憲法改正の是非論については、改憲派・護憲派専門領域の人々でさえ
百家争鳴、こうだという見解の提示はつたなきブログ主の手に余ります。
ただ現行の憲法で、日本の平和が保てるかという、そのことに関してだけは明快に
ノーとは言えます。
それを前提にやや考察を行ってみます。考察というごとき立派なことではなく、せっかくの
憲法記念日なので「考えてみました」レベルのつたない意見に過ぎません。
まずGHQの押し付け論に対しては、起草者の中に数名の日本人がいたことを挙げて
「押し付けではない」と主張する一派がいますが、これは違うでしょう。
あの当時の日米の力の差というよりも、GHQの打ち出したプレスコードによる
報道管制、米兵の犯罪の野放し状態、war guilt information programなどの
極度の圧政を見れば、起草者に日本人がいたとてそれはお飾りであり、占領軍側のエクスキューズに置かれた人々で、たとえば幣原喜重郎などはあたかも積極的起草者のごとく
言われることもありますが、当時の日米の関係を思えば対等であったとは考えにくいのです。
ハーグ陸戦条約への違反を理由に、米国側の違反を主張して憲法無効を言う人もいますが、同条約は交戦中の規定であり、ポツダム宣言を受諾した時点で日本の戦争は終結しており、違反に当たらないとする説もあり、論ずれば専門的隘路に踏み迷うばかりで、らちがあきません。
中には、GHQの押し付け論に対して、日本は受け入れこれを護持して来たのだから、もはや押し付けレベルは脱した、というごときことをいう人がいますが、受け入れたから押し付けであるという歴史が消滅するわけではないので、愚論。誇りの失せた負け犬の論だと思います。
昭和天皇とマッカーサーとの面会は18回にも及び(回数は記憶のみ。間違いあれば後に訂正します)、その間の面談でいかなることが話し合われたか、誰も知りません。
そんなことから、マッカーサーと天皇との間で交わされた交渉の結果として、憲法は天皇発案論まで存在します。
*内閣にとって最大の関心事は天皇制が護持されるか否かでした。GHQ案は占領政策を円滑に進めるために天皇の戦争責任を問うことなく天皇の権威を利用すること、その代わり天皇は象徴の地位に止めること、及び軍国主義の体質を除去するため戦争は放棄することなどを骨子とするものでした。幣原内閣は議論の末、国体護持のためにはやむなしとしてこの草案を受け入れました。(コピペ)
*幣原内閣にとって最大の関心事は天皇制が護持されるか否かでした。GHQ案は占領政策を円滑に進めるために天皇の戦争責任を問うことなく天皇の権威を利用すること、その代わり天皇は象徴の地位に止めること、及び軍国主義の体質を除去するため戦争は放棄することなどを骨子とするものでした。幣原内閣は議論の末、国体護持のためにはやむなしとしてこの草案を受け入れました。(コピペ)
憲法論は錯綜して専門家も結論が出せない永遠の迷路だと思います。
したがって、現憲法に対する価値判断はたった一つでよろしい、というのが
拙ブログの主張です。
はい、いろいろな議論と見解のあるのは解りました。「で? 現行の日本国憲法で、国が守れますか?」という問いこそが最大の肝でしょう。
答えはシンプルにノーです。九条で平和が担保できるなら各国、九条を
制定します。いざ中国が攻めてきた時、彼らの欺瞞に満ちた主張に対して、
九条がいかほど有功か、考えるほどのこともないでしょう。
末尾に、昨年から今年にかけ、天皇陛下と皇太子が矢そのお誕生日談話で矢継ぎ早に
憲法に関する異例の発言があったことに、奇異の念と危惧を抱いています。
それぞれ宮内庁のHPから採録してみます。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html
天皇陛下
「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
・・・・・・ここまで
これをもってして、軽々に天皇の現憲法肯定論であると捉えるのを戒める人たちも
いますが、しかし読み返しても相当異例な発言であると同時に、どう読んでも
現憲法擁護論でしょう。
そして翌年、皇太子の発言は上記の天皇陛下のご発言を更に進め、もはや自民党の党是である憲法改正と、安倍政権批判にまで踏み込んだと言わざるを得ません。
あまり敏いとは言えない皇太子がここまで突っ込むことに違和感を抱きつつ、
しかもさして近年ご関係が密とは言えない天皇陛下の前年度発言と、あたかも
連携プレーのごとき趣を呈していることに、不可解の念を抱きます。
批判ではなく、危惧です。何らかの背景が、お二人に連携で言わせてはいないだろうか、と。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h26az.html
皇太子
日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されております。今日の日本は,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,現在,我が国は,平和と繁栄を享受しております。今後とも,憲法を遵守する立場に立って,必要な助言を得ながら,事に当たっていくことが大切だと考えております。
・・・・・・・ここまで
天皇陛下と皇太子の憲法発言に対しては、これ以上踏み込みません。
なさることならぬ皇太子はともかくとして、天皇陛下をこれをもってして批判申し上げる気は
ないので。
ただ天皇陛下と皇太子殿下の発言を誰が大喜びして報じたかというと、中国と韓国であったことは申し添えておきます。
皇太子に関しては、いっぱし憲法を説かれるなら、自ら決め事は守られよ、と申し上げます。
皇太子には、天皇がご不調、不在の時には、国事行為を臨時に代行する「義務」があることが定められています。天皇の臨時代行の仕事とともに皇居の留守をお守りする義務。
その義務を放擲して、スキーに一家で出られ、留守居を秋篠宮殿下に任せられたのはついこの間のこと。天皇代行は、今後秋篠宮殿下である、と国民は思ってもよろしいのでしょうか。新嘗祭も、掌典長にお任せになられ、ご自身でおやりにはなりませんでした。
新嘗祭他のご伝授は、もういっさい秋篠宮殿下になさるべく、お心を決められるべき時ではないかと愚考します。
皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 【転載自由】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223
話題を憲法に戻します。
拙ブログ主は、専門的意見はさておきGHQの親玉であったマッカーサーが、黄色い紙に記して日本側に渡した、いわゆる「マッカーサー・メモ」が、現行の日本国憲法の成立のエッセンスであろうと捉えています。
“War as a sovereign ritght of the nation is abolished.Japan renounces it as an instrumentality for settliing its disputes and even for preserving its own security.It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
No Japanese Army,Navy or Air Forces will ever be authorized upon any Japanese forces.”
「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。 いかなる日本の陸、海、空軍も決して認められず、いかなる交戦者の権利も、日本軍隊に決して与えられない」
はい。身を守る戦争すらするな、と言っています。
このマッカーサー・メモをベースに、案が練られながら現在の憲法になったわけですが、
そのベースにある精神は「襲われても黙ってやられなさい」だと思っています。
憲法改正を望みます。