ヘレン・ミアーズさん(GHQメンバー)
「なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」と非難されるか理解できない」
ヘレン・ミアーズは、1920年代から日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査した。太平洋戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していた。連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たした。
戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合や満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である。
実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であるとする。
大東亜戦争とも第二次世界大戦とも太平洋戦争とも、それぞれの史観によって呼び名が変わるあの戦争は決して侵略戦争ではなく、白人の植民地化から身を守る戦争、戦った結果、日本は敗れはしたがアジアの国々が独立を果たした戦争であった。
・・・・と拙ブログでも再三述べて来ましたが、外国人それもGHQという占領軍の一員であった方の言葉のほうが公平に耳を傾けてもらえるかもしれませんね。望外の読者数を得て営んでいますが、どれだけの人たちが日本無罪説を知ってくださっているのか・・・・・コメント欄に常書き込まれる人たちには自明の理でしょうが・・・今日はヘレン・ミアーズの言葉をアットランダムに拾ってみます。(色文字強調はべべこ。解説は極力避けるつもりですが、たまにあるかもしれません)
本当は「日本に侵略されるまで朝鮮はずっと独立国家だった」などと大嘘を教えられ、ソウルの「独立門」を「日本からの独立」などと思い込んでいる韓国人にこそ読んで欲しい文章です。長年、支那王朝の属国として虐げられてきていたのを、日清戦争で勝利した日本が開放しなんていう大嘘を教え込んでいるから、自国が永年の支那王朝の属国だったのを、日清戦争に勝利した日本が開放してあげた、などという事実を知ったら彼らの自我は崩壊してしまうのかもしれませんね。
以下、ヘレン・ミアーズさんの文章の任意・抜き書きです。
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「なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」と非難されるか理解できない。もし奴隷にしたならば、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。
日本の韓国での行動は全てイギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも原則は日本が作ったものではない。欧米列強が作った原則なのだ。
1910年、日本が韓国を併合したのは、韓国皇帝が「請願」したからだ。
歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、とほめるのだ。台湾は清から日本に割譲された土地であり、大日本帝国に参画した責任がないからだ。
しかし、朝鮮は1910年の併合条約で朝鮮王朝、朝鮮政府の意思に基づいて大日本帝国に参画した。また台湾人は、参政権&被参政権を得ることも、日本軍の士官になる事も出来なかった。
ところが、朝鮮人は、日本に暮らしさえすれば参政権&被参政権を得ることができた。その為、2回も代議士になった朴春琴(paku chungumu) や帝国議会の貴族院にいた朴泳孝(paku yonhyo)を初め、戦争末期には、何と7人の朝鮮人が帝国議会の議席を得ていたのだ。
もちろん、参政権だけではない。朝鮮人は、志願制が導入される以前から、士官学校に入学して、日本軍の士官になる事も許されていた。
韓国は被害者ではなく日本の戦争に加担した加害者だった。
満州での治外法権を最初に放棄、中国当局に具体的に約束。中国行政当局に租界を返還したのは日本。
私達は経済封鎖によって日本の補給路を遮断したから、戦争に勝てた。封鎖は日本を破る武器だった。日本を破るのに本土爆撃など必要なかった。本土爆撃のための発進基地を奪う必要もなかった。
日本人は世界を征服する野望にとらわれていたのではない。世界のどこの国にも征服されたくないという気持ちに動かされてきたのだ。
フィリピンハワイでの高い関税障壁。ヨーロッパ列強がアジア太平洋地域で諸外国との貿易と投資に大幅制限。
欧米列強は日本製品を締め出すか事実上規制。
アメリカの「自由経済」とは自国製品を「後れた地域」に無関税で、あるいはアメリカが決めた税率でもち込むことなのだ。その一方でアメリカは、本国だけでなく、日本製品が歓迎されるかもしれないハワイ、フィリピンのような遠隔の支配地でも、外国製品の輸入を規制している。日本からみれば、不公正競争をしているのはアメリカのほうなのだが、私たちはそうみなかった。
(第一次大戦後)日本企業は繊維製品などの生産を拡大し、アジアとイギリス、オランダ、フランスの植民地で売った。植民地市場での日本の競争力は、ヨーロッパ諸国の恨みを買った。日本製品は安かったから、各国は不公正競争であると非難した。
しかし、高いものは買えない現地住民は日本製品の安さを喜んだ。
輸出拡大をつづけることはできなかった。諸外国が日本製品に対して障壁を設け始めたのだ。日本製品の輸入を減らすためには、いたるところで関税が引き上げられ、輸入割当制限のようなさまざまな規制措置がとられた。
彼らはアジア太平洋地域で大国に「包囲」されていると信じ込んでいいた。
「大東亜」の民のために「共栄圏」を建設するという日本の構想は、アジアを自由経済から切り離すことを企図したものではない。第一、アジアの植民地には、もともと自由経済などというものは存在しない。日本は自分達の周囲に築かれた障壁を破って、自分達の域内に人と物を自由に流入させようとしたのだ。
私達が日本の韓国「奴隷化」政策を非難するのは、要するに日本の植民地経営が著しく拙劣だったからである。しかし、一般に「進歩」の基準とされている、病院、学校、官庁(とくに現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業化、資源の開発などの分野で見ると、日本の経営は他の植民地主義諸国にくらべて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。 (注;要するに植民地化とは力による支配と搾取であるべきなのに、日本はそうしなかった、ということですね)
いかなる大国も日本を処断できるほど潔白でない。
日本人は近代以前に「戦争美」を創出し、「武士階級」を崇拝し、常に「軍事独裁者」に統治され、天皇を生きた「軍(いくさ)神」として崇めてきた。そして日本人の宗教である神道は日本人を優れた民族と信じさせ、神である天皇を世界に君臨させるため日本人に「世界征服」を命じている。私たちはそう教えられてきた。
私たちの戦後対日政策には、神道と「天皇制」は本質的に戦争を作り出すものであるという考え方が組み込まれている。(注;基本的誤解ですね。著者は誤解に気づきます)
神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表すものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡の危機には、戦時体制の、国民一丸の要となる。
日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国家に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。
私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争が無ければ、日本人にとって天皇は軍事的象徴ではなかった。
アメリカでさえ、戦争中は多くの教会が祭壇の後ろに星条旗を掲げ、礼拝の中で国家を歌っていたのである。
彼らは均質の民族的伝統を発展させた。隣国の中国は、少なくともその15世紀前から高度に発達した文化を持っていたが、日本の移住民はその文化を受け継いだのではない。彼らは中国人の後を継がなかった。
17世紀まで、彼らは中国文化借りながら自分たちの文明を発展させてゆくが、それも無制限な借用ではなかった。ある程度接触したところで必ず隔離期間が置かれ、その間に中国文化を民族状況に適合させていった。最後の隔離期間は、私たちも知っているように、2世紀以上も続き、そして、今度は日本人自身によってではなく、ペリー提督に代表される他からの力で終わったのである。
日本人は、2世紀もの間、自分たちだけで生きてこられたし、それに満足していた。・・・彼らの文明はそれほど深く根を下ろし、彼らと一体化していたから、20世紀になって日本に流れ込んだダイナミックな西洋文明の奔流にも、毅然として立ち向かうことができた。
私たちが民族となり、国家となるためには、ヨーロッパから自由を獲得する必要があった。インディアンを隷属させ、発明し、南北の隣接国と戦い、戦争や財力で、あるいは外交で領土を広げていく必要があった。
前近代の日本人にとっては、事情はまったく違った。・・・彼らは環境を征服したり、変えたりするよりは、自分を環境に順応させることを選んだ。
つまり、日本人は文明を発展させるにあたって、土地も富も少ない現実を受け入れ、集団化に慣れ、物が無くても耐え、もてるものを最大限利用することによって現実に適応してきた。土地は狭かったが、農作物の種類を制限し、一度に二種類の作物を栽培し、一つの土地に多くの人間を抱える集団農耕技術によってそれを克服してきた、この耐乏経済は集約農業と相互保全策を生み、それによって土地は肥沃に保たれ、島は美しい庭園になった。
日本人は密集して生きることを受け入れ、小さな家に住み、物質欲を捨て、しきたりに順応し、家族、村、集団に従属することによって居住空間の狭さを乗り越えた。そして、個人による自己主張の欠落を、親への孝心、先祖崇拝、儀礼の徹底した形式化によって、品位あるものに高めていったのである。
前近代の日本は暴力によって支配されていたのではなく、しきたり、共同体の意見、法律の力によって支配されていた。これは他の社会と同じである。職業軍人を抱合する「サムライ階級」は世襲の特権階級であった。
私たちの日本人感は、支配体制を「軍事独裁」と呼んだことで混乱してしまった。支配階級は世襲官僚で、実際に国を動かしていたのは「神のサムライ」、すなわち舞台裏で仕事をする行政官(職業的知識階級ホワイトカラー)だった。
彼らは警察権力の恐怖政策によってではなく、まことに綿密につくられた法と規制で安定を維持していた。
私たちは急いでいた。広大な大陸を手なずけ、収めなければならなかった。・・・私たちは形式にとらわれず、やるべき仕事を直進しなければならなかった。
日本人の場合はまったく逆だ。性急であるより気長である事に重きを置いた。・・・彼らは形式を無視するどころか、極限の儀礼を求め、伝統的に正しいとされる行為の礼を社会制度の基本にしたのである。
彼らは節約信仰を作り出し、何物も無駄にせず、持っているものはすべて完全に使い切った。
私たちは大きいものを信じた。日本人は2エーカーの農地から、小さな家、箱庭、根付、盆栽といった独特の表現様式にいたるまで、小さなものを信じた。
私たちは自然を征服することを考えた。日本人は自然を敬い大切にした。
日本が総じて安定した非侵略的な独自の文明を作ってきたことは記録に明らかだ。
そして、外国を征服しなかったことは事実である。日本人を「間違い」で非難するなら、世界の大国になった近代国家で、こうした歴史を誇れる国が他に在るか、探してみるべきだ。
日本政府は少なくとも1945年5月に降伏の打診をしているが、この打診は米国政府により公式に無視、あるいは拒否された。
ハルゼー提督は、「日本が二度と戦争出来なくなるまで叩き潰して、初めて戦争目的は成就する。」と語っている。「広島と長崎の原子爆弾が日本を敗北させたのではない。
戦争を終結させた敵指導部が証言するように、原爆は日本に無条件降伏の受諾を強いるものではなかった」原子爆弾が投下されなくても日本は1945年11月1日までに無条件降伏をしていただろう。私達が日本人に対して使った原子爆弾は、 日本人に対して使ったのではない。何故なら日本は既に敗北していたからだ。原爆はソ連との政治戦争に使用されたといえる。(注;それと実験の側面があったと思います)