皇后陛下の「A級戦犯」発言、憲法護持発言、五日市憲法賞賛論、元GHQメンバーへの
賛同コメント、慰安婦問題への言及、ヘイトスピーチ批判、九条の会関連作曲家追悼に静養中の身でわざわざ遠路お出かけ、そして東宮夫妻への異常な放置、どころか擁護などのいぶかしさに対して、さまざまな説が出ています。それらの代表的意見をコメ欄から拾ってみました。
事象を重ね考察した上での推論であり、「仮説」に過ぎません。考察のよすがとしての。断定ではありません。以下、コメ欄より。(読者の便宜のために要点を青文字にしました)
◆皇后陛下の出自を記した、被差別エリア出身の
ルポライターは、皇后貶めのための筆致ではなく、
むしろ今上の選択と、皇室の英断を讃える書き方だし
事実だと私は思っています。
となると同じ「仲間」である雅子妃への異常なほどのかばい方も納得出来ます。
一見柔和なように見えて、意地の強い皇室伝統への歯向かい方も。昭和大帝のお話中すら、頑として頭を一定以上には下げない。自らの代になってからは現金なくらい、すっぱり低頭を止めています。
となると、仮説としてのGHQの関与も具体性を帯びてきます。
つまり皇室弱体化を狙うGHQは、最初から平民から選ぶことを決めていた、と。だとすれば、何の反対もなく、唐突な平民妃の登場も理屈は通るわけです。
あたかも事後法のように、当たり前になっていますが平民出のお妃など、長い皇室史を揺るがすほどの大事件です、国民にとっても。それが風のようにスーッと既成事実となってしまった不思議。
まだ当時残っていたGHQの影響を考えればその不思議にも説明はつきます。
平民プラス、カトリックの家族背景(祖父母の代からなので、筋金入りです)と、その思想。幼少期からカトリックなら、天皇がこの世の最大の価値ではないと、刷り込まれます。そしておまけに、出自が事実であるとしたら、これほどうってつけの皇室の伝統破壊者はいないわけです。
加えて、国民が納得するだけのご家庭と、美貌、学歴もある。学力自体は世間思われているほどの学校レベルではありませんが、まあ当時の女子の名門ですから。
言葉の感性は優れているので、「振る舞う」能力もある・・・・。 略
実家の母、冨美子さんの言葉「あちら(皇室)とのストラグル」などという言葉は「普通の家」の奥さんからは出て来ません。「天皇陛下を最もお偉い方だという教育はしておりません」という発言も。
GHQにしたら満点の妃候補です。
そして、小泉信三を使ってテニスコートに呼び寄せ、後は筋書き通りなのは、雅子妃の場合の皇太子の出会いが人工的に用意されたのと同じやり方です。
以上の仮説を据えると、当時入内に動いたメインの3人が小泉信三をはじめとして、全員クリスチャンであったという不自然さにも、説明がつきます。
もともと、正田家の美智子嬢に目をつけ、テニスコートでの出会いを仕組んだのは小泉信三ですが、その背後にある勢力をふと考えてしまうのです。
それと、平民出で皇室の血が薄まったはずなのに、皇太子、愛子さまとレレレが続けて誕生するのも解ります。そちらの出自なら、これはこれで血が濃いのですから。言ってみれば濃い者同志の結合だったわけです。
皇后陛下の出自は断定は出来ませんが、著者が貶めで書いているわけではなくむしろその逆、そして宮内庁が何も抗議してないこと。「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と雅子妃の少女時代から言っていた福田赳夫氏が群馬の非差別出身らしいこと、正田家も群馬であること‥‥‥・など傍証から可能性は結構濃いかと思っています。
それと、美智子妃入内にあたってはクリスチャン3人が動いているのですが、それとは別に初代宮内庁長官がクリスチャン、それから二代続けてキリスト教となんですよ。そして内部の侍従長がカトリック。
これだけ重なると、偶然ではないでしょう。しかも神道の場ですから、確率として異常。
となればGHQはキリスト教を日本と皇室の弱体化に使ったわけだから、初代長官もGHQの差金、と思えばそれから美智子妃入内に至るまでの、クリスチャンでうめつくされた経緯が分かりやすいんですよ。
テニスコートの出会いも偶然ではなく、仕組まれたと宇佐美長官が明言しているし。まあ、GHQに仕込まれたという要素を感じても無理からぬところではないでしょうか。
略
昭和大帝があれほど拒んだ雅子さんを、不敬かと思えるほど、あたかもその死を待っていたかのように、雅子さんを熱心に引き入れた形跡が伺える美智子さんの行動も、また異様なほどのかばい方も、納得できます。
GHQの元メンバーベアテ・シロタ・ゴードンへの
隠しもしない賛辞、五日市憲法賛美、
憲法護持・・・・慰安婦の主張肯定・・・・
韓国へのシンパシー・・・・と、美智子さんが
もし、GHQ政策の流れでのカトリック左翼さんなら
とりあえず全部説明できますね。
事実の累積から派生した推論です。
◆正田家 祖父母の代からのカトリック。
美智子さん。小学1年生から大学まで13年間カトリック系学校でカトリック思想の洗礼を受け続ける。
GHQがプロテスタント、カトリックを日本洗脳の道具として使っていたのは事実。昭和天皇への改宗も試みられていた。(*「天皇の国師」他)
歴史的に植民地化する時、その尖兵は宣教師たちであった。
今上の皇太子時代に、貼り付けられたのはクェーカー教徒(キリスト友会)で、
非戦が旗印のキリスト教で、GHQの狙いは明白。
初代宮内庁長官から3代に渡り、クリスチャン。
正田美智子入内にあたって、実際に動いたのも、小泉信三をはじめとするクリスチャンたち。内部には、その弟をバチカン枢機卿に持つ浜尾侍従で、
現皇太子の養育と教育にあたる。神道の場で、これを確率的に偶然では片付けられない。
これらを見る時、 「何らかの意図」が皇室内をキリスト教で固めたのは事実。
現在は、それが創価に取って代わっている構図。
美智子皇后、雅子妃共に、出会いは仕組まれたこと。
祖父母の代からのカトリックであった正田家の、美智子妃の母は「天皇は神ではない」と子供の頃から美智子皇后を教育、その成婚にあたっても「あちら(皇室)とのストラグル(闘争)」と言い放つ当時の日本女性にしては例外的な人物。
前者は、宇佐美毅・宮内庁長官が国会で明言。元朝日新聞記者佐伯晋氏の証言あり。
後者は高円宮と小和田のタッグ関与で明白。
小和田の背後には福田赳夫・康夫の元総理あり。福田は群馬の被差別部落と言われ、
一説に言われる美智子皇后の出自も群馬ではあり、その共時性をいう人もいる。
また共時性で言えば、雅子妃の母方江頭もその家系だという説もあり、GHQ施策の
闇を暴いた江藤淳が江頭の家系に連なるのも、運命の皮肉。
小和田の家系は三代前が辿れずこれは、地方の狭いエリアでは異例のことで、それを
根拠に半島出自説がある。雅子妃が、チッ素水俣の家系で、美智子皇后の妹が第二の水俣企業と言われる昭和電工に嫁いでいることにも、共時性を見出す人もいる。
美智子皇后の「工作」をいう人は、弟の正田修とその夫人、大原総一郎の次女・泰子とを“手先に”使っていると指摘。チャールズ王子が悠仁親王と会いたがっていると英国で報じられるや、王子の来日の日めがけ秋篠宮殿下がまず倉敷公務に飛ばされ、次にスケジュールギリギリに佳子内親王が飛ばされた。この一連の動きを皇后が指示、動いたのが正田修・泰子夫妻と言われている。
参考サイトhttp://blog.goo.ne.jp/duque21/e/3bc7f24d5e7afae6c2f8d18af4fc2c40
◆コメントを拝読して、ハッと思い当たりました。
そうです、宮沢喜一は部●出身者です。
そして雅子妃入内に暗躍した福田さんも、
色濃いです。
で、福田は群馬ではなかったですか?
となると・・・・皇后陛下の群馬、ソノ地区が見事に
符合。
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/3bc7f24d5e7afae6c2f8d18af4fc2c40
◆上原善弘の記述に宮内庁は、抗議したのだろうか。
してないとすれば、皇后陛下の出自が群馬の特殊エリア出身となり、皇后、皇太子妃ともに、ということになりかねない。
身分差別的なことで言うわけではないが、**さんが
おっしゃるように、部*の皇后が部*の雅子さんを皇室に入れ込んだという構図はやはりまずい。
選考基準にそれが先行したとするならば。
略
◆>美智子皇后、雅子妃共に、出会いは仕組まれたこと。
[佐伯晋氏]
「テニスコートの恋」の真相 皇太子さまご結婚は「お見合い」か
元「お妃選び班記者」が推理する「テニスコートの恋」の「真相」(1)
http://www.j-cast.com/2012/05/10128633.html?p=all
1959(昭和34年)年2月6日の衆院内閣委員会で、宇佐美毅・宮内庁長官は、はっきり「恋愛説」を否定しています。
[宇佐美毅氏]
第31回衆議院内閣委員会議事録第五号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf
略
マスコミから出る記事・写真を通し、当時、国民からも皇太子と美智子さんに厳しい声が挙がっていたようです。鋭い議員の指摘は、まさに的を射るものでした。
皇后の「工作」について これもコメント欄から
工作員と言っていいのかどうか、弟の正田修氏とその妻泰子(大原總一郎氏の次女)が皇后の手先で動いてます。しじゅう皇后からは呼び出され、宮中で会ってます。
大原氏もカソリックで洗礼名はヨセフ。
BB:右が正田泰子氏。皇后の実弟修氏の妻で、大原家の次女、つまり親戚がらみのイベントが秋篠宮殿下と佳子さまを倉敷に飛ばすのに利用された。弟の嫁もカトリックの家の娘とは、正田家は相当カトリックにこだわっていますね。
以下に注目
1963年:中国へのビニロンプラント輸出が日本政府により許可される。(わかりやすい中国つながり?)
1964年8月:大原美術館理事長に就任
「大原美術館」で何か思い出しませんか。
そう、悠仁親王殿下に会いたいと言っていたチャールズ皇太子来日の時に
わざわざ秋篠宮殿下と佳子内親王が「飛ばされた」倉敷。
佳子内親王の倉敷飛ばされはとりわけ、間際で唐突な付け加えだったので、取り沙汰されてます・・・・というより、はっきり皇后陛下の画策でございましょう。
正田修氏は、韓国にべったり加担で愛国者に批判と不買運動を起こされた花王の取締役に就任したのが2006年。 (わかりやすい?韓国つながり)
正田修氏
2009年(平成21年)6月 日清製粉グループ本社名誉会長相談役。
工作員はネット徘徊の下っ端も含め、いるのではないですかねえ?
弟、修氏は反日企業と言われる花王へ。
妹、恵美子氏は第二の水俣病の企業昭和電工へ
お輿入れ。
韓国と中国というキーワードは皇后陛下にも
あてはまりますが・・・・はてさて・・・・
◆《接見の可能性》
2月24日の外務省報道発表では、すでに天皇皇后昼餐会と皇太子接見のみで、秋篠宮家スルー。
それでも日程をすり合わせると…
2月27日(金)の午後、東宮訪問と六本木ヒルズイベントの間。秋篠宮殿下はこの日フリー。王子にはハードですが、悠仁さまの学校授業が5時限までなら会えたかも。
2月28日(土)の午前中なら、ウィリアム王子と秋篠宮両殿下双方が空いていました。
悠仁さまの学校がお休みなら会えたでしょうねぇ。
《倉敷行きの不可解》
それにしても…
唐突な倉敷ご訪問。3月2日は公務が無かったので、3月1日・2日の日程でも可能でしょう。しかも、秋篠宮ご一家らしくない土日に一般人の鑑賞規制して…2日は休館日なのに。外圧感じちゃいますねぇ。
えらいもん見つけてしもうた!
美智子皇后お気に入りのダニエル・オストの展覧会が、皇后義妹の実家・大原家で開かれる。大した事でもないのに、そこへ秋篠宮殿下と佳子内親王殿下がお成りに…
変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。
しかも後から内容が改竄されているんです。
「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」
これがこうなった!
↓
「 倉敷市などによると、ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は同国の王室と親交があり、国内での展覧会開催にあわせて倉敷市側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。」
http://www.sankei.com/west/news/150228/wst1502280069-n1.html
も一つ、瀬戸内海放送ニュース 魚拓
「今回のご訪問は、日本の皇室とベルギー王室の関わりが深いことから、皇室が希望されたということです。」
http://megalodon.jp/2015-0301-0003-39/www.ksb.co.jp/newsweb/index/2920
BB注;独自ルートでの調べでは、皇室側の申し入れありきで倉敷市は声をかけていません。
ところで…
香ばしい皇后陛下のベルギー絡みエピが。
1.皇后陛下は、ベルギー葬儀弾丸ツアーの際、ダニエル・オストに弔問用花束を作らせています。ちなみにオストはベルギー人。
FNNニュースに記事がありましたが、削除されています。(検索結果からチラ見)
「オストさんは、2014年、皇后さまがベルギー元王妃の葬儀に参列した際に手向けられた花を手がけるなど、皇室とも縁がある。」 略
2.皇后陛下はベルギー葬儀に行かれて、「今回、晩餐や午餐など、ヨーロッパ王室とのご交流を通して、 王室社会の中に、皇太子夫妻の存在感があまりない寂しさをつよく感じられたそうです」 平成流皇室外交が継承されていない。
週刊文春2015年1月1日-8日新年特大号 美智子さま80歳「命の弾丸ツアー」より
略
3.皇后陛下は、ベルギー王室はとても良い王位継承の仕方をされているとお考えです=長子優先。両陛下はベルギー王室が国民からどのように受け入れられているか、実際に見に行くべきと考えられた。
産経や瀬戸内海放送ニュースのウッカリ記事のお陰で、週刊文春の怪しげな記事の信憑性がUPしてしまったヨ~。
↓
↓
こんな事から、
「ナルちゃん達がかわいそう。もう欧州王族とアーヤ達は会わせないわ!」
と、なったと言われても何も驚かない!!!
変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。
同じ産経でもこのお成りの依頼主が「皇室」だったり「倉敷市」だったり。
しかもほぼ同時に配信している。
「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」
◆誰かが妨害?
◆【ダニエル・オスト、倉敷に咲く花】という記事があります。
http://www.hearst.co.jp/brands/fujingaho
美智子さまの弟様の奥様でいらっしゃる
正田泰子さまがダニエル氏とのご縁や
イベントに秋篠宮さま、佳子さまがいらしたことを
語られています。
とてもきれいな方でいらっしゃいますね。
婦人画報は読者イベントで、 ダニエル・オスト氏の晩餐会もしていました。
http://www.hearst.co.jp/whatsnew/danielost-
ちなみに婦人画報の読者層は40~60代の女性のようです。
evenhttp://www.magazine-data.com/women-magazine/fujingaho.html
とても素敵な企画ですが40~60代女性向きのこの観賞公務がなぜ男性の秋篠宮さまと二十歳になられて2か月の佳子さまに振り分けられたのでしょうか。
お花の観賞公務は美智子さまや華子さまは単独で、
紀子さまや久子さまはお嬢様とご一緒だったりと、
女性皇族のご公務のイメージがあります。
http://www.danielost.jp/event/kurashiki.html
「倉敷 ダニエル・オストの花と心」は3月1日~4日
ウィリアム王子の日本ご滞在は2月26日~3月1日
秋篠宮さまと佳子さまが倉敷ご滞在は2月28日~3月1日。
秋篠宮さまと佳子さまが「倉敷 ダニエル・オスとの花と心」をご鑑賞になったのが3月1日です。
ご鑑賞を一日ずらせば、皇位継承順位2位の秋篠宮さまがウィリアム王子とお会いにならずに、倉敷まで出かけて母方の親戚とお会いになっていた、というような(考え方によってはあのお方の同日シリーズよりも失礼かもしれません)なことにはなりませんでした。
◆大原美術館は3/2が休館日で、秋篠宮両殿下も公務は無かったのです。3/1~2と、一日後にずらした方が余程ごゆっくりご覧になれました。
妙な日程の原因は…
**様がおっしゃるとおりなのです。
さらに当初。
ウィリアム王子は2/28(土)午前中が空いておりました。
秋篠宮同妃両殿下もこの時間は公務なし。(倉敷移動も28日午後から夕方)
悠仁様も、学校が土曜日なのでお休みだったのでしょう。
接見可能ですよ!
そこにNHK大河ドラマ撮影スタジオ見学のど~でもいい公務が、ウィリアム王子に入りました。
(悠仁親王に会わせず、これ?)
◆15歳から美智子さんは、竹山謙三郎氏主催の「竹山パーティー」に、兄巌氏と共に参加していました。竹山氏は、美智子さんが明仁皇太子と出会った軽井沢テニス旅行のアレンジもされています。※1
さらに、謙三郎氏の子息。竹山雄太郎氏は、雅子さんと、徳仁皇太子の橋渡し(お任い)をしたうちの一人とのこと。※2
2代に亘り竹山家が、将来の東宮妃召し合わせに協力しています。
美智子さんは、準備の手伝いや初参加者の相手、ダンスの名手の竹山氏に手ほどきを受けたり…兄がいっしょと言えども15歳の娘を良くこういう場所に出すものだと。…さすがストラグル御母堂ですわ。この時代、普通は娘に虫がつかぬように若い男性の中に入って行く事を避けるところを…男性を見る目を養う為?いやいや、来たるミッションに向けて男あしらいの訓練!?
「竹山氏子息が、雅子さんと徳仁皇太子の橋渡し。」もしや美智子皇后の何らかの依頼があった?
一説に、竹山氏のお眼鏡に叶った優秀で品行方正な東大生達こそ美智子さんの理想で、(高学歴=有能で人品が良いと単純に思い込んだ。)叶わなかった夢をナルちゃんの結婚でリベンジ!…で、世紀のスカを掴んだとか。(あくまでも風評です)
軽井沢テニスをセットしている事から、竹山謙三郎氏が黒幕と繋がりがあり、美智子さん育成を頼まれた可能性も無いとは言えません。それで、ナルちゃん嫁も?
何やら2代通して一つの大黒幕が居るのかも。恐らくGHQかCIA絡みの親米エージェントなんでしょうねぇ。
建築技術は当時米国が本場で、竹山氏も交流が深いことでしょうから、頼まれちゃったのかしらぁ?
[ソース]
※1.えぴすとらEpistura vol.13 1996.7
当時建築研究所の所長は現皇后の軽井沢テニス旅行のアレンジ等数々のエピソードを 残している竹山謙三郎氏でした。
http://www.kenken.go.jp/japanese/contents/publications/epistura/pdf/13.pdf
※2.歴史が眠る多磨霊園 竹山謙三郎
その息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡し(お任い)をされたうちの一人であり、建設省研究所所長を務めた人物である。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takeyama_k.html
その他にもソース有り
[ご参考]
・竹山パーティーとは…
謙三郎氏は、理工学系ゆえ男性ばかりで出会いの少ない大学の教え子や所員の為に、中野の自宅で月に一回お見合いパーティーを開催した。ノーベル賞受賞の小柴昌俊氏も、こちらでのご縁で結婚されている。
・竹山謙三郎氏とは…
兄が「ビルマの竪琴」の竹山道雄。自身は建設省建築研究所所長などを歴任された建築構造学の重鎮。電子計算を取り入れ、超高層霞が関ビルの建設を可能にした。
子息雄太郎氏も建築研究所所長を務めた。
◆竹山パーティは知りませんでした。
うーん、と唸っています。
要するに、美智子さんの母富美さんは、美智子さんを
エリートの男に嫁がせたく、美智子さんがまだ15歳の
頃から、あれこれ画策していたってことでしょう?
玉の輿欲満々。
で、巷間二度目の当時の皇太子との出会いは仕組まれたと、露見していますが軽井沢は偶然、とされていますね。
ところが、軽井沢も仕組まれていたってことですね。
雅子妃の場合も、偶然の出会いを装われ、皇太子がかきくどいて入内というストーリーにすり替えられていますが、実は雅子妃側が入内させる気満々。
娘を高く売るために、さんざん渋ってみせ、条件を吊り上げた。このパターンが、そのまま皇后陛下にあてはまりますね。富美さんがあちら(皇室)とのストラグル(闘争)したと言っているのは、条件折り合いですよね。
竹山パーティに15歳から出入りさせているようなら、やる気横溢なのに、渋って見せる駆け引きは小和田家とやり口が同じです。
http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-200.html
BB注: 婚姻関連の画像では99%不機嫌な顔をさらしている富美さん。あり得ないですね、
故意にそう見せているしか。(いやいや嫁がせるのだから、解ってますね、と
暗黙の脅し、駆け引き?) 皇室を「あちら」と呼ぶ闘争心。幼い頃からの母親の皇室への姿勢は、美智子様にも影響を与えていると思われます。
BB注;初代宮内庁長官が要するに正田美智子さん入内に関して、宮内庁としての調査が不十分であったと、述懐。由々しき記事なのですが。
娘の衣装代は出すから、その代わり・・・・というような取り引きがあったかもしれませんね。当時の皇室は恐ろしく貧しかったのですから。民間でも考えられないくらい、頻繁なお里帰りも、正田家がイニシアチブを握っていたと考えると説明がつきます。
小和田家と比較して、正田家が表に出て来ないと美談として語られていましたが、里帰りはひんぱん、宮中と正田家の富美さんとの間には特設電話。
何やら、スタータレントの母親を思わせる富美さん。プロデュース能力に長けていて、娘を条件良く売りつける。今上陛下が皇后の言いなりなのは、当時からの力関係もあったのではないですか?
これも雅子妃と東宮との力関係の相似形です。
そして、皇后雅子妃共に竹山氏が噛んでいるとなると、背後に大きな親米組織があったという仮説が成り立ちますね。だって、あの当時愛国者は軒並み公職を追放されている中(BB注:大蔵省)、建築業界のボスとしての地位を保っていたって、そう考えてもいいような? これとて仮説の域を出ませんが、説が成り立ち得るに十二分な要素があれこれ揃っています。
BB注:公職追放とは、政府の要職や民間企業の要職につくことをGHQが禁止。
・・・・・・・・・・転載ここまで
参考
竹山謙三郎氏
1932(S7)東京帝国大学工学部卒。同年大蔵省営繕管財局、'46建設省建築研究所、'55同所長。'61退職、東京都立大教授。'63鹿島建設技術研究所4代目所長、'64退職。 1966(S41)所内に電子計算センターを新設し、日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きな貢献を果たした。
息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡しをされたうちの一人.
なんと、父と息子二代にわたって、皇太子妃を誕生させた主要人物。
偶然・・・・でしょうか‥‥‥・?
正田美智子さんの、軽井沢テニスをアレンジしたのは父親の
謙三郎氏。エリート男性に、女性を引き合わせる竹山パーティを主催。
美智子嬢は15歳からこちらに出入り。三島由紀夫とのお見合いが
これに、絡んでいたかは不明ですが、三島も東大卒大蔵省のエリート。
後に小和田雅子さん実家のチッ素水俣が問題にされた時、詭弁を弄し
入内にこぎつけた団藤重光に、三島は大学時代に講義を受けているので、
これも因縁因果? 美智子さんが三島と結婚していたら、
どうなっていたのでしょうね。
東宮の誕生なく、雅子妃いず清潔な皇室であったかもしれないけど、その代わり
秋篠宮家も悠仁さまもいらっしゃらなかったわけだから、俯瞰で見れば
因縁因果の糸の絡まり合いには、天から見れば何か意味があるのかもしれませんね。
天皇陛下皇后陛下、そして東宮夫妻と内廷皇族はもう、残念ながら・・・・・
どう変わりようも、変えようもありません。秋篠宮家への移譲を心より祈念致します。