まずタイトルに「通名」と打ったのは、従軍慰安婦に関するでたらめ本を出し、
後の慰安婦問題に火をつけた吉田清治が、幾つもの名前をペンネームという
形ながら使い分けていたことから、一抹の疑いを抱かざるを得ないという点での「通名」呼ばわりです。
わずか4歳年下の、李貞郁という朝鮮人を養子にしているのも、妙な気がします。
なぜわざわざ、朝鮮人? わずか4歳差?
真偽を追い切れていない、ということではこれもそうですが、とりあえず
「こういう説もある」ということで紹介しておきます。
【吉田が24歳の時に養子にした李貞郁は、実の弟なのではないか? 密かに九州に渡っ た朝鮮人が死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、そして実弟を養子として入籍した… そんなストーリーだと辻褄が合う】
エピソードの真偽もさることながら、しかしこういう説が出ることじたいが、吉田の
いかがわしさ、得体の知れなさを現していると言うべきでしょう。
吉田の【定かならぬ】略歴
【経歴】
本名は吉田雄兎、別名は東司、栄司
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜。
1931年、門司市立商業学校卒。
(卒業生名簿には死亡とある)
1937年、満州国地籍整理局に就職。
1937年4月30日、李貞郁(1917年生まれ)を養子として入籍。
(李貞郁=吉田永達は1942年に結婚、戦後九州で労組運動の幹部として活動、1983年に死去した。)
1942年9月、労務報国会 下関支部に就職。
1944年5月18日、大野フサエと結婚。
1947年4月、下関市議に共産党から出馬して落選。
共産党員。
1970年頃、門司の日ソ協会の役員をしていた。
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。
その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。
(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労務報国会へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
1983年7月、『私の戦争犯罪(三一書房)』を出版。
慰安婦狩りの生き証人としてマスコミ等でもてはやされた。
しかし、後に自身の著作について
「創作 [捏造]」であることを認める。
「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」
(1996年5月号の『週刊新潮』掲載 より)
>1937年、満州国地籍整理局に就職。
1937年4月30日、李貞郁(1917年生まれ)を養子として入籍。
就職してすぐ、独身なのに4歳下の朝鮮人を養子にする不自然さ。
朝日新聞大誤報
◆NEWSポストセブン 2012年08月15日07時00分
朝日新聞はいまだ、訂正も謝罪も無し。
強制による慰安婦の存在は日韓両国の調査によっても、証拠は全く出ていません。
また数から言えば、日本人慰安婦が圧倒多数だったのに、日本人に言及されることがないのも、不可解なことです。
最初の本にはなかった、強制連行駆り集めが次の本では書かれます。
『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)
吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語る。←こういう虚言が「日本人」でしょうか?
捏造慰安婦問題が表舞台で脚光を浴びたのは1993年(平成4年)のことです。
出処はNHK(山口放送局)。番組企画で、取材のため数十人に当たるも、証言が取れず、
版元に確かめると「あれは、小説ですよ」と驚くべき答え。
しかし、ドキュメントとして売りだされ、世間もそう受け止め、吉田自身が
「実話」だと言い、儲けたい出版社も敢えてフィクションという売り方を
しなかったのではないかと、思われます。
当時のキャッチコピーも、「戦後30年以上を経て当事者が初めて告発」というもので
あったようで、だからこそNHKも動いたのでしょう。あるいは小説の形を借りた
ドキュメントである、という売り方であったのか、そこは解りません。
無名の男なので、おそらく吉田側から出版社への持ち込み原稿でなかったかと
想像されます。
吉田清治こと、本名吉田雄兎、他に吉田東司、吉田栄司と名乗っていました。
まっとうな日本人が筆名はともかくこれほど、名前を使い分ける必要が
あるのか、という疑念は脳裏をよぎります。
更に詳しい資料はこちらのサイトさんにありますが、より詳細な略歴もあり、
そのいかがわしさ、不確かさに改めて驚かされます。日本人・・・ですかねぇ・・・?
http://kokis.client.jp/noby/b02_yoshida.html
そもそも本人が「実話」だと言い張るなら本名での発表が普通で、小説家の
ごとき、ペンネームは不要です。
筆名という名の通名を用いながら「勇気ある告発」と持ち上げられ、本人も
その線を狙った節がうかがえます。
執筆詐欺のための、むしろ変名ではなかったでしょうか。
現在すでに100歳を越えていながらあらゆる資料には没年が無きまま、
生存扱いも奇妙で、果たして日本国内にいるのでしょうか。
南か北かは知りませんが、半島ですでに没しているのではないか、という
推論。 ← 【後記】この時点で最新号の週刊新潮で、2000年7月に死去との記述があるそう。
通名と皮肉るのは日本国の軍人でありながら(あるいは軍人を名乗りながら
これほど、国を侮辱する偽書を書けたという驚きと、やはり一抹の疑惑が
つきまとうからです)
処女「小説」に続いて『私の戦争犯罪』(三一書房S57年)を出しますが、これもドキュメントを装ったフィクションであったわけです。
作中の「私」ですら、吉田自身ではないことが指摘されています。
済州島の地元紙『済民新聞』の文化部長を歴史家の秦郁彦氏が訪ねたのは、1992年3月のこと。取材に訪れた秦郁彦氏に、文化部長が言ったのは次の言葉です。
「何が目的でこんなつくり話を書くのでしょうか」
資料『昭和史の謎を追う・下』文春文庫498P
目的はお金か名声欲、あるいは吉田自身が韓国人で、日本を毀損したかった、と
三つほど浮かびますが、あるいはその全部である可能性もあるのかもしれません。
これは吉田清治の自称「ノンフィクション」に疑問を投げかける地元紙の記事です。(1989年8月14日)
吉田清治嘘つきだ、と現地新聞が報道。
ご覧のように、あたかも「ノンフィクション」の扱いで、当時売らんかなの出版社も
同罪でしょう。
それに・・・・済州島という狭いエリアで吉田の言うごとく、現地の若い女性たちが日本軍への性奉仕のために駆り集められていたら、男たちが黙っていなかっただろうし、第一記録が皆無ということは絶対にないでしょう。
まして、今韓国側が言い立てる如く20万人もの韓国女性を性奴隷とやらに駆り集められていたとしたら、韓国の男たちは腑抜けです。
しかもその当時、日本軍が兵隊を募集すれば、倍率数十倍で韓国青年たちが応募に殺到していたのです。一方で、20万人もの同胞少女たちが、拉致連行されていたとしたら、当時の韓国青年たちは、馬鹿だということになります。
ここも、日本は声高に指摘すべきでしょう。
韓国人たちは、「性奴隷20万人」などと叫びながら、自国の男たちの
馬鹿さと、無力さを世界に宣伝しているのだ、と。
世界を席巻しつつある韓国側の捏造ですが、その発信の大本はかくも稚拙で
単純なことなのです。
靖国が政治問題化させられたのも、火付け役は朝日新聞です。
今どき朝日を取る人たちは、愚かでもあるし日本人として恥を知るべきです。
政府はなぜ、こういう吉田や朝日新聞という基礎から韓国側にぶつけないのでしょうね?
おそらくアメリカの恫喝に政府は屈している姿なのだと思いますが、いかにアメリカとて
国民の発言と行動までは封じ得ません。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140306/k10015772251000.html
*アメリカのケネディ駐日大使は6日、NHKのインタビューに応じ、歴史認識などを巡って冷え込んでいる日本と韓国の関係について、「日韓両国が緊張緩和のプロセスを主導すべきだ」と述べ、来月予定されているオバマ大統領のアジア歴訪に向けて日韓が主体的に関係改善に取り組むよう促しました。
根気よく発信し、戦い続けましょう。 しかし、自民党は韓国寄り議員がいる限り自浄は無理ですね。有名なのは、何人も生息していますが、一年生新米議員で言えば、宮川典子議員。韓国側の仕組むあれこれを検証するにつけ、韓国の道徳教育と市民倫理を誉める代議士などカスだと思うのです。 【追記】 単なる勤労奉仕の「女子挺身隊」を植従軍慰安婦と置き換えて世の中に
拡散したのが、朝日新聞の植村隆記者で、朝日を早期退社して某女子大に
講師として務める予定でしたが、大学側に抗議が殺到、キャンセルになったと
今のところ、伝えられています。