天皇皇后両陛下を2時間以上お待たせして結局食事会をすっぽかしたのが雅子妃なら、天皇陛下に口答えしたり、ご入院の際にはお見舞いにも行かず、身内の葬儀には出ても皇太后の収斂の儀はサボる他数々、雅子妃の天皇皇后両陛下と、皇室への不敬は枚挙に暇なく、皇太子もその不心得のふてぶてしい妃に巻き込まれる形での不敬の連打が、東宮夫妻の有り様で、そもそも
昭和大帝の小和田雅子の入内ならずという厳しいお言葉に背いての
ご成婚自体が不敬婚ともいうべきで、蓋を開けたら案の定。
東宮批判を不敬という痴呆の者たちがいるけれど、不敬という言葉が成立するのは相手が敬するに値する存在であってこそ。
不敬の存在への批判を不敬と称しての批判は、言葉の矛盾です。
愛子内親王を皇祖神のもとへお連れせぬどころか、昭和天皇皇后の御陵は
都内であるにもかかわらず、一度たりとお参りさせず、ご本人たちも伊勢神宮への参拝は成婚の年とその翌年のわずか2回。
その一方スキー旅行は、毎年欠かさず。莫大な国費と長野県のお金を消費しつつ、国民の交通を遮断しつつのお出かけ。
愛子さんの声を6年間も聞かせぬ異常さ。初等科卒業式では記者たちの「いかがでしたか」という問いをシカトという異様さ。
さすがに記者団も女子中等科入学にあたっては「声をかけざるを得ませんから」と言外に、東宮職を通じて覚悟を迫ったら、やっと得られたのが「ありがとうございます」と、母親の顔色を見ながら「楽しみにしています」の、小1でも言えるたった二言。
悠仁親王殿下は、幼稚園の頃からもっと利発な言葉を国民にお聞かせになっています。
較べてどうというのではなく、いつまで国民を欺いて夫婦で遊び呆けていらっしゃるのかという問いかけです。そのお子のレベルに相応しい教育をなされないのは一種の虐待でもあれば、周辺の子ら教師に負担を強いることでもあります。
明らかにしないから「愛子天皇」とか妄言の書を出すバカな人が現れ、またそれに賛同する人たちがいます。中学入学間際にやっと二言、どうでもいい音声を発したレベルのお子に、何が天皇ですか、女帝ですか。
記者たちの中には愛子さんの声を聞けたということで、ガッツポーズをして喜んだ記者までいる、と記事は書くのですがたったこれだけのことで、記者を喜ばせる自体が異様なのです。
宮内庁からは「お声かけは慎むように」と毎度毎度。
要するに隠したい何かがあるからこその要請。
皇室を扱う時には、叩く一方ではなく持ち上げながら叩く、が週刊誌のセオリーで週刊新潮の記事も褒めて讃えて気色が悪いのですが、記事が一番言いたいことは、「伊勢神宮にも御陵にも内親王を伴わず、秋篠宮家と比べてお宅って、やる気あるの?」です。
タイトルの「脱・皇室」とは、「高い国費使うばかりで、やることやる気ないなら出て行けよ」という意味だと解読すべきでしょう。
最後の、最も言いたいところに辿り着くまで記事はベタベタに甘くて気持ち悪いのですが、週刊誌も叩く一方では成立しないので読むほうが心得るべきでしょう。
学校の節目には「ご成長の記録」として画像が宮内庁から提供されるのが常識なのに、愛子さんの場合はスキーの写真だけ。しかも、本来なら宮内庁委託の業者の撮影になるのが恒例なのに、今回撮影したのは「同行者」、スチール写真は奥志賀ではなく、焼額岳スキー場という怪しさ全開。
滑っているのが愛子さん本人かどうかも失礼ながら、わからぬ写真ばかり。
滑りは北海道の子でもこうは行かぬというほどの上級クラスで、2級クラスだとか。
年間2,30日ほど滑り、それを5,6年間続けなければこうは滑れない、と記事は持ち上げるのですが、自慢にできることではないでしょう。やることやらず、遊び呆けはご両親と同じパターン。
今年はとりわけ、天皇皇后両陛下が皇位継承の証である三種の神器のうちの2つ、剣と璽(じ、まが玉)を持参する「剣璽(けんじ)動座」の伊勢行きの時期とかぶり、本来なら皇太子は天皇陛下と同道、滅多にない機会における天皇としての立ち居振る舞いを学ぶべきお立場、少なくとも陛下の代わりに皇居をお守りするか二つに一つ。
それを放擲してのスキーお遊び旅行なのですから、そこでいかに愛子内親王が闊達に滑ろうと、逆に一家の恥知らずぶりが際立つだけ。
伊勢神宮と武蔵野陵には記者団から愛子さんには「節目だから行かれたほうがよろしいと思います」と言われる始末。ところが肝心の東宮夫妻に全くその気がなく、詰め寄られた東宮太夫はしどろもどろ。
宮内庁発表の予定表でも、園遊会の項目は両陛下、秋篠宮ご夫妻は早々とご出席と発表されているのに、東宮夫妻の箇所だけ延々と真っ白。
その状態をもはや、悪いとも恥ずかしいとも思わぬ感性が東宮夫妻です。
結局雅子妃は11年間連続欠席の確信犯。11年連続でたまたま園遊会の日に
体調が悪いということはあり得ず、「出ないことに決めました」のがあらゆる祭祀、神域、赤十字、歌会始め。公務も殆どせず。
いっそ何もしません宣言のほうが、はたは振り回されずラク。
カツラを新調して、ビオラをこすっている場合じゃないでしょ。
長ずるにつれ、一目瞭然。
言葉もろくに発しないようすを「はにかんだ」としか表現出来ないメディア。
「という」伝聞情報ばかり。
ご優秀詐欺はもう飽き飽き。「ごゆっくり」ならそれはそれで、誰も責めはしないのに。
女帝論など持ち出してくるから、公人とはいえ未成年の愛子さんのあれこれを
言わざるを得なくなる。
女性天皇じたいが、皇室破壊なのに、このお子が天皇なら、長じても動かし放題。結婚相手の男を傀儡に何かの勢力が背後から操るのは必至。
社交の場に、体型保つも厳しい義務、と心得た欧州の王室の女性たち。
肥満は自己管理のできぬ証で恥。歯並びが欧米では重視されるのに、
外国外国と言う割には、ガチャ歯でご入内。目頭切開や、鼻にシリコンを
入れるより前に歯の矯正が必要だったのに。いやそれよりも、体型管理。
夫婦でみっともない、日本の恥さらし。
もう皇太子も要らないかも。弓弦くんを見てこのミーハー顔。恥ずかしい54歳。雅子さんと共に御所に隠れていらっしゃればいい。
先頭の人、邪魔。
なけなしの公務ももうやっていただかないほうがいいかな・・・・。秋篠宮家との
差異がよりくっきりして、次世代が誰かはっきり、解るでしょう。
明治天皇の皇后、昭憲皇太后の没後100年に際し、明治神宮を参拝した秋篠宮ご夫妻と眞子さま=東京都渋谷区の明治神宮で2014年4月18日午前9時12分、徳野仁子撮影
「いないこと」の安定感と清々しさ。
清子様に続き、伊勢神宮祭主は間違いなくこの御方。