68年前の戦争をもし肯定的に捉えるなら、「大東亜戦争」という呼称になるわけですが、この呼名はGHQにより禁止されました。 そのGHQの親玉であったダグラス・マッカーサーが「日本の戦争は侵略ではなく、自衛のための戦争であった」と言ったとする説と、いや言ってないとする説と2種類あります。 個人的には、当時の諸状況から仕掛けられ、そそのかされた、受けて立たざるを得ない戦争であったと、過去そのように書いて来ました。
以下の動画内容が総て正しければ、そもそも東京裁判自体が茶番となり果て、いよいよA級戦犯が祀られているから靖國に参拝ならぬ、という言い分は説得力を無くしますね。
韓国とはもともと戦争などしていないし、日韓併合で多大に益を享受したのはあちらなので、言いがかりに過ぎないのですが。
マッカーサーの告白
マッカーサの発した言葉の検証を一部だけ。
昭和26(1951)年5月
アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、
ダグラス・マッカーサー発言。
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security."
和訳:
「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。日本には綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それらあらゆるものがアジアの海域には存在していたのだ。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」
文中、karagelyが意味不明ですが、誰か分かる人います?largelyだという人もいますが?
あと、securityの訳は当時は「安全保障」という言葉はなかったので「国防」と訳すべきだという説も。
まあ、トータル意味がさして変わるわけではないですが。
左翼の連中はこの訳じたいに文句をつけていて、渡部昇一氏、石原慎太郎氏などが都合よく誤訳を利用していると言い囃しているようですが、この部分の英文を読む限り、文字通り侵略の否定に近いと思いますが?
参考文献としてはアメリカ人、ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡日本」
●真珠湾攻撃は青天の霹靂ではなかった。アメリカは、さしたる被害なしに日本に第一撃を仕掛けさせるよう画策した。 ●原爆投下は必要なかった。それは、日本に対して使ったのではなく、ソ連との政治戦争で使用したのだ。 ●アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない。
日本人としては天皇陛下をかばい、自ら総ての責めを負った東条英機氏の言葉を信じたいと思います。
◆「断じて日本は侵略戦をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」
◆「国家自衛のために起つという事がただ一つ残された途であった」
責任は天皇陛下にない!と、陛下の第一の臣下と自負する東條英機の宣誓供述書。
東条英機氏の人となりに関しては、過去、記事を書くに際して調べたことがありますが、まことに清潔なお人柄だと感じ入りました。
過去記事 「東京裁判」1〜5http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/afbc2ae8f4a799fb1bc04df4ae9bb526
あの戦争を侵略呼ばわりしているのは、アジアでは中国、南北朝鮮のみですけどね。(繰り返しますが、韓国に武力で何かしたことはありませんから、侵略も何もないです) マレーシャもインドネシアも日本の戦争を讃えてますよ。タイも、ビルマ(ミャンマー)も、シンガポールも、インドも。マレーシャの教科書には明治天皇のご真影が掲げられているし、日本軍のコタバル上陸の日が、マレーシャという国の歴史の始まりである、と記載されています。
戦争を讃えているといっても、戦争自体を称揚しているわけではなく あくまでも、西欧の植民地主義から日本が開放したあの戦争限定ですからね。日本が立ち上がらなければ彼らは白人の奴隷として、悲惨で屈辱的な 状態にあったわけです。 日本は一方的に負けたわけではありません。一方で、アジアを奴隷の身分から開放したという勝利・・・・逆に言えば西欧は植民地を失うという敗北を喫したわけです。 韓国も本来は、李氏朝鮮の国民のほとんどが奴隷であった状態から日本に開放してもらっているのですけどね、彼ら卑劣でおまけに頭も悪いから、 潔く是は是として認められないでいます。
マレーシャの中学の、歴史国定教科書。文句なし日本の戦争に感謝、讃美の立場です。 妙なものですね、特亜以外のアジアの諸国は日本の戦争を肯定しているのに、日本国内で戦争を「反省」する人が多いのは。 戦争自体の良し悪しと、大東亜戦争の意味をとっちらかって、毎年反戦詩を読むようなおバカ女優さんにもほとほと困ったものです。吉永小百合さん。女優さんとして否定するわけではないですが、日本人としては最低。反戦詩を読む前に万年大根な演技を何とかすべく、精進なさってくださいな。何を演じても同じ、棒読みのせりふ、CMでテレビの脇に突っ立ってるだけで大金稼がせて貰える無芸の身で、日本の悪口言うんじゃないですよ。悪いと思うなら、韓国と中国へ行って謝って来なさい。反日女優仲間の黒田福美さんも、さぞお喜びでしょう。
韓国男から殴られて、強姦されそうになった時「日帝の罪を償うのよ」とお股を開いたお方ですから。(未遂だったそうですが)
2005年に出演した情報番組『ワイド!スクランブル』で、「日本の運命はこの方(金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長)の決断にかかっている」と発言。また、竹島のことを、司会者の言い直しを無視し「独島」と言い続けた
パチンコチェーンのオーナーの韓昌祐が代表を務める「韓哲文化財団の助成金が授与されたことについて、「在日差別への憤りが行動の原点。(日本が)加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで友好の土台を築いていきたい」。助成金は「被差別日系研究所」を設立した辛淑玉と共に授与された。2010年10月に受けた『朝鮮日報』のインタビューで、「今も一部の日本人は、間違った歴史認識を持っていて、とても申し訳なく思います。」と述べた。
呆れ果てる言動ですが、雅子妃の実父小和田恒氏もこれほどチープではさすがにないですが、思想の根っこは同じ土壌にあります。小難しく表明しているので、日本人が気づかずにいるだけ。
「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止すべきである」
小和田恒氏が師と仰ぐ左翼評論家横田喜三郎氏の著書『天皇制』(1949年)より。
『渡部亮次郎のエッセイ集』より 小和田恒氏について 外務官僚閣下らのお粗末は、批判する方が疲れてしまうくらい続く。どうしてこんな体たらくになってしまったのか。どうもその底には、皇太子妃殿下の父たる元外務事務次官・小和田恒の「ハンディキャップ国家論」の甘えと驕りが横たわっている。 (中略) 小和田恒という人は、超エリートといわれるが、政界に知られるようになったのは若くして福田赳夫首相の秘書官になってからだが、なぜか省内に人望は無い。仕事に厳しすぎるという以外に何かありそうだが、官僚の口はいまだに固い。その小和田が外務事務次官時代(1991年8月~93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である。日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。仮にPKOなどの国際貢献でそれがハンディキャップとなっても、最大限尊重すべきで、あくまでも憲法の許される範囲内で、世界に貢献すべきだ、という論である。 この論は次の事務次官斎藤邦彦(のちに駐アメリカ大使、国際協力事業団総裁)にも追認され、今日も外務省無気力の允許状になっている。そこには敗戦の結果として押し付けられた憲法であるとか、軍隊は外交の手段として用いるべきではない、という敗戦・無能力国家を厳として是認するばかりで、国民を奮い立たせるとかの精神はひとかけらもない。あるものはゼニだから、これさえ出しておけば、他から文句をいわれることはないから いいじゃないか、と言っているに過ぎない。国家の誇りなんかとっくの昔に棄ててしまった逆乞食の驕りである。
国家としての誇りなんかどうでもいい、日本は悪い国家なんだから頭を垂れて、言われるだけ言われておこう、後は金出して勘弁してもらおうじゃないか、という官僚事なかれ敗北主義ですね。
これが雅子妃殿下のまさしく、実父小和田恒氏の姿です。 憲法9条墨守、その存在に疑いも挟まない姿勢は安倍自民への 批判者でもあるということです。
皇后陛下の父上は、美智子様入内が決まると、自らの仕事上の万一の不祥事が皇室に影響を与えてはならぬ、ということで仕事から身を引きました。 小和田恒氏は娘の入内を足がかりに、ハーグの国際司法裁判所に 転身しました。しばしば帰国しては妻と、娘のいる宮中に入り浸りのご滞在。
小和田恒氏は、マレーシャの国定教科書など目にも入らぬのでしょう。 そもそも、日本を悪者として打ち据える中国と韓国にしか目が行っていないようです。その決定的敗北主義によって、日本を称揚するたくさんの国々は捨て、 日本に牙むくわずか2か国(中国、韓国)プラス半カ国(北朝鮮)にしか注意がいかぬ、思想的倒錯者です。
シンガポールからも英国を駆逐。
インドネシアの場合を見てみましょうか。おそらく1エピソードで強力な 検証ができると思いますよ。インドネシアの人々がいかに日本に感謝、讃美 しているかを。
インドネシアの独立宣言書を見てみましょう。
Proklamasi Kami bangsa Indonesia dengan ini menjatakan kemerdekaan Indonesia. Hal-hal jang mengenai pemindahan kekoeasaan d.l.l., diselenggarakan dengan tjara seksama dan dalam tempo jang sesingkat-singkatnja. Djakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05 Atas nama bangsa Indonesia. Soekarno/Hatta 訳:独立宣言 我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。 権力及びその他の委譲に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。 ジャカルタ、05年8月17日 インドネシア人民の名において スカルノ/ハッタ
内容ではなく、独立宣言書の日付に注目してください。
05年8月17日 ← これ西暦で記せば1945年なんです。ではなぜ05年と 記載されているのか。
日本の皇紀なんです!日本の皇紀2605年の下二桁を表記したのです。 ・・・・これで、インドネシアの日本に対する思いを理解するには十分ではありませんか?
ムルデカ 17805 インドネシア独立と日本軍兵士
オランダに350年支配されていたインドネシアを、日本軍が9日間で解放
世界は日本をどう見ているか これは必見
アメリカ、イギリスの軍人すらが讃美賛嘆する日本軍とその兵士たち。 感謝を捧げるインドを始め各国要人たち。
韓国も北朝鮮も中国も大嘘つきです。その大嘘を広めるもっと悪い大嘘つきの 日本人が大勢います。今はとりあえず支持すべき自民党内にもです、皇太子の外戚にさえ。 雅子妃の父親小和田恒氏こそは、その姑息最低な日本人の一人です。根絶しよう、根気よく。国内に巣食う、エセ日本人、反日日本人たちを。
ごくまれにゴミ溜めに一つ宝石が落ちているように、まともな韓国人がいます。 この動画の中にも一人。朴鉄柱氏(韓日文化研究所) 「大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものでははなかった」
まっとうな韓国人さえいるというのに、その一方なんで韓国に気兼ねする議員が多いのか不愉快。って理由は解ってますが、根気よく潰して行きましょう。韓国なんて関係修復する必要はありません。 修復してもあちらがすぐ、叩き壊します。その繰り返し。相手が困り果てるまで 放置が一番。本当は国交断絶に限りなく近い、我関せずが一番いいのです。
末尾に日本のために生涯を賭けて韓国と闘ってくださった韓国人、朴鉄柱氏への感謝とご供養の気持ちを込めて簡略ながら記させて頂きます。
大正11年 韓国 釜山生まれ 平成2年1月逝去・68歳
1967年発言
「日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない」
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。
それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争。この二つの戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのは寧ろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地を全て失なったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる・・・
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである」
●大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。 終戦後、韓国に帰国。李承晩大統領の反日政権下にあり、迫害さる。 (日本の学校を出た者は「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)
●朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。 研究主題は
1、日本上代文化の研究 2、帰化文化の研究 3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
●「日本と韓国」という著書を韓国で出版。「反共法」にひっかかり、3年半の刑。著書もすべて没収。 ●出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目。「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続行するも資金はなく、極貧。
昭和42年発言
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、 九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在にいたるまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。”八校為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくしてみることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい」 日韓は同祖と信じこんでいたりする面はありますが、概ね虚心に日本をまっすぐに見つめていただいたような気がします。「御皇室」の理解の仕方に至ってはおそれながら雅子妃と東宮より、まともではないでしょうか。 「日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけで なく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争ーーこの二つの捨身の戦争が歴史を 転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることは ない」
その後、朴氏は肺がんに犯されながらも、亡くなる1年前の平成元年1月に昭和天皇の御大喪に来日。知人の日本人が記したその時の様子。
『先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう』
慎んでご冥福をお祈り申しあげます。
韓国の知日、親日派
趙英男 (チョ・ヨンナム / 조영남)韓国のタレント、画家、作家。KBSでトーク番組『チョ・ヨンナムに会った人』を高視聴率の長寿番組として展開した。2005年に『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』を発表し、韓国のみならず日本でも出版され、「世界で日本をバカにするのは韓国だけ」の帯の文句のインパクトで話題となった。これをきっかけに韓国では彼の評価は一変し「売国奴」として激しく糾弾されるようになり、そのため『チョ・ヨンナムに会った人』は打ち切りとなるなど、芸能活動は事実上休業状態に追い込まれた。
朴正煕 朴槿恵の父親。韓国の軍人・政治家、第5〜9代韓国大統領として軍事独裁政権を主導。日本の陸軍士官学校を卒業し、満州国軍人になった経歴がある(日本陸軍の経歴はない)。大統領としては、日韓基本条約を結び、日本との国交を回復。韓国が「日本に学び、強国になる」ことを目指した。プライベートでは日本統治時代を評価するなど、韓国の要人としては異例な発言も伝わる。一方で反日的な愛国教育を推進するなどもしており、自身が在日韓国人に襲撃され陸英修夫人が殺害された際(文世光事件)には「日本は赤化工作の基地となっている」と怒りを露わにした。
金大中 韓国の政治家、第15代韓国大統領。朴正煕の政敵であったが、彼もまた日本との関係が深く、朴政権によるテロを逃れて、1972年から1985年まで日本やアメリカで活動を行った。朴政権下のKCIAにより、日本のホテルから拉致監禁されたこともある。大統領としては日本文化の自由化を進め、日本の常任理事国入りに対する韓国の支持を求めたこともある。
金玉均 朴鉄柱 「日本上代文化の研究」「帰化文化の研究」「日本の信仰、道徳等精神文化の研究」を研究主題とするシンクタンク機関韓日文化研究協会を設立。
崔基鎬 金智龍 自他共に認めるところの『重度の日本文化かぶれ』であり、日本の大衆文化の評論を通して日韓関係を広く論評する。
池明観 日本女子大学で20年教鞭を執り、日韓文化交流会議韓国側座長を務めた。韓国における軍事独裁政権批判でも知られ、「T・K生」の名で『韓国からの通信』を書いたことを告白。
金鍾泌 韓国元首相。長く日韓議員連盟役員をつとめ日韓ロビーの韓国側ロビーを務めるなど対日融和に努めた。学生時代に日本留学を希望し読書家で菊池寛等日本文学にも造詣があった、韓国の政治家としては稀有な知日派であった。引退後には「日本が好きな私」と発言した事もある。非公式な日本関係者との懇談では流暢な日本語を披露したという。
【付記】
韓国人を称揚することに、抵抗を感じる向きもあるかもしれませんが、日本人でありながら日本に仇をなす小和田恒氏のごときゲスな人物に比べれば人として美しいではありませんか!
ハル・ノートをめぐる諸事案については紛糾錯綜していて、一朝一夕で理解の及ばぬところがありますが、単純な要約化は可能です。
即ち「ハル・ノートがアメリカからの最後通牒ではなかったことは文書の形式上は明白であるが、日本側はそれを最後通牒と受け取らざるを得ない内容であった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」 (東京裁判でのパール判事の言葉)
むろん、インドのパール判事や韓国の朴鉄柱氏の意見にアンチの論を力説する日本人はいます。それらは読者各自でお調べの上、いずれに理があるかご判断ください。
アンチ論に対して最小限、言うべことがあるとすれば、仮にハル・ノートで突きつけられた屈辱を日本が呑んでいたとして、大戦が避けられたか? 答えはノーだと思います。ハル・ノートの要求通り、海外数百万の日本人が財産を捨てて日本へ帰国していたとしても、第2第3のハル・ノートがアメリカからは突きつけられ、結局は窮鼠猫を噛む状態で立ち上がらざるを得なかっただろうと、読み解きます。 アメリカの目的は「生意気な黄色人種」が白人に伍してアジアで幅をきかせ始めたのが面白くなく、喧嘩を売って叩きのめすことだったからです。 しかし、黄色の猿と侮った猿は、猿ではなく天皇を奉じて一致団結、お国のためには笑顔で命も捧げる凄い民族であり、予想外の善戦。かくはならじと、実験を兼ねて原爆2発が広島と長崎で炸裂したのでした。そしてバカな女優もその仲間ですが、原爆を落とされたのが自らの「あやまち」だとして反省を日本人に、論理ではなく泣き声震え声の情緒で迫る、それが今の日本の情けない姿です。敵が国内にいる・・・・。まあ有田芳生がそうだし、雅子妃の実父・小和田恒氏もその一人です。 皇室を筆頭格として、日本のあらゆる伝統と倫理観を否定、侮辱し、アメリカが絶対善で、日本が絶対悪だとするルーズベルト発、GHQの洗脳施策に、ズブズブに浸かって出来上がった奇形日本人の一人が小和田恒氏です。 中韓には自分が悪うございました、と跪きことを荒立てず、アメリカにはにこやかな笑顔、そうやって駆け上り権力の座を得たら、身辺には威張り散らし、 内心皇室自体に尊敬はないどころか、東京裁判の肯定者であるその論理的必然として、むしろ侮蔑、軽視。神社に対しても尊崇の念は無論皆無、どころか意味もない不毛の儀式としてしか捉える感性無く、それは娘雅子さんも引き継ぎ、嫁と岳父の強い影響下に皇太子もいらっしゃる。
戦後、GHQの宣伝ラジオ番組「真相箱」では、ルーズベルト大統領が天皇陛下宛に親書を送ったのに東郷外相の不手際によって間に合わず、そのため戦争を止めることができなかったなどと宣伝、ハリウッド映画でもそのように描かれますが、大統領の親書の内容はそれまでの日米交渉の話をつづっているだけで何も目新しいものはなく、昭和天皇は「親書は事務的なものだった」と述べていらっしゃいます。 戦後、GHQ占領下に、放送されたラジオ番組「真相箱」を櫻井よしこさんが解析する本。
日本が「全面降伏」をしたというのは事実ではない、と述べられている。 日本はポツダム宣言を受諾し、戦争を終了させたのだが、 しかし全面降伏ではない・・・・・。
太平洋戦争の発端は日本が真珠湾攻撃を宣戦布告もなく始めたことが表向きの端緒。 しかし、その裏に隠された真実があり、当時の大統領ル−ズベルトは、日本の暗号を読み取り、日本の攻撃を事前に知っていた。
「真相箱」の真相とは、戦争に勝った者だけが一方的に告げられる「真相」なのかもしれない。真実は口ふさがれた敗者のほうにある。
日本の敗戦が見えてきた時期、ルーズベルトがキャンベル英国公使に言い放った言葉。
「日本は四つの島に閉じ込め、そのまま衰亡させる」(英国首相府公文書)
「そのまま衰亡」。これがGHQの基本方針になった。
白人によるアジアの植民地開放のための聖戦を身を犠牲にして行った「アジアの殉教者」ではなく「世界征服を狙った残虐非道な民族」であると基本洗脳路線が敷かれた。
「War Guilt Information Program」 と呼ばれる。 韓国の日本ディスカウントなどと同じ路線の、日本ディスリ作戦である。 その作戦に抵抗した者達は排除され、従順な負け犬根性の連中が出世して行った。雅子妃の実父、小和田恒氏などが官僚では代表格であろう。 この方の娘が入内したということも、遠因を探ればWar Guilt Information Programの流れにあり、ルーズベルトの「日本衰退」作戦の一環であるとも 言えよう。日本が他国のように、国家の束ねのために敵国をでっち上げなくても、 国旗国歌にさほど忠誠を強制的に尽くさせなくても、日本がまとまって来たのは、ひとえに皇室の存在ゆえだが、皇太子夫妻が皇室を壊す。遠くルーズベルトが種をまき、GHQが水をやり、左翼や中韓在日勢力、日教組、在日、ブラクの人たちが育ててきた日本衰退作戦は、ついに皇室にもその種子が飛ばされ根付き、戦後68年をかけて今、「花開き」始めているのです。
自虐史観「宗家」の小和田恒氏と共に、(反対でいらした昭和天皇のご崩御を待っていたかのように)強引に皇室に押し込んだ高円宮は、なぜか韓国にべったりのお方。日本単独の主催予定だったワールド・カップをこれまた小和田恒氏と共に日韓共催にして、韓国側の汚さに世界が目を剥いた。
(1) 名 称:一般財団法人 高円宮記念日韓交流基金
Prince Takamado Memorial Foundation for Japan-Korea Exchange
(2) 設 立:平成20年(2008年)12月1日
(3) 基本財産:300万円
(4) 目的:日本と韓国の友好に尽力された高円宮殿下を記念し、
日韓パートナーシップに基づく教育・文化・スポーツを中心とした青少年交流及び学術交流などの顕彰・助成等を通じて未来志向的な日韓関係を構築することを目的とする。
(5) 役員:
名誉総裁:高円宮妃殿下
名誉顧問:羅鍾一 韓国又石大学校総長(元駐日韓国大使)
理事長:渡邉泰造 2005年日本国際博覧会日本政府代表
2002年に日韓両国で開催されたFIFAワールドカップを契機に日韓の草の根交流が全国的な規模で定着して参りました。このことは日本と韓国の友好に尽力された宮様の願いでもありました。 国と国の友好は、人と人との交流が基本にある、とお考えでいらした殿下のご遺志を具体化しようとの動きが日韓経済界を中心に、各方面から生まれ、宮様を記念した日韓交流基金設立につながってまいりました。 宮様のご遺志をご理解いただいた「高円宮記念日韓交流基金」が設立されたことを大変うれしく思います。
・・・・・・・・・・
日本単独開催であったワールド・カップを強引に日韓共催に持ち込んだ 高円宮と小和田恒。日の丸と太極旗を対等に並べた非国民。
韓国が何をするか結果は見えているだろうに、あなた方が日の丸を汚したも同じこと。スポーツの世界においてもあなた方は日本に仇なす存在だが、世界の サッカー精神も汚した。韓国のスタジアム建設費用は日本が出さされて、借金のはずだがいまだ返済無きまま、実質寄付させられたのでは? あげく罵られて、ざまはない。あなた方はいったい、日本に何をしたのか。共催で日本が得たものは何なのですか。
こういうゲス国を、なにゆえ日本と同格に並べた?
ワールドカップを汚した韓国のサッカー
韓国のワールドカップ 八百長・買収 vs イタリア スペイン
ワールド・カップに先立ってあなた方、半島密着カップルがタッグを組んでしたことは、昭和天皇のご崩御を待ち構えて、学歴・職歴粉飾の小和田雅子という女性を、皇室に仕込むことだった。コネ入省のコピー番として、たかだか1年半在職の「職員」に過ぎなかった小和田雅子譲を「優秀で華やかなキャリア外交官」に仕立てた詐欺師ぶり。その成婚成功時には、路傍に創価の三色旗が翻った、あなた方のあたかも勝利の証のように。これもあなた方のWar Guilt Information Programの一環ではなかったのか。ある勢力に操られてのことではなかったか。ソーカ、ブラク、日教組、在日がからみ合って背後にうごめいてはいないか。
概ね嫌韓がベースの保守たちが、雅子妃背後の韓国とカルトべったりの勢力に気づかず、「不敬」の一言で「皇室は批判すべからず」として、思考停止しているのが今の状態です。
日本国民は直視すべきです。皇太子妃の父親は自虐史観、東京裁判肯定、天皇陛下の戦争責任肯定の、反日日本人であるという現実を。憲法改正を党是とする自民党へアンチの立場にいることを。 そして、その娘雅子妃殿下とその夫、皇太子はその思想の影響下にあるらしいという現実を。それでも皇太子と皇太子妃が天皇皇后になってよしとするのでしょうか? それこそ、皇室とそれ以上に日本国に対して不敬でありましょう。
【付記】小和田恒氏の「日本ハンディキャップ論」には擁護者もいて、内容がくだらないので取り上げる気にもなれないのですが、簡略に。まず、あの小沢一郎なんかも同じようなこと言ってます。(擁護者はここを錦の御旗にするのですが、まともな愛国者なら、小沢と同じかい、はいさようなら、ではないですか?)
「日本ハンディキャップ論」とは、雑誌『プレジデント』の対談(1993年)において、小和田外務次官(当時)が東京芸大の平山郁夫氏に「日本の今後行くべき方向は?」と質問されて答えた「3つの選択肢」のうちの一つである。 (1)極東の特殊な国として生きる (2)普通の国として生きる (3)ハイディキャップ国家として生きる 「『吉田ドクトリン』(軽軍備・経済発展重視)を今後も続けていくという発想」である。 つづめれば、「日本は軍事による国際貢献の代わりに経済による国際貢献をします」という主張で擁護者は、「それだけのこと」と言うのだが、要するに軍備せず金だけ出して勘弁してもらいましょう、という負け犬思想ですよ。
言えば、こういう売国体質の情けない人物が、竹島(独島)問題を提訴されかねない ハーグの国際司法裁判所に居座っているということじたいが、ぞーっとする状況なわけです。
突っ込めばもっと論破すべき点があるのだけど、あほらしーてやってられへんわ。