これは学習院初等科の眞子様へ宛てた、皇后陛下のお手紙です。
皇后さまの喜寿を記念した特別展「紅葉山御養蚕所と正倉院裂(ぎれ)復元のその後」に
展示され、人の目に触れるところとなりました。
皇室の伝統を女性の身で引き継ぐことの大切さを平易な言葉で語られ、
しかしそれは言外に雅子様への、(批判的な)思いも含んでいるようにも感じられます。
まずは、ばあばとしての皇后陛下から、孫の眞子ちゃんへ語りかける言葉を
ご覧くださいませ。
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眞子ちゃん
眞子ちゃんは、ばあばがお蚕(かいこ)さんの仕事をする時、
よくいっしょに紅葉山(もみじやま)のご養蚕所(ようさんじょ)にいきましたね。
今はばあばが養蚕(ようさん)のお仕事をしていますが、このお仕事は、
眞子ちゃんのおじじ様のひいおばば様の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)様、おばば様の貞明皇后(ていめいこうごう)様、
そしてお母様でいらっしゃる香淳皇后(こうじゅんこうごう)様と、
明治(めいじ)、大正(たいしょう)、昭和(しょうわ)という三つの時代をとおって
ばあばにつたえられたお仕事です。
眞子ちゃんは紅葉山(もみじやま)で見たいろいろの道具をおぼえているかしら。
蚕棚(かいこだな)の中の竹であんだ平たい飼育(しいく)かごをひとつずつ取り出して、
その中にいるたくさんの蚕(かいこ)に桑(くわ)の葉をやりましたね。
蚕(かいこ)が大きくなって、桑(くわ)をたくさん食べるようになってからは、
二かいにあるもっと深い、大きな木の枠(わく)のようなものの中に移して、
こんどは葉のいっぱいついた太い桑(くわ)のえだを、
そのまま蚕(かいこ)の上において、やしないましたね。
しばらくすると、見えない下のほうから
蚕(かいこ)が葉を食べるよい音が聞こえてきたのをおぼえているでしょう。
耳をすませないと聞こえないくらいの小さな音ですが、
ばあばは蚕(かいこ)が桑(くわ)の葉を食べる音がとてもすきです。
蚕(かいこ)は、どうしてか一匹、二匹とはいわず、
馬をかぞえるように一頭、二頭と数えることを眞子ちゃんはごぞんじでしたか?
あの時、眞子ちゃんといっしょに給桑(きゅうそう)をした二かいの部屋には、
たしか十二万頭ほどの蚕(かいこ)がいたはずです。
眞子ちゃんはもう万という数を習いましたか?
少しけんとうのつかない大きな数ですが、
たくさんたくさんの蚕(かいこ)があそこにいて、その一つ一つが、
白や黄色の美しいまゆを作ります。
きょねんとおととしは、眞子ちゃんも自分で飼ったので、
蚕(かいこ)が何日かごとに皮をぬいだり、
眠ったりしながらだんだん大きくなり、
四回目くらいの眠りのあと、口から糸を出して、
自分の体のまわりにまゆを作っていくところを見たでしょう。
きょねんはご養蚕所(ようさんじょ)の主任(しゅにん)さんが、
眞子ちゃんのためにボール紙で小さなまぶしを作って下さったので、
蚕(かいこ)が糸をはきはじめたら、すぐそのまぶしに入れましたね。
蚕(かいこ)は時が来るとどこででもまゆになりますが、
まぶしの中だと安心して、良い形のしっかりとしたまゆを作るようです。
まぶしには、いろいろな種類(しゅるい)があり、
山をならべたような形の、わらやプラスチックの
まぶしの中にできたまゆは手でとりだしますが、
眞子ちゃんが作っていただいたような回転まぶしの中のまゆは、
わくの上において、木でできたくしのような形の道具で上からおして出すのでしたね。
さくねんは、ひいおばば様のお喪中(もちゅう)で、
蚕(かいこ)さんのお仕事がいっしょに出来ませんでしたが、
おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事を
ずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました。
サクッ、サクッと一回ごとによい音がして、
だんだんと仕事がリズムにのってきて
−また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい。
蚕(かいこ)は、始めから今のようであったのではなく、
長い長い間に、人がすこしずつ、よい糸がとれるような虫を作りあげてきたものです。
蚕(かいこ)のそせんは、自然の中に生きており、
まゆももっとザクザクとした目のあらいものだったでしょう。
人間は生き物を作ることはできませんが、野生のものを少しずつ人間の生活に
役に立つように変えるくふうをずっと続(つづ)けてきたのです。
野原に住んでいた野生(やせい)の鳥から、
人間が鶏(にわとり)をつくったお話も、きっとそのうちに
お父様がしてくださると思います。
蚕(かいこ)の始まりを教えてくれる「おしらさま」のお話を、
眞子ちゃんは、もう読んだかしら。
ばあばは蚕(かいこ)のことでいつか眞子ちゃんに
お見せしたいなと思っている本があります。
女の方が、ご自分のことを書いている本で、その中に、
四年生くらいのころ、おばあ様の養蚕(ようさん)のおてつだいをしていた時のお話がでてきます。
まだ字などが少しむづかしいので、中学生くらいになったらお見せいたしましょう。
この間、昔のことや家で使っている古い道具についてお話ししてと
おたのまれしていましたのに、暮(く)れとお正月にゆっくりと
お会いすることができませんでしたので、思いついたことを書いてお届(とど)けいたします。
今は蚕(かいこ)さんはおりませんが、もう一度場所や道具を
ごらんになるようでしたら、どうぞいらっしゃいませ。
たいそう寒(さむ)いので、スキーに行く時のように温(あたた)かにしていらっしゃい。
ごきげんよう
ばあば
眞子様
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで
学習院初等科3年生でいらした眞子さまが
「お年寄りの世代が行っていた手仕事について調べよう」
という宿題を出され、それに皇后陛下がお答えになられたものです。
初孫へ向ける眼差しが感じられるあたたかな文章ですね。
拙ブログでは、あったことをなかったことにしてまで皇后陛下を
美化する意志は皆無ですし、常に物事は真実を視ようと心がけています。
皇后陛下が皇太子殿下の子育てに基本で失敗されたこと、
チッ素水俣家系、そして男性関係が取り沙汰され、また
その実父の自虐史観的思想調査もなさらず、小和田雅子嬢の入内に賛成なさったことの非、皇太子殿下に対して現在も甘過ぎる点など、わざわざ書きはしませんが覆い隠し抗弁する気もありません。
ただ・・・皇太子雅子妃への批判だけでも、世間は耳をふさぎたがるのに
そこに天皇皇后両陛下の批判まで加えては、とてものことに言い分が
通らぬこと、また両陛下に皇太子夫妻批判となれば、これは形としては
もはや皇室全否定となり、それは致しません。
また、お墓のことを口になさるご高齢を押されての公務、祭祀、被災地訪問、そして皇后陛下の宮中伝統を墨守なさりたい至心は十分に感じ、また両陛下の祈りも曇り偽りのないものを感じるがゆえに、口をつぐんでいます。
拙ブログの目的は唯一つ、廃太子廃妃です。
天皇皇后両陛下の美化にはありません。その、畏れながら欠点も認めつつ、
しかし、受け入れざるを得ない侵しがたき領域におありの方々であろうと
いうことです。それが本来の皇室でしょう?
それが出来かねるのが、皇太子と皇太子妃だということなのです。
種々の至らなさには目をつぶっても、これあるがゆえに皇族として
仰ぎ見ていたいと思わせるものが皆無なのです。
あるのはエゴ、私欲、勘違い、愚かさ、欺瞞、計算、不摂生、自己主張、国民軽視蔑視、そして最大に受け入れがたいのが祭祀へのないがしろになさりかたです。
皇太子の海外公務における時として正視できないほどの稚拙なお振る舞いについては、もう繰り返しませんが、このたびのマンデラ氏の追悼式典で、これぞという王族方が黒ずくめのスーツで威儀をただす中、皇太子はあろうことか、紺のスーツに黒のネクタイという珍妙さ。
いったい、何をなさっているのでしょう。
天皇陛下や皇后陛下を批判する者の中には、それをもって皇室瓦解を目論む
者もいます。それゆえ、まっとうな批判に口を閉じよとは言いませんが、
事実を故意に捻じ曲げる記述も散見されます。言葉の揚げ足取りレベルでは
皇后陛下が「末の悠仁」とおっしゃった言葉を、秋篠宮家軽視と
騒ぐ人たちもいたようですが、日本語には「末っ子」という言葉がある通り、
そこにある「末」には軽視も蔑視もなく、むしろ、いとけなき者というそこはかとなき
心情すら添う言葉でもあります。
いえ、そういう理屈はよろしいので、和舟を天皇皇后両陛下が漕がれ、そこに悠仁さま、紀子さまが乗られたことがありました。その折のお写真を
拝すれば、皇后陛下の和らいだ視線は常に悠仁さまに注がれ、他に動くことすら
ないご様子です。心の眼で見れば悠仁さまへの期待と愛は一目瞭然であるのに、はじめから批判の眼差しを向ける人たちには視えないのでしょう。
天皇皇后両陛下の天安門以降の中国訪問に関しても皇后陛下を貶めたい人たちは、あたかも皇后陛下が計画なさったように言いなしますが、両陛下に外交に関わることで選択権も決定権もお持ちではないことは、わざわざ言うほどのこともない常識中の常識でしょう。そんな、らちもないことを言う前に、当時の外務省を誰が実質で仕切っていたのか、それを探るのが筋でしょう。
天(そら)を往く船
皇統を繋ぐ船
拙いブログも当初から皇太子雅子妃殿下に対して、批判の目を向けていたわけではありません。むしろ心情を寄せていたほうであり、雅子さまご優秀、そして
有能な外交官でいらしたのに、無理やり皇室に閉じ込められてお気の毒に、という世間一般の視線で見ていました。
しかし、皇室大事、日本大事という視点から拝するに目に余るものが徐々に
見えてきて、もはやこれは看過すべきではない、と思い至ったのはつい
2年ほど前のことで、ごく遠慮がちに異議を唱え始め、しかし皇太子皇太子妃の
人も無げなお振る舞いは、常軌を逸脱する一方で現在に至ります。
被災地と被災民に対するご姿勢は、皇太子皇太子妃として以前に、「人として」最低だと思いますし、また皇太子の中国共産党の実質国軍少将との自らの
意志による接触、反日韓国人要人お二人とのコンタクトなど、お身分がなければ
公安がつくほどの出来事です。(安倍昭恵さんもそうですが・・・・昭恵さんには当然、公安は警戒していると思いますが・・・・)
後説が長くなりましたが、こちらの週刊誌記事は以前にも取り上げましたが、これは皇后陛下の雅子妃に対する、言外の厳しい叱責のお言葉ではないでしょうか。
皇后陛下の、雅子妃への甘さに、とかく非難の矛先が向けられるので、再掲しておきます。
お立場上、面と向かって叱責は叶いませんが、これは雅子妃には相当厳しいお言葉です。もっとも、肝心のご本人が相当図太い神経をお持ちなのと、言語発信・感知能力、いずれの点においても、いささか首をかしげる点があるので、伝わっているかどうか、こころもとないことではありますが・・・・。
これは、いっさいほのめかしもされませんが、雅子妃の和歌の稚拙さにも
内心吐息を漏らされているのではないかと推測されます。
と申しますのは、雅子妃の和歌はわたくしども素人から拝しても
稚拙極まりなく、談話と同じく語嚢乏しく、日本語未満、しかも20年時系列で並べてみても進歩1ミリもなく、努力もやる気の跡も皆無なのです。
まして皇后陛下におかれましては、入内以来営々と日本語の道にも
お励みになり(それも皇室の大事なお務めです)、お歌も秀逸なので、
雅子妃の中学生並みの和歌に何もお感じにならぬわけもないと
思われます。相当酷いのです。日本語をまともに使えず、そのことを
自覚もせず従って深め磨く努力もなく、それは日本の民族服である和服も同じことです。
少しの努力があれば、着物などいずれ着物のほうから身に馴染んでくれるもの、
いささかの努力さえあれば。それを投げ出したまま袖を通そうともなさいません。
全て病気を口実に、やりたくないことは放擲。その根性がもはや見え透いて、うとむ国民が増えているのです。
紀子妃がよく嗜まれる和歌も書も(絵画も)、雅子妃にはひたすら意味のない
無駄事なのでしょう。
眞子様へのお手紙の中で、
「できましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい」
と書かれた皇后陛下のお気持ちは、雅子妃があてにならぬので
養蚕も祭祀も、「眞子ちゃん、佳子ちゃん」そして紀子様にお伝えしたいとの
心情が汲み取れはしないでしょうか。
淡々と書かれた1行ではありますが、ブログ主はこの1行に切々たる
皇后陛下の悲鳴の如きものすら感知するのです・・・・。
さて、上記の記事中、拙稿のメインテーマである皇后陛下の雅子妃への叱責に該当する部分は容易に読み取れると思うので、改めて触れません。
皇太子妃のオランダ訪問に関しての言葉は、質問されれば一見かばって、そう答えざるを得ないといったレベルのお言葉でしかありません。
批判派はここもつきますが、公のコメントでは批判出来る立場ではない以上、かばうしかないではないですか。
記事中看過し難い箇所があるので、蛇足ながら一言。
宮内庁関係者の言葉として、愛子さまへの「いじめ」という言葉がありますが、
詳細を調べてみましたが、いじめと大騒ぎするほどのレベルではありません。
いじめという言葉がひとり歩きして、勝手に何か凄いことが行われたように
国民も受け取っている人が多いかもしれませんが、世間一般で言う
いじめの定義からは著しく外れます。
大体、内親王をお預かりしている学校側が、雅子妃側の要求を全てのむほど
恭順の姿勢で、学校の評判もかかるのでピリピリと愛子さまの身辺と
動向には神経を張り詰めていて、更に目つきの鋭い屈強のSPが複数名
ついている中で、小2の男の子がいったい、どんな「いじめ」が出来たでしょうか。
案の定、「おまえ」と呼んだ。(呼ぶでしょうよ、7,8歳の子に内親王の位置づけは解らず、最近の子は女子にもお前呼ばわりです)
そばで大きな声を出した。・・・・・こんなものです。これを称して「いじめ」として、
皇太子は全国民の前に、この男の子を乱暴者呼ばわりして会見で吊し上げ、男の子の両親の背景までもが週刊誌にさらされ、いったい「いじめ」はどちらだったでしょうか。
この程度の出来事で愛子さまは学校に行かなくなり、状況が改善されても
なお行かず、普通の親なら叱責しても、行かせます。最初の、2,3日は付き添うかもしれません。しかし、いったいどこの親が、1年も2年も毎日付き添い、しかも仕事は放り出しておいて、学校にまで入り浸ることが許されますか。(いじめなどと、皆無の状況でですよ?)
そういう異常な扱いをしなければならぬほどだとしたら、問題は男の子ではなく
愛子さまにお有りだったのではないですか?
雅子様が愛子様の運動会で涙したことも、子育てが一段落したことの感慨、と
「宮内庁関係者」は持ち上げますが、そもそも皇族がよりによって我が子のことで、国民の前で泣くなどという醜態はあるまじきことで、前代未聞です。
数百グラムのティアラが負担で、和服も着るエネルギーがないという「病気」って
いったい何なのでしょう。登山でリュックを担ぐ体力はお持ちで、首は太くがっしりしているようにお見受けします。スキーで飛ばされる体力もある・・・・。
「医師団」とやらの発表が真実なら「適応障害」は、適切な治療さえなされれば、
半年で快癒が基準と専門医師はそう言っています。
それが10年もズルズル引き伸ばされているのなら、「医師団」とやらは
無能、首のすげ替えがあるべきでしょう。半年で快癒のものが10年かかって
ダメなんですよ? 診立て違いが歴然としているではありませんか。
皇太子に至っては、記者団からセカンドオピニオンを求められてもお断りに
なる始末で、いったい自分たちがどれほど、周辺と国民に迷惑を10年間にわたりかけて来たかという自省は皆無なようで、その無神経な様に驚かされます。
また「医師団」とやらの公式文書は毎回、雅子妃が目を通されての「検閲」。
毎回同じ文言にならざるを得ないのはその検閲ゆえであるとか。
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20131214-231636/1.htm雅子さま 快復囁かれるも「医師団見解」が変わらない理由は
2013年12月14日(土)16時0分配信 NEWSポストセブン
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号
いつまで、誠意のない茶番を国民に対して演じ続けられる気か。
どこまで国民をバカになされば気が済むのか。
雅子妃が誕生会見の代わりに提出された、ご本人の手になるかどうかも定かで無い「文書」まで褒め称えるおめでたき者たちがいて、バカにされてもこれではしょうがないなというレベルの国民が多いのも事実ですが・・・・。
語らせれば、主語述語も乱れ、同じ単語が頻出する言語レベルにある方が、本当に自ら書いた文書であると、スンナリ信じられるお人好し。また言語自体に遺漏がないというだけで、あの中身の全くない、お役人的無味乾燥言語に感心する愚かしさ。
廃太子廃妃を望みますが、まずはその前段階として、ご本人が無理なら、
皇太子が妃の病状に関して過去の治療経歴、今後の治療方針など
述べるべきでしょう。むろん、それは医師団の仕事ですが、その彼らが
表に出ることは阻止されているわけでしょう? 文書ですら事前検閲が
あるわけですから。そもそも、医師団なるものが本来の意味で機能しているのか
どうか、実際にいるのかどうか、甚だ疑わしく思います。医師団発表なるものが、誰の手によって書かれているのかとまで、疑います。
疑われても仕方ない、不明朗さがつきまとっているのが皇太子ご夫妻の現状です。
通名香山リカ氏は雅子妃の祭祀忌避を、合理的考えで、価値観を見いだせないものに対しては出来ないと擁護していますが、神事を信じず行えぬ者が皇室に入るのが間違いなのです。入ってはいけない者がそれを隠して入ったということと同義ではありませんか。神事が皇室の基礎だということも解らず入内なさったとしたら、相当愚かしいと言わざるを得ません。皇室の成り立ちの基礎中の基礎が受け入れられぬというのなら、お出になるべきです。
神事とともに養蚕の価値観も雅子妃は見いだせぬと思いますが、蚕はすでに
神代の物語を記した「古事記」に、登場しています。
天皇陛下の稲作の「食」と並んで、皇后陛下の養蚕は「衣」として必要な伝統である、と素直で謙虚な日本人の霊(たましい)を持つ者であれば理解できるはずなのに、雅子妃の和服嫌い、日本語で作られる和歌の異常なまでの不出来と並んで胡乱なことではあります。書もなされてないのではありませんか?
皇居は西洋人のお城ではございません。日本の神事と文化の砦です。
賢明な国民は、友納尚子氏が書き続ける雅子妃擁護賛美記事の嘘っぽさ、
いかがわしさは解って失笑していますし、それは他の愛子様賛美の記事も、
誰が書かせているのか、過剰で逆効果です。悪あがきと評する人たちさえいます。
「女性自身」にも友納系提灯持ちの幇間記者がいるのか、雅子様美化、
愛子様ヨイショの捏造記事にも近いヨタ記事を連発していますが、
下の記事などもその典型でしょう。
女性自身 2013/12/17日号
愛子さま「宿命の皇族教育」ついに開始で雅子さま募らせる母の自責と寂寥!
愛子さま「宿命の皇族教育」ついに開始で雅子さま募らせる母の自責と寂寥!
この惹句に見るように、愛子様にかこつけて雅子妃を悲劇のヒロインに祭り上げるヨタ記事で、まともに反駁するのも野暮ですが、こうした美容院情報レベルを信じこむ愚か国民もいないではないので、いや相当数いるので、簡略に書いておきます。読者には必要ないでしょうが、話題に出た時さくっと突っ込めるように。
まず『伊勢神宮祭主』としての勉強はあり得ないです。
伊勢神宮どころか、先帝の御陵にも、宮中三殿にすらお参りなさっていません。
雅子妃が祭祀の場にいられぬせいかどうか、宮中祭祀の場にも
お出ましではありません。そんな環境で何の祭主のお勉強でしょうか。
よくまあ、デタラメを書けるものです。御所内で伊勢神宮の「方角」に向かって
3人で頭を下げただけのことが「祭祀」であるとは、何という不遜でしょう。
誰がそれを目撃していたのか知りませんが。
祭主というのは、宮中祭祀もそうですが、いきなりやれるものではありません。
祭祀の前段階としての、厳しい精進潔斎が必要で、それゆえに雅子妃は忌避なさっているかとも疑われるのですが、海外旅行前の宮中三殿にすらお参りなさることを「体調」を理由に拒否なさる母親の下で、愛子様が祭祀の必要性を
理解なさるでしょうか。
いえ、その前に国民はいまだそのお声すら聴かせていただけぬまま、
「マイ・サン」という英語の発音が出来ず、「バイ・ザン」になっていらしたとか、
自閉症に関わりある三角頭蓋という特殊な頭の形をなさっているとか、
障害のあるお子様向けのリトミックという教育を御所内でお受けになられているとか、無責任な噂が飛び交い、しかしながらその噂を否定できる決定的な
何物も提示されぬまま、ご優秀説が、誰が流すやら、活字で踊って、
かえって、不透明な印象を増しているのが実情です。12歳であるなら、
会話の断片ぐらいは、動画に添えてお出しになれば、あらぬ疑いは
瞬時に晴れます。それを音声をわざわざ消して、動画のみ配信されると、よけい
噂に拍車をかけるので、ぜひ一考を願いたきところでございます。
愛子様の健全なご発育ぶりは、国民の等しく願うところです。
以下はしょせん霊的なことで、客観的説得力は皆無なので、場合によっては
読み飛ばして頂きたいくだりですが・・・。これまで何度か検証してきたように、
ご一家の映像には、かなり頻繁に不浄の動物霊、邪霊のたぐいが映り込んで
いることに懸念を抱いています。
秋篠宮殿下とそのご一家、そしてそれこそ祭主代理を、式年遷宮でお務めあそばした清子さまには、邪霊が近づけぬ結界が張られてございます。
共通するのは真珠色のほのかな輝きを帯びた結界ですので、あるいは
宮中の祭祀を怠りなく行う方々は共通に張られる皇室の神々特有の
結界であるのか・・・・・とも想像していますが、それは分かりません。
ただ式年遷宮の折に、清子様の周辺に結界が歴然と張られていたこと、
ほのかなパール色に輝いていたこと、秋篠宮文仁殿下に龍神はじめ
神々しい神々が寄り添っていたことは、拙ブログ主のみならず読者の
多くが画像で目視できたところです。
記事に対する基本的な問題点はひとつ。精進潔斎から始まる祭祀の
センスのごときものを、一気に飛び越しての「お勉強」とは
一体何なのでしょう? 本来、祭祀の所作などは一子相伝的に
母から娘へと伝承されるものですが、雅子妃の代でスッポリ抜け落ちている
そこを、一体どなたが補っていらっしゃるのでしょうか。
その欠落に強い懸念を抱かれるからこそ、こちらに掲げた最初の記事内にある皇后陛下のお言葉、
「前の御代からお受けしたものを、精一杯次の時代まで運ぶ者でありたいと願っています」
そして、冷静に考えて欲しいのですが、ここでおっしゃられている「次の時代」が雅子妃ですか? あり得ないでしょう? 皇后陛下はお墓のことまで口になさるほどのご高齢となられ、一方雅子妃はすでに50歳。この先、改善の時はいくばくも残されてはいません。また雅子妃を一気に飛び越えて愛子様ということも考えづらい。
眞子様へのお手紙をもう一度読み返してみましょう。
「さくねんは、ひいおばば様のお喪中(もちゅう)で、
蚕(かいこ)さんのお仕事がいっしょに出来ませんでしたが、
おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事を
ずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました。」
養蚕という伝統の場に、常に寄り添っていらしゃるのは眞子さまです。
また皇后陛下の孫の宿題に対して宛てるには長く、懇切な文章に
眞子様にかける期待が読み取れないでしょうか?
本来、雅子妃と愛子様がこのポジションにいるべきですが、それが
叶わぬからこそ。
「 ばあばは蚕(かいこ)のことでいつか眞子ちゃんに
お見せしたいなと思っている本があります。
女の方が、ご自分のことを書いている本で、その中に、
四年生くらいのころ、おばあ様の養蚕(ようさん)のおてつだいをしていた時のお話がでてきます。」
涙ぐましいほどに初孫にかける皇后陛下の思いが伝わっては来ないでしょうか。
そして・・・・
「今年もできましたらお母様と佳子ちゃんとおてつだいにいらして下さい」
今年も、という表現ですから紀子様も佳子さまも以前に、お手伝いにいらしたのでしょう。祭祀と並んで、雅子妃には意味の分からないのが養蚕でしょう。
それになぜ皇后陛下がこだわっていらっしゃるのか、いえ代々皇后から皇太子妃へと伝えられた伝統の価値が理解できないのです。
余談にそれますが、香淳皇后との確執めくことが面白おかしく言われますが、しかしその他ならぬ香淳皇后からお手渡しされた養蚕と祭祀の伝統を、今なお懸命に守っていらっしゃるのが皇后陛下です。
それが答えの全てではないのですか?
そして養蚕も祭祀も紀子様と眞子さま、そして佳子さまにお手渡しなさろうと
それはもう、眞子様が初等科の3年生の頃からではないのでしょうか。あるいはそれ以前から。
それらのことも読み取れるので、掲げた「ばばちゃま」から「眞子ちゃま」に宛てた切々たるお手紙です。
眞子様はすでに、宮中祭祀の場にもお立ち会いです。
養蚕と祭祀に関しては、雅子妃も「順序が違うのではありませんか」
と序列のご不満を主張されないのが笑止です。
先走って言わせていただくなら伊勢神宮祭主のお役を担うご資格者は
眞子様です。畏れながらお見受けしたところ、霊的感受性の優れて
いらしゃるところ、清子様を継げる器です。
机上の「勉強」ごときで、祭祀が務まるものですか。自分の「家の中」から
伊勢神宮の「方向」に向いてお辞儀して、それを祭祀と称するなど
烏滸の沙汰でございましょう。厳しい覚悟と身の律しが
要求されるものを、神事に対して素養も関心もない親に育てられたお子には不可能です。そして霊的感受性も要求されます。その母上と同じく、愛子さまにはゼロです。(それは一般では欠点にあたることではありません。しかしながら祭祀がそのraison d'etre ー存在理由ーたる皇室では不可欠の才能です。
それは皇太子殿下も同様です。霊的感性はおありではありません。あるのは
秋篠宮文仁殿下です。さればこそ、竜神を始めとする高次元の存在たちがご守護であらせられます。皇室をそしてこの日本を護る器は、霊的感受性失くしてあり得ません)
和船の画像をご覧になれば、皇后陛下の眼差しは呆れるくらい、「末の」悠仁さまに釘付け。表情はとろけていらっしゃいます。「末の悠仁」とおっしゃられた言葉を活字で受け取って、冷たいと感じるのは勘違いです。この場合の「末」には、日本語本来の優しい、慈しみがあります。一番ちいさき、いとけなきものよ、健やかに育て、という願いと心情とが、込められています。一番「先」の眞子ちゃまに対しての、「末」なのですよ。
かつて、昭和帝が漕がれたこの船に皇太子ご一家は乗られていません。
この写真が撮影された翌日に、秋篠宮文仁殿下も同乗されたと
報道されています。天皇陛下に漕ぐように言われ、秋篠宮殿下は
ご辞退になり、しかし更に促されて漕がれた、とも。
あたかもこのお船が、神事の船とも目に映じます。
皇后陛下の視線は悠仁さまに、微笑と共に注がれたまま逸れません。
秋篠宮文仁親王殿下を摂政に・・・・いえ、願わくは次代天皇陛下に、悠仁親王殿下を皇太子殿下にと渇仰するものでございます。
願わくは日本の神々よ、わが拙き願い、もし天に恥じぬものであるなら
ご加護を与え給え。