石原慎太郎氏と橋下徹氏との共通項は「力志向」だと以前、書きました。内部にあっては権力志向です。もう一つの共通項にも触れたことがあります。お二人ともに天皇を不要だと内心考えている。これは非公開で頂いた某情報と併せて最近、確信に近くなりつつあります。
石原氏はまごうことなき「愛国者」ではあります。防衛に対する姿勢は的確に正しい。しかし、保守層もさまざまで、国家を力の理念のみで捉え、天皇を価値観として据えない人たちも少なからずいます。保守だから天皇尊重であるというのは思い込みに過ぎません。主力の保守ブログで、天皇について、また東宮の問題について口をつぐんでいるところが意外に多いのに気づかれるでしょう。それはおそらく禁忌として触れぬのと、実は天皇不要論者として皇室に関する記述を意図的に外してしまうのと、両者あるように見受けます。
先稿で書きましたが国家というものは、最初から確固として存在するものでなく、そこに集う人々の意志で創り上げられたフィクションであり幻想です。守りぬく意志が失せれば、国家は雲散霧消する。守るためには「主義」であれ元首であれ天皇であれ、国家という扇の要(かなめ)が必要です。要は「理念」と言葉を置き換えてもよろしい。理念はすなわち共産主義であり共産党政府であり、合衆国民主主義に基づく国民の意志による代表である大統領であり、そして日本という美しい扇の要(かなめ)に太古より居続けたのは天皇です。
要を要として担保するのは儀式であり、これは世界各国そうです。国により形態が異なりますが日本の場合は、宮中における神事を最たるものとして、日常次元では国旗国歌への敬意がそれに当たります。
日本国の要(かなめ)をどうするか。
従来通り、天皇陛下であるのかそれとも新たな要を置くのか、日本国民はもはや意識的に選択すべきです。終戦以来、戦勝国側の意図による天皇の象徴化、つまりは記号化によりその地位は曖昧になり、多くの日本人が当たらず触らず、天皇の存在は日々曖昧模糊としたものになっています。本来日本国にとって天皇は、万世一系の糸を手繰れば神武天皇に行き着く神でした。
君主制を採用する国は他にもありますが、神話の世界に連綿とつらなる一つの王朝が存在し続けているのは世界に類例を見ません。
天皇は要るのか要らぬのか。
ある日本人にとっては、この設問自体が無意味であり不敬であります。しかし不敬の一言で問題から目を逸らしていては、皇室の弱体化は日々明らかでいずれ崩壊の危機にひんします。不敬の名のもとに問題を放置していることこそ、大きな意味での不敬ではないでしょうか。
また多くの日本人にとっては漠然と「昔からあるものだし・・・」と、積極的肯定でもなければ否定でもない対象です。なくなることに、よしとするほどの信念はないが、かといってなぜ天皇が必要なのかは解らない。
「なくてもいいのではないか」と思う人々も確実に存在します。それをもっと確信的に「不要」と断じて、フランスのごとき共和制国家の青図を描いているのが橋下氏であり石原氏です。
左翼の人々は言わずもがなですが、石原氏はむろん一線を画します。橋下氏に関しては以前書きましたが左翼でも右翼でもありません。価値観の基軸にあるのは権力であり、全ての言動はそれを最も効率的に得るための手段です。ですので、表から見ていればブレます。しかし橋下氏の内部では終始一貫していることです。
天皇不要論は両氏共に明言しているわけではありません。ただ橋下氏に関してはその出自とこれまでの言動の累積から自ずと、ああこの方は天皇の存在に関しては否定的であろうと類推が容易です。文楽という日本の古典芸能排斥に端的に見られるごとく、日本を捉える国家観から伝統と美が欠落しています。
石原氏もまた、どうやらそのようです。と言うと「え、石原さんは作家なのに?」といぶかしんだ友人がいましたが、石原さんがデビュー作以来かつて(本物のという意味での)作家でありアーチストであったことは一度もありません。
障子に屹立した男根を突き刺す、という戦後まだ日が浅く日本が打ちひしがれていた状態からやっと立ち直りつつあった時代に、日本の倫理紊乱(びんらん)の若者小説に審査員も出版社も幻惑され、また「売れる」という商魂もあいまって芥川賞に選ばれ、思惑通り石原氏はスターになりました。石原氏は当時から優れたアジテーターではいらしたのだと思います。
その小説を読んだこともない若者が石原氏の短く刈り上げたヘアスタイルを真似て街を湘南ボーイスタイルで闊歩、そして石原氏はその存在そのものがスターで有り得る条件を備えていました。美貌であり、当時の男にしてはスラリと足が長く、ご成婚前の美智子妃殿下も素敵だと思われた、という当時のゴシップめくニュースの断片が残っています。
見てくれと話題の衝撃性だけで売れたタレントのように、石原氏は作家としての代表作は「太陽の季節」以外ありません。それとて社会的事件であったというだけのことで、今それを傑作と評価する批評家はいません。文章も、その明晰な談話に比して凡手です。石原氏が常に意識していた三島由紀夫の作品の幾つかは小説、戯曲いずれも古典となりつつありますが、石原氏の作品は何も残っていません。
石原氏がそれを自覚していたのかどうか、氏は政治家に転向します。三島が歌を歌えば、石原氏も歌い、映画に出れば映画に出演し、しかしどうあがいても足元にも及ばぬものが文学でした。おそらく氏にはそこへの劣等感がありそれも政治家転身へのバネになったのではなかろうかと、これは愚考です。三島が成し得なかったこと、それは一国の権力者になることです。石原氏はそこを目指しました。しかし、ついに首相になることなく国政を去りました。その後、森・元首相との密約で息子に夢を託すがこれも挫折。見果てぬ夢の代償のように現れたのが、橋下氏ではなかったでしょうか。小論はさておき、権力、力志向、天皇を廃した国家構造を目指すという大局での共通項があります。
石原氏の作品を多く読んでいるわけではないので、断言ははばかりますが三島由紀夫と対比して言うなら、氏の作品から欠落しているのは、日本人としての美意識です。美と伝統の形としての国家観です。そして・・・天皇です。
これをもってして、石原氏が天皇不要論者であると断言するのは軽率ですが、傍証的な事実を上げるなら氏が都税を大枚に費やしつつこだわっていたオリンピック誘致。「皇太子に協力をしてもらいたい」発言があり、言葉を約めれば要するに宣伝マンをやれ、と。この言い分だけではなく、口ぶりに微妙に敬意を欠いていると感じた人はいるのではないでしょうか。ごく微妙な感覚ですが。氏の立場なら、腹で何を思おうと表向きには「畏れながら」という言葉と共に、最大限の敬語で語られるべきだと思いますが、そうではありませんでした。
皇室に敬意を払っている人間は皇太子をオリンピック誘致に使うという発想は持ちません。なぜなら、それで誘致が叶わなかった時、皇太子にそれだけの力がなかったということを世界に示すことであり、皇太子軽侮につながりかねないからです。
以上の「状況証拠」に添えて、非公開で頂いた某情報があるのですが、ご当人が非公開を希望していらっしゃるので書きません。
長々しい論で退屈かもしれませんので、取り急ぎ申し上げておくなら、もしあなたが天皇陛下を尊重する立場であって、しかしもし維新の会に投票をお考えなら、それは矛盾かもしれません、とだけ。
美としての日本を大切に存続させたいなら、天皇陛下の存在は必至です。伝統と美の国としての日本を考え続けた三島由紀夫の心の中にあったのは、常にすめらみことでした。
わたしたち日本人が総て神話を信じる必要はありません。しかし、日本が日本であり続けるための主体性を従来通りの形で求めるなら、神話は少なくとも尊重されねばなりません。GHQの手により記号化された天皇を、しかし彼らの思惑通り人間として扱ってはなりません。双方約束事の上で成り立つ一種の虚構が必要であります。万世一系の神話に心からひれ伏せる人はそれでよし、そうでない人は国体を最も効率的に保てる歯車の中心として、尊重すればよろしい。
こういう皇室のメカニズムを全く理解なさっていないのが、東宮です。神の庭の住人として、あるいは時に神を容れる器として自らを捧げるお役にあることを理解されていない。
キングでもない、エンペラーという世界でも特殊な位置に上るための帝王学もなされなかった。
代々の天皇が言い続け、また書き遺しておられるごとく天皇の要諦は一に祭祀、ニに祭祀、
祭祀に始まり、祭祀に終わるのが天皇なのです。
「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
(順徳天皇「禁秘御抄」)
すなわち・・・宮中内の天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬ、と。
*「禁秘抄」は朝廷における儀式作法の根源・由来・を究め古来よりの慣習を後の世代に残さんとしたもの。次代の皇子に帝王の道を伝えるもの。
祭祀を抛擲した時点でそれはもう、ただの人間に過ぎません。畏れながら東宮は先帝の方々のご遺志に背いていらっしゃいます。東宮夫妻が天皇皇后となられた時、宮中の祭祀は衰弱します。石原氏や橋下氏が考えるごとき、天皇不要論を実は皇太子夫妻自らが実践されているのが現在のお姿です。あまり深く思いを巡らす方ともお見受けせず、ご本人はそこまで意識されてはいないでしょうが。天皇が形而上の価値を帯びた存在であることにも畏れながら思いは至らぬのではないでしょうか。形而上であるがゆえに負の意味ではなく正の意味でのuntouchable、禁忌なので、禁忌はすなわち「不敬」という観念に連なります。現在の東宮ご夫妻は不敬の一語からいかにも遠いご存在のように思われます。形而上の存在である神から離れて皇室の存在意義はありません。
時代はもはや変わった。ゆえに日本はもはや天皇を必要としてはいない。そういう考え方もあり得ます。しかし、この日本を最も美しい形で、効率良く一つに束ねるための、明確な代案があるかどうか、それをまずお考え願いたいと思います。代案なければ、かつて三島が懸念した通りの、品もないしどけない国家へと日々転落して行くばかりです。
日本のようにくるくると首相も大臣もめまぐるしく変わる状態では、政治家の中から外交的説得力あるスターは誕生しない、という卑近な現実もあります。最も説得力のある外交官は天皇陛下です。東宮の代から急激な格落ちは否めず、ルクセンブルグ他の外国での拙いお振る舞いを拝見するにつけ、むしろマイナスのイメージが日本に持たれてしまうことを懸念します。皇太子の実像はベールをかけての報道しか知らないわたくしたち日本人よりも、身近に接した海外の王族の方々のほうがご存知だと思います。(全てを心得られた秋篠宮の摂政を望むゆえんです)
国家自体が意味を成さないという鳩山由紀夫氏のような考え方もあり得るにはあり得ます。しかし、それは目下、観念としてのみ可能なのであって、世界はいまだ国境と武力と侵略で成立しています。国家国境不要論は、現実遊離の未熟な論議です。世界はいまだ、野蛮な力と虚偽の論理で成り立っています。そういうリアリティを前提に、何を日本という扇の要に据えるか、改めてわたくしたち日本人は考えるべき時ではないでしょうか。天皇が脆弱化してやがて消滅に等しくなった時、天皇に代わる国の要をわたくしたち日本人は持っているでしょうか、
【備考過去記事】
天皇とは何か 秘儀の由来
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/25d835617d37501ec782e0baa39ee256
すめろぎは、などて人間となりたまひしhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7714fe93cfc74b2ac9afdf131f1bf3e9
天皇即位後に行なわれるのが大嘗祭(だいじょうさい)です。秘儀です。新帝は天照大神ほか天神地祇(てんじんちぎ)に、神饌(しんせん)を供え、祈念します。
神社の祝詞(のりと)に相当する「申詞(もうしことば)」は天皇直伝で一般には明かされません。
しかし十四歳で即位した順徳天皇に、父・後鳥羽上皇が大嘗祭の直前、その秘儀について伝授されたことが後鳥羽上皇の日記(建暦2[1212]年10月25日)に記されています。
「伊勢の五十鈴の河上にます天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく。朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」
天皇はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られます。それがお仕事です。国がため、民がため日々祈って祈って祈り尽くす。ご公務はおろか神事までないがしろにされる方に天皇を継ぐ資格はあおりになりません。