沖縄の仲井真知事の傲岸不遜ぶりと勘違いぶりは、”無国籍”左傾沖縄の象徴として何度か拙ブログで取り上げてきたけれど、週刊新潮誌(8/16,23)の「変見自在」における高山正之氏のごとく端的に「(オスプレイに関しては)仲井眞が強請りの材料にしているだけ」と、敬称すらつけぬ一刀両断ぶりに目からうろこ。
沖縄と仲井眞のゆすりたかり体質は拙ブログでも指摘はして来たけれど、ここまで明快に「強請りの材料」と断定するにはささかの勇気が要るし、先の稿で仲井眞を取り上げた時には、とりあえず「氏」と(不承不承ながら)敬称はつけている。考えてみれば、ゆすりたかり野郎に敬称をつけることもないか。
先達高山正之氏には及びもつかないが、高山流に一言で断ずるとするならば、仲井眞弘多は非国民だ。その視線は日本を向いているとは思えない。
よりによって、わざわざ「尖閣諸島開拓の日」に中国に尾っぽを振りに出かけた男。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/080ce30e537f4e9cae9f64996360fe41
過去記事(いいかげんにしろ、増長沖縄)
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3cf49694dd3c2c55c12edfd0c74c2d01
過去記事(沖縄のホンネ(強欲)とタテマエ(平和を騙るきれいごとの大嘘)
*尖閣諸島開拓の日 沖縄県石垣市が条例により定めた記念日。1月14日がこれに定められた。尖閣諸島の日や尖閣の日とも呼ばれる。
2011年1月15日 – 仲井眞知事は「尖閣諸島開拓の日」の記念式典の出席を拒否。 香港経由で北京へ旅立つ。 空港でのインタビューで、「東シナ海の件は問題じゃないよ、沖縄と中国の関係はもっと深いものだ」
沖縄県石垣市の尖閣諸島は、1895年(明治28年)1月14日に日本政府によって日本領への編入を閣議決定されており、これを記念して「尖閣諸島開拓の日」とした。それを否定するかの如き仲井眞の中国行きは一体、何なのだ。式典参加拒否とは何様のつもりか。尖閣の日を拒否するのは中国であって、日本ではない。いっそご先祖の姓「蔡」を名乗ったらいかがだろう。
これで、自民党県連、公明党推薦のいちおう保守だと言うのだから、沖縄のお里が知れる。
先稿では、出だしは敢えて煽って釣り糸を垂れたら、早速愚昧の沖縄魚類がひっかかったので、コメント欄にさらしておいたれど、論に対して論での反駁をなし得ず、ただ稚拙な罵りと侮蔑語を吐くだけ。これが奇妙なことに、KARAを取り上げると必ず湧いて出る在日たちと同じレベルの語彙数と知能程度。
極めつけ反日韓タレRAINピやキム・テヒをどんなに激しく叩いても絶えて湧かぬのが、KARA特化で湧いて出るところを見るとネット徘徊の在日は総連系が多いのだろうか。
沖縄県民の全てとは全く思ってはいないけれど、本土(日本)の寛容さに付け込んで、悪口を言いつのり、自らを被害者だと規定してのゆすり・たかり精神は沖縄と韓国・在日、中国共通で、これはいつかどこかで決まりをつけないと、彼らは増長し勘違いの度合いを深めていくばかり。
在日に対しては「叩き出せ」でよいけれど、沖縄は手放すわけにも行かない。こんな強欲でこずるく、日本人としての自覚も希薄な沖縄など望みどおり中国にくれてやれ、と言いたい所日本国民は耐えて口をつぐんでいる。海域と国防の問題が絡むので。その足元を見ての、横着な仲井眞の言動をしかし、いつまでも許していては際限がない。一国の総理を迎えるに、夜郎自大の屏風を必ず背景にふんぞり返り、口を歪めて横柄な言葉を吐く仲井眞を政府がいつまでも甘やかすなら、日本国民が弾劾せねば、(一部の)沖縄県民の勘違いと図々しさは肥大するばかりだ。国家の国防がからむこと、本来なら政府の強権発動でよろしい。それも民主国家としては乱暴な話なので、下手に出たら、それがいつしか当たり前になり、エスカレートして増長する一方になったのが現在の姿。
「叩き出せ」と叫んでも在日は、日本にへばりついて離れようとはしないが、国民総意に近く叩き出すという覚悟がつけば、少なくとも彼らにとっての日本は居心地悪くなり、それと共に自らの置かれた正確な位置を自覚するようになる。同じく「被害者権益」を食い散らす沖縄にも、いずれは覚悟と自覚を促すための、「突きつけ」は必要であろう。彼らの前に自らの醜さを映す鏡を置くべきで、鏡はすなわち「日本人なら日本人としての自覚を持て」ということだろう。いやなら日本国民であることを放棄し、中国でもどこでも出て行ったらいい。
・・・・なんてね。また煽ってみてますけど。あんまり愚かなのが湧いて出るので。また繰り返すけれど、沖縄県民の全てが根性薄汚れていると言っているわけではなく、恵隆之介氏や「うらそえ文藝」の編集委員の星雅彦氏、宮城龍彦・沖縄大学教授(社会学)、そして評論家の津嘉山武史氏らに代表される、知性と良識を備えた沖縄の方々も多くいらっしゃる。本来、沖縄の人間でもない左翼運動家が現地に移り住み、煽って目立っているだけの話。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/097d3f559d3c5184ac9b6ba11c40d53c
(「うらそえ文藝」に関しては過去記事をご覧ください)
そもそも、仲井眞や地元の二大紙「琉球新報」と「沖縄タイムス」は、櫻井よし子氏の言葉を拝借するなら「イデオロギーに凝り固まった」「知的怠惰による知的欠陥を持った」人種であり、しかしながら、それらがあたかも沖縄の総意であるかのような印象操作をなしているのは、いわゆる「本土」のマスコミで、そういう意味ではそれを見抜けず許している本土の日本人たちも威張れた筋合いではない。
沖縄に対する政府の弱腰は自民党からの伝統で、この点責めらるべきは自民党ではあるが、しかし野田総理の仲井眞への平身低頭ぶりはただごろならず、あたかも宗主国中国に対する朝鮮のごとく目に映ずるのはなにゆえか(皮肉です、言外の)。日米同盟を弱体化させた鳩山のツケを支払うつもりでの平身低頭なのか、中国と見れば反射的に跪くDNAのゆえなのか(皮肉です、言外の)。
沖縄県の年間予算のうち、自主財源はたった約20%。残りは(彼ら言うところの)「本土」の人間が汗水たらして稼ぐ金におぶさっている身で、被害者ぶるな沖縄。文句言うなら金叩き返してから言え。日本国の防衛に協力出来ぬなら、日本から出て行け。そこまで言わずとも、日本全国、居住は自由なのだから。それほど沖縄がいやなら他に住めばよい。基地はなにも沖縄だけではないのに。
基地の周辺に招かれたのでもない、そこに「蜜」があるからこそ、基地に吸い寄せられるように集落を作っておきながら、基地に「出て行け」。基地があって、「ああ暮らしが出来てありがたい」と本音を言ったら、本土にたかれなくなるからね。
口を開けば騒音だ、レイプだと言い募るけれど、その騒音から小学校を隔離しようと移転を計画したら、小学校をネタに日本政府をゆすりたい運動家たちが寄ってたかって移転計画を潰す。米兵によるレイプはなにも沖縄だけではない、終戦後の本土でも沖縄以上に多発している。ただ、それをネタに、ゆすりたかりをする相手がいないから口をつぐんでいるだけ。決戦があった沖縄と、口を開けば言い募るけど、連続する大空襲、2度に渡る原爆投下、と本土は沖縄の比ではない。
ふざけるな沖縄、いつまでも被害者ぶって本土を食い物にするんじゃない。韓国や中国、在日が日本をゆすりたかりの対象にするのは、まだ解る。しかし沖縄よ、あなた達は日本人ではないのか。祖国と同胞を敵視して何が欲しい? いいかげん、乞食根性は棄てて、誇りを持て。 払わぬとは国家は言わぬ。しかし、もらうための手を差し出しながら、一方の手で頬をはたき、唾を吐き散らすな。
際限のない甘やかしは止めて政府は強権発動すべし。一国の防衛とは、つまるところその程度にシビアな事案なのだから。防衛に関してこれだけ、たかが一地方になめられた政府は世界中にも歴史上にも、ない。