日本への熱い思いを胸に、黙々と
桜を植え続けるお爺さんがいます。
桜を植え続けるために
働きました。
ずっと植え続けるかと問われて
爺さんは答えます。
「そうだ、それがニッポン精神だからな」
台湾の花咲かじいさんの
物語です。
国旗の重み 国花編〜台湾の花咲かじいさん〜
桜の花びらのように清潔で美しいお話の後に野暮かとは思うのですが
でも、言わずにはいられない。
同じ条件で日本の統治下にあった朝鮮と台湾とで、この違いは
いったい、何でしょう・・・。
べべこは、それは精神性だと思います。台湾の方は豊かなのです。
なぜか? 自らに自信と誇りがあるからです。
だから、受けた良きものに対しては
よい、と素直に受け取り感謝し、愛することができる。
ねじくれた精神にはそれが出来ない。
よきことを受け取りながら、酷いことをされた、
と嘘を付く。
嘘を付くならまだしも、被害を受けたのだから
カネを寄越せと来る。
あげく、桜は朝鮮が起源なのだと、言い始める。
最近、竹島問題をめぐり、韓国では日本との国交断絶を言い立てて
いるようですが、いつもの大嘘芝居ではなく
どうぞ、本気でありますようにと願っています。
それが日韓双方にとって、最も納得の行く
幸せな解決策でしょう。
・・・でも韓国は日本を決して手放さない。
彼の国の産業の根幹は日本の技術力に
頼っているから。
国家の経済破綻を救ってくれるのは
日本以外にないから。
日本よ、毅然としよう。
国交を断って、困るのはあちらなのだ。
日本は何も困らない。
いや、たかり国が減ってその分、経済が
ラクになる。
・・・・せっかく、いい話の後に、やはり野暮でしたね。
口直しに過去記事に書いた文章をひとつ。
わたしは桜
わたしは桜。いつからこの国に根付き咲き続けてきたのか、
記憶を辿っても、もはやおぼろに霞むばかり。
霞か雲か、だから私は霞んで咲くのだろう。
霞か雲か匂いぞいずる・・・
香りなき霞に、この国の人々は香りを添えてくれる。
わたしが放つ気配を匂いと感じる人々の心ばえに
わたしはなおいっそう、咲き誇る。
「あなたは何いろ?」とおさな子が問う。
わたしは桜いろ。ピンクでも白でもないの。
それが日本の花、日本のこころ。
世界のどこにもない、いろ。
花びらのひとひらひとひらは寡黙で目立たないけれど、仲間とこころを
結び合い、いっせいに咲けば爛漫と、世界の人のこころを揺する。
ひとひらは淡いけれど、幹はむしろ墨色に近く毅然と主張を持ち、
花びらの曖昧模糊を幹が際立たせる。
四月の青空に席を譲りながら、でも譲ることでわたしは際立つ、
空の濃い青がわたしを鮮やかに映えさせてくれる。
月あかりには幻花となり、ぼんぼりの灯火のゆらめきに
胡蝶になって羽を震わせる。
わたしは桜。雨にも風にも逆らわず咲く。
雨には雨の風情、風に散らぬかと人の
こころの優しさをかき立てる。
風に身をまかせるのはむしろ喜び。
さぁ風が誘う、そろそろお別れの季節よ、と。
枝から、ついと離れて人々の髪に肩にはらはらと、花吹雪。
子犬の濡れた鼻先をくすぐって散る。
入学式の母子に祝福を降らせましょう。水に散り敷けば、花筏となって
ゆるゆると流れ、人は穏やかなまなざしで見送りながら、
やがて訪れる若葉の季節を予感する。
わたしも、枝に小さな緑のビーズ玉をつけて夏の先触れを告げましょう。
雪にひっそりと、寒風に立ち尽くしながら、でも春になればわたしは
咲くのよ、と人々にささやく。
別れがあるから、出逢いが切実に美しい。
だから、わたしは散る。
わたしは桜。卑弥呼のまつげに、勾玉に、日輪を照り返す祭祀の鏡に、
紫式部の十二単に花びらを散らし、
空海の足元にも散り敷いた。
舞妓さんの、ぽっくりの一足ごとにわたしたちは
笑いさざめきながら舞い上がる。
すめらみことのお庭にも無邪気に訪れる。
刀匠が神を念じながら打った刀剣の先にさえ。
しらじらと澄んだ日本刀の静かな輝きにもわたしは呼び寄せられる。
その優美な曲線と静謐。人を殺めるだけが目的の野蛮な武器ではないことを
わたしは知っている。
飛鳥奈良ののどかな雅を、平安絵巻の絢爛を、鎌倉の剛毅を、
室町の侘び寂びを、江戸の賑わいを、
明治を大正を昭和を咲き続け、
二つの戦のさなかにも咲き続け、この国の行く末を見守ってきた。
黒い雨が通り過ぎたあの街の野辺にも蘇り咲いた。
野末に倒れた兵士が叫んだのは母の名、末期に見たのはわたしの姿。
荒野にわたしは咲けないゆえに、あなたのこころに咲き続けましょう。
祖国の空に手を差し伸べながら息絶えた兵士たちよ。
靖国でまた・・・。あなたを敬し愛しています。
わたしは、日本のこころが創り上げた花。日本が見た夢。
わたしは花の形をした歌、今日も日本への恋歌を綴ります。
わたしは桜。日本のこころ。さればこそ千年を経た絵画にも詩歌にも工芸品にも
舞いにも、わたしはひっそりと寄り添っている。
わたしは桜。そして、あなたが桜。
あえかに優しいけれど絶えはしない。
真の愛国政治家・赤池まさあきさんを応援しています。赤池さんのブログに応援ポチをお願いします。
【日いづる国より】赤池誠章、震災追悼式と皇室と教育改革[桜H24/3/23]
桜を植え続けるお爺さんがいます。
桜を植え続けるために
働きました。
ずっと植え続けるかと問われて
爺さんは答えます。
「そうだ、それがニッポン精神だからな」
台湾の花咲かじいさんの
物語です。
国旗の重み 国花編〜台湾の花咲かじいさん〜
桜の花びらのように清潔で美しいお話の後に野暮かとは思うのですが
でも、言わずにはいられない。
同じ条件で日本の統治下にあった朝鮮と台湾とで、この違いは
いったい、何でしょう・・・。
べべこは、それは精神性だと思います。台湾の方は豊かなのです。
なぜか? 自らに自信と誇りがあるからです。
だから、受けた良きものに対しては
よい、と素直に受け取り感謝し、愛することができる。
ねじくれた精神にはそれが出来ない。
よきことを受け取りながら、酷いことをされた、
と嘘を付く。
嘘を付くならまだしも、被害を受けたのだから
カネを寄越せと来る。
あげく、桜は朝鮮が起源なのだと、言い始める。
最近、竹島問題をめぐり、韓国では日本との国交断絶を言い立てて
いるようですが、いつもの大嘘芝居ではなく
どうぞ、本気でありますようにと願っています。
それが日韓双方にとって、最も納得の行く
幸せな解決策でしょう。
・・・でも韓国は日本を決して手放さない。
彼の国の産業の根幹は日本の技術力に
頼っているから。
国家の経済破綻を救ってくれるのは
日本以外にないから。
日本よ、毅然としよう。
国交を断って、困るのはあちらなのだ。
日本は何も困らない。
いや、たかり国が減ってその分、経済が
ラクになる。
・・・・せっかく、いい話の後に、やはり野暮でしたね。
口直しに過去記事に書いた文章をひとつ。
わたしは桜
わたしは桜。いつからこの国に根付き咲き続けてきたのか、
記憶を辿っても、もはやおぼろに霞むばかり。
霞か雲か、だから私は霞んで咲くのだろう。
霞か雲か匂いぞいずる・・・
香りなき霞に、この国の人々は香りを添えてくれる。
わたしが放つ気配を匂いと感じる人々の心ばえに
わたしはなおいっそう、咲き誇る。
「あなたは何いろ?」とおさな子が問う。
わたしは桜いろ。ピンクでも白でもないの。
それが日本の花、日本のこころ。
世界のどこにもない、いろ。
花びらのひとひらひとひらは寡黙で目立たないけれど、仲間とこころを
結び合い、いっせいに咲けば爛漫と、世界の人のこころを揺する。
ひとひらは淡いけれど、幹はむしろ墨色に近く毅然と主張を持ち、
花びらの曖昧模糊を幹が際立たせる。
四月の青空に席を譲りながら、でも譲ることでわたしは際立つ、
空の濃い青がわたしを鮮やかに映えさせてくれる。
月あかりには幻花となり、ぼんぼりの灯火のゆらめきに
胡蝶になって羽を震わせる。
わたしは桜。雨にも風にも逆らわず咲く。
雨には雨の風情、風に散らぬかと人の
こころの優しさをかき立てる。
風に身をまかせるのはむしろ喜び。
さぁ風が誘う、そろそろお別れの季節よ、と。
枝から、ついと離れて人々の髪に肩にはらはらと、花吹雪。
子犬の濡れた鼻先をくすぐって散る。
入学式の母子に祝福を降らせましょう。水に散り敷けば、花筏となって
ゆるゆると流れ、人は穏やかなまなざしで見送りながら、
やがて訪れる若葉の季節を予感する。
わたしも、枝に小さな緑のビーズ玉をつけて夏の先触れを告げましょう。
雪にひっそりと、寒風に立ち尽くしながら、でも春になればわたしは
咲くのよ、と人々にささやく。
別れがあるから、出逢いが切実に美しい。
だから、わたしは散る。
わたしは桜。卑弥呼のまつげに、勾玉に、日輪を照り返す祭祀の鏡に、
紫式部の十二単に花びらを散らし、
空海の足元にも散り敷いた。
舞妓さんの、ぽっくりの一足ごとにわたしたちは
笑いさざめきながら舞い上がる。
すめらみことのお庭にも無邪気に訪れる。
刀匠が神を念じながら打った刀剣の先にさえ。
しらじらと澄んだ日本刀の静かな輝きにもわたしは呼び寄せられる。
その優美な曲線と静謐。人を殺めるだけが目的の野蛮な武器ではないことを
わたしは知っている。
飛鳥奈良ののどかな雅を、平安絵巻の絢爛を、鎌倉の剛毅を、
室町の侘び寂びを、江戸の賑わいを、
明治を大正を昭和を咲き続け、
二つの戦のさなかにも咲き続け、この国の行く末を見守ってきた。
黒い雨が通り過ぎたあの街の野辺にも蘇り咲いた。
野末に倒れた兵士が叫んだのは母の名、末期に見たのはわたしの姿。
荒野にわたしは咲けないゆえに、あなたのこころに咲き続けましょう。
祖国の空に手を差し伸べながら息絶えた兵士たちよ。
靖国でまた・・・。あなたを敬し愛しています。
わたしは、日本のこころが創り上げた花。日本が見た夢。
わたしは花の形をした歌、今日も日本への恋歌を綴ります。
わたしは桜。日本のこころ。さればこそ千年を経た絵画にも詩歌にも工芸品にも
舞いにも、わたしはひっそりと寄り添っている。
わたしは桜。そして、あなたが桜。
あえかに優しいけれど絶えはしない。
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【日いづる国より】赤池誠章、震災追悼式と皇室と教育改革[桜H24/3/23]