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Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
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本当は怖い! 最高裁裁判官 国民審査

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最高裁判官国民審査の内容が知られていません。でも、これをうかつに見過ごすと司法の場で大変怖い結果が待っていることもあります。

早い話、あなたはあの鳩山、あの菅政権が任命した裁判官を認められますか? 鳩山氏や菅氏が選ぶ裁判官はどういう価値観を持っている人々でしょうか?

大変、わかりづらい最高裁裁判官国民審査ですが、わからないなら、わからないから改善せよ、という意志を示さないと事態は変わらず、無駄に国費を投じ無益な結果で終わるだけです。江川紹子さんの一文を紹介します。全員にバツをつけよ、という提案は乱暴なようですが、一理あるかとは思います。まして、支持していなかった、あるいは拒否していた政権が決めた裁判官ならば拒否する、という考え方もあるのではないでしょうか。別の言い方をするなら、その内閣が承認した裁判官を拒否することで内閣への不信任を突きつけることも出来るということですね。

以下、江川紹子さんの文章の転載です。

 http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20121214-00022725/

いよいよ総選挙。この投票日に、私たちは政治家や政党とは別に、もう一つの選択をしなければならない。

最高裁裁判官の国民審査だ。国民が、司法に対して意思表示できる、唯一の公的制度。今回の国民審査で、対象になっている裁判官は10人いる。

国民審査対象の裁判官

しかし、この10人の名前を見せられて、どういう考えの人なのか、どのような実績を持っている人なのか判断できる人がどれだけいるだろう。最高裁国民審査公報というものが各家庭には配られているはずだ。しかし、そこに書かれている「最高裁において関与した主要な裁判」を読んでも、判決の意義や裁判官の判断について評価できるのは、法律の専門家くらいではないか。

過去の選挙の際、衆院選の候補者や政党のことだけ考えて投票所に足を運んだら、国民審査の投票用紙を渡されて戸惑った、という経験をした人は少なくないだろう。そこに列挙された名前を見ても訳が分からず、何も書かずに投票箱に放り込んだ、という人は、かなりいるはずだ。

用紙を渡す選挙管理委員会のスタッフから「分からなかったら、そのまま何も書かずに(投票箱に)入れて下さい」と”指導”を受けたという話もずいぶん聞いた。とんでもないことだ。

国民審査は辞めさせたい裁判官に×をつける方式なので、何も書かなければ、事実上、信任票を入れたことになってしまう。何も書かずに投票するよう促すのは、公務員が今の裁判官たちを信任するように誘導しているに等しい。

しかし、総務省選挙課は「そういう事実は把握してない。あれば選管を通じて報告や相談があるはず」とそっけない。そして、「『分からない』という人が(投票所に)来ることは前提にしていない。審査公報をしっかり読んで来ていただくことになっている」と言ってはばからない。あたかも「分からない」人が例外的であり、当然やるべきことをやっていないかのような反応だ。

 

「分からない」国民がいけないのか?

この総務省の対応は、現実を見ていないと言わざるをえない。

制度の意味や基本的なルールすら、国民に十分伝わっているとは言えない。

たとえば、投票用紙につけられるのは×印だけ。○や△、その他の文字を記入すれば、その用紙は無効となり、何人かの裁判官に×をつけてもカウントされなくなる。そのことを私がツイッターで注意喚起をしたところ、「知らなかった」「初めて聞いた」という反応がいくつもきた。

そんな中、選管スタッフの誘導もあり、「分からない」まま何も記載せずに投票した人の票は、事実上の信任票となる。こういう仕組みだから、戦後この制度ができて以降、国民審査によって罷免された裁判官はいない。

この制度は、罷免するかどうかの意見を求めるという点では、地方自治体の首長の解職請求(リコール)で行われる住民投票に近いと言われる。けれども、住民投票では通常、活発な投票運動が行われ、住民は争点を十分に知る事ができる。ところが、最高裁裁判官の国民審査にはそれがない。国民は、まったく情報が不足している中で、判断を迫られるのだ。

この状況について、憲法についての著作もある弁護士の伊藤真さん(伊藤塾塾長)は、次のように指摘する。

「仕事ぶりをしっかりと広報する(判決の個別意見で説得することも合わせて) ことも含めて裁判官の仕事ですから、伝えきれていない人は×にされても仕方がありません。自らの権力行使について、しっかりと説明することはどんな仕事であろうが、公務員の責務です。特に裁判官の仕事は主権者国民からの信頼を得て、初めてその権力行使が正当化されます。国民審査に服する最高裁判事はより一層、しっかりと自らの仕事ぶりを国民に説明する義務があります」

であれば、今回審査の対象となっている10人には、全員×がふさわしいのではないか。

国民から遠い最高裁

しかも、解職請求の住民投票の場合は、解職に賛成にしろ、反対にしろ、それぞれの意思を持って投票所に行き、賛成か反対かの意思表示を明確にする。「分からない」のと「罷免に反対」とは全然違う。なのに、国民審査では一緒くたにカウントされてしまう。これは、やはりおかしい。

国民の側からすれば、信任できる人に○をつける信任投票の方がいい。そうなれば裁判官たちも国民の理解を得るために、業績や自分の考え、姿勢などを分かりやすく説明しようと務めるだろう。今は、審査される側にとって都合のいい制度の上にあぐらをかいて、最高裁は裁判官の業績を積極的に伝えようという努力もせず、投票方法を改める動きもない状態が続いている。

「分からない」状態に置かれた国民が抗議の声を挙げることもなく、このように形骸化した制度が放置されてきたのは、最高裁という役所やその裁判官という存在が、国民一人ひとりからはあまりに遠い存在だからだろう。

アメリカでは、連邦最高裁の裁判官を任命するには上院の同意が必要。公聴会を開き、妊娠中絶など政治的な立場で意見が対立するような話題も取り上げられる。そんな時には激しい議論が開かれ、大きく報道されるので、国民はどういう考えの人が新たに最高裁の裁判官になるのか知る機会がある。

それに対し、日本の最高裁の裁判官は、内閣が決め、国会の同意は必要ない。なので就任時も新聞でひっそりと一段見出しのベタ記事で報じられる程度。ネットのニュースでもほとんど伝えられてないのではないか。これでは、大半の国民は交代があったことにも気づかない。

裁判所が「冤罪の構図」を作っている

感覚的に「遠い存在」ではあっても、最高裁は私たち国民の権利を制限したり、保護したりする役目を担っている。最高裁が判例によって判断を示せば、全国の裁判所が一斉にそれに従うほど、その権限は強い。刑事事件では冤罪を防ぐ最後の砦としての役割が期待されている。裁判員裁判では、国民も刑事裁判のプロセスに関わることになるが、その判断結果についても最終的には最高裁判所が是非を決める。

しかし、最高裁は本当に人権の砦としての役割を果たしているのだろうか。

たとえば、刑事事件の自白調書の取り扱い。無理な取り調べや「認めれば早く出られる」といった利益誘導、「認めなければ実刑になるぞ」といった威迫などが行われ、被疑者がやってもいな事件について虚偽の自白に追い込まれて、後に問題になることがある。足利事件や布川事件など、再審で無罪が確定した冤罪事件でも、虚偽自白があった。遠隔操作ウィルスに感染したパソコンから脅迫メールが送られた事件で、間違って逮捕された4人のうち、2人が「自白」していたことは記憶に新しい。

再審無罪となった布川事件の杉山さんと桜井さん

では、なぜ警察や検察が、無理をしても被疑者の自白をとりたがるのか。それは、調書さえ出来ていれば、たとえ裁判所で被告人が否認したとしても、多くの場合、裁判所はすんなり自白調書を証拠採用し、有罪判決の材料とするからだ。つまり、冤罪の構図を裁判所が作っているのだ。法廷で自白調書の任意性や信用性が争われた際、最高裁が検察に客観的に任意性を証明することを求める判断をしていれば、捜査機関は取り調べのプロセスを録音・録画せざるを得ず、可視化はとっくに実現していただろう。虚偽自白が招いた冤罪がいくつあっても動こうとしない最高裁は、果たすべき役割を果たしていないのではないか。

裁判官はどんなひどい誤判をしても、誰も何の責任も問われないどころか、最高裁は何の検証すら行おうとしない。今年、再審無罪が確定した東電OL殺害事件では、東京高裁と最高裁がひどい誤判をした。一審の東京地裁は、被告人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんを犯人と断定するにはいくつもの疑問があるとして、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従って無罪とした。なのに東京高裁は、その疑問が解明していないのに、検察側の主張を認めて逆転有罪とし、最高裁はそれを追認した。再審で新たに証拠提出されたDNA鑑定は、東京地裁の判断が正しかったことをより明確にしたが、それがなくても無罪判決は十分に書けたのだ。本来、最高裁が音頭を取って、なぜ誤判をしたのか、外部の目も入れてしっかり検証しようという動きがあるべきだろう。だが、そういう話は寡聞にして聞かない。

ちなみに、この事件で逆転有罪判決を出した裁判官のうち2人は今も現役で、それぞれ東京高裁、東京地裁の裁判長を務めている。こんなに酷い誤判をした裁判官が、何の検証も受けず、教訓を学ぶことがないまま、人を裁き続けているのだ。

何らかの意思表示をしよう

南側から見た最高裁は、まるで砦のよう。国民審査は、ここに国民の声を吹き込む機会だ

そのような状況の中、今回の国民審査にあたって、私たちはどういう対応をとればいいのだろうか。

一つには、どうしたらいいか分からない場合は、無記入ではなく、×をつける、という選択がある。先に伊藤弁護士が説明したように、本来私たちに分かりやすく説明すべき裁判官たちが、その義務を果たしていないから「分からない」。なので、そういう裁判官達、今回で言えば10人全員に×をつける。一般国民が司法に対して物申せる唯一の機会が国民審査であることを踏まえれば、「冤罪の構図」をそのままにしている最高裁の姿勢に対する異議申し立てとして、裁判官全員に×をつける、という選択も大いに意味があるだろう。

これに対し、「よく知らない人に×をつけるのはいかがか」という声もある。しかし、よく知らない人に私たちの人権に関する判断を預けるというのは、もっと怖いことではないのか。

国政選挙での一票の格差を訴えている弁護士などの「一人一票国民会議」も、1人が等しい一票を有することについて、最高裁の消極的な姿勢を指摘して、全裁判官にXをつけることを推奨している。

もちろん、個々の裁判官の姿勢や実績をよく分かっていて、評価できる人がいるのなら、その人は信任、すなわち無印とすればよい。いくつ×をつけ、いくつ無印とするかはそれぞれの判断だ。10人全員とも信任したいという人は、何の印もつけなければよい。できる限り情報を集めて判断したいという人のためには、こうしたサイトもある。

また、×をつけるのにどうしても抵抗があるという人は、投票用紙の受け取りを拒否し、国民審査のみを棄権することもできる。それも、「分からない状態のまま投票したくない」という一つの意思表示だと思う。

とにかく、これまでのように「分からないから」と漫然と無記入の用紙を投じることはやめよう。これでは、国民審査のあり方を変えようという動きすら生まれない。今回こそは、何らかの形で、ぜひ意味ある意思表示をしたいものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・転載終わり・・・・・・・・・・・・・・・

過去記事でも、最高裁裁判官の審査制度について触れました。そこでは、某サイトさんのデータを参考に、一人だけを信任(無印に)、残りの9名全てにバツ印をつけることを提案しています。むろん、これは一方法に過ぎません。全員にバツもあるでしょうし、あるいは悪しき判決の他に良い判決をしている場合もあるので、良い判決に免じて信任(無印に)という選択肢もあるでしょう。

総ての裁判官についてチェックするのが億劫なら、どうしてもこれだけは許せないという判決をした裁判官を調べてその人だけには不信任のバツをするという方法もありますね。

無印か、バツかの二択ですので間違えないように。三角や二重丸などは、無効票になります。

過去記事も一度最高裁判所裁判官審査について取り上げ、あるサイトで提示された判決例を参考にしながら、一人を残して残り9名にバツをつけることを提案しています。むろんこれが理想形の信任不信任の形だというわけではなく、一選択肢に過ぎません。

 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/4d82fa1c4a4aa1e3abe8e6ed231d6ea8

[最高裁判所国民審査で×バツをつけるべき裁判官?]

信任の場合は「無印」に。不信任の場合はバツ。三角や二重丸は無効票になります。

今回こそはせっかくの、審査制度を何らかの形で活かしましょう。解りづらい制度への抗議でもよいのです。その場合は審査用紙の受け取り拒否か、あるいは全員にバツ印というやり方があります。分からないから全員無印にして投票するとそれは「積極的信任」となってしまいます。ある偏向した思想の支持者になってしまうケースもあるのです。(大江健三郎氏勝訴のケースを扱った裁判官の場合など)沖縄の人たちの集団自決に日本軍が関与していたという左翼連中の捏造説の支持者に否応なくなってしまいます。

ややこしいですが、日本の立て直しには延々たる根気が必要です。「彼ら」は日本を壊し弱体化させるのに67年間をかけています。一朝一夕でことは片付きません。

皆さまご存知のようにあるとあらゆる場にあの勢力は入り込んでいて日夜日本壊しと弱体化に余念がありませんが、それは司法の場とてそうであるのは、言わずもがなのことでしょう。

やや乱暴な言い方ではありますが、反日裁判官はいるのです。

座して慨嘆しているだけでは、日本は変わりません。一歩歩みを前に進めませんか。

 (選挙を目前に拡散を希望しています。断りは無用ですので、ご自由にお使いくださいませ)

各裁判官の判例はここでチェック出来ます。http://senkyo.yahoo.co.jp/judge/

【備考】 白木 勇氏 「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」(沖縄ノート名誉毀損訴訟)で、原告の上告を棄却し、大江健三郎を勝訴させた裁判長

 

【備考2】

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%AF%A9%E6%9F%BB

最高裁判所裁判官国民審査(さいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)は、日本における最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度である。

 

▼最高裁の裁判官は、任命後初の衆議院議員総選挙の投票日に国民審査を受け、その後は審査から10年を経過した後に行われる衆議院総選挙時に再審査を受け、その後も同様とすると定められている。

▼ただ、衆議院議員総選挙と同時に実施されるため、又、日本が諸外国に比べて国民の司法参加が少ない国であるため、毎度、注目されることはない。海外の識者は、市民の意向が国民審査によって反映される状況になっていない事を指摘している。

▼国民審査で罷免された裁判官は罷免の日から5年間は、最高裁判所裁判官に任命されることができない。

▼衆議院議員選挙の投票の際に、国民審査のみを丸ごと棄権することは可能であるが、裁判官個人ごとへの棄権は不可である。棄権する場合は投票用紙を受け取らないか、受け取った場合は返却することが出来ると投票所内に掲示されている。

▼最高裁判所裁判官国民審査法第32条で国民審査は最低投票率が1%と定められており、投票率が1%未満の場合は罷免とはならない。

他の参考サイト 「博士の独り言」さんより

http://torakagenotes.blog91.fc2.com/

(抜粋)

今日、我が家に最高裁判事の国民審査広報(Web)(内容は都道各府県とも同じ)が配布されましたが、各判事の“主要な裁判”の欄を読んでみると何故か各判事にとって×を付けられそうな案件は(参照)は載せられていません。まるで各判事に配慮しているとしか思えません。

  この内容では公平性に欠けており、有権者の判断が狂ってしまう危惧を覚えてなりません。たとえば、最近の小貫芳信氏の事例も参考とできます。この事件(Web)で千葉勝美氏に同調して国家公務員法102条第1項(政治的行為の禁止)並びに人事院規則14-7(特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布の禁止)に違反している元社会保険庁職員を無罪にしています。有権者が出来るだけ多くの情報を調べられ、賢明な投票をされることを願っています。

・・・・・・

某サイトを参考に、1名だけ信任を提唱した小貫氏もNGということでしょうか。最終的には各自ご判断のほどをとしか言えません。

 

仮に一人だけとしても、史上初の不信任裁判官が誕生したら、報道され世論が喚起され流れは急速に変わります。

 

わからなければ、せめて投票用紙の受け取り拒否を。


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