市川海老蔵さんの妻、小林麻央さんが逝去されました。
その報道において、「みたまうつしの儀」というのが海老蔵さんの
言葉にありました。
「御霊移しの儀」は、仏式で言えば「お通夜」に当たる神道の儀式で「遷霊祭(せんれいさい)」とも言います。
去られた方のおみたまを、「霊璽(れいじ)」と呼ばれる新式のお位牌に移します。
ちなみに靖国神社にお祭りの御霊は「霊璽簿」に記されてあり、要するに名簿です。
したがって、分祀と言うかたちは全く意味がない、自己満足です。
それに神道特有の招魂の儀式によりお祀りされているものを、どうやって分祀するのでしょうね。
分祀を主張する人は神式を知らない人たちなのでしょう。
すでに神となられたおみたまをどうやって、分けるのです?
皇后陛下が貶められるようなA級B級戦犯も靖國には存在しません!
皆、神となられたお方です。神道の最高峰のお家に嫁がれた方が英霊を戦争犯罪人呼ばわりとは、由々しき考え違いでいらっしゃいましょう。
みたまうつしの儀では祭主が遷霊詞を述べたあと、警蹕(けいひつ)と呼ばれる「おー」というような掛け声があげられます。
警蹕とは、本来天皇のお出ましや貴人の通行の際、人々が不敬の行為をしないようにと先払いが声をかけて注意・警戒するという意味です。
この儀式が終わった瞬間、個人は「神」となり、鏡や白木やまたは遺品を霊代(たましろ)として個人の魂は宿るとされています。
神道では、逝去を「帰幽(きゆう)」といい、個人に家の主語を願い尊称としての「諡号(しごう)」「諡名(おくりな)」がつけられます。
「帰幽」とは神道の概念で、人は神々と祖先の恵によって現世(うつしよ)に生まれ暮らし、時至りて死して後の 御霊(みたま)は、幽世(かくりよ)に帰り、やがて祖先の御許(みもと)に帰りつくとされています。
諡(おくりな)については、故人の名前+諡名+命(尊号)が、そのパターンです。
男性の場合は、「大人命」とかいて、「うしのみこと」。
女性の場合は、「刀自(とじ)」。
小林麻央さんなら、小林麻央刀自命となります。(婚家に入られてているので、小林ではないかもしれませんが)
諡名は、年齢でも異なります。幼少年期はそれぞれの諡号があり、老齢になると翁、媼となります。
動画のように、民間でも手の込んだ儀式なのですが、皇室となるともっと大掛かりで儀式は多岐にわたります。
それらの伝統さえ、両陛下とりわけ皇后陛下のご意志によりよろず簡略化されているのが、現在です。が、代々続いてきた伝統をそう簡単に手放してよいものかどうか、一考を要するところでしょう。
とりわけ祭祀の簡略化が、身体的に祭祀不可能な皇太子殿下の代では天皇親修の神事は消滅します。
本当にそれでいいのですか?
天皇陛下とは畢竟、祭祀王の別名のはず。祭祀不能のお方が、天皇の座に就こうとしているのが現在です。
創価学会員である雅子妃には、もとより祭祀の意図はなく、それどころか神式で行われる即位の儀も、ドタキャンの可能性あります。
というと、皇后に祭祀の義務はないと賢しらげに言って来る人がいますが、では皇后陛下は無駄なことを遊ばしたのですか? カトリックという別の宗教を持っていらっしゃるのは雅子妃と同じですが、祭祀だけは形だけでも、ご参加でした。そして、女性の側特有の祭祀の手順と言うものが存在します。
不要なら、なぜそのような「お手振り(おてぶり)=所作」が宮中の奥深く、存在するのでしょう。
次代で、天皇皇后による祭祀が絶滅してしまいます。
秋篠宮殿下への移譲を、願う所以の一つでもあります。
参考動画 民間のなのでシンプルです。
布多天神社 例大祭 みたまうつしの儀
肉体的条件以外に、果たしてこの御方に複雑難儀な祭祀がそもそも望めるでしょうか?
五十代・・・・・これで・・・・。
秋篠宮殿下へのご移譲を願います。
祓え給い、清め給え、
神(かむ)ながら守り給い、
幸(さきわ)え給え
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