皇室批判を忌む保守層が
見落としている視点があります。
皇太子は皇太子であり天皇は確固として
天皇なのであり不可触である、と。
民がそこに口をはさむことは最大の
禁忌に触れ、それを認めると皇室を
無条件に尊崇するという、約束事が
瓦解してしまう、と。
それは正しい。
しかし、批判派が戦っているのは
皇太子ではなく、その背後にある
半島であり、半島カルトであり、
左翼であり、自虐史観の反日日本たちで
す。
皇室は批判せず、が成立していたのは
民間からの輿入れがなかった時代です。
あろうことか犯罪企業に連なる人物さえ
入り込め、お血筋どころか国籍出自のチェック機能も
麻痺した現在は事情が異なります。
皇太子大事とそれを放置していると
彼らの手により、皇室は壊される。
皇室を批判せず、を民が守っても
皇室にも天皇皇后両陛下にも尊崇の念を
持たない妃は皇室史上前代未聞、それを放置すれば
皇室自体への民の尊崇も薄れます。
皇室批判という形で国民のチェック機能が働かなければ、
「人権」とやらが宮内庁の調査を妨害、韓国人が出自を
ロンダリングして宮中に入ることすらあり得る時代になって来ました。
となれば、もはやそれは皇室ではありません。
女性天皇が擁立されれば、その夫に国籍ロンダリングの
男が伴侶としてあてがわれるケースも有り得ます。
女性天皇に能力無ければその夫が実質的天皇と
なってしまう可能性があり、韓国人中国人の血筋の
天皇を日本が戴くことさえ。
それでも、よろしいとされるのか。
批判するなと言われるか。
批判者を批判する者は、その意に反し皇室瓦解を容認、
手助けすることになりかねません。
皇太子殿下と雅子妃の即位を最も喜ぶのは誰でしょうか。
半島・中国勢力、在日・部●、左翼、反日日本人、皇室無用論者たちです。
皇室典範の早急なる改正、秋篠宮殿下へのご移譲を願いつつ、拙い記事を書き継いできたけれど、文藝春秋でもっと学識見識の豊かな方が、過去に書いていたのだった。
もっとも、こちらはタイトルほどにセンセーショナルではなく、いかに皇太子殿下に自覚がなく、秋篠宮が実質現在の皇室の核としての存在におなりか、それを書いてあるのだけど。(しかし実のところ、隠れテーマはご移譲だと思う)
物故者にひどく無礼不遜なのを承知で言ってしまうけれど、広告の右側に皇室と(ひいては日本の)救世主みたいな秋篠宮さまの記事、左端に売国ジャーナリストとして日本毀損発信で民衆をたぶらかしてきた筑紫哲也の記事が両極に並んでいるのが暗示的な感じ。
ここ数日間、いっそ皇室問題に集中して腰を据えようとあれこれ調べるにつけ、突き上げる思いがあり、それは「絶対に皇太子殿下と雅子妃には天皇皇后になって欲しくない」「なったら、皇室も国も滅びる」という思いでした。それと反比例に浮かび上がって来るのが秋篠宮さまのご人格の重厚さと、紀子さまの誠実さです。
そしてお二人の素晴らしさを押しつぶすようなデマのひどさ。
しかし人のことは言えぬので、実はお二人を支持しながらも昔耳にした
ひどい噂はあったかもしれない、程度には思い込んでいたのです。
嘘ですね。わかりました。実にもっともらしく、でっちあげられ巧妙に流された噂です、ほとんどが。日教組の嘘つき教師に教えこまれ信じ込んでいた構図に
似ているかもしれません。百歩譲って過去が事実だとしても「今」を
信じます。
皇室継承権の順番は決まっていること、声を挙げても虚しいという意見もありますが、かといって黙っていたら何も動かず、それにあのお二人が天皇皇后になったら、もうやり放題です。声を上げ続けることで、いくらかでも暴走の歯止めにはなるだろうという思いもあります。またざっくり、あられもなく言ってしまえば、東宮の某件、そこをつついて首に鈴をつける人が現れれば・・・・。ご病気を口実に自らリタイアを申し出る道はあります。なに、病気を表看板にうんぬんは、東宮家の、もはや得意技ではありませんか。
皇太子と雅子妃の即位でまず懸念されるのが、人心の荒廃です。義務果たさず権利のみ要求の夫妻が、天皇皇后になられることは、モンスターペアレントに代表される今の悪しき風潮になお拍車をかけ、国を傾かせるのではないかという怖れ。
まじめに努力を重ねている秋篠宮家が報われず、莫大な国費を使いつつ遊びと静養に明け暮れているご夫妻が苦もなく天皇皇后となられ、さらなる大きな権力と富を得られることは、日本国民の倫理観にも影響をあたえるでしょう。
また皇太子妃と違って皇后陛下ともなると「病気だから」ではすみません。
この記事から4年が経過した現在、秋篠宮さまが天皇陛下の果たす公務の一端を担われ、それが年々に過酷なものになりつつありますが、国民に知らされません。一方あの貧弱なオランダご公務が華々しくテレビで報じられ、皇太子と雅子さまがいっぱし、公務をなさっているふうに伝えられ、雅子さまに対してはけなげに努力していらっしゃる。国民は温かい目でお見守りを、という論調が席巻。
「秋篠宮が天皇になる日」というタイトルは羊頭狗肉ですが、多くの国民の潜在願望であり、この記事が出て4年経過した現在、なおその願望は高まっているようです。
文藝春秋という手堅い雑誌に載せる記事としては、書き手の保坂氏も「移譲」というなまなましい言葉は使っていませんが、文章の主張の必然として移譲か、摂政に行き着くと思います。
原文は、過去火のないところに煙を立たせて秋篠宮さまを貶めていた事実があったことに触れ、そしてその内容を完全否定しているそうですが、残念ながらその箇所が今、見つかりません。
以下は、保阪正康氏による文章の抜粋です。黄色での強調は、ブログ主の任意、青文字はブログ主の私的感想です。
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2009年2月号(1月発売)
昨年の2月、羽毛田長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈し、世間を驚かせた。
オランダ訪問を決められず返事を延ばしに延ばしていたときの、風岡長官の談話と同じである。本来、長官が皇太子ご夫妻の「恥になること」は口にしない。
まして風岡長官は、創価学会の信者とも一部噂され、雅子妃側と目されている人物。(雅子妃が学会員であるという断定ではない)
そういう人物が人前で、東宮と雅子妃の非をあげつらう談話を出さざるを得ないというのは、おそばにいる者の「悲鳴」のようなもので、「よほどのこと」なのだ。
妃殿下がドタキャン、ドタ出で周囲を混乱に落とすやり口はもう常態化していて、「人の迷惑」に、鈍感になっているのだろう。傲慢である。
オランダ紙ワールドクランチのスッパ抜きによると
It is said that 13 members of the Crown Prince’s household quit within five years because of Masako’s domineering nature in the privacy of their home,
雅子妃の「横柄な仕打ち」によりこの5年間で、お仕え人が13人も辞めている。
宮内庁長官が独断で皇太子を批判することは考えられない。その背後に、天皇の強い不満があること は明らかだ。その容易ならぬ事態を踏まえ、誕生日会見で秋篠宮は以下のように答えている。
「それと参内についてということですけれども、みんなで意見交換を行ったり、話し合いをしたりする場所であり、そのような機会をこれからも大切にしていきたいと思っております。」と述べているがまさにそれこそが、天皇と皇太子との間に欠けているものだといっていい。
秋篠宮は積極的であり、言葉通りその後実行なさる努力を重ねていらっしゃる。一方皇太子は、4年も前に言葉だけ発したまま、いまだ行動なく、やる気なし。
羽毛田発言を受けての皇太子は、「御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。
家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。」こうした皇太子の態度に、天皇は強い怒りを抱いているとも考えられる。
皇太子のお答えのいい加減さ、誠意の無さはこれが過去記事であるので、よく解る。言葉でつらっと返されただけで、この記事の時点からすでに4年以上経過。雅子妃愛子さまのペースに合わせたまま、天皇皇后両陛下への無沙汰と不義理ぶりは改善されず、雅子妃のお気持ちを考えて、と伝えられているが、お一人での参内もなさっていない。
舅姑と折り合いの良くない嫁の機嫌取りに汲々として、実家の親と疎遠になる世間並みの亭主とどこが違うのだろう。(大体、折り合いが悪いという世間的感覚を宮中に持ち込む嫁がそもそも失格者なのだけど)
相手は親である前に日本国の天皇陛下と皇后陛下である。ここらへんの、けじめのつけ方がお分かりではないのではないか。
それに「プライベートなこと」とはなんという、言い草だろう。公人の中の公人として果たさねばならぬ責務があり、そこが出来ていないのであるから、出来ていない部分に関しては情報開示の義務がおありである。
ご夫婦でやるべきことも果たさずに「プライベート」「人格」と、おっしゃることは世間並み。しかし特権だけは、世間の100倍。
姓も戸籍もなく、犠牲にせねばならぬものも多いお立場だからこそ、莫大な
国費で暮らしがあがなわれているのに、「義務は放棄します。特権は当然の権利なので享受します」と、おっしゃっているのに等しい。
こうした一連の経緯を見ていると皇室内での秋篠宮の存在が大きくなっているといえる。
天皇の公務の軽減について、いち早く言及したのも秋篠宮だった。
それに対して、本来、天皇のつとめを継ぐものとして、この問題に最も意識的であっていいはずの皇太子は、
「陛下のご年齢を考えますと、陛下のお仕事の全体の量をよく把握しながら、ご公務の調整をしていくことは大切なことと思います。
私としては、陛下がもう少しお休みになれる機会をお作りし、ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要があると思います。この辺のことは、周囲が、陛下とよくご相談しつつ、陛下のお気持ちに沿う形で事を進めていくことが大切と考えます」
いかにも皇太子らしい優等生的な回答だが。具体的なことは何も言っていない。
また、「周囲」という言葉にはどこか他人事のようなニュアンスが含まれている。また皇太子自らの公務についても具体的なかたちがいつまでたっても示されていない。
第一声は「自分が代わる」であるべきではないのか。それが皇太子の役目ではないか。自分が積極的に何をどう改善しようかという意志は皆無。そして「公務を減らす」ということを、人ごとのように主張なさる。どの公務が重要でカットできず、この公務なら不義理してもいいという発想もなく、第一公務に軽重をつけてはならぬという皇室の基礎建前すら心得ていない。「周囲が」と二度繰り返し、ご自分は責任逃れ。
公務がしんどければ減らせばいいという安易なお考えであるなら、妻である雅子妃が海外からの賓客にはお会いにならず、乗馬を楽しまれようと、お付き添い通学には出られようと、ご注意なさる気もないであろう。
世間では「お守りします」と雅子妃に言ったその約束を守っている、素晴らしいという評価もあるようだが、忘れてはならない、皇太子も妃殿下も、単なる家庭の一私人ではない、肩に背負っているのは日本国家であり、その国家が一挙手一投足にかかっているのだ。
一方、秋篠宮は両陛下の公務の数を減らさずに、負担を減らす方法を提言している。これは公務に対して誠実な天皇・皇后の意向にも沿う、現実的な提言と言っていいだろう。こう見ていくと、皇太子と比較しても、いまの皇室にあって(陛下と)重要なコミュニケーター役を果たしているといえる。
公務の数を減らさずに、負担を減らす方法提言とは、自らと紀子さま、眞子さま佳子さまのお肩代わりの覚悟であろう。本来なら、これは皇太子が述べる筋合いのこと。
秋篠宮さまとて、当然兄君にも分担して欲しいところだろうが口には出さない。
雅子妃殿下は「ご病気」でも、ご自身は健康なのであるから、本来なら「雅子が迷惑をかけているぶん、私が1人で頑張るよ」となるところ、月によっては公務ゼロ。やっと出かけたかと思えば、「雅子と一緒に昔見た絵がなつかしいので」と美術館。
公務に名を借りたレジャー。それなのに秋篠宮の数倍の護衛が付き、秋篠宮家にはつけられない白バイ誘導の信号ノンストップ。愛子さまのために民間を排除、スケートリンクを貸しきる時も、交通規制をかけ白バイノーストップ、おびただしい護衛。
東京ディズニーランドを貸しきって、雅子妃の妹さんが同行した時もそうだった。
いったい、何なのだ。この不快な不平等感は。
遊びに白バイ、信号ノンストップ、多大の護衛。
一方、将来の天皇陛下を擁した公務、神事、外交のご一家は
白バイなし、護衛手薄、家計費も僅少。
秋篠宮さまが不平をおっしゃっているわけではないけれど「日本が、国民が本当に大切にお守りせねばならぬのはどちらだ」と言いたい!
皇太子が即位すれば、秋篠宮様は黙々とサポートして、天皇皇后がやらない公務のしわ寄せをカバーしつつ激務をご一家でやられる方だけれど・・・だからこそ、大切にしたい。
(中略)
たしかに、様々なメディアが発信する皇室情報の洪水を眺めていると、その暴走ぶりや歯止めのなさにめまいを覚えることもある。しかし、皇室側のこうした個々の報道への言及が、かえってメディアの乱反射を生んでいるのも、否定できない事実だろう。
実にいびつな形でしかなく、また実は現地でも好評でもなかったオランダご公務を「つつがなく大成功」と、テレビも提灯持ちの女性週刊誌の一種の捏造報道も多い。
批判記事だけを目の敵にするのは間違いである。
そもそも昨年二月と十二月の二度の羽毛田長官会見は、天皇家の家庭問や健康問題といった、いわば「オク」の領域の問題を、「オモテ」の存在のトップが公の場に持ち出したことになる。
一部メディアの報道に節度がないと批判をするのは容易だが、それは、皇室から発信されるメッセージが公と私の境がはっきりせず、皇室がどこに進むのかという方向性に乏しいことの、いわば歪んだ鏡像ではないか、という思いがつきまとう。
だからといって一度は自ら、雅子妃の人格が否定されていると発言しながら、参内問題などに対して、すべて「プライベートだからコメントしない」で押し通す皇太子の姿勢にも疑問を感じずにはいられない。
全くもって同意。おおやけに出す文章には、書けないだろうからマイナーブログで言わせていただく。「卑怯です」と。爆弾だけ仕掛けておいて、後はだんまり。「雅子妃が傷ついていて可哀想」という、ヨイショ週刊誌が持ち上げるにまかせ、
結局悪いのは、思いやりのないマスコミであり、国民であると、責任が転化されていく。
そのかたわら、秋篠宮家への貶めキャンペーンも抜かりない。
やることやらず、国費を湯水に、遊び歩いているのは誰なんだ!
東宮側は「傷ついた」ことばかりをアピールするが、公務を休んで愛子内親王の運動会を応援したり、乗馬や高級レストランで食事をすることに対する、国民への納得のいく説明はなされていない。
平成16年5月、皇太子は「それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」と発言した。以後、現在に至るまで4年あまり、事態はほとんど変わってないといえる。
今年ですでに9年である。
このとき、秋篠宮は十一月の誕生日会見で、天皇とのコミュニケーションの重要性を強調し、
「少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話で あるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。」
と述べた。
「この一言で、『秋篠宮は大人になった、皇室の一員としての自覚が表にでてきた』と評価がぐっと上がりました。
ところが、「新潮45」に「なるひと・まさこ」が書いた・・・・もとい鳴門雅彦が書いた文章によると、秋篠宮のもっともな発言に対して、いまだ恨み骨髄。さぞかし、お二人で弟と義理の弟君の悪口を言い合っていらしたのかもしれない。(いや書いたのは鳴門雅彦というライターであるが、関係者に直接聞いていなければ書けない筆致。雅子妃の心情まで代弁しているのだから!)
翌18年には悠仁親王がお生まれになった。皇統継承という皇室最大の問題を解決したのですから、秋篠宮殿下の在感は否応なしに大きくなった。
両陛下も、皇太子殿下との亀裂が大きくなるのと反比例するように、秋篠宮殿下をよりいっそう頼りにするようになったのです」(皇室関係者)
こういう実情に比して、ちんけなご公務がさも大したことのように大々的に報道され、国民にアピールされるのは皇太子と雅子妃であり、ほぼ毎日が公務と神事の明け暮れである秋篠宮家のご活動は無視され、歳費も東宮に比べれば実に乏しく、おそらくやりくりが紀子さまは相当大変。公務には眞子さま佳子様もお出ましなので、ヘアやお衣装にもかかる。
東宮は遊びと静養のサイクルなのに、湯水のように国費が費やされ、物凄い数の地元警察が動員されているというのに。
75歳を迎えた今上天皇の体調は芳しいとはいえない。皇后もまた、平成19年三月には腸壁からの出血で短期静養をとっている、天皇に万が一の自体が生じれば、皇太子が天皇となり、秋篠宮が皇位継承順位第一位、悠仁親王は第二位となる。
悠仁親王が皇太子となるのは、父である秋篠宮が天皇になったときである、近代皇室が経験したことのない皇統の移動が現実となるのだ。
天皇家や宮中の官僚には帝王学教育はあっても、弟宮のための教育はきわめて不十分で、かくあるべしというモデルも存在しない、という事実だった。「兄宮を補佐する」という抽象的な役割は与えられているが、具体的に兄である天皇が弟宮に公式に相談したり、意見を聞くシステムはなかった。
ところが、悠仁さまのご名代という名目ではあるが、秋篠宮さまが皇太子と並んで天皇陛下からじきじきに帝王学を伝授されているとのこと。
これが秋篠宮さまへの譲位を見据えてのことなら、どんなに嬉しく心強いかわからないが、しかしおそらくは皇位継承権はそのままであるだろう。
無念である。しかし、以前は皇太子退位論が出ると、「帝王学を受けているのは、皇太子、秋篠宮は受けていないから不可能」という意見をしたり顔にいう人がいたけれど、これでそれは言えなくなった。
第一「公務が負担なら減らそう」と平然と言い放つ人が、いかに帝王学を授けられたところで、不毛であろう。
教えられずとも、帝王学を体現なさっているのは秋篠宮殿下である。
しかし、それにしてもまるで漫画のようにわかりやすい、出来の悪い兄とそのトンデモ嫁、ご両親と皇室を支える弟君とできた妻、という構図である。
単なるネガキャンで流されたのかどうなのか、チャラいと言われていた弟君がしっかりと頼もしく、誠実で真面目とみなされていた皇太子が、みるも無残な変貌。左翼思想家小和田恒の家に、あたかも入り婿して義父に遠隔操作されている形。
口を開けば雅子が、愛子が。プライバシーが人格が。
普通の発言をなさりたいなら、普通の人になられたらどうか。止める国民は非常に少ないと思う。
お働きにならずとも、一家三人豊かにお暮らしになれる分、国庫から出る。
今より規模縮小は否めないが、どうせどのみち働かぬなら、国民から批判も浴びず
堂々と遊んでいられるお暮らしを選ばれたらどうか。
中略
皇太子の高校時代の担任であった小坂部元秀は『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)で美智子妃との父母面談について記している。
浩宮の作文が喜怒哀楽の感情表現に乏しく、当人の気持が伝わってこない、という担任の指摘に現在、皇太子の会見から感じる平坦さ、無機質な印象がすでにあらわれているともみることができる。
確かに語彙も表情も乏しく、「ま、ま」と感嘆詞ともつかぬ合いの手を自らの言葉に多用し、何か恥ずかしいといおうか国民としては、居心地の悪い思いを抱くのが皇太子の会見であるけれど、その一方、誕生会見の時、雅子妃のご病状他、皇太子言うところの「プライバシー」を記者に突っ込まれたときは、怒りの色も露わに、目が釣り上がり、皇族がここまで感情をむき出しになさるのかと、見てはならぬものを見た思いで目を伏せた。
雅子妃は雅子妃で、愛子さまのことを語られるときは涙で絶句なさるし、お立場にしては感情抑制の効かないご夫婦である。
「使用人が雅子の傲慢な使い方に、この5年間に13人が辞めた」というオランダ紙の報道が事実なら、東宮内ではさぞ感情も露わな叱責でもなさっているのであろう。
1年間に2人以上が雅子妃の「横柄さ」に耐えられず東宮家を飛び出しているのだという。
興味深いのは近年の秋篠宮の活動をみていくと、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れる事だ。その最大のテーマが「戦争」である。
父・昭和天皇の時代の「戦争」に対し、今上天皇には天皇家は追悼と慰霊ををつづけていかなければならないという強い使命感がある。そして天皇家の一員である以上、次世代にもこの思いを共有し、継承してほしいという願いを持っている。
東京・新宿で開催された「学童疎開船メモリアルウィーク」を訪れた。展示会で説明役を務めた対馬丸記念会の高良誠勝氏によると、「秋篠宮殿下は遺品のランドセルが置いてあるところがあって「こっちへ来て、見てごらん」と声をかけたりして詳しく説明されていました展示を見ながら紀子さまや、眞子さま、佳子さまは目をうるませていらっしゃったようです」
何という素晴らしさだろう。国民としてはこちらまで目がうるむ。こういう重厚なご性格であることも、国民には知らされず、若いころ誰が流したのかチャラ男のイメージでいまだにいう人も多いのが悔しい。
戦没者にこれだけ心を寄せられているなら、さぞ靖國神社にもお参りされたかろうに、靖国参拝を外交問題化させた朝日新聞は今更ながら売国新聞である。
それに引き換え、皇太子夫妻は8月15日に静養先の那須で、テニスや花火に興じているのである。言ってはならぬことを言わせていただく。この日にお遊びとは、あなた方日本人なのか!
今上陛下が、「記憶しておくべき4つの日」広島の原爆記念日、長崎の原爆記念日、終戦の日、沖縄戦終結の日。
その全部を無視しているのが皇太子と雅子妃なのであり、これは今上陛下のお言いつけに背くことでもあり、不敬であろう。
秋篠宮と二十年以上の交流があり、海外調査なども数多く同行している赤木攻氏(東京外語大学特任教授・大阪外語大学名誉教授)は、「この四つの日には、殿下はたとえ海外にいても必ず黙祷を行っています。一昨年、殿下と眞子さんが一緒にマダガスカルに行かれたのも八月でした。このことでは同行している私も、いつも頭が下がる思いがする」と証言する。決して目立つようにではなく、たとえ一人であろうと静かに黙祷する姿からは、父の教えを忠実に守ろうとしていることが伝わってくる。
日本国の終戦の日に、雅子妃とテニス、花火と興ずる皇太子。旅先であっても、1人であっても黙祷なさる秋篠宮。いずれが天皇にふさわしいご人格だろう。
平成十六年、皇太子四十四歳の誕生記者会見で、昭和天皇が終戦の御前会議を開いたのが四十四歳だったが、皇太子が同じ年齢になったことについての感慨を、と問われたのである。それに対する皇太子の答えは、
「昭和天皇は本当にいろいろご苦労もおありだったと思いますし,本当にその激動の時代を生きられたと思います。本当にそういう面で大変なご苦労がおありになったと思います。その当時の世界の情勢,そして日本の情勢というものを考えてみますと,今私が置かれている状況とは本当に比べものにならない,ある意味で今そういう時代でないということが一つ幸せなことであるわけですけれども,そういう意味で本当に昭和天皇がご苦労されたということを私もよく身にしみて感じますし,今改めてこの44歳でそういうことをなさっておられたという事実にやはり深い感慨を覚えます。」
というものだった。あたりさわりにない言葉だが、私には皇太子は明治ー大正ー平成という時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこないように思える。
皇室の伝統の継承とは、同時に、皇室の歴史、日本の歴史に思いをはせることでもある。
同意である。皇太子の言葉には他ならぬ日本の戦争を我が痛みとして引き寄せ、味わう想像力に決定的に欠けている。ここでも、どこまでも他人事なのである。東京裁判をきちっと学び考えた方なら、もっと心の奥底から発せられる言葉があるはずだ。
この方の言葉の何という軽さ、浅さ、無責任さ。
皇太子家と秋篠宮家では制度の上でも予算などでも待遇は大きく異なる。
職員数も東宮が51人に対して、秋篠宮家は15人とかなりのひらきがある。
なんで・・・・遊びと静養にほとんど費やす一家が職員51人で、ご一家総出で公務、神事、皇室外交と激務をこなしていらっしゃる秋篠宮家が15人なのか、決まり事とはいえ、柔軟に対処できないものか。
「現在、秋篠宮家には悠仁さまに3人つける形ですがそれで回すのは無理だと思います。一方東宮は愛子様に養育係りが3、4人もついている。また学習院の幼稚園の先生を養育係にした。いわば先生を使用人にしてしまったのです。
また小学生にあがったいまでも幼稚園教育のエキスパートがそのままついてる。
秋篠宮家に養育係などいません。紀子妃がGパンで悠仁さまを追っかけまわしています」
将来の天皇陛下に養育係がいない! あの年頃だというのに、いまだ国民が声さえ聞いたことがない、いずれ降嫁される愛子様に3,4人の専任者!
こんな、ばかなことがあるだろうか!
冒頭でもみてきたように、現在、天皇・皇后と皇太子・雅子妃の間には深刻なコミュニケーション不全がありもはや隠しようもない状態にまで立ち至っている。そのなかで二男である秋篠宮の役割はますます重要なものになっている。
略
皇太子は雅子妃が病気のため難しいというのなら、愛子内親王だけでもいいから、その手を引きながら、天皇・皇后のもとを訪れるべきではないだろうか。そうしなければ、誤解・曲解がメディアの力を借りて急速に肥大し、手がつけられないものになってしまう危険性がある。秋篠宮の近年の言動はそれを防止するために、兄宮にメッセージを発していると私には思える。
愛子内親王の手を引いて天皇皇后の元を訪れたりしたら、おそらく雅子妃が「5年間に13人を辞めさせた」というパワフルなお騒ぎぶりで皇太子も出掛けられないのではないだろうか。
略
秋篠宮には天皇となる可能性があり、息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っているからである。
いや、秋篠宮さまご本人に次代の天皇陛下になっていただきたい。そして、悠仁さまが皇太子という位置の、なんとしっくりと安定感のいいこと!
・・・・・・・・・・・以上
さて、今回は今まで余りにも女性週刊誌的ゴシップで、掲載を避けてきた雅子妃の有名な衣装ストーカーについて触れてみます。(必要があるので)
宮中に於いては皇族方のお衣装がかぶらぬよう、事前に格下の方から
格上にお召しになる衣装のご報告が上がるしきたりだそうです。ところが・・・
紀子妃が当然、「当日は白のスーツに白の帽子でございます」と、雅子妃に上げるわけです。
本来、雅子妃はそれなら別のお色を、となる・・・・はずなのに、敢えて同じ格好をお選びになり、そうすると格の下である紀子妃の落ち度となるわけです。そのことをもって、宮内庁に叱責されるかどうか不明ですが、女性の心理としてはご長男の嫁でもあれば皇太子妃と同じ格好をして、お隣に並ばされるのはご性格が律儀であるほど、居たたまれぬ思いであったことでしょう。
また花嫁の清子さまを差し置いて白いロングドレス。民間でこれをやる嫁がいたら親戚から袋叩きです。この異様なまでの常識の欠如。お側にいるものが当然、注意すべきところ、おそらく聞く耳持たぬどころか、ヘタしたら怒鳴られるか、口をきいてもらえなくなるのかもしれません。「(あなたなど)信頼していません」とはっきり言われることもあるそうな。オランダでの、襟をファンデで汚した、シワシワのだらしないローブモンタントも、同じことですね。下手に注意などしたら、恐ろしいことになる?
ストーカーぶりは海外の賓客にも及びます。むろん、あちら側からお衣装の事前提示はあるので、同じお色は避けるのがマナー。ところが色どころか、仕立てまで。
なぜこれをアップしたかというとある疑念を抱いたからです。
内実素晴らしい秋篠宮と紀子さまであるのに、なぜこうも巷間
あらぬ噂が流され、しかもそれをいまだに信じこんでいる人達が多いか。
紀子さまご懐妊の翌日、雅子妃が泣き腫らした目でメディアの前に
登場、それでいっせいに雅子様お可哀想、紀子さま計算高くて
御立場逆転を狙っているというキャンペーンが繰り広げられたようなのですが・・・
「泣き腫らした目」もたまたまだろうと、記事にもしたことはないのですが、
衣装ストーカーにみる、凄まじい意地悪さを見るに、世論の
同情を引きつけるため、そのくらいのことはなさるかな、と、ふと。
わかりませんけどね・・・・。
その後の経過を見ると、雅子妃のご懐妊がないので、バースコントロールを
10年間にもわたり強いられた紀子さまのほうが、本当は屈辱的でお気の毒なお立場でした。
そして、生むなと言われていた期間、紀子さまは実直に制限していらっしゃいます。
そして、雅子妃の懐妊がついに絶望的になった時、やっと生むことを
許され、ご出産、そしたら神の采配か、男子。
そのありがたいことですら、悪しき噂を流す一派にかかれば図太い女、と
なってしまうわけです。
世継ぎをなさねばならぬという重圧から雅子妃は病気になったという
触れ込みだったのだから、本来は悠仁さまのお誕生により、
心が開放され病状がよくなるはずなのに、今度は「愛子が
天皇になれない」とお塞ぎだとかで・・・・。もう、いいです、この方。
被害者ぶるのがお上手だけど、同情から一抜けます。
もうだまされません。
アクセスレポート
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