでして危機にさらされるのか・・・・と驚くのです。

産児制限に関しては確たる証拠はなく、秋篠宮殿下の「お許しが出た」の一言をキーワードに、それまで10年の歳月紀子妃に多産系らしいのに、ご出産が無く、姉2人と年をうんと離れて男子ご出産となられたことなど、状況から推し量るのみです。

某所への一般人の書き込みが事実に近いように思います。

 >「産児制限」があったという根拠
秋篠宮殿下自身が周囲に「お許しが出た」と仰ったのが最大の根拠でしょ。
こんなデリケートで皇統にもかかわる重大なことで周囲が発言をねつ造
などするとは考えられないでしょ。そこまで大胆なことをしてだれとく出し。
宮家に出産の御許しを出せるのは一人しかいないでしょ。

>自分は「遠慮」に対しての「お許し」だと思っている
御許しが出るまでに何年かかっていると思ってるの? 10年よ。
何故両殿下がバカ東宮の不妊に遠慮しているようだという気配を
感じたのなら、なぜもっと早い段階で「あなたたちは気にしなくてもいいのですよ」
「宮家自体の跡継ぎのことも考えるべきよ」位のことをどうして両陛下入って
差し上げなかったの?
結果として10年の空白。その間ナルマサのことだけしか頭になかったんだ。
そして今日の皇統の危機を招いた。
張本人は秋篠宮家に介入し過ぎた両陛下だ。両陛下の責任は明白だ。

佳子さまを出産された時も、東宮家を差し置いて二人目を、と秋篠宮殿下となかんずく紀子さまが叩かれ、悠仁様ご出産の時は、女帝を容認する皇室典範変更、そのための皇室会議が開かれようとした寸前、まるで計算したように、あざといという罵声を紀子妃は浴びせかけられました。

本来、男子に皇統がつながったことを喜ぶべきなのに、一体誰が流すのか流させるのか、男子出産間もない紀子妃を打ち据える言葉の数々。

これも天皇皇后両陛下が、全面的に喜びを表明なさり、紀子妃への感謝の思いを口に出されていたら、心ないバッシングはなかったはずです。国民もマスコミも敏感に皇后陛下の気持ちを感じ取り、理不尽な紀子妃バッシングへとつながったのではないでしょうか。

「美智子も親王の誕生を大変喜んでおりますが、美智子はやはり皇太子の系譜に 皇統を継がせたいと申しているんですよ」と、天皇陛下にそう言わせているのは、皇后陛下なのではないですか?

天皇を通じて美智子様が言わせたこの言葉は、悠仁様のお誕生直後です。
聞かれた紀子妃、秋篠宮殿下、眞子様、佳子様のお気持ちはどうだったでしょうか。やっと皇室に授かった男子なのに、喜ぶどころか皇位継承権は愛子に、悠仁は余計、と言わんばかりのお言葉ではないでしょうか。

かくも残酷な親がいるでしょうか。決まりは無視してもいいから、次男の孫には、うちは継がせない。長男の娘に婿を取ると、出産直後に言い放つ親。

政治家は、天皇陛下のご希望であると語っていますが、皇后陛下のご意志であることは皆、知っているでしょう。

男子誕生の報に接した皇后陛下のお気持ちは、舌打ちなさりたいほどではなかったでしょうか。それまで、あれこれ画策してきた女性宮家創設、そこから敷衍して女帝擁立の計画が不意になったからです。安倍総理の女性宮家創設反対以来の鬱憤を思い出されたかもしれません。紀子妃は高齢出産となり、よもや即男子誕生はないと、見くびっての出産許可をだしたはずなのに、皇后はおそらく皇室を守る日本の神々に、「天意」によってしたたか裏切られたのでしょう。

皇后陛下がいかにその強い気性で妄執をたぎらせたとて、悠仁親王殿下が天皇陛下におなりあそばします。

皇后陛下も若いころは、微笑で演じていらしゃいましたが高齢になられて、演じることが億劫になられたのか、不機嫌さを隠さなくなられました。

皇后陛下からの、秋篠宮家への産児制限介入の可能性は「雅子様大好き」のブロガー、ナス子さまが丹念に画像と共に追っていらっしゃいます。

http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-186.html

ウィリアム王子が望んだ、悠仁親王殿下との対面を妨害なさったのは皇后陛下です。

もともと海外のサイトで、写真特集がされファンコメントが書き込まれるほど人気の悠仁さまです。
悠仁さまとウィリアム王子、幼い将来の天皇と国王の対面は、どんなにか華やかな明るいニュースとして世界を駆け巡り、日英の親善にもなったでしょう。

皇后陛下は花王勤務の実弟修氏とその妻(いずれもカトリック教徒)とを使って、それを潰され、皇太子が目立つようにされました。でもしょせん、不人気の皇太子と陰気な皇太子妃との対面など、誰も興味を持たず不発に終わりました。

この時の経緯は拙記事で検証を試みています。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6d662ed559e0da9a992d3a0ab4c6e51e

秋篠宮殿下と佳子さまは、唐突に倉敷に飛ばされ、一方王子はNHK見学などどうでもいいスケジュールを組み込まれ、時代劇のかぶとをかぶせられ、その写真が海外に配信され「やれやれ、王子も変な格好させられて大変だね」とコメントがつく始末。王子にも失礼なお仕打ちでした。拙ブログでも細かく検証した経緯ですが、次のコメントをコメ欄に頂きました。

 

驚愕の事実が! 2015-09-24 17:48:51

****

  ご慈愛仮面がはがされるとき ~... 閲覧

BBさま
いつもありがとうございます。
もう国民を騙すのも限界ですね。歳を重ねる毎に悪相も顕になり、今では見るも無惨な姿に成り下がりました。
威厳もオーラもないどこかの意地悪姑その物ですね。

タイトルが少々大袈裟になりましたが、三月の佳子さま初ご公務についてのいきさつを聞いて参りました。
BB様のご指摘の通りですが、まだまだ皇后の腹黒さを思い知らされるような事実がございました。

これはダニエル オストの昔からの生徒からのお話なのですが、当初は皇后が行きたいとのことでしたが、私が行くと皆さんが押し寄せるので迷惑になる、とのことで雅子様か華子様で調整していたそう。

それが急遽秋篠宮様と佳子さまに直前に決まったそうです。そんなのどなた様が行かれるよりも、佳子さまフィーバーなのにおかしいと思いましたら、なんとこのダニエル オストがとんでもない人物だそうです。日本のマネージメント会社が、実質おばさん一人らしいのですが、詐欺紛いの事をずっと繰り返しているそうで、今までの個展の経費等払わずあちこちで訴訟になっていて開会前にも大原美術館に取り立てが来たらしく、どこかが立て替えをして事なきを得たのだそうです。

このマネージャーのおばさんは、何でも学習院卒業が唯一の拠り所のような人で、格好の広告塔に佳子さまを使えるダニエルオスト側の事情と、万が一問題になったときの初ご公務に水をさせる皇后の思惑が利害が一致したのではないでしょうか。

そんな話は今回美術館側から宮内庁や正田家には当然報告しているでしょうし、なんせ皇后の義理の妹の実家ですから。穿った見方をすると秋篠宮家、特に国民的人気の佳子さまを貶めようと、ちょうど時系列でも合い、二転三転したのも納得ではないでしょうか。

そして正田夫人のお召し物は期間中ずっと着物で、まるで皇后様の着物と同じようで誂え先は同じでしょうと言ってました。特に殿下をお迎えしたのはお印の「つが」の染め抜きで、そんな着物は一般では入手困難というか、オーダーしない限り珍しい柄だそう。

背格好も似ているので共有してるのでしょうか(笑)
因みにこの人の実の姉は先日亡くなられた共同通信社社長夫人で、まさに新聞記事も自由自在だったことでしょうね。

その後、ベルギー大使の送別会をダニエルオストが内輪で開催したときには、プライベートで紀子さまが見えたそうです。
それこそお住まいから至近のベルギー大使館、ご本人又は雅子様がお忍びで行かれればいいではないですか?それを超ご多忙の紀子さまを行かせるなんて、確信犯でしょう。で、マネージャーのおばはんが会場へ居た、ほとんど生徒みたいですが写真は取るな、とか、私の顔で紀子さまは来たんだとか吹聴していたらしい。

友人はお花関係のお仕事をしているのでスキルアップのためにバカ高い授業料なのに通っているそうですが、友人いわく、いずれは大問題になる、現在も倉敷のお花代やホテル代も払ってないので新しい生徒がカモになる。とのことでした。ダニエルオスト事務局、かなりの悪党ですね。

内部情報ですが、口止めされたわけでもなく皆さんにも知っていただきたくてコメント欄をお借りいたしました。

それと、総理の側近の報告会でのことですが、確実に私たちの抗議は総理はご存じだと確信いたしました。

その方は、秋篠宮家を絶賛し、予算が少ない事なども憂慮しておりました。少なくともどなたかはこちらのブログをご覧になっているのでは!と思うようなご講演でした。

BBさま、都合が悪い箇所があれば削除してくださって結構ですのでご判断はお任せいたしますね。

長々と失礼いたしました。

 

  勿論です! 2015-09-24 18:57:15 ****   ご慈愛仮面がはがされるとき ~... 閲覧

BBさま
こちらこそ大々的に取り上げていただきたいくらいです。
見て子の腹黒さを身近で聞いたものですから、怒りが沸々と込み上げてきます。
ベルギーの葬儀の時のブーケ、皇后自ら発注したこと、さぞかし忸怩たる思いでしょうね。

確実な情報ですし、生徒も長い人は大半は知っているとのことで全く問題はないでしょう。
今確認していたところですが、その方はネットはあまりしないのでわりと疎い人ですが、
ご皇室まで巻き込んだ詐欺事件、せめてこれ以上の被害が出ませんように、とのことでした。

生徒は華道をご趣味とされている、お金持ちの50代以上のかたが大半でというか授業料が高過ぎて裕福な奥様か、余程のマニアでもない限り無理な授業料だそうです。ベルギー大使の送別会も生徒から会費をふんだんに納めさせたそうです。

そんな事情があっても、紀子さまがプライベートで来てくれるほどの魅力的なダニエルオストに心酔しているんですって!
裕福なご婦人の思考は庶民の理解の範疇を越えてますね。だからこその格好の広告塔でしょう。
秋篠宮家を利用して、これだけは絶対にお止めいただきたいです。
それから、美術館に取り立てではなく、個展のチケット販売代金に強制執行だそうです(爆!)
そりゃあ後戻り出来ないので揉み消すしかないですね。

正田夫人の着物、ダニエルオスト倉敷で検索致しましたところ、たくさん出てきました!
なるほど、皇室献上のお品みたいに上質ですこと( ̄^ ̄)
まるで小和田夫人のブローチみたいですことですわ。

長々とすいません。

弟氏の妻の、工作費は皇后陛下のお着物お下がりってことなのでしょうか。
・・・・・・なにか、どっと疲れが。
乏しい予算の中、公務に懸命な紀子妃に差し上げればよろしいものを。
東宮夫妻がさぼっている分、秋篠宮家が負っているのに。
警護の数もまばら。遊びに行く東宮家は大人数。

上記のコメントに対して、打ち返しコメントが別の読者様よりあり。

 

***さまのコメント 2015-09-24 21:13:47 ++++   ご慈愛仮面がはがされるとき ~... 閲覧

聞きしに勝る怖さですね。

靖子さんのお姉さまの麗子さんは、犬養智子さんの
後釜に共同通信の社長と結婚しましたね。
泰子さんは、麻布に住んでいましたが
田園調布に豪邸を建てて、いつも
コーゴー、ヘイカがお忍びでいらっしゃるようです。
しっかりと実家の財界関係と結びついて
います。

粉屋の方は、お兄様の子がついでいますよ。泰子さんのところには女の子3人しかいませんから。
大原美術館の理事は泰子さんですから、
いくらでも画策できますよね。

聞くところによりますと、秋篠宮さまは
そう言う皇室と財界の関係を持つことに
消極的でうまくいかないのだそうです。

マサコさんの実家のことを言っていましたが、ミテコさんの実家も同じか、もっと酷いですね。
水俣も同じだし。相似形?

 

❖皇室内の「男女同権」の是非について

 皇室でいぢめられていた、可哀想なわたくし・・・・ 《転載可》

 

そして、息子夫婦が被災地に見舞いにいつまでも行かないので、その目そらしのため皇后の工作で催された、奇跡の一本松コンサート。これで皇后に
疑念を抱き始めた人も多いです。

 

皇太子の茶番ビオラhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/81458530de98ea5dc29e03571bf8dc75

人の心無しや皇太子夫妻http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/efcd54dd3297e2bd273a8fc0434fffd1 

被災者を悼む気持ありや東宮http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5c47077db271b4a1e0e5036bacedb214 

一本松から作られたビオラですらなく、部品にごく一部使われているという程度の、ビオラ。今思えば被災地をだしにしての、詐欺的コンサートでしたね。

 

以下コピペ情報

美智子資料庫 

150 :浜尾さんイジメ 週刊誌チェッカー 被災地 性悪 :2011/04/29(金) 16:16:04.18 ID:ct3yFKkD

あるとき、浜尾さんは宮内庁の女官長から呼び出された。ホテルのラウンジで
対座すると、女官長は膝元のメモに視線を落としながら言った。

「浜尾さん、この前、週刊誌にお話になったことはちょっと違っていませんか」

言葉遣いは丁寧だが、その口ぶりは批判的だった。女官長といえば、美智子さまの お側にいてお世話をする女官たちの長である。浜尾さんがマスコミに語るご一家の 素顔は時として誇張され、苦言も批判と受け取られがちだったが、そのことにもっとも 敏感に反応したのが、皇室と宮内庁だった。

女官長からの呼び出しはその後も続き、そのたびに浜尾さんは、お叱りを受けたという。(中略)
また昭和64年、昭和天皇が崩御され元号が平成に変わってすぐのことだった。

浜尾さんのもとに『週刊朝日』から、新しい天皇陛下に期待することを書いてほ
しいという依頼があった。浜尾さんは日ごろから感じていたことを話し、それが記事となった。

《元東宮侍従、浜尾実氏の苦言『新天皇陛下、災害現場へもお飛びください』》

それは昭和60年夏の日航ジャンボジェット機の墜落事故や、61年の三原山噴火のとき、 両陛下が軽井沢でご静養なさっていたり、横浜でテニスを楽しまれていたことを挙げ、 両陛下にはそんなときこそ被災地に向かわれていただきたいという趣旨の苦言だった。

BB:現在のまめな被災地巡りで、すっかり騙されていたのですが、お心の中は静養やテニスのほうがよかったということですね。鬼怒川氾濫の際の、ドタ出の美術館賞に、国民は息を呑むほど驚かされましたが、考えてみれば昔の正直な両陛下にお戻りになられただけ。皇太子夫妻も同じことをしているだけ。

両陛下が東宮夫妻を諌めるわけもないのですよね。
自分たちの写し絵なのだから。

 

もちろん、浜尾さんはこの記事が掲載される前に、誤謬のないようにと同じ内容を 便箋8枚にしたため、侍従を通じて天皇陛下に届けていた。

「お返事などいただけるとは思ってもいませんでしたが、翌日、侍従を通じて“陛
下が浜尾さんにお礼を申し上げてほしいとおっしゃっている”という電話をいただ いたときは、陛下がおわかりくださったのだと恐縮、感激の思いを昧わったものです」

が、宮内庁の反応は冷ややかなものだったという。それまで毎年、浩宮さまのお
誕生日のお祝いのお茶会に、旧奉仕者の一人として招かれていた浜尾さんに、
あるときからお招きの知らせがぷっつりと途絶えたのである。

 

BB;いや冷ややかだったのは宮内庁ではなく、皇后陛下のお達しだったのでしょう。宮内庁の判断で出来ることではありませんね。

女性自身 2007.05.08-15 シリーズ人間No.1850 

・・・・・・・ここまで 

 

何度も拙ブログ主の立ち位置は表明していますが、批判のための批判をしているわけではなく、左傾化著しい、また政治外交に口を出され韓国との友好、韓国への謝罪訪問希望など、由々しき状態を懸念してのこと。

最近は来なくなりましたが、秋篠宮の母であるのにとか、秋篠宮が困惑するのにとか、浅知恵で文句を言ってくる人がいましたが、皆様ご家族であるという以前に、皇族であるという日本の公人中の公人でいらっしゃいます。
ある意味では政治家よりも、日本の屋台骨を背負っていらっしゃるのです。

秋篠宮殿下を摂政に、お二方は引退され、また皇統は皇后陛下(と天皇陛下)とのご意向にかかわらず、愛子天皇擁立は男子一系の伝統破壊として危険、悠仁親王殿下へと皇統が繋がれることを望む国民の一人でございます。

それにしても、かくも長年騙されていたことを恥じると共に、皇后陛下賛美記事を書いていたことすらあることに忸怩と致します。
ただその記事は、特段美化してはいません。それはそれで事実です。ただ存在の黒さがそれで拭えるほどのものではありません。
ある時点から気づいても見ないふりで記事を書きつづけ、コメ欄の批判に対しては皇后陛下を擁護し・・・・でもついには、もうかばいきれない、いや、かばってはダメだ・・・・に行き着くまでの心理的経過をむしろ知って頂きたいので、過去記事は削除せず懺悔の意を込めてさらしています。

一人の国民の心の移り変わりです。多くが同じ道を辿り、ここ2,3年内に皇后陛下の実像を知ることになるような気がしています。国民の一定以上が覚醒した時、皇室内の何かが変わって欲しいという願いと共に。

 


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