根本博
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A
終戦時にモンゴル(当時は蒙古聯合自治政府)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお侵攻を止めないソ連軍の攻撃から、蒙古聯合自治政府内の張家口付近に滞在する邦人4万人を救った。復員後1949年蒋介石の要請を受け中華民国台湾へ渡り、金門島における戦いを指揮して、中国人民解放軍を撃破、その後40年に及ぶ蒋介石・国民党政権による独裁体制を確固たるものとし、現在に至る台湾の独立自主に寄与した。
毛沢東の共産党軍を押し返した日本男児である。
蒋介石との男の友情の名のもとに!
台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡
間近に迫るソ連軍。内蒙古に残る日本人を守らねば。
「父は当たり前のことをしただけです」と根本博の娘は言う。
シベリアには大勢の日本人が抑留され命を落とした。
蒋介石は日本人の帰還に力を尽くし、根本博はそれを恩義に感じた。男同士の
友情と信頼の橋がかかり、それは取りも直さず日本と台湾とにかかった橋でもあった。
福島に生まれた根本博。秀才だった。
終戦の翌年昭和21年、中国大陸では2人の人物が拮抗。蒋介石と毛沢東(共産勢力)だった。共産勢力に押されていた蒋介石。
戦犯を免れた根本、蒋介石に恩義を感じていた、日本人を逃してくれた人として。
ある日愛用の釣竿を手に家を出た根本博。根本と行動を共にしたのは通訳であり根本を親分とあおぐ吉村是二(これじ)。
日本人が海外に出られない時代だった。しかし2人はアメリカの占領軍の監視をかいくぐり、台湾へ向けて小舟で出港したのだった。命を賭して。日本人の命を救ってくれた蒋介石の恩義にオレは報いねば。
根本は自宅を釣竿を手にふらりと出たのだった。そして妻は官憲に訊かれるたびに答えた。
「さあ? 主人は釣竿を手に家に出ました」
GHQの目をかいくぐり、小舟で台湾に密航した根本と通訳であり、子分である吉村。
その影で策を弄したのが明石元長(動画20分ぐらいめ)。
船は宮崎から出た。性も根も尽き果てた明石は、過労で命を落とす。
一方船は暴風雨に錐揉みにされる。
宮崎を出てから14日後、船は台湾の基隆(キールン)に着いた。
金門島の戦いで、根本は蒋介石と共に戦い、現在の台湾を死守した。しかし、そこに日本人が関わっていた、という事実は台湾人にすら知られていない。
台湾政府の元高官は、根本の存在を否定する。追跡のジャーナリストは根本の存在が根底から消されていることに驚く。
自由主義圏と共産主義圏との拮抗がその後の世界の情勢となる。
金門島と中国大陸の距離、わずか2キロ。しかしこの島が台湾を死守した。
昭和24年当時の記憶を有する島民を探す。「日本人? 知らないね」「聞いたことがない」
しかし
「その当時、日本人に大金が賭けられ、その首が欲しがられていた」
という証言を得る。更に・・・・
「その日本人は、『軍神』と言われていた」という証言を得る。31分40秒。「眼鏡をかけて、国民軍の軍服を着て蒋介石の隣の隣に腰掛けていました」
蒋介石の軍事顧問としていたのだった。
根本の見事な作戦で、激戦の末、共産党軍は退いた。村人の命を守りつつ、敵兵を追い詰める作戦を立てて成功。
近年、やっと根本の真価を台湾が知り始めている。台湾の防波堤、金門島を死守した日本人としての根本の名が。2009年10月金門島。古寧頭の戦い。根本の作戦を得て蒋介石は台湾を守りぬいたのだ。
それまで根本博の存在を知っていたのは蒋介石の側近の高官のみだった。
朝鮮戦争が起こり、中国は北朝鮮を支援。台湾はアメリカの支援を受ける。
台湾を死守した根本は、釣竿を手にふらりと日本の自宅に帰って来た。3年前と同じように。明治生まれの日本の男の、それが美意識だった。
(蒋介石への恩義と友情の他に根本の頭には、台湾が共産党軍にやられたら、次は沖縄、という危機意識もあったのではないか、という説もある)
それから歳月は果てしもなく流れ・・・・
根本と吉村、明石たちの息子や娘も年老いた。
そして時は満ちた。
ついに馬英九総統がその息子たちの手を握り、日本語で挨拶する。
「ようこそ台湾へ」
と。
2人の日本人が台湾の歴史にその名を刻んだ瞬間だった。
これは中国共産党軍と戦った蒋介石と、ある日本人との長い強い友情の物語。それはとりもなおさず、日本と台湾との長い友情の物語でもあるだろう。
わたしたちは、この二人の、いや三人の日本人が命を懸けて台湾という国を守りぬいたことを台湾の人々にもっと知って欲しい。知らせよう。
そして日本人が守りを助けた台湾がひとつの独立国家として、日本と国の結びが出来るよう、手をたずさえて祈りたい。侵略国はこの世にもう、いい。要らない。
中華民国 初代総統 蒋介石
日本を敬愛し、日本人を愛した。
台北市にある蒋介石の顕彰施設「中正紀念堂」には蒋介石が大切にしていた花瓶が展示されている。通常花瓶は2つで対の1セットだが、展示された花瓶は1個だけである。蒋介石は3セットを作らせ、1セット2個を英国エリザベス王女のご成婚に贈り、もう1セット2個を日本の皇室へ贈った。そして最後の1セットのうちの1個を「これはあなたと私がいつも一緒という証に。常にそばにいてお互いを忘れぬよう」といって帰国する1個を根本元中将に贈ったのだった。
ペアである2つの壺は海を隔てて、今なお台湾と日本のそれぞれにあるのだろうか。
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