皇太子殿下退位論を載せた「新潮45」が、今度は皇太子と
雅子妃擁護論を載せて、話題を呼んでいる。
一読、奇妙な思いを抱いたことがある。
この鳴門雅彦という筆者はプロなのか?
小和田家に近い人なのではないか、という思い。
前者は、文章が悪文だからで、素人ではないが、優秀なプロではない。
男名を名乗ってはいるが、感性と文体が女性。
小和田家に近いのかと感じた理由は、あたかも雅子妃に成り変わったかのような
心情表白がある点で、これは友納尚子記者にも見られる、(よく言えば)憑依型文章で友納氏は、エスパーででもない限り、雅子妃経由小和田家発というていの
文章を書かれる方。
今回も同じ。鳴門雅彦を調べてみたが正体不明、要は今回限りの
使い捨て筆名で、それも、うろん。
鳴門雅彦、なるとまさひこ、の【ひ】「妃」を抜いて他に移動すれば、なるひとまさこ、徳仁雅子に変化する。なるとまさひこ ⇒ なるひとまさこ というアナグラム。
感情ダダ漏れの、悪しく女性的悪文はニ言で要約できる。
「秋篠宮が天皇に即位したら、日本は滅びる」
「したがって国民は、皇太子殿下と雅子妃を大切に崇めよ」
ということであり、不謹慎ながら噴きだした。「わかりやっすーう!」
他に誰が、こんなこと言うのよ、という思い。
と同時に、今この露骨な文章が現れるということは、ひょっとして宮中内・しかるべき筋にも「譲位」の機運があるのかな・・・、それゆえに焦って提出された文章かも、と反射的に感じた。オランダ以来、雅子妃とその実家、皇太子のなさりようが国民に知れて、今までになく東宮への風当たりは強い。
となれば、希望の一文でもあるのだが。
文中「天皇制」という表現があり、これは左翼の言い方。
ここに留意して欲しい。雅子妃と東宮擁護は、「本来は」保守派右翼の仕事のはず。
ところが、このご夫妻に限っては擁護にまわる者の中にどうやら左翼か、左翼的考えを持つ者がいる。
あと文章上の未熟さで気づくのは、雅子妃のご病気の原因は「国民がいけない」と叱りながら「我々国民が」と途中で唐突に主語をすり替え、文脈整わず、いかにも三流ライターである点。
正しくは「的を射る」というフレーズを、「的を得る」という素人ミスを犯してしまっている点。
小和田家の息のかかった三流ライターだと感じた。(感じた、だから、主観である)
女性ライターが男の名前で大急ぎで書いた、東宮妃殿下age、秋篠宮sageプロパガンダ文章。「国民がいけない」はそう言えば、小和田家紹介の主治医、大野医師の言葉でもあった。
雅子妃のご病気は、美智子皇后さまのせいであると書いたのは、友納尚子記者であるけれど、鳴門雅彦氏の文意もまた、皇后のせいであり、マスコミのせいであり、国民のせいなのである。全部人のせい。
お誕生会見の折りの皇太子殿下のお言葉をたまわっていると、やはりそう。
自らを省みて、国民へ「心配をかける」という言葉の一片もなきまま。
雅子妃が批判されるとき、必ず美智子皇后のご苦労と苦難の道が引き合いに出され、それに比べて雅子妃は責任感が薄く、覚悟が足りない、と言われる。
新潮45の文章は、まるでそれに反発するかのように、雅子妃は美智子皇后より大変である、と力説するのであるが、その理由を明確には書けないでいる。
『ほとんどの国民は理解していない。雅子妃は美智子皇后が経験することの無かった重荷を背負っていることを』
だそうだが、何がそんなに
重荷なのだろう?
美智子皇后はお辛いときにも、一人で耐えて来られたし、親や妹などのお身内が東宮に入り浸りで、住んでいるに等しい状況でもなく、また、入内も初の民間からで、風当たりが厳しいお立場にあられた。
スケート場を貸しきってみたり、宮中祭祀をボイコットしたり、まして公務を放擲されてもいない。
何がそんなに重荷なのか、理解に苦しむ。宮中にありながら、身内と同居しているに等しい、そのけじめなき一種の薄汚さ。
『“適応障害”という病名は核心を糊塗する表層にすぎない』
難しく持ってまわった悪文典型だが、要は適応性障害という病名は実は便宜上の病名なのだ、と言わんばかりで、これはこれで問題だけど、『皇位継承者たる男子を産めなかった皇太子妃』という立場が重荷で、今の病的な状態なのだそうだ。
皇太子妃になるということは、当然世継ぎを期待されることで、その厳しい覚悟もなく入内なさったのか、と申し上げたい。それは嫁ぐほうも受け入れるほうも、ある意味もっとも果たさねばならぬ課題であるのだから、そこを今になってガタガタ言うなら、皇室になど嫁ぎなさんな、ということではないだろうか。それに、雅子妃が男児をなさなかったといって、マスコミや国民が雅子妃を責めたということもなく、むしろ同情的だった。それと併せて、「優秀な外交官がキャリアを捨てさせられて、嫁がせられた」という事実に反する同情論までいつしか定着していて、誰かが意図的に流さなければこうはならない。雅子妃は父親のコネで入った、単に外務省の職員であったに過ぎない。有能かどうか、まだ仕事もろくにしていない頃の入内である。当時の外務省内の評価はさして芳しくもなく、交通費を受給しながら、禁止の自家用車通勤をなさり、父親用の駐車場に車を駐めていたことが、写真週刊誌にスッパ抜かれている。
それに男系のお世継ぎは秋篠宮家に誕生され、雅子妃は重圧からも開放されているはずではないか。不調が、お世継ぎ問題に核心があると言うのなら。
それに、やれ微熱が出まして、体調がよろしくなく、心がふさぎ・・・・ということを理由に、公務お休みは、「ご病気」が発症してからのことではなく、ご結婚初期の健康な頃からすでに始まっていた。病気と言うよりも気構え、ご性格に帰するものも大きいのではなかろうか、と多くの国民が漠然とながら感じ始めている。
『国民は雅子妃の適応障害が隠喩であることが理解できず、彼女を押しつぶした重荷の実像が見えていない』
「適応障害が暗喩」とはまたご大層な文章で失笑したが、中身が希薄だ。国民は誰ひとりお世継ぎをなさなかったことを非難はしていない。テレビもだ。女性週刊誌に至っては「決意」「お覚悟」という言葉を多用して、雅子妃殿下のけなげさを美しく書き立て、その一方、秋篠宮家の「無神経さ」やら紀子様の図太さ計算高さをでっち上げてきた。果ては秋篠宮の「女問題」まで。
「重荷の実像」も何も、国民が非難しているのは男児をなさなかったことではなく、公務に取り組む誠意の無さ、たとえ出来なくてもやろうとなさる意志、それから宮中祭祀と神事に関するいっさいの放擲。そこも「病気」と言われれば批判もならず10年間辛抱してきた。が、目に余るのは公務、祭祀を行わぬのとあたかも反比例に、グルメ、お買い物、ご静養、お遊びが過剰な点で、批判はそこに向かっている。
仕事をなさらぬことに対して、皇太子殿下と共に自省が皆無なことも。
昭和天皇、香淳皇后と多産系だが、いずれは外れくじを引く運命の皇太子妃は「必然」で、それが雅子妃だと鳴門氏は書くが、国民もマスコミも男児をなさなかったことを、責めたことは一度もない。
ご懐妊に関する記者団の質問が雅子妃には、
『鉄の塊を脳天に打ちつけられたように響いたことだろう』
と、鳴門雅彦なる人物はあたかも、雅子妃に成り代わったような書きっぷりであるが、あなた、どこでそれを聞いてきたの? 鉄の塊に脳天打ち砕かれ、ってどんだけー、と揶揄したくなる。
『男子を産むことを絶対使命とする天皇制とそれを当然のように期待する国民。日本全体が一人の女性...に過剰な負担を負わせている状態だが、“自分が同じ立場だったら”と考える人間はほとんどいなかった』
>天皇制
左翼用語であることに留意。
>男子を産むことを絶対使命とする天皇制とそれを当然のように期待する国民。日本全体が一人の女性...に過剰な負担を負わせている状態だが
だから、それを織り込み済みの結婚が皇室の結婚なのだ。覚悟はなかったのか。
結果、生まれなかったといって、誰が責めた? それに秋篠宮家に誕生されたのだから、もういいではないか。男児を産めなかったことを理由に公務を怠け、祭祀を行わぬと言うのなら、もうその重荷は取れているはずだ。
>“自分が同じ立場だったら”と考える人間はほとんどいなかった
はて、異なことを聞く。なにゆえ、国民が「同じ立場だったら」と考えねば
ならぬのだろう? 国民からたった一人選ばれる、目も眩むように高い
位置なのだ。ローンもない広大な敷地の屋敷に、何十人の使用人、護衛、
列車は専用、ホテルは貸切り、海外は専用機。
格別だから格別な責任が伴う。当たり前ではないか。
逆に国民が問いたい。雅子妃と皇太子さまは国民と「同じ立場」だったら、
とお考えにはならぬのだろうか?と。
国民がお二人のお暮らしを手に入れようと思ったら、500年働き詰めでも
足りない。なにゆえ国民が「自分が同じ立場だったら」と考えねばならぬのだろう。
鳴門雅彦なる筆者は高松宮妃にまで、怒りをぶつける。大変奇妙な眺めである。
なにゆえ、雅子妃に言われた高松宮妃の言葉に一緒になって怒るのであろう。
女児を出産した雅子妃に、高松宮妃は「一姫二太郎」という言葉を用いて、なぐさめられた。最初は生命力の強い女の子を産むのが、育てるのが楽なのよ、と、世間一般でも使われるフレーズだ。ところが雅子妃は(といおうか、鳴門雅彦氏は)、その言葉を曲げて取る。よくも、二人目は男の子にしなさいと、押し付けてきたわね、と。
高松宮妃が聞かれたら、曲解され根に持たれていたことに驚かれるだろう。
これをして鳴門氏は「皇室の非情な裏面」とすら表現する。
その「非情な裏面」があるかないか知らないが、代々の皇太子妃は同じ条件の中で公務をなさりつつ、生きていらした。
そして、文章は秋篠宮への非難へと移って行くが、客観的に読んでいると、
あたかも言いがかりレベル。高松宮妃が、なにげなく励ましの意味で発した
お言葉を曲げて取り、根に持つごとく、秋篠宮の一言に対して、瞋恚のほむらを
燃やす。秋篠宮は、皇太子の「雅子の人格が否定された」という発言に対して、
記者に公表なさる前に、両陛下にご相談すべきだったと述べられたかと
記憶している。いたって正論ではないか。
皇太子のおっしゃった「人格否定」とは、要するに男児出産に対しての
雅子妃へのプレッシャーであるようなのだが、何を言おうとなさったのか、いまだに分からない。「人格否定」という場違いな言葉だけが異様に耳に残り、一人歩きして、深く考えない国民はここでもまた「雅子妃は(何だかわからないが人格まで否定された)お可哀想な被害者」だと刷り込まれた。
雅子妃に国民があまり冷たくすると、皇室への嫁入りをする娘がいなくなり、
悠仁さまが将来独身のままで、お困りになるぞ、と言いたげな筆致に至っては、あなた何者なの? とその恫喝を笑うしかない。 大丈夫、世の中にはきちんと育てられ芯の通った本物の令嬢はいらっしゃる。
鳴門氏の文章は秋篠宮を斬る刃を、あろうことか今度は国民へ向ける。
『雅子妃が人格を否定されたと感じているなら、その犯人は“皇位継承者たる男子を産む”ことを絶対使命として要求する皇室の制度そのものである。そして、それに何の違和感も持たず、男子を期待するプレッシャーを与え続けた国民は共犯だ』
>皇室の制度そのものである
制度がよくないと批判するなら、皇室そのものへの批判で、要は皇室否定論者。
皇室否定論者が、その一方でなにゆえ皇太子と、なかんずく雅子妃を擁護するのだろう? あたかも、これは自虐史観小和田恒氏の立ち位置で、しかしながら娘を嫁がせてしまった以上かばわねば、というジレンマとして読めるのは、うがち過ぎか。
・・・・そして私たち、何をしただろうか? 犯人呼ばわりされるほどの、落ち度があったろうか? 少なくとも10年間は、じっとお待ちした。
お待ちしても、男児が生まれなかったことを非難する国民などいなかった。
待っている間に、公務と祭祀のおさぼり、それに比して静養とお遊びの比重が
どんどん大きくエスカレートすることに批判が生まれ、国民に対して
「心配をかける」という一言もなく、まるで雅子も私も何も悪くない、義務は果たさぬが、持っている権利は最大限使うのが当たり前、というおふるまいに、国民が
不信の念を持ち始めた、というのが現在。
お世継ぎをなすのが、皇太子妃の務めではない、というのがご主張なら、
公務祭祀、皇室外交と有無を言わせぬお仕事で示して見せればよかった。
お世継ぎなさず仕事せず、遊びと静養は盛大、挙句の果てに国民が悪い、犯人、では・・・・。
『ネット世界では週刊誌報道を真に受けた“愚者たち”が読むに耐えない罵声を雅子妃に浴びせるようになった』
いや・・・・むしろ皇室批判ブログはややもすると「不敬」の名のもとにむしろ糾弾されることのほうが、多い。だからいちいち書くたびに、日本毀損の勢力が書く東宮雅子妃賛美論にたぶらかされず、真の保守の書く批判論に耳を傾けよ、と言葉を添えねばならない。
今回も、まさにそれ。
2chレベルの罵詈雑言は、雅子妃に限らず著名人は誰しも浴びる日常語で、このレベルをいちいち取り上げていたら、世の著名人は軒並み、適応性障害で今頃引きこもりの仕事拒否状態だろう。いやしくも「論」に取り上げるべき対象ではない。
>週刊誌報道を真に受けた“愚者たち”
という言い方を援用するなら、それこそ「女性自身」や「女性セブン」のヨイショ記事を真に受けた愚者たちが、お見送りでいまだに、「雅子様ー」とはしゃいだ
声を上げているのである。
週刊誌を目の敵にするが、なに、ヨイショにも多大に一役買っているではないか。
さんざん週刊誌を利用しておいて、賛美の記事はいいが、批判はいけないという。そんな都合のいい理屈は通らぬ。
紀子様ご懐妊の時、雅子様がお気の毒、紀子様は図々しく計算高く無神経、と世論誘導したのも女性週刊誌だった。いまだにその図式を信じている国民も多い。
一説では、第三子はなさぬようにと、それこそ人権侵害ふうに抑えこまれていたのが秋篠宮家で、第三子お誕生は、雅子妃にはもはや出産はあり得ないとして、ご懐妊「解禁」されて後の、秋篠宮家のおめでたであったのに。
それでも、雅子妃を悲劇のヒロインに、紀子様を悪役に仕立て上げ、東宮に都合のいい情報を流してくれたのは、他ならぬ「週刊誌報道」ではなかったか。
今更、週刊誌悪者論などと、さんざん利用しておいて何を言う。
愛子さまへの毎日の付き添いは
『たしかに非常識に見えるが、雅子妃が背負う重荷を思えば枝葉の問題である』
何という論理のすり替え・飛躍であろう。人は重荷を背負ったら、「枝葉の問題」として、非常識が許されるのか?
そして、鳴門氏の文章は、以下の結論となる。
『皇室の存続のためには嫁ぎ先が“格子なき牢獄”ではないことを実証するしか無い。 そのためには皇太子夫妻を時代の天皇・皇后として、人間としての尊厳を損なわないように遇することだ』
いろいろ、不都合はあるけど、ガタガタ言わないで見逃し、皇太子殿下と雅子妃を天皇皇后にせよ、というのが主張なのだ。
「格子なき牢獄」というのは、文脈上お世継ぎ問題のことかと 思われるが、
それも秋篠宮悠仁さまのご存在で重圧からは開放されているはず。
仕事はせぬまま、ほぼ静養と遊びの交互サイクルでお暮らしの方に「牢獄」など、
もうないだろうに。
「人間としての尊厳」とは何なのだろう。尊厳は人間としての義務を果たして生ずるのではないのか。それに、代々最高最大の神官として、厳しい神の庭に住まう「家」のお方が、「人間」とか「人格」」と主張なさるなら、皇室はお離れになるべきではないのだろうか。脱出可能な「牢獄」である。
友納尚子氏の書く「雅子妃お可哀想記事」と同じく、常に誰かのせい、何かのせいで雅子妃が苦しんで、それゆえに、あれが出来ない、これが出来ないという論法である。
友納氏は美智子皇后の感情的叱責が雅子妃の心を折って、病気にさせられ回復も出来ないでいる、と主張しているが、鳴門雅彦氏の◯◯のせい、は「世継ぎを当然のこととして期待する“天皇制”と、マスコミと、国民のせい」で、いずれも、雅子妃は、傷つけられた被害者なのだ。
そろそろいい加減にして欲しい。次期天皇と皇后であらせられる皇太子と皇太子妃など、日本の中でも公的存在の最たるもの。それゆえ、小和田家がくっつけた都合のいい医師のまま、記者会見もせず、病状報告もなく、妃殿下とは何の利害関係も有しない医師のセカンドオピニオンを得ることもなく、病気なのだ、それを国民が批判するから妃殿下は回復しないのだと主張しつつ、あられもなく言ってしまえば、天皇陛下のご崩御待ちで、一日ずつずらして行っている印象。
即位したら、思いのまま。言外にそう聞こえるようで、しかし、国民と宮内庁内、政府の批判の声、秋篠宮以上の声が思わぬ高まりを見せて来て、これはまずいと、
一文が慌ただしく新潮45に渡された、と思えてならないのだ。
美智子妃殿下のご注意を根に持っているさまが、高松宮妃殿下の言葉に対してと
同じく陰湿な恨みを感じる新潮45の記事ではあった。
最後に決定的な反論をしておきたい。「読むに耐えない罵声」を浴びて来たのは、
何者の仕業かは知らぬけれど、秋篠宮様と紀子様とて同じ事。
しかし、紀子様は引きこもらず、適応性障害とやらにもならず、公務神事共にこなされ、ご家庭を健全に営まれてきた。お子様方も健やかにお育て。
歳費は東宮の数分の一の慎ましさで、ご静養先も定点があるわけでもなく、
お召し列車がしつらえられるわけでもなく、グリーン車は一般と同じ。
お世継ぎのプレッシャーは、雅子妃に男子が誕生しない頃から、むしろ
紀子様におありになったはずではないか。
しかし紀子様は、公務も神事も貫き通された。
警備一つとっても、将来の天皇陛下を擁した秋篠宮家こそ必要であろうに、
そのことに対して異を唱えられるでもない、ただ黙々と主婦業と公務とに
勤しんでいらっしゃる。誰のせい、何のせい、という言い分は言い訳、嘘っぱちである。鳴門雅彦氏とやら、誰に頼まれて上から目線で、代弁しているのだ。
行間からある女声が聞こえてくるのだけれど。時としてある男声も。
・・・・・・行きがかり上、悪文と妙な論旨に具体的にツッコミはしたが、「秋篠宮を排して皇太子と雅子妃を大切に扱い、天皇皇后に即位していただこう」という趣旨の文章が出るということは、秋篠宮へ移譲の動きが、宮中他でもあるのか、と感じ、それが当記事の眼目である。
秋篠宮内親王、紀子妃殿下の即位の可能性を希求しても、可能性はゼロではないかもしれないという期待が全てなのだ。
公務と宮中祭祀を怠り、ご家族第一で唯一の天皇陛下、精神疾患の皇后陛下などあり得ない。日本人の基本の公徳心、倫理観まで破壊されてしまう。
「共犯」と呼ばれた国民の一人として、畏(かしこ)み申す。
反日勢力が、雅子妃と東宮を持ち上げているのだという事実に冷静に気づいてください。そして、秋篠宮ご夫妻へのネガテイブキャンペーンがなされている現実にも。
真の保守系による東宮と妃殿下批判よりも、反日系によってなされる東宮と雅子妃擁護を信じる愚を犯さないでください。
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【オランダ新王妃の父が即位式参列できず&小和田夫妻と公私のけじめ】
http://www.facebook.com/permalink.php?id=100001926880555&story_fbid=458627704211455
オランダの国王即位式では、雅子妃の出席に話題が集中していたが、世界が注目していたのは、マクシマ新王妃の父親であるアルゼンチンの元農業大臣ホルヘ・ソレギエタ氏が出席するかだった。
結局、結婚式のときと同様に出席を拒否されてしまったようだ。ソレギエタ氏は人権侵害で知られる軍事政権の閣僚だったので、婚約時に大問題になった。農業大臣で治安問題とは直接関係なかったが、結婚は認めるが、結婚式には出席させない、マクシマさんは父親と政治的信条を異にすることを宣言することで決着がついた。そののち、孫の洗礼式にはオランダへの入国を許されたので、今回の処置が注目されたのだが、やはり「NO」で厳しい倫理を求める姿勢が貫かれた。。
一方、雅子妃がオランダ在住の小和田夫妻と会われるかも注目されたが、5月1日にホテルを小和田夫妻が訪れ3時間ほど滞在した。小和田夫妻は頻繁に帰国しているから、なにも公私混同といわれるこの機会にこれみよがしに会うこともないと思うが、そんなことを気にしないのが小和田夫妻らしいところだ。
しかも、小和田大使は、「両殿下とも無事にお務めを果たされて、ほっとしているご様子。オランダ側の配慮により、(雅子さまが)出席することができ、ご夫妻は配慮に感謝されていました」と記者団にコメントしたが、どう考えても出過ぎたことだ。平安時代の関白でもあるまいし、両殿下が帰国して内外に正式の声明として出されるべきところをマスコミにべらべら話すのは不適切だ。
しかも、この日は 水俣病の公式確認から57年目で、水俣では「水俣病犠牲者慰霊式」が営まれ石原環境相が患者や遺族に厳しく糾弾されていた。雅子妃の外祖父である江頭豊氏は,1964年から73年までチッソの社長・会長をつとめ、それ以前は主力銀行の役員、会長辞職後も相談役だった。チッソがホルムアルデヒドの生産を中止したのは1968年、熊本水俣病第一次訴訟が始まったのは翌年だ。そのとき、江頭社長は、1959年に見舞金契約を結んで死亡者に30万円、生存者には年間で10万円を払い、「今は水俣病の原因がよくわからない。将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、それ以上の要求はしない」としたことを盾にそれ以上の補償を理不尽に拒否していたのだから、この日に江頭豊氏の家族が晴れがましいところに出るのはいかがなものか(ちなみに小和田邸は江頭邸の敷地内にあって夫人の実家としての通常の関係より深いつながりだ)。
オランダ新王妃の見事なけじめと比較しても割り切れないものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%92%8C%E9%83%8E
https://twitter.com/YawataKazuo
八幡和郎
評論家・歴史作家。徳島文理大学教授。元通商産業省(現経済産業省)大臣官房情報管理課長。国土庁長官官房参事官。1951年、滋賀県大津市(本籍守山市)生まれ。東京大学法学部卒。フランス国立行政学院(ENA)留学。沖縄に住んでいたこともあります。(テレビ・講演担当 (株)キャスト・プラス いさご 03-3589-8011)
京都市在住
*同素材で、文章をお書きのブロガーの方がいらしたので、ご紹介しておきます。
(拙ブログより、はるかに多く皇室関連を取り上げていらっしゃるようです。宝塚やドラマの話題が混在していて、好きな人には楽しくもあるブログかもしれません)「ふぶきの部屋」さんです。
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ttp://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/e/aac805b28e2d752b4250479b1b151a03