Quantcast
Channel: BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

天皇陛下、姑息でございましょう、お抱え床屋を使った反政府プロパガンダなど   《転載ご自由に》

$
0
0

 

焦っていらっしゃるのか、老人特有の癇癪なのか・・・・天皇陛下(実はたぶん背後の皇后)がご学友を使ったかと思えば、今度は専任理容師の口を借りて、政府や有識者たちに不満たらたら。

 

週刊文春2月2日発売号記事より。

NHKが、皇室の内部事情のリークなどあり得なかったと同様に、祖父以来の天皇番床屋が、天皇の個人情報など、もっての他であり得ないこと。天皇皇后に、お前国民に向かって話してくれと頼まれない限りね。

OHOBAの大場隆吉(たかよし)氏

おおばたかよし おおばかたよし、と読んじゃったわ。

http://www.ohba.ne.jp/company.html

〒100-0014 東京都千代田区永田町2-14-3 東急プラザ赤坂3F
TEL.03-3580-6235

大場氏のヘアサロンで、滅多なことしゃべれないわね。外で、喋り散らされたら
大変。

週刊誌には、皇居内の理髪室の間取りが図解されてるし。二階の私室に至近なことも喋りちらしてる。馬鹿じゃなかろうか。人民解放軍が押し寄せたら真っ直ぐ押しかけるのが人質取りのための皇居なのに。三手に分かれて、皇居、国会議事堂、NHKね。

間取りはばらすわ、あちこち中国語の標識はあるわ。韓国が中国に飲み込まれたら、韓国語の標識も彼らの目印ね。

自衛隊と国歌がお嫌いな両陛下は自衛隊に守ってもらう気もおありんでないのでしょうが。政府専用機を使われる時も、自衛隊員の姿を厳しく排除。政府専用機って、自衛隊の管轄なんですけど?
世話だけさせて、後は邪魔?

 

床屋、マッサージ、占い師・・・・客の私的秘密部分に接する業種の者が、週刊誌にペラペラ5時間も喋り倒すなど、職業人としても最低でしょうに。

・・・・が、天皇二代に渡るお抱え理髪師では断ることも出来ないでしょうね、ご愁傷様、妙な天皇の代に当たってしまい。真っ直ぐ歩くことしかお出来にならなかった昭和大帝の御代とは違い、理髪師さんあなたが相対しているのは、GHQ史観と皇后左翼思想に毒された天皇の「抜け殻」です。

《政府が早急な処理を最優先しようとしているのは明らかだ》(記事)

それが何か? 早急に処理しないと、天皇陛下は高齢だし、何よりパタパタと大慌てで処置しないと、天皇の憲法違反に国民が気づいちゃうから。急ぐのは政府の親心なの!

「私は専門外ですから、学識者のように憲法や皇室典範の問題について申し述べる立場にはありません」(大場氏)

立場にないなら、言うな。

「陛下も我々と同じように、一人の人間でありながら、象徴天皇として歩まれるのは、並大抵のことではなかったと思います」

戦争を体験したわけでなし、何が並大抵のことではない?
庶民は戦後から現在まで、どれだけ大変な思いをして生きてると思うの。
「象徴」なんて、何も考えるほどのこともないのです。ただ、人間的な部分を見せないこと、余計なことを喋らない、しないこと。

それだけなのに?

・・・・・皇后ね、言わせたの? 以前「一人の人間が象徴であることの困難さが解りますか」とか何とか、そのたぐいのことをおっしゃってた。
あの時よ、皇后の頭の悪さを、改めてほとほと感じ入ったのは。

象徴って簡単。「表で」余計なことしない、あたかも国旗のように語らない、人間的側面を見せない、政治発言せず憲法遵守、これだけですよ?

▼ダッカで国民が惨殺されて日が浅いのに、お遊びの連続 両陛下 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b57f998ac27970b13fee13a5eefb0693

□象徴であるということを問 われ、 一人の人間にそんなことか可能ですか、と問い返しています。

 

▼「生前退位」説にまつわる暗部  《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/a803f0d7fbd5070e19cf8571bff29bff

 

「それは“菊のカーテン”の奥で、私が拝見した『人間・明仁天皇』のお姿そのものでした」(大場氏)

あのね、人間≠天皇、なの。皇祖神と神々とつながる祭祀王だから、敬われ特権も得ているの。「人間」ならもっと眉目秀麗で、優秀なのがいっぱいいますわよ、学習院ごときを落第なさった今上よりサラブレッドが。「人間」なら、ね。

「生前退位について、私たちは陛下抜きの上滑りな議論に終始してはならないと思います。陛下はいつでも国民への共感を示してくださり、激戦地や被災地を訪ねられるお姿からは『あなた方と共にいますよ』というお言葉が聞こえてくるかのようです。

wwwww

上滑りな議論って、具体的になに? 要するに天皇の言葉をハイごもっともでございます、憲法違反であろうが、摂政制度無視の皇室典範足蹴であろうが、ひれ伏して「はい。仰せのとおりに」とならないのが、気に食わない、それが上滑りってことなのよね、あほくさ。

生前退位って皇后が、嫌いな言葉だってよ、後でねちねち怒られるよ?

被災地訪問ねえ・・・・・鬼怒川氾濫で人が死に、家が流されてルト気、お二人で美術館見物いらして、ニコニコ楽しそうになさってたの、あれは、まぼろし~?

ダッカで法人が惨殺されてまだ日が浅い時に、お遊びに出られてたの、どなただったかしら~?

「平成の御代は、明仁天皇の求心力があってこそ、何とか国家と国民がひとつに束ねられていたと思います」

大嘘!!

平和憲法護持発言とか、それはすなわち安倍政権と自民党の党是に真っ向からアンチだし、それは国民を二つに分断する発言です。

皇后の「A級戦犯」ご発言も放置で、これも国民の史観の分断発言です。

大体、天皇が調髪されながら、なんで理髪師にべらべら胸の内を語るわけ?w

言わされてるの、みえみえだしw

「生前退位という重要な事柄を議論するのであれば、政府や有識者の方々は素顔の『人間・明仁天皇』を知るべきではないでしょうか」

あのね、天皇は「素顔」も「人間」も、表にさらしちゃいけないの。
庶民ですら、家庭内の素顔も人間も表では出さないよう、社会的顔との使い分けしながら、けじめを持って暮らしを営んでます。

天皇だけ、なんで素顔で人間で、全部認めて、ってなるわけ?
大場さんの言う人間って、どういう意味でしょう。
食って、うんこして、おならひって性交するのが人間だから、余り高いものを求めるな、押し付けるな、ってこと?

だったら、天皇って何でしょ、って話に必然的になりますわね。

人前でベタベタひっつきまわって、そのベッドまでふと思わせる男女のにおいを生々しく立てる天皇皇后って、前代未聞ですわね。

「二人きりの静かな空間で、陛下に刃物を当てることの緊張感は、とても言葉で言い表すことができません」(大場氏)

そのわりには、週刊誌にべらべらと5時間も喋る内容があるのが、不思議だわねえ?w

と、突っ込まれてはマズイと、週刊文春の記者が思い次の言葉を引き出したかな?

「その時々の息遣いや肌合いなどで、ご健康状態やお心の在りようまで、櫛や鋏を通して伝わってくるのです」

wwwwwwwww

ひー・・・・・・息遣いで? 肌合いwwwで? お心の在りようまで、櫛と鋏が伝導してくれるんですってよぉーーーーーwwwww

「普通は一つの毛穴から生えてる毛はニ、三本なのですが、陛下の場合は四、五本も生えていて、一本一本が太くて硬いのです」

あーら、皇太子殿下には遺伝してないのねーーー????
大場さんは皇太子の調髪も受け持っていらっしゃるとかwwww
どうやって、調髪? カツラの周りに残っている毛の処理?

《ご調髪を行うのは、御所二階の御理髪室。私室部分と事務部分の狭間に位置し、外部から伺う者が入ることができるエリアのうち私室部分に最も近い場所だ》(記事)

ほら、べらべらと内部の間取り図まで。理髪室は、ご丁寧に詳細が図解されてます。駄目でしょ。理髪室が二階、とも喋りちらしてるし。

「時折、和服をお召しのこともあります」

似合わないタキシードより、紋付き袴で晩餐会をなされば?
ご自分が日本人であることを、たまには思い出していただきたいですわ。

「陛下のご調髪を行うとき、BGMはかけません。空調の音、私の鋏の音と陛下の息遣い、陛下がお体を動かされたときのカットクロスの衣擦れの音。そういった静かな空間で、約一時間を二人きりで過ごさせていただきます」

だから・・・・・「静かな空間」の中で、話もせずどうやって陛下のお気持ちが分かったのよ?・・・・あ、鋏と櫛が教えてくれたのね、はい、はい。

《天皇はご調髪の間、本や新聞の切り抜きなどをお読みになる。中でも、近現代史について書かれた書籍が多く、ご表情からは、鬼気迫るものを感じるという》

出ました、近現代史wwwwww 左翼の著者のものばかりね、きっと。
歌会始の召人でさえ、左の歌人を呼ぶんだもの。人も書物も皇后陛下のチョイスかしらね。

「第二次世界大戦に向かう中で起きた事件についてのご本が多いです。ノモンハン事件や満州事変などですね。半藤一利氏の著書も何冊かお見かけしました」

 

Wiki;

半藤 一利(はんどう かずとし 1930年(昭和5年)5月21日 - )は、日本の作家、随筆家。

近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。2006年(平成18年)7月20日に『日本経済新聞』が「昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀に不快感」と報じた際には、元資料となった「富田メモ」(宮内庁長官を務めた富田朝彦の日記メモ)を記事化前に秦郁彦らとともに鑑定し、これを本物と断定した。

太平洋戦争(大東亜戦争)当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的である。昭和天皇については、当時の軍部による暴走を押し留めようとしたことを肯定的に評価しているが、昭和天皇の戦争責任についても否定していない。近年[いつ?]は護憲派としての活動を積極的に行っており、「憲法9条を守るのではなく育てる」のが持論である。

.........ここまで

もう、もろ脳内左翼。

理容師も軽薄。著者の名を出して宣伝するなど。
昭和天皇は、ひいきの力士の名を訊かれてさえ、視聴の番組名を
問われてさえ、お答えにならなかったというのに。

あるいは、皇后陛下に「この作家の名前をあげてください。国民の多くが興味を抱いて読むように」と言われたかしらね?

実際、読む人いるんじゃない?
ワイドショーでも取り上げるだろうし。

 

最低。

ほんと、最低な人ら。

◆ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。

大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。

◆満州事変

満洲事変は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件)に端を発し、関東軍による満洲(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変で)ある。中国側の呼称は九一八事変。

 

関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

・・・・・・・もろ左翼の読書ではないのかしら? 「祭祀の意義」とか「愛国心について」とか、蔵書にはなさそう。

「なぜ日本は戦争を止められなかったのか。その問題意識は、こちらが畏れを感じるほど深いと思います。陛下は、昭和天皇が現人神として崇め奉られたご苦難を一番近いところで見ていた方だけに、二度と同じ過ちをしてはいけないという大変なご覚悟を感じるのです」

感じる前に、祭祀おやりになって。

「過ち」と言い捨てるのも違うでしょ、天皇の名のもとに散っていた英霊に皇后ともども無礼です。

それにしても、よく喋る床屋だなあ・・・・陛下が具体的に喋ってなきゃ、櫛と鋏だけからの「伝言」じゃあ、ここまで言えないでしょ。

「平成二十五年以来、皇后陛下は私へのご要望を伝えにこられることはなくなりました」

ふっ。天皇の髪にまで注文をつけてたか、皇后陛下。

「陛下は数年前からシャンプーをなさらなくなりました。『前回ここでしたときから、してない』とおっしゃったので」

 

げろげーろ。

それでも、雅子さんよりは洗ってらっしゃるのでしょうが。

「日々の整髪料は昭和四十四年に発売された資生堂『ブラバス』のヘアリキッドとヘアトニックをお使いになっていましたが、黄色系の色が付いてしまうため、きれいな白髪に整えられるよう私がご提案し、ヘアリキッドは色味が寒色系の『アウスレーゼ』変えることになさったのです」

本気で、この人バカ? 天皇が使うもののメーカー名、品名まで。
「てはに(ティファニー)」を名指しでけなした、皇太子とどっこい?

「(生前退位の)最終決定をなさる前には、一度相手にボールを投げられるのです。生前退位の問題でも同じように陛下はまず国民にボールを投げられたはずです」

よく言うよ。政府に楯突くために、国民を味方につけるための喋り方でしたよ、あれ。ボールを投げてみるなんて、首相な喋りじゃなかったです。

だから、国民も「高齢でお気の毒」と、あさっての方の結論を早々と出して、生前退位90%が賛成という愚かしさのほうに、誘導されちゃったじゃありませんか。摂政制度の何たるかを考えもせず。

・・・・・ま、あらましこんな記事でしたわ。

頭皮の血流を良くするために、頭皮を揉むよう陛下に提言したんですって。皇太子に言って欲しいですわね、脳の血流が良くなるように頭皮をもみまくりなさい、と。

くだらないことばかり、週刊誌に喋るなら皇太子のしっこ袋や、ハゲとカツラのことでも喋ってくれればいいのに。愛子さんの摂食障害のことなんかもね。

両陛下は十分、自由闊達に人間くさくお振る舞いですわ。

 

 

 

・・・・・・・

韓国に市税を使って小学生を送り出していた宇和島市。
それを批判する人々に対して、文句垂れてたのがこの床屋さん、宇和島市の「セイコウ」さん。

http://seikou38.com/blog/?p=474

床屋って売国バカが多いのかしら・・・・ってこともないよねぇ?

   

あわて床屋

 

「あわて床屋」

 北原白秋作詞・山田耕筰作曲より

 「プロパガンダ床屋」

夜は 8時から 皇居の部屋に

アホが 店出し 床屋でござる

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

陛下 ぶつぶつ 政府に不満

 床屋 イエスマンで ハサミを 鳴らす

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

 そこへ 皇后が 囁きに ござる

 どうぞ 世間に 喋って おくれ

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

床屋ァ ハイよと 文春 呼び出すし

5時間喋って 嘘 つめこむし

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

 じゃまなネットは 真相書くし

 そこであわてて チョンと切り落とす

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

国民 おこるし 床屋 恥 かくし

 しかた なくなく 穴へと 逃げる

 チョッキン チョッキン チョッキンナ

 

 スイスの 口座に オワダニが たかる

 チョッキン チョッキン 貯金ナ♪

 

備考 これは昭和大帝のおぐしを当たっていた、父親の思い出話、こちらは罪がない。
それにしても、昭和天皇と平成と、なんという格の違い。

NEWSポストセブン  2014年10月12日 16時00分  (2014年10月12日 16時33分 更新)  

  9月9日、宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した全61冊、12000ページにおよぶ『昭和天皇実録』(以下、『実録』)を公表した。改めて昭和天皇とその時代がクローズアップされている。崩御から25年あまりがたち、歴史上の人物として語られる昭和天皇は、われわれ一般国民とどのように接してこられたのか。陛下と時代を共にした「天皇の理髪師」の逸話を大場・代表取締役の大場隆吉氏が明かす。

 

 * * *

 ヘアサロン大場は1882年創業、祖父・秀吉の代から「天皇の理髪師」を担当しています。

 

 祖父の影響もあり、父・栄一が昭和天皇にお仕えするようになったのは1941年6月でした。御用の日が近づくと父は極度に緊張して眠れなくなったようです。御用に伺う前は十数杯の冷水をかぶって身を清め、万が一にも不祥事があれば切腹する覚悟で御所に向かいました。

BB という緊張感で臨んでいたのに、今は外部に向かってべらべらと「天皇のお気持ち」発信。天皇も軽けりゃ、理容師も軽いこと。

 

 御殿にある理髪室に陛下がおいでになると45度の最敬礼でお迎え。理髪中は陛下と2人きりの厳かな空間です。理髪時間は最長1時間ですが、その間は決して陛下と目線を合わさず、床に散った御髪は掃き集めて和紙に包み、保存しておいて年末に舎人に渡しました。

 

 一連の作業が終わると陛下はいつもにっこり笑って、父に対して一言、「ありがとう」と仰ったそうです。父はありがたいお言葉を常に最敬礼しながら聞いていました。

 

 当時は太平洋戦争の真っ只中で陛下にとって激務の時代であり、軍服でいらっしゃることも次第に増えたそうです。…

ところが、どれほど暑い日も陛下は軍服をお脱ぎにならなかった。戦前の帝王学の表われだと、父は感服しておりました。

今上は、シヤツのまま皇后に腕を掴まれ歩き回られますわよ。

 理髪の時間だけは緊張感から解放されるのか、お座りになったまま眠られたことがございました。非常に居住まいの正しいお方でしたが一度だけ、椅子から転げ落ちそうになられたことがありました。陛下のお身体に調髪以外で触れることはタブーでしたので、一瞬、迷いましたが、御怪我がないよう、父は渾身の力でお身体を起こしたといいます。

 

 また、1943年秋、陛下のご洗髪中にお湯が出なくなるハプニングが生じました。下を向いた姿勢のままでお待ち頂き、父が大慌てで御殿を駆けずり回り、桶に湯を入れて部屋に戻って理髪を再開しました。責任感の強い父は身の縮む思いだったはずです。

 

 ところがこの時、陛下は30分ほど下を向いた姿勢のままでじっとお待ちになり、理髪終了後もいつもと変わらない表情で、かつ心持ちゆっくり笑って「ありがとう」と仰ったと父は語っていました。

今じゃ、ありがとうどころか不平不満を、国民のお金で成り立つ公共放送を使って喋り散らし、それでも思うようにならないと学友や床屋の口を借りて、不服のご発表。

 

 陛下の理髪を始めて2年半が経った1943年の年末、父は召集令状を受け取りました。友人に戦死者がいた父が「国のため」と決意し「行って参ります」とご報告すると、陛下はこう優しく仰ったそうです。

 

「ああそうか。体を大事にして、元気で行っておいで」

 

 このお言葉を胸に父は出征して戦線に果敢に臨み、無事に帰還しました。

 

 激動の時代、陛下の理髪を担ったことは、父にとって生涯の誇りでした。…年齢を重ねてからも、「陛下は玉のようなお肌で御髪は硬かった」と懐かしそうに口にしていました。  陛下が危篤になられた時、皇居の方角を向き、毎日のようにお祈りをしていた父の姿が目に焼きついています。

今じゃ、天皇が祈るの辞めたので国民も神への畏怖を喪いつつあります。
次代の天皇と皇后になると、もっと荒廃するでしょうね。

【PROFILE】1951年神奈川県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。1882年創業の「ヘアドレッシングOHBA」4代目。祖父から3代にわたり天皇陛下・皇太子殿下の御調髪を担当。

 

※SAPIO2014年11月号

 

*コメ欄、お名前欄のUnknownや「あ」のような、いい加減なのや、「文章の一部をHNにしたの」とか、受け付けません。

*バカは来なくていいです。

*必然性のない「非公開」指定お断り。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3008

Trending Articles