BBの、皇室関連情報のネタ元おじさまとネタ拾いがてら
お食事しましたの。
飲酒のお相手をして、各地冷酒の講釈に耳を傾けご機嫌を取り結ばないと「ポロっ」と漏らす情報がゲットできないんだもの。
残念ながら今回は、おじさまも口が固く重要機密事項は得られなかったのだけど、ちょっと面白げなことを口になさった。
「皇后って、皇族と同じ墓に入るのを嫌がってるんだ」
「え、なぜなんですか?」と軽く訊くBB。あまり熱心に食い下がると警戒されて
退かれるんだもの。
おじさまこたえていわく、
「嫁ぎ先の家が気に食わないと、復讐心もあり一緒の墓への埋葬を拒む奥さんたちって世の中、多いんだよ。皇后もそうさ」
んまぁ・・・・だからなの? 火葬して欲しいの、小さな祠でよろしいのよと、一見謙虚に見えながらも、なんと注文がましい・・・・とは思ってたんだけど。
伝統壊して、新しいやり方での埋葬のほうが残された側は大変なんですけどねえ。
火葬だとせめて、分骨でGHQ密着だった正田家と、分骨出来るからかしら?
この方、メディアを用いた情報操作がお得意で、「香淳皇后と常磐会にいびられていた「可哀想なあたくし」を、長く巧みに演出、演じてらしたらしいけど。
いびられてたわけではなく、客観的に見ていびられてたのは、香淳皇后さまでらしたと思うの。
降下されたご長女成子さまを亡くされた逆縁に傷つかれ泣き続けこもっていた
那須の御用邸に皇太子殿下(今上)を引き連れて乗り込み、日頃の鬱憤を喚き散らしたのは、美智子さま。
入江侍従が日記にしるしています。
・・・・・・・
「昭和36年8月11日
最近の奥のおかしな空気、東宮さまと妃殿下(現天皇、皇后)に対すること・・・・・・まったく弱ることばかり。下らなさに腹が立つが、そんな事話し合う」
「昭和36年8月16日(水)快晴
那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」
・・・・・・・ここまで
いじめられてた嫁に出来ることかしら。
お気の毒に香淳皇后さまは「終始一言もお発しにならなかった」
GHQべったりだった正田家から、国会で追求されるほど怪しげな入内の仕方をした正田美智子さんを、香淳皇后や常磐会の面々が警戒するのは当然ではないかしら。
だって、日本政府より先にアメリカのメディアが先に、正田美智子初の民間女性入内を報じたのは、アメリカだったんですもの。
香淳皇后のご実家、久邇宮家を接収して作られたのがGHQによる(当時は)洗脳校、聖心女学院であり、そこから在校生の正田美智子さんが宮中に嫁いだって戦後の象徴みたいな話でしょ。GHQ発皇室解体施策の、第一歩がGHQ接収の地から踏み出された。
昭和天皇と香淳皇后がお住まいだった吹上御所に入るのを嫌悪され、昭和天皇が愛し、また国民が震災時など退避できる森として残しておくように言われた武蔵野の森を、ばっさばっさ無残に切り倒させ、五十数億億円の大豪邸を建てさせたのも、憎悪する「嫁ぎ先」への、復讐だったのかもね。
吹上御所改築にはお金がかかるから、が表向きの理由だけど50億円はかからないでしょう? 50億は皇室への奉仕価格で、実質70億円と言われてます。
新御所の建設が決まったのは、昭和天皇がお亡くなりになって半年も経たないうちのこと。 昭和大帝の森を壊すなの言葉も無視、あまりにも亡きお上をないがしろにした決定です。
映写室やステージ、音響設備を備えた約八十畳の大広間があり
ここは晩餐会や映画会、コンサートも開ける多目的ホール。来客用の寝室、浴室などの宿泊施設も作られてます。
「 国賓に泊ってもらう施設としては立派な迎賓館がある。おもてなしの場所だって 皇居内に宮殿があるわけですから、新御所に宮殿や迎賓館の機能まで持たせる必要はない」元侍従の浜尾実氏
こんな浜尾氏の葬儀に出ず、皇太子にも行かせないという陰湿な復讐をなさったのが皇后陛下です。浜尾氏は皇太子の幼少期のお馬鹿さんぶりを、全身でかばって国民からは見えないようにした、最大の功労者でいらしたのに。
東宮御所は、雅子妃母方実家江頭氏と、愛子さまのための度重なる【改築費のみ】で21億 3800万円。
*1997年(平成9年)には、バリアフリー化、公室棟改修(耐震補強工事・車椅子用リフト設置等)のため、改修工事が行われた。着工費は5億8000万円。
以上は、母方祖父、江頭豊のための改修です。これ、たぶん厳密には皇室経済法の精神に違背してないかしら?国民の税金が民間人であるチッソ水俣の悪人に使われたのだから。
改築・修復費だけで21億円超も費やされた東宮御所に、次代の皇太子殿下である秋篠宮殿下をシャットアウト、天皇皇后が使用人80名をそのまんま引き連れてご転居とは、まあこれが生前退位とやらの、ナンチャッテ退位の実態だったのよね。
「私的ご活動」は今よりも盛んになるでしょう。
美智子さまは何十回に及ぶお見合い相手の一人、三島由紀夫側から「卑しい商家の娘などお断り」と、平岡家の実質的家長であった三島の祖母からばっさり切り捨てられたほどの家のご出身。
“そこそこ上流”でしかなかった平岡家(三島の本名)から、あっさり切り捨てられていたのが、当時の上流社会の基準だった。だから、上流も最高位の皇室が、そうそう両手を上げて卑しい家の娘を歓迎するわけもなく。
それが、プライド高い元正田美智子さんを傷つけ、じわじわと復讐を遂げて行くこととなります。
つまり、香淳皇后側の困惑を拡大してメディアに漏らし、姑である香淳皇后を悪者に仕立てあげた・・・・「いじめられている、可哀想なわたくし」を巧みに演出しながら。
香淳皇后はお育ちの良さから、卑しい家の娘に困惑をお隠しにならなかったのは事実ですが、客観的に見て意図的にいじめた形跡はありません。
逆に、香淳皇后のお気に入り女官を辞めさせ、その電話回線まで取り上げたのは美智子さまだったと伝えられています(こちらは未確認情報)
それなのに、いまだに香淳皇后にいじめられていたお気の毒な美智子さまという印象が定着しているのは、おそろしい女ことです。
ちなみに、欧州王族界では美智子様は長いこと「単なる天皇の妻」としての扱い、雅子様も同じく「貴賤結婚」で卑しい素性の女としての表記。
紀子妃は最初からプリンセス表記です。蕃塀(ナイト)の家の扱いですね。
姑の隣に立たされ、微笑みながら語りかけられるなんて、ああ、なんて酷いいぢめかしら!!
皇太子さまとも、こーーんなに、引き離されて、みー、さびしー。
無理やり一家の団欒の中に押し込められた、可哀想なわたくし。
椅子にかけさせてもらえなかった、わたくし・・・・
姑に手をつながされて、いびられていたわたくし。
わたくしたちの銀婚式に、わざわざ東宮御所まで来てお祝いのいやがらせ・・・・
姑とお揃いのショールをさせられ、いぢめられていた、わたくし。
いぢめが辛くて、泣いてばかりいたあの頃・・・・
あらよっと、そーれ、それ♪
「やばい!!」がテニスで苦戦したときの、口癖。と朝日新聞記者にばらされてます。
こんなに庶民的な皇太子妃という好意的記事だったんでしょうが、あの時代に
「やばい」とか口走る良家の子女なんて、いませんから。
いえ、庶民の家でも相当特殊。御徒町界隈のパンパン用語ではなかったのかしら。
母親は「上海夫人」と言われ、異色の存在。「天皇陛下を格別に偉いと思わせるような教育はしていません」と言いはなち、入内にあたっては天皇皇后とストラグル(闘争)したと、マスコミに語った異様さ。GHQ勢力が背後についていた強み?
写真では、皇室を恫喝する如くいつも仏頂面だった、正田冨美さん。(隠れカトリック教徒だった形跡。逝去前受洗と伝えられているけど、ねえ)
動物園まで行かされて、象と遊ばされ、おまけにO脚まで撮られて、マスコミにまでいぢめられたわたくし。
1人だけ立たされていた、わたくし。
サングラスをかけても、叱ってもくださらなかった皇太后様。なんと、ひどい・・・・
一家に包囲され、無理やり微笑まされいぢめられている、わたくし・・・・・
姑にいびられている嫁が、こんな格好できるかい、と罵る愚民もいて、不幸なわたくし。
失声症って、喋らねばいいだけよね、やってみよっかな・・・・
これも、いじめられている犠牲者なわたくしを、国民に解ってもらうための方便ですわ。・・・・・というのは意地悪すぎかしら? (声をお聞きしたという話もないではないのだけど)
さあ、ピュリファイされましょ、っと♪
雑誌の記事まで、明仁さまと浩宮と間違えるなんて、雑誌社からもいぢめられていたわたくし。
成婚後、17日間も里帰りが許されなかった可哀想なわたくし。
里帰りにも、皇太子やナルちゃんまでついて来た不幸な庶民の嫁であった、わたくし。実家とは専用電話なんか引かれて、母としじゅう長話させられ、いじめられてたわたくし。
母まで、サーヤの幼稚園の参観に行かされていびられていた、わたくしたち母娘。母と電話も専用線が引かれ、あれはきっと盗聴用だったのね・・・
軽井沢の別荘や定宿でも父や母としじゅう会ってたけど、あれも
盗聴されていたのかしら、こわいわ。
帽子を1回使い捨てで、かぶりまくったのに褒めてもくださらなかった皇太后様。ご自分がツバのあるお帽子しかかぶられなかったから、妬んでわたくしの帽子を無視されたのね。
皿帽子に行き着くまで、わたくしがどんなに辛い日々を過ごしたことか。
わが心のカトリック聖心の同窓会に行かされいぢめられた、わたくし。
ミシンまで使わされ、いぢめられたわたくし。だって、わたくし当時の良家の子女の当然のたしなみ、お裁縫もお料理も生花もお茶も全部だめなんですもの。
西洋風に、テニスとピアノは出来るのに、出来ないことを日本的なことを要求された、辛い立場のわたくしなの。
いつも舅、姑が中央でわたくしは、端に座らされていました・・・・。
つらく悲しい日々・・・
ご自分は毛皮のショール、わたくしは寒空にショール無し。え、華子様も?
この方はわたくしより、格下でございましょ。頭を盛らされ、絶壁を隠された、気の毒なわたくし。
おかげで毛皮がトラウマとなり、東京オリンピックは10月で、爽やかないい陽気だったのに、ファーのショールで豪華にお出ましの、わたくし。コートを来ないとファーに合わないので、コートまで着込んだのでございました。皆さん、わたくしに合わせるべきなのに、コートも手袋もわたくしだけ、なんといういぢめでしょうか。
皇太后様からやられた、毛皮のトラウマがまだまだ続いている頃です。
その時の傷を癒やしたくて、これでもかっとてんこ盛り毛皮でございますの。
国民は、わたくしの大嫌いな万歳三唱で、わたくしをいぢめるし。
上着など、お召しにならなくてもよろしいのよ。
わたくしたちは、新しい皇室を作り上げて来たのですもの。「伝統は時に人を苦しめます」ってマスコミに、ちょいとあれしといたから大丈夫。
ああ、つらい・・・・。最愛のナルちゃんにも、お皿帽子をかぶせて、かつらを隠してあげたい・・・・。憲法九条は共産党や社民党、朝鮮人の皆様と同じく大好きだけど、第五条はいや・・・・。
◆摂政は,皇室典範の定めるところにより置く(憲法第5条)。
天皇が成年に達しないときは,摂政を置く。また,天皇が,精神・身体の重患か重大な事故により,国事行為をみずからすることができないときは,皇室会議の議により,摂政を置く(皇室典範第16条)。
ご慈愛仮面がはがされるとき ~皇后もう一つのお顔~ 《転載可》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fee5ae552b2897a1c47fc162b9be2ae2