先の大戦前の白人列強国たちが、アジア植民地支配でなしたのは有色人種のあたかも動物のような使役でしたが、彼らが奪った幾つかのものの中に現地語があります。
日本の弱体化を狙ったGHQが日本に仕掛けた政策の一つが、「日本語を奪うこと」でした。
日本語のローマ字表記化です。
「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」
という発言は、ジョン・ペルゼルというハーバード大文化人類学者である若い将校でした。
思い上がりも甚だしいですね。
原子爆弾から電気機器、自動車まで物質的文化こそアメリカが進んでいたものの、精神における文化は日本が遥かに格上でした。
ところが、敗戦による自信喪失と戦勝国アメリカの刷り込み政策により、日本人は自らが持てるものすべてを、戦勝国より劣ったものとして蔑むようになり自虐的になって行き、そこにやはりGHQ政策により誕生した日教組、そしてそこに根ざした反日文化人たち、在日勢力が加わって日本を「悪い国」「劣った国」にしてしまいました。
団塊の世代がピークだと思いますが、国に誇りを持たないどころか国旗国歌まで自虐的に罵倒する変態的日本人たちを大量に誕生させてしまいました。
そして、教育現場から国籍条項を撤廃した結果、小学校の教室にまで在日教師が溢れ偏向教育がなされ現在に至ります。
その流れで、寺脇研氏による「ゆとり教育」が派生、日本人児童の学力が下げられました。
GHQによる日本語のローマ字表記化は幸い、実現しませんでした。
日本人の識字率が高いことが判明したからです。
ハーバード大卒の若い将校は、世界で初めての長編小説が「源氏物語」であることや、万葉の頃から庶民が歌を詠み、江戸時代には黄表紙に読みふけっていた事を知らなったのでしょう。
黄表紙は、絵双紙と呼ばれる一種の絵本から派生した読み物ですが、恋川春町の『金々先生栄花夢』(1775年刊行)が、白眉です。
文字通り、「黄表紙」。
また黄表紙の挿絵を手掛けたのは、、歌川豊国、喜多川歌麿、葛飾北斎ら世界の画壇に影響を与えたスターたちです。
こういう字がびっしりの本を、江戸庶民たちはスラスラと読みこなしていました。
同じ時代、アメリカは建国さえされていないではありませんか。
男尊女卑の開拓時代に、果たしてどのくらいの識字率がアメリカ合衆国国民にあったでしょうか?
被差別の黒人は、なおさら文字からは縁遠かったのではないかしら?
まして李氏朝鮮時代、読み書きからは縁遠い人たちがほとんどだった
でしょうね。文字は一握りのリャンパン(貴族)たちのものでした。
被差別民である白丁(ペクチョン)は読み書きどころか、名前すら持ちませんでした。彼らを開放し、戸籍制度を整えて名前を与えたのは日本政府が設置した「韓国統監府)です。
日本は、人間とは見なされていなかった姓を待たない白丁を始めとする賤民とされていた階層にも姓を許可、身分差別を撤廃、学校に通わせたのです。
それに対して抗議活動を繰り広げたのが両班(リャンパン)ですが、日本政府は毅然とこれを鎮圧、退けてどれまでの被差別朝鮮人たちを差別から開放しました。
こういう歴史すら知らない、軍事力と物理的繁栄のみが文化だと勘違いした、精神的未熟な国、それが当時のアメリカでした。物質主義を最大の価値観に、アメリカがもっとも精神性の希薄であった時代です。
日本の朝鮮統治時代を、悪しくあげつらう人たちは「朝鮮の人々の言葉まで奪った」といいますが、ことは逆です。それまで貴族階級が寡占していたハングルを、学校を設立して庶民にまで広めたあげたのは日本です。
彼らの名前を奪ったりなどもしていません。
今なおこうした嘘を信じ込んだ、あるいは信じ込むふりをした日本人がいます。
せっかく日本が識字率を上げてあげたのに、韓国は戦後「漢字を捨て去る」という暴挙に出ます。
次回は、漢字を撤廃した韓国が、いかに国語を劣化させ文化度を衰退させたか、それを考察してみたいと思います。彼らの、時に正当な理屈の通らない脳は、単純過ぎる言葉を持ったせいかとさえ思えるほどの、言語の貧弱さです。