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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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神事不能の皇后はありや雅子妃 【拡散希望】

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皇室は宮中祭祀ありてこその皇室であり、日本全国最高位の神官であらせられるのが天皇陛下です。

まずこれを確認しておきたいと思います。異論の余地もないことです。
神事が意味もないこと、不要とあらば、皇室自体の存在意義も希薄になることは
お解りかと思います。

皇室のお役目は神事にあり。

そして、多くが勘違いしていますが、宮中祭祀は天皇陛下だけのお勤めではありません。皇后陛下におかれましても、ご神事には多大の参与が求められます。
こちらの動画で、大嘗祭という祭祀における皇后陛下のお姿をご確認くださいませ。

大嘗祭 Daijo-sai festival

雅子妃が皇后陛下にふさわしいかどうか、そもそもそれを口にすることすらならぬ、という
意見もあり、混乱していますが、ことはもっとシンプルです。

雅子妃には、皇室を皇室たらしめている宮中祭祀はお出来にはならない。
他の神事に関わるご意志もお見せではない。
皇太子殿下もお近くに赴かれながら、伊勢神宮へも参拝されない。
各神社さんへ東宮としての神饌料もお出しではない。

皇太子殿下はその御役目上、天皇に即位なされば当面の神事から逃れる
ことはできませんから、なさるでしょうが、現在のありようからして、その後
積極的に関わることは期待出来ません。

これをわきまえた上で、議論はなされるべきでしょう。

まず宮中祭祀は、雅子妃と言えども逃れることはできません。
践祚(せんそ)というのは天子の位を受け継ぐことであり、それは先帝の崩御あるいは
譲位により執り行われます。

国民が無知無関心であるのは、この点ですが、皇太子が天子の位を受け継ぐに当たっての
儀式には、皇后陛下の存在が不可欠であり、皇后抜きの祭祀はあり得ません。

言葉を変えれば、雅子妃では、この祭祀が最初から行えません。
践祚の儀は、戴冠式に相当し国内外に新しい天皇陛下と皇后陛下の誕生を
告げる、天皇皇后両陛下にとっては一世一代の大舞台となります。
世界各地から、国家元首、王室、首相、閣僚をお招きしての一代祭祀となり、
日本の皇室の威厳と伝統を世界に示す大祭祀です。

それを終えると息継ぐまもなく、大嘗祭が控えています。これも、皇太子(その時点では天皇陛下)お一人のことではすみません。雅子妃殿下(その時点では皇后陛下)の参加が要請されます。


(大嘗祭を【共に】終えられての天皇皇后両陛下)

詳しく書くと、先帝崩御の後、ただちに、『剣璽等承継の儀』及び新帝が即位後初めて三権の長(内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官)を引見される『即位後朝見の儀』は共に国事行為とされ、先帝の諒闇が明けて行われる御大典(即位の礼・大嘗祭)へと続きます。

皇太子が天皇の座につかれた途端、祭祀はひっきりなしに始まり、そこには雅子妃の存在が不可欠なのですが、国民も内閣もそのことには触れようとしません。しかしここを避けていては議論にもならないのです。男女陰陽相和してこそ、宮中内の神事は完璧な形で成就します。

雅子妃殿下には神事をおやりになる能力も体力もおありではない。この事実にまず直面すべきでしょう。また精神を病まれた状態で神々との真摯な対面はそもそも、不可能であり、畏れながらチッソのお血筋の不浄も神域にはふさわしくないでしょう。お血筋に関しては異論もあるかと思われますが、それを抜きにしても、雅子妃に神事は物理的に出来ません。

神事を出来ないということが、いかほど重大なことか、これを国民は知らされていません。
国会議員も知らない人たちが多いのではないでしょうか。

皇太子が天皇としてお立ちになるには、三種の神器を先帝から受け継ぐことが必要です。

三種の神器=八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣

内八咫鏡は祀られている賢所を含む宮中三殿を相続する事によって受継ぎ、八尺瓊勾玉・天叢雲剣を受継ぐ儀式が剣璽等承継の儀となります。

旧皇室典範第十条にいわく、

「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」

現在でもこれは変わっていません。

皇位そのものの証明が三種の神器の所持を以て挙げられます(これにまつわっては諸説ありますが、文章が複雑になり過ぎるので踏み込みません)

三種の神器の授受という基礎的な祭祀さえ、雅子妃抜きには出来ない、とそのことを覚えておいてください。そして雅子妃にはその御役目を果たす能力がありません。能力と敢えて申し上げます。ゆくゆくは皇后陛下とおなりの皇太子妃には、男子を生すことと、神事を行うことは能力の一つなのですから。皇室は特殊であり、その特殊さ故に存続してきたのですから、並み一般の人権論や平等論をあてはめては、皇室そのものが瓦解します。(委細を述べれば、そのことが証明できますが本稿では避けます)

 

現行の皇室典範は、

1.第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

2.第二十四条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。

 

と定められていますが、新皇后陛下が神事を行えぬ場合ということなど、想定されていません。雅子妃が2600年間の皇室の歴史以来初めてのケースなのです。
「御病気だから仕方がない」というかばいかたを、国民はずっとして来て、雅子妃に対しては極めて寛容であったと思いますが、しかし「その時」は刻一刻、近づいています。
現実には直面すべき時期に差し掛かっています。

雅子妃に神事は不可能です。ということは、新天皇たる皇太子の祭祀も、不可能になる部分が多大に出来(しゅったい)するということです。

即位の礼は、天皇が践祚後、皇位を継承したことを内外に示す儀典で、最高の皇室儀礼とされ諸外国における戴冠式にあたる。これが雅子妃抜きには不可能です。
(儀典の変更で皇太子お一人で再編成は出来るでしょうが皇室2600年間の伝統が、そこでプツリと途絶えます。そのことの重大さに、内閣さえ理解が行き届いているでしょうか。
国民もですが、今上陛下がお元気でご活躍くださることに甘え、一日延ばしに現実を直視、対処することを避けています)

雅子妃擁護論者に問います。今上陛下ご崩御の後、「諒闇」(服喪期間)明ければただちに行われればならない宮中祭祀を、どうなさるおつもりでしょうか。
祭祀は天皇一人で行えるなどという安易な間違った思い込みで、この国家の重大事を論じではなりません。

即位の式が終われば、すぐ

五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭が行われねばならないのです。即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)または御大典(ごたいてん)とも称されます。このご大礼が雅子妃では不可能なのですが、そこを解っているのでしょうか。

即位にかかる儀式全般を即位儀礼といいますが、これは皇嗣が即位する「践祚の儀」と即位したことを内外に宣下する「即位の礼」に分かれます。いずれも、雅子妃抜きには成就致しません。それを、どうなさるおつもりなのか。
宮内庁ではさぞ苦衷の中にあると想像しますが、これといった妙案もないのではないでしょうか。形式として(現)皇太子お一人のお作法を組むことは可能ですが、しかし2600年の余続いた儀典の大幅な変更が、「神の場において」許されることなのかどうか、宮内庁、内閣、国民もそこは判断できません。宮中のあまたなる神官巫女たちこそが「神の庭」における、法則としての神事を知悉しているのですから、この方たちの意向こそが、本来は決め手であるべきです。

古代から現在まで、あまたの神官たちが神々からのインスピレーションを得て、綿密に組み上げられてきた作法が宮中内の神事です。それを簡単に変えてもよいのでしょうか。変えられるのでしょうか。

明治時代に「旧皇室典範」に属する登極令によって儀式の内容が細かく規定されたましたが、1947年(昭和22年)に、同令は旧皇室典範と共に廃止となりました。

現行の皇室典範でも即位の礼を行う定めがあるのですがず、内容についての具体的規定は無く、口伝に頼るしかありません。天皇と皇太子、皇后と皇太子妃へと、神を介在にした信頼関係がなければ伝わらないものではないでしょうか。

宮中祭祀に踏み込めば、詳細膨大な記述へと踏み迷うので、ここらで筆を擱(お)きます。

現皇太子と皇太子妃が即位した途端、迎えねばならぬ即位の儀もそうなのですが、
儀典は平安様式にのっとり、衣冠束帯、十二単におすべらかしで身なりじたいにも、
体力を要しますが、装束に身を改める前に延々と、潔斎もせねばなりません。
雅子妃にはその一部なりとお出来になる能力はありません。

儀式は皇室の祖神である天照大神と歴代の天皇へ期日を奉告することに始まり、皇居内の三殿への報告と、伊勢神宮へ勅使が遣わせられます。皇太子ご夫妻は、祖神をお祀りした伊勢神宮へもお子様を伴われず、雅子妃は宮中三殿すら忌避されておいでです。

以下のような大変な儀式が雅子妃に可能でしょうか?

即位の礼では最重要の儀式が「正殿の儀」であり、天皇は束帯、皇后は十二単に身を包む。天皇の束帯は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と言い、天皇以外は着用できない。正殿の儀にて使用される玉座は天皇のものを高御座(たかみくら)、皇后のものを御帳台(みちょうだい)と呼ぶ。造りは三層黒塗り継檀の上に八角形の屋根を置き、鳳凰・鏡等の装飾がある。高さ5.9メートル、幅6メートル、重さ8トンに及ぶ。

一連の大きな祭祀が一段落したら、新天皇皇后両陛下は、伊勢神宮におわす皇祖神へご報告にうかがわねばなりません。これすらお出来にならないのが雅子妃ではないのですか?

本来、「病気だから仕方がない」が通る世界ではないのです。神々の則は非常に厳しい。
そのお覚悟もなしに、雅子妃は入内され、皇太子も覚悟の無さでは同じでしょう。
あられもなく、言ってしまえば、皇太子妃の務めは、男子を生すこと。祭祀を行うこと。この2つにつきます。(世間並み一般の価値観で測るならその時点で、皇室ではもはやありません)


雅子妃の入内に関した感想で「皇族は人に見られる。人々の視線を浴びる雅子は
大変だったろう」という意味のことを述べられ、虚脱しました。人々の視線どころか
場合によっては世界の注視を浴びるのが皇室であり、なかんずく天皇皇后両陛下という
世界にも類例のないお立場ではございませんか。
そのお覚悟を確かめもせず、教え込みもせず、惚れたはれたで妃をお迎えでしたのでしょうか。国民の多くも勘違いしていますが、世間一般の男女の立場ではありません。
莫大なものが与えられ、その反面、姓も戸籍もなく、多大なる犠牲と忍耐が要求される特殊な上にも特殊なお立場です。
皇室は並みの人権意識など通用する世界ではありません。
そもそも昭和大帝がなぜかくも強固に反対なさっていたのか、皇太子殿下には、その片鱗たりとお察しするほどの理性もおありではなかったのでしょうか。

 これらの総て、と皇后陛下であらせられる間、ずっと行わねばならない祭祀が雅子妃にはお出来にならない。養蚕他のこまごまとしたことも含めて出来ない。という現実を国民は直視すべきでしょう。皇室には、和服や和歌、書などの「和」の、佳き諸事を守りぬくというお役目もございます。雅子妃は歌会始めにもご欠席がちで、愛子さまのみに偏って詠まれる歌も破調で大変お下手・・・・言ってしまえば古来より典雅に守り抜かれて来た日本語すらご不自由であらせれ、お子には、パパ、ママと呼ばせるある種のふしだらさ。書もお見せにならず、海外公務の際にすら和服をお厭いで、海外ブランドの衣装をお選びです。ここは日本です。皇室は最も日本たるべき場所です。

次の皇后陛下は雅子妃でよろしいのですか?

この方が皇后陛下におなりになった時点で、古代より連綿と続いた皇室の伝統は途切れます。

雅子妃に、2600年余続いた皇室の伝統をお守りになるお気持ちも能力も有しません。
皇太子もご神事には不熱心でいらっしゃいます。

◆過去関連記事

神々の刻印 〜皇后のすなる祭祀〜
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001

宮中にあまたの神官あり
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/2036af29dcb72e04e7eaf91957923ccb

かたじけなさに涙こぼるる(即位の儀)
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/18a73f0ddb323660c7c59c49deabe83b

 


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