【2010/10/2】尖閣侵略糾弾デモ、ペマ・ギャルポ氏街宣【渋谷ハチ公前】
下田市議会・副議長でいらっしゃる田坂富代さんの最新エントリーでチベットの政治学者、ペマ・ギャルポさんの動画を拝見しました。
http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-aae1.html
ペマ・ギャルポさんには新幹線の中で、偶然隣り合わせ、しばしお話をうかがったことがあります。ダライ・ラマ猊下にも、こちらはむろんお話は叶いませんでしたが、お目にかかったことがあり、更にインドのチベット自治区を訪れたこともあり、帰れる祖国を失った流浪の民の苦しみも悲しみも、その一端は肌で理解しています。
かたわらに侵略を国是とする国を置いた時、国旗や国歌を否定する輩は、国際政治の,
時に暴虐を伴う力学を心得ぬ、無知蒙昧、想像力の欠如した未熟の輩です。
日本が、田坂さんのおっしゃる「大和自治区」にならないという保障は皆無なのです。
いいえ。それを狙って虎視眈々と隙をうかがっているのが 中華人民共和国またの名を軍事政権残党連合です。
たまたま維持されている平和の中で眠りほうけ、国家というものの意味が解らなくなっている連中には、いっそこの日本という枠組が解体された時、いかに厳しい酷い現実が身に降りかかってくるか味わって欲しいとさえ思います。
国旗も国歌も、単なる旗、歌ではありません。日本が主権国家であるための、標章であると同時に、くさびであります。
「君が代」が侵略の張本人である天皇陛下を讃える歌だから忌避するといううつけもの達、これが結婚式で歌われるとき、「君」は
新郎を意味するという事実はご存知か。もともとは、古今集の中の詠み人知らずの賀歌「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」がその由来です。
賀歌、すなわち寿ぎの歌であり、歴史をひもとけば歌の出自は庶民をも含めた宴席の主人公を祝う歌です。国歌の歴史の片鱗すら知りもせず君が代批判、卒業式というめでたい席での演奏を拒む教師どもよ,黙らっしゃい。
由来から言えば、学校の式典で歌われる君が代の「君」は生徒たちなのだよ。
日の丸は日本が主権国家であり続けるための高らかな宣言であり防波堤です。