問 この1年も自然災害や五輪・パラリンピックなど様々な出来事がありました。8月には,天皇陛下が「象徴としての務め」についてのお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
皇后陛下昨年の誕生日以降,この1年も熊本の地震を始め各地における大雨,洪水等,自然災害は後を絶たず,これを記している今朝も,早朝のニュースで阿蘇山の噴火が報じられており,被害の規模を心配しています。8月末には,台風10号がこれまでにない進路をとり,東北と北海道を襲いました。この地方を始め,これから降灰の続くであろう阿蘇周辺の人々 ―とりわけ今収穫期を迎えている農家の人々の悲しみを深く察しています。自然の歴史の中には,ある周期で平穏期と活性期が交互に来るといわれますが,今私どもは疑いもなくその活性期に生きており,誰もが災害に遭遇する可能性を持って生活していると思われます。皆(みな)が防災の意識を共有すると共に,皆してその時々に被災した人々を支え,決して孤独の中に取り残したり置き去りにすることのない社会を作っていかなければならないと感じています。
天変地異の多さは25年度版の誕生談話でも触れていて、それでなぜ思考が怠りがちの祭祀にまで、行かないのでしょうね。
フィリピンに、莫大な国費を使って慰霊という名のお詫び行脚なさる時間と体力があるなら、祭祀をなさるべきでしょうに。
フィリピンでは、天皇陛下のまらだぼけが顕著でした。
そんなお方に生前退位放送させるとは、正気の沙汰ではありません。
周囲が、なかんずく皇后陛下がお止めになるべきです。
庶民でも、周りがそうします。まっとうな判断力がおありでしょうか。
読み上げられた「作文」もいささか要旨が不分明であり、矛盾もありました。
この作文内容の破綻に、どのマスコミも触れないのが不気味です。
とりわけ新聞は文章の論理でもっているところなのに。
ボケを良いことに、どなたかがコントロールなさっていませんか。
今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け,この機会に先の大戦におけるフィリピン,日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを,心から感謝しています。戦時小学生であった私にも,モンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが,この度の訪問を機に,戦後キリノ大統領が,筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず,憎しみの連鎖を断ち切るためにと,当時モンテンルパに収容されていた日本人戦犯105名を釈放し,家族のもとに帰した行為に,改めて思いを致しました。
またも「日本人戦犯」という言葉。フィリピンにおける戦犯って、裁判が杜撰で戦犯認定がいい加減であったこと、無実も多かったこと、ご存じないのでしょうか。
胸が悪くなるくらいに、両陛下ともに「日本が悪い」という自虐史観に染まっておいでです。
夏にはリオで,ブラジルらしい明るさと楽しさをもってオリンピック,パラリンピックが開催され,大勢の日本選手が,強い心で戦い,スポーツのもつ好ましい面を様々に見せてくれました。競技中の選手を写した写真が折々に新聞の紙面を飾りましたが,健常者,障害者を問わず,優れた運動選手が会心の瞬間に見せる姿の美しさには胸を打つものがあり,そうした写真の幾つもを切り抜いて持っています。
お宅の孫娘様は、健常でいらっしゃるのでしょうか。相応しい療育をお授けにならないと、世界的基準から言えば児童虐待ではないのでしょうか。
ベルギー王室ではご子息のご不自由を率直に告白され、家族全員で慈しんでいる様が、報道され国民も心情を共に見守っています。
それを、愛子さまがIQが高くて末は東大の(雅子さんの時のように、小和田ルートで入学は可能でしょうが)英語は「私よりうまい」(皇太子発言)のと、ご本人を追い詰めるばかりでしょうに?
前回の東京オリンピックに続き,小規模ながら織田フィールドで開かれた世界で2回目のパラリンピックの終了後,陛下は,リハビリテーションとしてのスポーツの重要性は勿論のことながら,パラリンピックがより深く社会との接点を持つためには,障害者スポーツが,健常者のスポーツと同様,真にスポーツとして,する人と共に観る人をも引きつけるものとして育ってほしいとの願いを関係者に述べられました。今回のリオパラリンピックは,そうした夢の実現であったように思います。
だから、障害者云々は他人事ではないでしょうに。少なくとも遅刻欠席がひんぱんで、東京拒否が常習、今回はさしたる理由もなく不登校が一ヶ月にも及ぶ子は、世間では健常とはみなされません。
本当に、人ごとのようによくきれいごとをおっしゃれるものだと思います。
今年の嬉しいニュースの一つに,日本の研究者により新しい元素が発見され,ニホニウムと名付けられたことがありました。またこの10月には,大隅良典博士がオートファジーの優れたご研究により生理学・医学部門でノーベル賞を受けられました。
50年以上にわたり世界の発展途上国で地道な社会貢献を続けて来た日本の青年海外協力隊が,本年フィリピンでマグサイサイ賞を受けたことも嬉しいことでした。この運動は,今ではシニア海外ボランティア,日系社会青年ボランティア及び日系社会シニアボランティアと更にその活動の幅を広げています。
「青年海外協力隊」で検索すると、「ピースボート」がヒットするのは
なぜでしょう?
皇太子殿下が辻元清美と親しくしていらっしゃるということと、
関わりがあるのでしょうか。
皇室の左翼化は、もう引き戻せない地点まで来てしまったのでしょうか。
皇后陛下が画策なさっているように愛子天皇擁立で、秋篠宮殿下、悠仁親王殿下に皇統がつながらないとなると、皇室はもうおしまいですね。
ごく個人的なことですが,いつか一度川の源流から河口までを歩いてみたいと思っていました。今年の7月,その夢がかない,陛下と御一緒に神奈川県小網代の森で,浦の川のほぼ源流から海までを歩くことが出来ました。流域の植物の変化,昆虫の食草等の説明を受け,大層暑い日でしたが,よい思い出になりました。
水に関心を持たれるなら、水俣と同じくご自身の妹様が関わっていらっしゃる、第二の水俣新潟へもご慰霊にお出かけくださいませ。
お身内が関わっている、企業犯罪の被害者の方たち、この方達も「国民」なのですよ? 雅子妃が関わっている水俣だけにいらっしゃり、ご自身のお身内が関わっている新潟はスルーでは、フェアではないでしょう。なぜいらっしゃらないのでしょうか。「隠しておきたいこと」の一つですか?
豊洲の土地汚染にも、実妹恵美子さんがご縁がございますね。
最近心にかかることの一つに,視覚障害者の駅での転落事故が引き続き多い事があります。目が不自由なため,過去に駅から転落した人の統計は信じられぬ程多く,今年8月にも残念な事故死が報じられました。ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが,同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず,更に様々な観点から考察し,これ以上悲しい事例の増えぬよう,皆して努力していくことも大切に思われます。
駅での転落事故で思い出すのは、転落した日本人を救おうとして自らが命を落とした韓国人青年のことです。
この事自体は美しい話ですが、日本人を貶める捏造シーンのあった映画化作品に、宣伝で加担されたのは本当にいけないことだと思います。
>’01年11月、皇居参観の際、美智子さまを乗せた車が通りかかった。皇后陛下は車から
>降り深々と頭を下げ、秀賢さんの両親の肩を抱いた。
>「日本人を助けようとしてくださり、本当に、ありがとうございます」と手のひらを両手で そっと包まれたという。別れ際に両親を振り向いてもう1度歩みより、「日本にいる間、 困ったことがございましたら、何でもお申しつけください」とつけ加えられた。
>「慈悲深く、親しみのわく方でした。一生の光栄です」
>盛大さんは美智子さまの優しさに感動を覚えたという。
皇后陛下を尊崇していた時期に読んだら感動したでしょうが、今思えばご自愛仮面マックス。日本人も救おうとして亡くなっているのですが、黙殺。
「韓国人だから」盛大に持ち上げる左翼マスコミと、皇后陛下は同類です。
タクシーが人をはね、「なんだ朝鮮人か」と運転手も、乗客も吐き捨てて、路上に倒れている韓国人青年を置き去りに走り去るシーン。こんなことを、国民がやるとお思いなのでしょうか。そうなら、情けないと言わざるを得ません。
「戦争で酷いことをした」日本人なら、こういう冷酷さもあり得ると?
ちなみに、救出のため線路に飛び降りて命を落としたのは韓国人青年ばかりではなく、日本人カメラマンもいました。
それなのに、ねぎらいは韓国人青年の母親にだけ。宮中に呼び寄せ、ハグまでなさるサービス。日本人カメラマンのご遺族は無視。言及だになさいません。
韓国恋歌を詠まれるお方の、面目躍如でしょうか。
この日本人貶め、韓国人ヨイショ作品に文化庁は大枚の助成金まで
出しています。皇室も国も、左翼が居座り腐っています。
韓国人青年の勇気を貶めているわけではありません。この人を材料に
日本貶めで、日本人に筋違いの反省を強いる映画と、それから
その映画の宣伝マンを務めた両陛下、なかんずく皇后陛下に抗議を
しています。
「生前退位」とやらで、天皇が上皇となり皇后が院という立場になられるとして、いずれにしても権力と発言権はそのまま、お立場が自由になられた上で、韓国に私的旅行名目で行かれ、謝罪など目論んでいらっしゃいませんか。
その旅も、国民の血税で成り立っています。
ご勝手な真似をなさいませんよう。
この1年間にも,長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管,「名もなく貧しく美しく」をはじめ数々の懐かしい映画を撮られた松山善三氏等,沢山の人々との別れがありました。
松山善三。安保反対の全学連に、心情を寄せる文章を書いた人。
「主権者の怒り」(1960年8月15日発行)
今ならさしずめ、安保法制案を戦争法案と呼んで、反対する左翼「文化人」の一人だったでしょう。アンチ安倍政権であるところが、お気に入りなのでしょう。
左翼が逝去して悼むことに何の不都合もありません。
しかしながら、皇后陛下が悼む方のメンバーが、元GHQのメンバーやら、
反日左翼「九条の会」の作曲家やら、やたらそのてが多いのは、皇后陛下の、
結果的に左翼思想の表明に他なりません。
国外では,この9日,文化の力でポーランドの民主化に計り知れぬ貢献をされたアンジェイ・ワイダ氏が亡くなりました。長年にわたり,日本のよき友であり,この恵まれた友情の記憶を大切にしたいと思います。
アンジェイ・ワイダ。その映画製作における才能を否定はしないし、浮世絵を通じて芸術に目覚めた親日家であることも事実だけど・・・日本のサヨク連中が熱愛するお方ですね。
無論、悼むのは親日家外国人として無問題ですが、ここ数年悼む文脈の中にやたら左翼が多いのがこれは、いかがなものでしょうか、ということです。
日本のみならず,世界の各地でも自然災害が多く,温暖化の問題も年毎に深刻さを増しています。各地でのテロに加え,内戦の結果発生した多くの難民の集団的移動とその受け入れも,世界が真向かわねばならぬ大きな課題になっています。
これを皇后が述べますか! 難民受け入れで欧州は惨状を来しているのに。
また日本は在日という形で、朝鮮半島からの「政治難民」「経済難民」を大量にすでに受け入れざるを得ず、それらの子孫は3世、4世となり日本を苦しめる存在となり、増殖する一方です。
そのような中で,この夏のリオ五輪では難民による1チームが編成され,注目を集めました。4年後の東京では,この中の一人でも多くが,母国の選手として出場出来ることを願わずにはいられません。世界の少なからぬ地域で対立が続く中,長年にわたり国内の和平に勇気と忍耐をもって取り組んで来られたコロンビアのサントス大統領が,今年のノーベル平和賞を授与された事は感慨深いことでした。
ノーベル賞も、平和賞のいかがわしさをご存知ないのでしょうか!?
金大中、オバマ 劉暁他、いかがわしいのが受賞しています。
サントス大統領については知りませんが、皇后が持ち上げるとつい
疑惑の目で見てしまいます。
・・・・・・・・・あ。サントス大統領はカトリック教徒か。なるほどね。皇后のお仲間だからごひいき。
お仲間は左翼か、そうでなければカトリックをメインにキリスト教徒。
神道が何か、まるでお分かりでないのでしょう、その言動から。
恐ろしい・・・・・。
8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。
>皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので
日常、最も陛下と親しく話し合われて、その思想に最大の影響力を振るわれているのは、皇后陛下だと国民は知っていますよ?
何かあるたび天皇陛下は宮内庁の人間に「あちら(皇后)はどう言ってるの?」とまずそれを気にされることが、内部の人間によりリークされています。
わざわざ「配偶者であってはならない」と書かれる狡猾さ。
配偶者が口を出していることが、バレ始めているからアリバイ工作でしょうが、姑息でございましょう。
皇太子や秋篠宮を、言い訳に使うのはいかがなものでしょうか。それでご自身は後世必ず出るであろう批判から身をかわされたおつもりでしょうか。
これでアリバイ成立と思われるなら、甘いでしょう。
「生前退位」という言葉に衝撃を受ける前に、もし皇后陛下がその事実を前もって知らなかった、あくまでも自分は関与してないという言葉が事実なら、生前退位という言葉以前に、生きているうちに退位、というその事自体がもっと衝撃であったはず。語るに落ちる。皇后陛下は、天皇と常々話し合われていて、内容は前もってご存知だったのです。皇太子よりも、秋篠宮殿下よりも、もっと詳しく「お気持ち」を承知で、しかも肯定なさっていたはず。
生前退位は「死」を連想させるから、衝撃だったのでしょうか。
普通80を超えたら一日一日が死と隣り合わせ。今更、痛みを感じるほどのことでもございませんでしょう。国民のお金で成立している公共放送を私物化したお気持ち表明を支持、リークという嘘を平然とつかれる強い心臓をお持ちなのに、
痛みとはまた、随分デリケートでございますのね。
>歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので
摂政制度を否定した天皇も、歴史の書物の中にございませんのよ。
「生前退位」。このたびの、摂政否定の譲位の謀(はかりごと)を端的に示した、いかがわしい言葉で、本質を表していると思います。
この1年,身内の全員がつつがなく過ごせたことは幸いなことでした。1月には,秋篠宮の長女の眞子が,無事留学生活を終え,本格的に成年皇族としての働きを始めました。真面目に,謙虚に,一つ一つの仕事に当たっており,愛(いと)おしく思います。
つつがなく、過ごせてないし。愛子さま、不登校の繰り返しの果てに、現在何度目かの不登校で、すでに一ヶ月経過。皇太子は尿パック。
なんで、そんな見え透いた嘘をつかれるのでしょうか。
国民は馬鹿だから、見え透いていても黙っているか、気が付かないとでも?
今年の大きな時事問題に触れながら、豊洲問題には触れないのですね。五輪と並ぶくらいの大きな話題なのに。
実妹恵美子さんが、関わっていらっしゃるからでしょうか?
全部に自愛の目配りを演出していらっしゃるのに、豊洲を避けるのはフェアではないでしょう。
皇太子妃、水俣。皇后陛下第二の水俣と豊洲の汚染に、お身内を通じて関わっていらっしゃる。キーワードは、「汚染」「嘘」ですね。
この回答を書き終えた13日夜,タイ国国王陛下の崩御という悲しい報せを受けました。私より六つ七つ程お上で,二十代の若い頃より兄のような優しさで接して下さっており,御病気と伺いながらも,今一度お会いできる機会をと望んでおりました。王妃陛下,王室の皆様方,タイ国民の悲しみに思いを致しております。
そのタイ王室の晩餐会で、天皇陛下が読み上げられた自虐史観のお詫びの言葉は、皇太子妃の父親小和田恒が書いたものでした。
池田大作氏とも密着、出自も北ではないかと疑われる男の・・・・そして明らかに神道を理解せず、皇室のなんたるかも心得ぬ、「日本ハンディキャップ論」を唱えるごとき国賊の娘を、なぜ入れたのでしょう?
入れて、現在のていたらく。ぶざまです。東宮も、皇太子妃も内親王も。
カーテシーが出来ないのは「体調」のせいではございませんでしょ?
ご本人の「心がけ」の問題です。
なぜ、厳しく指導なさらないのでしょう。
着物を着る努力すらしない、皇太子妃が十二単をまとっての祭祀など、おできになるわけがないでしょうに。
祭祀が大事と言いながら、その実カトリック教徒でいらっしゃる皇后陛下は、祭祀などどーでもよろしいし、神事のあれこれを迷信とする小和田恒とその娘の感性が実は気に入られているのですよね。
正田美智子さん入内をアメリカが先に知り、日本の政府が後だったという・・・・
敗戦後、GHQの采配入内であったことがあからさま。
入内の年に伊勢湾台風。美智子さん入内を皇祖神は喜んでいられず、
平成になった途端、相次ぐ災害、天候の不順。
言葉多く美しく述べていらっしゃいますが、東宮の育て方の失敗、雅子さんを宮中に入れた失敗、愛子さまの不出来・・・・・と国民にお詫びの言葉とてございませんか?・・・・・・ありませんよね。「生前」に雅子さんに皇后の座を譲り、次の皇后に愛子さんをお望みなくらいですから。
お名前欄の空白Unknownや、文章の一部を名前にしたもの、「あ」や「ん」などのいかにも、やっつけ的なHNは、ご遠慮ください。「通りすがり」も同じく。発言には最後まで責任を持つという意思表明を兼ねて、他とダブらないような常設のお名前を工夫の上、お入りください。
必然性のない「非公開」指定もお控えくださいませ。嫌がらせコメントの非公開指定は、公開します。
ごくたまに、批判の一手段として猥歌など記事に用いコメ欄にも諧謔的な替え歌が書き込まれることがありますが、ブログ主として許容しています。嫌いな方は来ないでください。
反論は大いに歓迎しますが、但し記事の「どの箇所が」「いかなる理由で」間違いなのか、「論拠を示して」ご提示くださいね。知能が一定レベルに達してない方へのコメント返しは不毛なので、ご遠慮ください。と言っても、解らない人がいるのでハッキリ言いますが「バカは来なくてよいです」。
また長きに渡る常住読者さんたちの間で、BBにコメ欄に答える手間を掛けるなら、自分たちで答えてその間にBBには新記事を書かせたいという機運が自然に生じ、ブログ主もそれに甘えています。それが受け入れられない方は、どうぞ去ってくださいませ。こちらから、お願いしてまで読んで頂くほどのブログではございません。
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