先の記事、
前川喜平 前事務官は元々安倍さん嫌悪 加計学園はハメたかな?
で、前川喜平・前事務官のことを取り上げましたが、紙幅の都合で前川氏の言い分のおかしさについて、突っ込めませんでした。
この発言箇所です。
何も好き好んで満州事変の日にやらなくてもいいと思ったんですけども。9月18日ですから、まさに日本が中国侵略を、本格的な中国侵略を始めた日ですよね。1931年9月18日。
だからまあ、日本が誤った戦争をしたというこの痛切な反省の上にできている憲法だからこそ、平和憲法というわけですから、その平和憲法を本当に土足で踏みにじるような行為、これはやっぱり問題だと思ってましたから、だからそれはですね、バレてませんから。
「中国侵略」と単純に言い切ってるけど、発端となった
柳条湖事件=鉄道爆破事件が、関東軍の謀略により起こったことは事実。
でもそれは、表面的な「きっかけ」に過ぎず、そこに至るまでの中国側の横暴について前川喜平氏は全く触れず“一方的に日本が悪かった”とする、典型的自虐史観左翼ウィルスに脳を侵されています。
戦争や紛争には、必ず両面からの見方があります。日本が特殊なのは“敢えて日本を貶める視点からしか歴史を見ない”病んだ日本人、ないしは自称日本人たちがいます。
これが、戦後日本の最大の病理の要因です。
結論から言えば・・・・
◆15年戦争は、 満州事変の原因ではなく結果です。←ここが肝心。
そこに至るまでの中国の日本に対する激しい排日・侮日があってのことです。
◆西欧諸国も、中国には武力を用いています。それも、ひんぱんに。
なぜ、日本だけがやり玉にあげられるのでしょ?
◆張学良軍の日本への弾圧は、奉天近辺だけでも日本人及び日本企業関係の被害(暴力や器物破損など)が、1年間で30万件を超えていました。
◆満州事変は鉄道をめぐる日本の既得権益を護るという意味で「自衛」の側面も多大にあった。
満州事変の前提として国民政府の「革命外交」があったわけです。革命と称して国際法の根拠もないままに、強引にことを進めようとしていました。
不平等条約は、明治の日本とて同じこと。けれど、日本は国際法を無視しての「革命」など起こさず、驚くほどの根気良さで環境を整えて行っています。これに対し国民政府は、最初から「喧嘩腰」で日本にも他にも相対しました。
住んでいる日本人たちへの嫌がらせが、手始めです。これに対して当時の幣原外相が無策であったので日本人が自衛のために立ち上がり、そこに関東軍が感応した、という流れ。
日本は武力で権益を護るしかないところまで追い詰められていた、という言い方も出来ると思います。張学良政権が国際条約を破って満鉄の利権を奪い、日本人居留民の安全を中国官憲が脅かしていた事実があります。
そういう範疇内での武力行使は、当時の国際法では是とされていたと思います。ただ「保障占領」ーー満足しうる解決が得られるまで、こ奉天占領を続けるという形ーーだったなら、無問題。しかしそれをしないで、満州全域での軍事占領」は、失策であったかもしれません。
例えば奉天全域を保障占領しーー、満足しうる懸案の解決がない限りこの占領を続けるといえば、全く問題はなかった。しかしそれをしないで、満州全域での軍事占領という形をとってしまった。
しかし、それにしてもいきなり日本が「侵略開始」したわけではありません。
「当時、中国問題に最も深くかかわっていた人々は、日本政府は申し分なく誠実に約束を守っていると考えた」と、マクマリーは書いている。ーーと櫻井よしこ氏は産経新聞(2006/3/9)で述べています。
マクマリーいわく、
「我々は、日本が満州で実行し、そして中国のその他の地域においても継続しようとしているような不快な侵略路線を支持したり、許容するものではない。しかし、日本をそのような行動に駆り立てた動機をよく理解するならば、その大部分が、中国の国民党政府が仕掛けた結果であり、事実上中国が『自ら求めた』災いだと、我々は解釈しなければならない」
『メモランダム』(邦訳「平和はいかに失われたか」)より。
南京大虐殺も大嘘。それは過去に何度か述べました。
中国人無名戦士の慰霊碑に、黙祷を捧げていたのが日本の兵士たちです。
なぜ南京大虐殺は捏造されたのか?
戦闘中ですから、むろん中国兵に死者はいます。日本軍にも同じく。・・・ただ、中国兵が日本兵と画然と違っていたのは、彼らはトーチカ(壕)から出られないよう、外から施錠されその上、鎖でつながれていたのです。
こんな残虐な仕打ちを自国民兵士にしておいて、何が日帝の大虐殺でしょう。・・・・また思い出してしまいましたが渡辺淳一というエロ作家が週刊新潮に書き散らした推測と想像だけの南京大虐殺はあった説、噴飯物でこの男、いくら糾弾されても足りないほどだと思います。信じる日本人が幾らかはいるのでしょうから。
、