「従軍慰安婦の問題は日本政府がお詫びしてもお詫びしてもお詫びしきれない」
大谷昭宏
本日、夕方五時台のテレビ朝日ニュースにて。
*慰安婦が双方の契約に依るビジネスであった事実には触れず
*お詫びしなければいけない根拠として大谷氏が上げた理由はたった一つ
「昔、従軍慰安婦に会って話を聞いたことがある」
*「会って話を聞いた」という従軍慰安婦をなぜ本物だと認定したのかは語らず
*過去何人か、慰安婦を名乗る韓国女性が登場するも矛盾をつかれ嘘がばれた事実には触れず
*日韓双方の調査により、強制の事実はなかった、という調査があることには触れず
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111214/t10014626041000.html
いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、日本政府に賠償などを求めている韓国の市民団体が14日、
ソウルの日本大使館の前に、
この問題を象徴する銅像を設置し、こうした動きに反対してきた日本との間で
新たな外交問題に発展する可能性があります。
この銅像は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って日本政府に賠償などを求めている韓国の市民団体が、
毎週水曜日にソウルの日本大使館前で開いてきた集会が
14日で1000回目を迎えるのを記念して設置したものです。銅像は高さ1メートル20センチで、
韓国の少女をモデルにすることで、
いわゆる従軍慰安婦の問題を象徴しており、横には市民が座れる椅子も置かれました。
設置作業は14日朝から大使館前の道路で始まり、
まもなく除幕式が行われます。日本政府は、大使館前に日本を批判するような像が設置されれば、
日韓関係に悪い影響を及ぼしかねないとして、
外交ルートを通じて韓国政府に設置を許可しないよう求めていました。
しかし、韓国政府としては、憲法裁判所がことし8月、いわゆる従軍慰安婦の問題に関して
「賠償請求権について政府が交渉しないのは憲法違反」という判断を示したため、
設置に反対するのは難しかったものとみられます。
日韓の間では、今月17日に予定されているイ・ミョンバク大統領の来日を前に、
この銅像が新たな外交問題に発展する可能性があります.
注;従軍慰安婦の銅像が幼い面影を残す少女像になっているのも姑息。
「日本軍の性奴隷になった」のが「いたいけな少女」だったという洗脳。
実際に当時16歳がいた。しかし、日本の童謡「あかとんぼ」に「十五でねえやは嫁にゆき」と
あるように現代とは成熟度が違っていた時代のことです。
記念写真用に隣に椅子を置くいやらしさ。ここに座ってパチリ、世界に「日本軍の残虐」さを
発信せよ、ということなのでしょう。ベトナム人は韓国人に腹を裂かれ胎児を取り出し踏み潰された
妊婦の銅像を建てるべきですね。
日本は朝鮮進駐軍にレイプされた少女像と、半島に強制連行された漁民の像の二体を
韓国大使館の前にぜひとも建てねば。そして韓国大使館を「人間の鎖」で取り囲みましょう!
注;李明博=就任後初来日して今上天皇と会見を行なった際、頭を下げたことが韓国メディアから批判された。
韓国で旧日本軍の元従軍慰安婦らによる1000回目の「水曜デモ」が
12月14日に開催されるのに合わせ、
日本でも市民団体が同時行動に出る。
市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」は
15日、公式資料を通じ、
12月14日正午から1時間、「人間の鎖」で
外務省を包囲する計画を明らかにした。
同団体の野平晋作氏は、「600人が手をつなげば外務省を取り囲むことができる」
と話した。
同日は元従軍慰安婦の被害者らが日本政府に法的責任の認定と謝罪、補償を求め、
ソウルの在韓日本大使館前で行ってきた「水曜デモ」の1000回目に当たる。
また市民団体関係者らは、この日、衆議院第二議員会館で集会を行い、
慰安婦問題は1965年の
韓日基本条約により完全かつ最終的に解決済みという日本政府に対し、
韓国政府との協議に応じるよう訴えた。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2011/11/15/0400000000AJP20111115003500882.HTML
人間の腐り?
しかし、人間の鎖に反対するデモもその人数を上回って出たらしいのに(先稿コメント欄に参加の方の
体験記あり)、いっさい報道されない。
従軍慰安婦の像を嬉々として報道するNHKさん、なんで?
「人間の腐り」のほうの市民団体(という名の日本人かどうかも解らない)のデモと主張だけ
取り上げて報道するのはなにゆえに〜?
強制された従軍慰安婦を自称する宋神道さん(車椅子)
以下はべべこ過去記事「ダウト」より
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/20eede921f2f0b0673e4a74026d5f409
記事中で気になる箇所は、「旧日本軍の慰安婦にされた」という肝心の部分です。
インドネシア人も
いたのですが、なぜインドネシアでは問題にならないのでしょう?
インドネシア人でわざわざ日本へ来たという人もいません。容姿が違い過ぎて
密航も不可能だし、日本に来ても成りすましは出来なかったからではないのでしょうか?
なぜこうも韓国人ばかりなのでしょうね? 従軍慰安婦として日本にひどい目に遭わされた
と言い続けるのが。
「慰安婦にされた」という箇所も納得できかねます。
従軍慰安婦は当時の超高給で日本政府が正式に公募して、それに自主的に応募して来た人たちの
ビジネス【証拠データ・画像アリ】であり、給与明細書まで残っています【画像アリ】。
「生きているのもつらい」とおっしゃりながら89年間も生き延びてきた逞しさに驚嘆しますが
あるいはつらいのは大震災のご体験なのでしょうか。とすると、つらいのと慰安婦とは別問題なのですが、
少なくともasahiの記事の文脈では、だから「戦争は二度とするな」と続いています。
戦争と慰安婦の問題は根源的に別個ですし・・・ごく最近の拙記事で述べましたように
好きで戦争をしたわけではありません。日本に戦争を起こさせたいアメリカはじめ諸国の
包囲網に取り囲まれ追い詰められ、「戦争はしてもしなくてもいずれ悲惨な状態になる」ゆえに
やむなく立ち上がった戦争であり、それ以前の戦争も侵略を目的としたものではなく、
「余儀なく」
それ以外の選択肢がなく受けて立った戦争でした。
>16歳で中国の慰安所へ
ソウル市内の日本大使館の前にわざわざ建てられる
慰安婦の像も意図的に「少女」が
選ばれ、日本軍の「性奴隷」になった、いたいけで無垢な少女という印象が
強調されていますが、日本政府の超高給を提示した公募に
自らの意志で応募してきたのだという
事実がそこには記されていません。あたかも拉致監禁されて
性奴隷にさせられた、という印象操作。
それに、あの当時の16歳は成熟しています。
日本の童謡「あかとんぼ」の歌詞に「15でねえやは嫁にゆき」とある通りです。
>逃げると暴力をふるわれ
こうした事実が資料からは拾えません。当時の日本軍の規律は厳しいことで知られ
慰安婦そのものが政府の公募でもあれば「国家事業」でしたから日本政府の
厳しい管理下にあったはずです。また、逃げようと思えば逃げられたはずです。
一箇所に拘束されていたという資料はありません。というより、そもそも
契約によるビジネスですから、給料のタダ取りさえなければ「辞めます」の
一言で済んだ状況だったはずです。
日本政府は、わざわざ「悪質な民間のブローカーに騙されないように」と
警告を朝鮮に対して出しています。【当時の新聞記事アリ】
まるで監禁の奴隷状態にする気でいる相手に、お金を使ってわざわざ
こんな親切な警告を出すでしょうか?
>戦後、共に引き揚げた日本兵に置き去りにされ
はて? これほど、「虐待」を7年間も受けた当の日本人の男と、日本へなぜ
わざわざ渡っていらしたのでしょう? 逃げるには、それこそいいチャンス、
日本の敗戦は待ちに待った開放の時であったでしょうに。人の心理としても
「7年間も性奴隷にさせられて」いて、そのような目に遭わせた国へ
わざわざ来ますか? 虐待の当の相手と「共に引き上げ」たりなどするでしょうか?
それに肝心なこと。当時の満州は、朝鮮と隣合わせ。陸路で朝鮮には簡単に
帰れたはずなのに、それをしていない。
当時は引き上げ船に乗るまでが艱難辛苦で、だからこそ中国残留孤児などという
人たちがいたわけですから。波止場に停泊している船にまずたどり着くのが命からがらで
そこへ行き着くまでに命を落とした人たちもいるのです。汽車もトラックも
はみ出すほどの満杯で、突き落とされる如き状況。だからこそ子どもたちを
泣く泣く中国人に託して置いてきた親たちがいたのですから。
そんな修羅場をくぐり抜けてまで軍人さんと日本へ? なぜ? それに
敗戦後の日本兵に朝鮮の女性をわざわざ日本に連れ帰ろうとするほどの
ゆとりがあったでしょうか? 自らが故郷に帰り着くのに命からがらな時に?
いえその前に、日本に無事たどり着けるかどうかの保障も無い時に?
いつ引き上げ船に乗れるかも分からないのに?
宋神道さんとおっしゃる韓国人女性はなぜ故郷に帰らなかったのでしょう?
日本へ来るよりはうんと安全で楽な道でしたのに。
当時の満洲国から朝鮮へは陸路で目と鼻の先です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Manchu_State.png
ちなみに宗さんがたどり着いたという女川は宮城県。宮城と言えば
「朝鮮進駐軍」と名乗った暴徒が日本人に暴力、
強奪、強姦を繰り返したエリアの
一つです。
いずれにしても宗さんは自らの意志で日本へいらしたことは確実。それならなぜ
「戦争した補償は日本の国としてするべきだ」
という結論になるのでしょう? 日本国の開戦は、宗さんという
個人の問題と何の関係もないことですし
慰安婦そのものは何度も言うように両者の契約によるビジネスでしたが?
それに引き上げ船に乗れた、ということは何らかの形で「私は日本人です」と主張した、
ということではないでしょうか? でないと乗れませんでしょ?
だったら実質的に密入国ということにはなりませんでしょうか?
素朴な疑問なのですが。
そして更に首を傾げるのがWikiの記載です。
ある種の「運動」の世界では支援者の川田文子さんと同じく
「有名人」のようで、宗神道さんのお名前で一項目が立っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E7%A5%9E%E9%81%93
・・・・・・・・・以下、引用・・・・・
宋 神道(ソン・シンド、1922年11月24日 - )は宮城県に在住していた在日韓国人女性。
1992年1月に開設された慰安婦110番ホットラインに連絡を取り、
自分が慰安婦であると名乗りでた。
翌年「在日の慰安婦裁判を支える会」を発足させ、日本政府に謝罪と
損害賠償767億5893万7500円の支払いを求めて訴訟したが
2008年に全面敗訴した。この活動が認められて1997年12月に
第9回多田謡子反権力人権賞を受賞した。
本人の証言によれば、1922年、朝鮮の忠清南道で生まれるが、
12歳の時に父親と死別。
1938年、16歳の時に母親の決めた男性と婚礼をあげるも、
結婚が嫌で嫁ぎ先を逃げ出し友人宅などを転々とする。
(べべこ注;既婚者だったのですよね。あの当時、儒教の影響厳しい朝鮮で親に背き、
婚家を飛び出し
友人のところを転々・・・。現在で言えば、家出をして友人宅を転々としている少女たちより
なんと言おうかどう表現すればいいのかわからないけれど・・・相当の・・・ですね)
大田で知人の朝鮮人女性に「嫁になど行かなくても、
戦地に行って働けば金になり、一人で生きて行ける。
戦地へ行って御国のために働かないか」と騙され、
戦地の意味も仕事の内容も分からないまま平壌に連れて行かれ、
(べべこ注;騙したのは朝鮮人ですよね)
新義州の紹介所と言われる場所で高(コウ)という朝鮮人男性に売られる。
この際の代金が宋の借金とされた。
(べべこ注;ここでも騙された相手は朝鮮人ですね、
日本政府が騙して無理やり慰安婦にさせたわけではないですね?
借金ということは、借金を返す当てが慰安婦をやればあったということを証明していますね?
すなわち、無理やりではなくビジネスであった)
さらに、本人は中国中部の武昌につれていかれ慰安婦を強いられたと主張し、
以降、戦地を転々としたと主張する。
(べべこ注;同胞に借金があったのですよね?
その前の経緯からして、それを返すためのお仕事だった、のではないですか?
それがなぜ日本政府の責任になるのでしょう?)
また、戦後、元軍曹の日本人に「結婚しよう」と誘われ日本に向かうも博多にて離別。
その後、宮城県に移住、1982年まで在日朝鮮人の男性と同居していた
(べべこ注;上記で繰り返すように、なぜこの時点で朝鮮へお帰りにならなかったのでしょう?
またなぜ日本人でもない人が引き上げ船に乗れたのでしょう?
日本人だと偽らねば乗れないと思うのですが?
元軍曹の日本人は夫婦だと偽るためのお相手ではなかったかという気もするのですが・・・・
いずれにしても「自らの意志で」日本へいらしたことは確かですね。それに対してなぜ、日本政府が
償わねばならないのでしょう?)
2011年に東日本大震災で被災したため、現在は韓国挺身隊問題対策協議会の保護を受け東京で生活している。
16歳のとき、中国中部の武昌の「世界館」という慰安所で慰安婦を強制され、
(べべこ注;強制ではないこと、上記の経緯で明らかだと思いますが。少なくとも強制したのは
日本政府ではありませんね)
以後は「部隊付き」として歩哨も務めながら応山・長安などを巡り、
咸寧で日本の敗戦を知る。
(注;逃げ出しては暴行を受けていたと主張する人が、なぜ日本の敗戦を知った時点で、
地続きの朝鮮へ
戻らなかったのでしょう? 敗戦時の日本人は軍人を含めて唐突に無力化、
自分の命を守るだけで
精一杯の状況だったはずです。誰も宗さんを拘禁することなど出来ないはずです)
たびたび妊娠をし、漢口で出産した子供を近所の人に預けた後に岳州に移動している。
また、体に彫られている
入れ墨は日本兵に強制されたものだと主張している。
(べべこ注;妊娠出産をしているゆとりがもしあったのなら、その前後に
逃げる時間は十分あったはずです。「近所」に預けるほどのゆとりも
あったのに?
当時の日本軍の軍規は世界でも最高に厳しく、
日本政府がおおやけに雇い上げている相手に
勝手に刺青などあり得ません。国家への反逆行為です。刺青の内容を知りたいところです。
あの時代に自主的にもし刺青をしていたら相当の女性ですが、そこはいかがなのでしょう。
あの当時の朝鮮で親に背き婚家を飛び出して友人宅を転々としていた暮らしぶりを思うと
ある疑念を抱かざるを得ません。
当時の軍隊に彫物師でもいたとでも? 万一いたとして、道具はどうしたのでしょ、
軍隊内で。戦争の最中に彫り物をやっている時間があったのでしょうか、
過酷な軍務の最中に。彫るなら一人の兵隊が、長時間独占しなければ
不可能ですが、それはあり得ません。日本に密入国してからの彫り物ではなかったのでしょうか。
それに「預けた」子どもが本当なら、置き去りに日本へ来ます?)
抗議活動
1993年4月5日、日本に対し、「国会における公式謝罪」と「謝罪文の交付」
「損害賠償金767億5893万7500円
(ただし、金額が多すぎるため一部請求として1億2千万円に変更した」を求めて東京地裁に提訴。
2003年3月28日最高裁第二小法廷が上告棄却・上告受理棄却の決定を出し敗訴が確定した。
2002年7月23日、参院内閣委員会で行われた「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の質疑を傍聴。
宮城県選出の岡崎トミ子参議院議員は、宋の主張をそのまま読み上げて、
日本政府を糾弾した。その後の集会で
「(法案反対の)政治家は慰安婦がくたばって1人もいなくなるのを待っているのか。
1日も早く謝罪を」と訴えた。
(べべこ注;ですから、韓国人に次々に騙されて慰安婦という職についた人になぜ
日本政府に謝罪と賠償が必要なのか
根拠を教えて下さい)
2008年11月23日、第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議に「被害者」として参加。
「16歳で連れていかれ、殴られて両方の耳が聞こえず、言葉も通じない。妊娠、出産、死産を繰り返し、
解放後も軍人にだまされ、
夫婦に成りすまして日本についたとたん置き去りにされた。
絶望して自殺を図ろうとしたところ助けてくれた
在日朝鮮人の男性と暮らすようになった。」と話した。
(べべこ注;殴られて? 殴ったのは日本軍人だとは言っていらっしゃいませんね?
それに「耳が聞こえなくなった」のになぜ、【」1992年1月に開設された慰安婦110番ホットラインに
連絡を取り、自分が慰安婦であると名乗りでた】聞こえないのに電話で話せたのでしょうか?
先に述べた如く
軍規の厳しい軍隊内で、お国が管理する女性に手を上げる如きは、
ほぼ不可能であったはずですが。それに出産・死産を繰り返しって・・・
当時の軍隊では入隊時の性病検査が厳しく、まして複数名との性行為前提なら
避妊と性病予防には最大の注意を払っていたはずですし、現にコンドームが
使われていました。出産って、いったいいつの時期のことでしょう?
それに夫婦に成りすまして・・・。
はい、密入国であったことを自らお認めになっていらっしゃいます。
密入国者に日本政府が負う謝罪と賠償とはいかなる根拠に基づくものでしょうか?
置き去りにされ、はあなたの
勝手だと思いますが。夫婦に「成りすます」ための相手だったのでしょう?
その約束が日本に着いて消滅したから、
相手は去った。それだけの経緯ですよね? あと不審なのが、自殺を救ってくれた韓国人と暮らし始めた、
というくだり。これが宮城の結婚相手ですか? 当時、博多から宮城まで最低4日間はかかったはずです。
どうやって、朝鮮進駐軍を名乗る不定朝鮮人が跋扈している土地に辿りつけたのでしょう?)
2010年11月25日に衆院議員会館で開催された日本軍「慰安婦」問題の立法解決を
求める国際署名提出行動に、
梁澄子、尹美香、吉元玉らと一緒に参加し、「武器持って戦争したらダメだ。
けんかは好きだけど慰安婦はいや。
馬鹿は死ななきゃ治らない。政治家の口車には乗らないこと。戦争はだーめなの。
戦争を起こさないこと!」などと発言し、
日本政府を糾弾した。
2011年8月、第10回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議に参加するため訪韓。
(注;はて? 韓国へ足入れできる身で、なにゆえ韓国政府に保護を願い出ないのでしょう?
死ぬほどつらいといいながら、日本に60年以上も住み続ける理由は何でしょう?
密入国者であるにもかかわらず、国外追放もせず住まわせてくれる日本の寛大さへの
感謝は微塵もおありにならない?)
2011年、韓国の歴史社会学者李修京は、
自身が刊行した日本の植民地支配で行われた蛮行を告発する
寄稿集「海を越える100年の記憶」は、宋の心情が強く影響していることを明かしている。
(べべこ注;日本の蛮行でしょうか!? 宗さんを騙したのはふたりとも朝鮮人です。
売春じたいは
ビジネスでした。もし後者を蛮行というのなら、現在の韓国、売春立国として世界に有名で
白昼堂々と売春婦たちがデモが出来るその状態で蛮行を言われても説得力がありません)
2011年11月26日、東日本大震災に被災していたため中断していた講演活動を大阪で再開。
「日本の政治家が慰安婦に対する賠償に関心を持たない」と非難した。
(べべこ注;同国人にニ度も騙された結果に、なぜ日本の政治家が賠償を考えねばならぬのでしょう?)
1.^ 在日の慰安婦裁判を支える会とは。
2.^ 韓統連大阪ホームページ "東日本大震災 宋神道ハルモニ 生存確認"
3.^ 女性に対する暴力撤廃国際デー記念シンポジウム in 京都
「労働・貧困・性暴力の鎖をきろう!」2011年11月27日(日)"発言者プロフィール"
(べべこ注;自らの意志で密入国された上、労働、貧困、性暴力の鎖と言われても・・・・。
逆に日本人が、不法入国の外国人は許すな。追放せよと立ち上がったらどうなるのでしょう。
ソフトバンクの孫さんご一家も、マルハンの社長さんご一家も密入国者。
マルハンの社長さんは、戦後の混乱期のどさくさに乗じて日本の役場で永住権を
得たと自ら語っていらしゃいます)【証拠記事と共に動画アリ】
4.^ 在日の慰安婦裁判を支える会 宋神道さんの紹。
5.^ 1995年 第7回口頭弁論
6.^ 元慰安婦、目頭押さえ傍聴 野党法案が審議入り 共同通信
(べべこ注;これまでの経緯を見るに騙した朝鮮人二人による被害者ではあっても
日本は何もしてないので、目頭を押さえられてもねえ・・。)
7.^ 第9回アジア連帯会議報告
8.^ 11/25日 日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める 国際署名提出行動
(べべこ注;世界のあちこちに、こういうことを
配信なさるのなら、自分を次々に騙した
相手が同胞の韓国人であったこと。日本へは自らの意志で日本人に成りすまして
入国したことなども正直に言って欲しいと思います)
9.^ 慰安婦証言や植民地支配の蛮行まとめる 日本で出版 2011年10月25日17時0分配信 (C)YONHAP NEWS
10.^ 朝日新聞 2011年11月27日13時26分 被災し避難「それでも生きなけりゃ」 元慰安婦が講演
(べべこ注;「それでも生きなけりゃ」って・・・。本国朝鮮で生きるチャンスが120%あったのですから・・・。
不法入国で来て在日特権を得ながら(実質的)不法滞在何十年の挙句、被災したからってそれは自らの選択の結果かと)
参考文献 [編集]
北出明 『風雪の歌人――孫戸妍の半世紀』 講談社出版サービスセンター、2002年。ISBN 4-87601-557-0。
川田文子 『皇軍慰安所の女たち』 筑摩書房、1993年。ISBN 4-480-81337-3。
川田文子 『イアンフとよばれた戦場の少女』 高文研、2005年。ISBN 9784874983423。
西野瑠美子、金富子、女たちの戦争と平和資料館 『証言未来への記憶 アジア
「慰安婦」証言集?』 明石書店、2006年。ISBN 4750323209。
在日の慰安婦裁判を支える会 『オレの心は負けてない』 樹花舎、2007年。ISBN 9784434110757。
・・・以上、率直に疑義を書き記してみました。
もしこちらの書き方に事実誤認その他があれば、その時は速やかに謝罪の上、
記事を訂正なり、場合によっては全面削除させていただきます。
車椅子の女性が宋神道さん。 http://hanausagi2.iza.ne.jp/blog/entry/2539631/ より拝借
以上の記事とは必ずしも関連性を持ちませんが、強制による従軍慰安婦なるものが
捏造であることを検証したサイトさんがあります。いくつもありますが、とりあえず
一つをご紹介します。
従軍慰安婦問題を仕掛けたのは日本人
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html
記事抜粋
全世界に従軍慰安婦の実像を暴露したチョン・ソウン氏死去
http://japanese.joins.com/html/2004/0226/20040226185642400.html
13歳のとき、インドネシアに連れて行かされ、7年間にわたって日本軍の従軍慰安婦として
生きなければならなかった
「挺身隊おばあさん」チョン・ソウン氏が、26日未明、慶尚南道鎮海(キョンサンナムド・チンヘ)の自宅で
老患で亡くなった。80歳。
2004年80歳で死亡。=> 1924年産まれ。
13歳から7年間インドネシアで慰安婦 => 1937年〜1942年までインドネシアで慰安活動。
日本軍がインドネシアを占領していたのは、1942年〜1945年までの3年間。
つまり、このお婆さんがいた1942年以前のインドネシアは、オランダの植民地でした。
それに1日平均50人・・・・
週末は100人・・・って物理的に可能でしょうか?
他にもたくさん矛盾する証言が残っています。
日本 陸軍省公文書
【現代語訳】
件名 『軍の慰安所従業婦等募集について』
副官より、中国北部方面軍、及び、中国中部派遣軍 参謀長宛の通牒案
日中戦争における慰安所設置の為、募集業者が慰安婦を募集する際、
1.日本軍の名義・権威を利用し、その結果 日本軍の威信を傷つけ、
庶民の誤解を招く事例。
2.従軍記者、慰問者などを通じて、不統制に募集し、社会問題を惹起する事例。
3.慰安婦を募集する業者が相応しくない場合、誘拐に類した方法を使い、
警察の検挙・取調べを受ける事例。
以上のような、注意を要する事例が少なくないので、今後、
慰安婦の募集に関しては、
派遣軍がこれを統制し、
慰安婦募集業者の選定を周到・適切に行い、慰安婦募集に際しては、
関係地方の憲兵、
警察当局と協力すること。
日本軍の威信保持、また社会問題上、遺漏のないよう十分配慮することを依命、
通牒する。
1938年3月4日 (日中戦争2年目)
陸軍省次官 梅津美治郎 押印 (決済)
【理解の為のポイント】
1.慰安婦募集は、民間から選定した業者が実施しており、兵隊が直接、女性を連行することはない。
2.慰安婦募集担当者が、誘拐などの違法行為を行うと、
逮捕される。 (当然のことです!!)
3. 日本軍は、慰安婦募集に際して、
誘拐等不名誉な事例が発生することを
危惧しており、その予防に努めている。
また、アジア女性基金のHPにある自ら名乗り出た慰安婦と言われる金学順さんは、
「女子挺身隊」として連行などされていない事を自ら語り、
当時の石原副長官の軍・官の強制連行の証拠は発見出来なかった
とする発表もありました。
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竹島(独島)は韓国の領土だと歌い、NHK紅白にも招かれた少女時代の
整形前の画像。お願い、捏造は顔だけにしておいて。
紅白にはこの顔で出ます。