舛添要一氏のブログより
h ttp://ameblo.jp/shintomasuzoe/entry-11748459201.html
無事に墓参りを終えました。戦国の世を終わらせ平和をもたらした徳川とともに栄えた先祖に首都決戦の報告です。
人さまの家のお墓に、本来ならコメントなど無礼なのですが・・・・・
しかしこの方、都知事に立候補された公人。
まず不思議なのは・・・・
都知事選に立つご報告なので、威儀をただした墓参ですよね?
服装をそれなりに整えるのが日本人の感覚だし、そうしたのが歴代の総理はじめ要人たちでしたが、舛添さん普段着。
線香無し。
お花無く、花筒さえ無し。
念珠持たず。
線香は神道でも焚かないので、それかとも思ったのですが、まず墓とは言わず、奥津城(おくつき)と言うし、「累代の墓」とも刻みません。
それに、お花代わりの榊をお供えする筒も設置されていません。水、洗米、塩などの神饌も置けないし。
墓石というよりは碑。お骨を納める場所は? 碑の下の単なる台座に見えるのだけど。
「累代」という使いたかも特殊なほうかも。宗派別に調べたのですが、見当たりません。ご存知の方どなたか?
それに江戸時代をアピールするなら、お寺の墓地であるはずなのに、
ここ、どこ・・・・・?
江戸時代にこんな形の墓石ってありました?先祖代々のお名前も刻んでは
いないようだし。
いちいち分析しなくても、ぱっと見て日本人なら違和感を持つ
お墓とお墓参りの様子ですよねえ。
「徳川とともに栄えた先祖」という言い方も不可解。舛添家の先祖って、徳川の時期限定なんですか? それ以前以降の先祖はどこにいらしたの。
とそういうことより、普通の日本人はご先祖を語るのに、こういう表現はしませんよねえ。
あとカメラアングルも、たまたま撮りましたという構図ではなく、
撮るために見せるために撮ってますよねえ。
戦後の混乱期は戸籍の乗っ取りさえありましたねえ・・・・。
「朝まで生テレビ!」でカミング・アウトしたと言われる朝鮮人説打ち消しのための
画像なんでしょうが・・・・逆効果だったような。
《追記》コメ欄に次のご紹介を頂きました。
引きで撮影した画像が、舛添氏の過去のブログにありました
h ttp://ameblo.jp/shintomasuzoe/entry-10777037359.html#cbox
ー右の緑の伊予石の墓は、九州から運んできたものです。新しい墓は11年前に私が作ったもの。頻繁に先祖供養するために父の作った墓を関東に運んできたのです。
・・・・・
古いお墓拝んだら、新しいお墓にお尻向ける形で違和感。
という以前に、なんで二基? お骨があるのなら、そこに納めれば
一基ですむのだけど。古い墓石が欲しかった?
継ぎ接ぎ墓を思い出します、どなたかの。
《追記》
井上太郎氏ブログより
h ttp://fornihon.blog.fc2.com/blog-entry-502.html
舛添家は永年続く立花藩の家臣、母親も長年続く商家の出。
何かテレビで朝鮮の血が入っていると本人が言ったとか、私は何かの間違いだと思います。
ーーーーこの情報がネット上に広まってきているようですが、
立花藩は間違いのようで?検索しても出てこないです、
柳河藩の立花家ということでしょうか?
柳河藩、舛添氏どちらのwikiにも記載なし、検索もざっと見た限り見当たらないのですが、この情報のソースはどこなんでしょう・・・
墓の形態の不思議さ、ご報告の改まった墓参なのに、念珠持たず、また合掌の
形と継ぎ接ぎ墓が不思議だったお墓参りはこちらもでした・・・・・。