5年ほど前の記事ですが・・・
韓国が、また「茶道の起源は韓国」とか言い始めてるんで、アップしておきます。
http://gensen2ch.com/archives/66160475.html
韓国はいつものことですが、日本人で妙なこと広めるのがいるんですよねえ。
その名も 裏千家、菊池宗津
以下、過去記事
この前のエントリーで韓国にパクられ続ける日本文化として再び例に引いたのをきっかけに
茶道のルーツについて調べてみたら、この裏千家教授の菊池宗津さんの発言の根拠の希薄さが
より解り、なぜわざわざ在日の人達の前で、論拠も定かではない「茶道は朝鮮起源」「千利休は朝鮮人」発言を
なさったのか、はなはだ理解に苦しむので、公開質問をさせていただくことにしました。
【在日】「茶道のルーツ、千利休の出自が朝鮮半島だと知って驚いた」 大田区のオモニ達と区議員がお点前など体験 [朝鮮新報 2011.2.4]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2011/01/1101j0204-00001.htm
「大田区新春日朝女性たちの国際交流お茶会」が1月25日(注・昨年)に大田区の池上梅園聴雨庵で行われた。
日本の伝統文化である茶道を体験する「お茶会」には大田区の女性同盟のオモニたち18人と
日朝友好促進大田区議員連盟古山まさ子会長(64)をはじめとする大田区議会女性議員(超党派 )ら7人が参加した。
古山会長の呼びかけで催されたお茶会は、茶道の裏千家茶道教授・菊池宗津さん(65)ら9人ら の指導の下に行われた。
参加者らは「茶の心得のお話」、お点前、お抹茶の立て方、作法などを学んだ。
女性同盟大田支部は10数年前から大田区議女性議員らとの文化交流をはじめとする交流を活発に行ってきた。
今回の催しはその文化交流の一環として行われた。
これまでにチマ・チョゴリの試着会や在日朝鮮人運動の勉強会、また食文化に対する交流とし て伝統的な薬飯、
チヂミ、朝鮮春雨の料理講習会など朝鮮の文化を知ってもらうさまざまな行事を行い交流を深め てきた。
その他にも金剛山歌劇団公演の観覧、映画上映会なども行いまた学校の公開授業や行事にも 参加した議員らは朝鮮学校への理解も深め、
これまでに東京第6初級学校の図書室に本を寄贈し、子どもたちには防犯ベルを贈った。
古山会長は「長年にわたる交流を通して朝鮮や在日朝鮮人の文化、歴史をたくさん学んだ。
今度は日本の伝統文化に是非触れて欲しかった」と語った。
会長は「日本人、外国人に関係なく大田区民が快適に住ごせる街作りを目指している」と話し
「在日の方々は大田区民の一員として立派に生きているのに辛い思いをしてじっと耐えている。
そんな思いをさせないためにも草の根の交流を通してすべての大田区民が理解し合い 共生してい くことが大切だ」と訴えた。
また「無償化問題でも朝鮮学校だけが外された。大田区は独自に助成金を出しているが決して途切れてはいけない。
今後も無償化問題についても都議らともに呼びかけて行きたい」と語った。
この日に行われた茶道体験ではまず講師の菊池さんから日本のお茶の歴史について聞いた。
菊池さんは「中国からの影響も大きかったが千利休からは朝鮮の影響が圧倒的に大きい。
それは利休が好んだ楽茶碗からも知ることができる」と指摘した。
また同氏は千利休の法名は宗易(そうえき)。祖父が千阿弥と名乗ったことからその名をとって千 姓としたとされている。
そのため出自は朝鮮半島だとする説もあると述べた。
次に茶道の一つである「真」、「行」、「草」の三種類のお辞儀と客がお互いを尊敬しあい、
おごらない気持ちで接するという「和敬静寂(わけいせいじゃく)」精神について学んだ。
続いてお点前が行われた。
昼食を楽しんだあと茶筅を使って抹茶を立て、飲み方の作法などについても学んだ。
李琴順(67)さんは「茶の作法やそこに息づく精神を学びとても感銘を受けた」と話し、 また茶の作法や千利休について、
そのルーツが朝鮮半島と関わりがあることを知って、驚いた。日本の伝統文化や歴史の根がどこ にあるか習えた」と感想を述べた。
金道任(70)さんは「お茶は昔から好きだった。こうして日本の方々とお互いの文化交流を通し て理解を深めることが大事。
3,4、5世が住みやすい街作りに一役買えれば」と朝・日交流の大切さを語った。
交流会の実行委員でもある大田女性同盟の責任者である鄭姫善さん(41)は「初めての体験で とても楽しかったし、
お茶の心得を聞いて勉強になった」と感想を述べ「茶への文化が朝鮮半島に繋がっていると知っ て興味深かった。
子どもたちにも体験してもらいたい」と話した。
また「若い議員らと若いオモニたちが交流ができて楽しく過ごせた。次回は朝鮮の文化を体験し てもらえたら。
交流を続けることで民族教育への差別解消につながれば良いと思う」と述べた。
菊池さんは「茶道を通して国際交流している。今日は在日コリアンと楽しいひと時を過ごせた。
みんなも大変喜んでいる」と述べた。また、参加者には講師から扇子がプレゼントされた。
この日、弟子の一人が手作りで完成させたちりめんつるし飾りがつるされ、交流の場を一層華や かにした。(文と写真=盧琴順)
菊池宗津さんへの公開質問
*千利休は、和泉の商家の生まれで父は田中与兵衛、幼名は予四郎というのはご存知ですか。
『千家系譜』、『千利休由緒書』によると利休の祖父は足利義政の同朋衆だった千阿弥(専阿弥・新田里見氏の一族田中氏の出身)といい、
その名をとって千姓としたとされているのはご存知ですか?
和泉国・堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。
家業は納屋衆(倉庫業)。父は田中与兵衛(田中與兵衞)
母の法名は月岑(げっしん)妙珎、妹は宗円(茶道久田流へ続く)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91
*>菊池さんは「中国からの影響も大きかっ たが千利休からは朝鮮の影響が圧倒的に大きい。
それは利休が好んだ楽茶碗からも知ることができる」と指摘した。
楽茶碗は中国系で学説定着しているのはご存知ですか?
もっともそれは中国の「影響を受けた」というレベルで楽茶碗そのものは・・・
http://verdure.tyanoyu.net/rakucyawan.html
* そもそも朝鮮には鉛釉系がないのはご存知ですか?
*利休はたんに朝鮮で評価されていない器に質素な美を見いだしただけにすぎす、それをもって茶道が朝鮮発祥だとするのは短絡的では?
*高麗茶碗趣味は利休だけではなく、また利休は高麗茶碗の中でも、狂言袴など特殊なものを愛好していたのはご存知ですか?
*日本茶道は、平安末期~鎌倉時代に南宋留学した禅僧栄西が持ち帰って弘めたのがルーツとされていて、また栄西が書き記した「喫茶養生記」という
書名にあるように、健康法として日本で始まったものを日本独特の美学で侘び寂び文化へと高めたのが茶道ではないのでしょうか?
*当時の朝鮮半島は荒れ果てた山野で緑茶の生育はほとんど不可能で緑茶自体がなかったのに、なぜ茶道が生まれるのでしょう?
木の根などの煎じ茶なら存在していましたが。亜寒帯に茶道に用いられる茶葉の生育は不可能だと思われますが? 事実、韓国の「伝統茶」とされるものはたくさんありますが、いずれも原始的なものでいわゆる茶道にふさわしい繊細なお茶は存在しません。茶道が朝鮮由来だと主張なさるなら、韓国の伝統茶ぐらいはお勉強なさってからにすべきではないでしょうか?
*千利休は大徳寺で禅を修得、宗易を名乗っています。禅の精神が色濃く反映された茶道がなぜ韓国発祥なのでしょう? また菊池さんは千利休が「宗易」を名乗ったことをもって朝鮮人である可能性があると言われていますが、なぜ禅家の名前を名乗ることが朝鮮人である証になってしまうのでしょう?
*少なくとも学説として定着していないご意見を茶席で披露、在日朝鮮人の人達に「茶道は韓国起源」「千利休は朝鮮人」と
信じこませることが、裏千家裏千家茶道教授として、また日本人として正しいことなのでしょうか。
*あなたの発言は早速、「朝鮮新報」で紹介され、茶道朝鮮起源説流布に利用されていますがそのことへの反省はないのでしょうか?
*茶の発祥地である中国ですら、日本の茶道の独自性を認めて何も言っていないというのに、そもそも茶葉がなかった韓国がなにゆえ茶道の発祥地なのですか?
*茶道に限らず日本のありとあらゆる文化が韓国起源にさせられている現状はご存知ないのでしょうか?
*在日朝鮮人のひとたちがすべて合法的に日本に居着いた人々だと思い込んではいませんか?むしろ大量の人々が密入国者たちの末裔です。
*超反日教育をする朝鮮学校への教科書無償化を行う人々への協力者であるということは、あなたも反日の立場なのでしょうか?
*以下の画像に見られる如き電気ポットとトイレットペーパーの韓国茶道が、本気で日本の茶道の発祥だと思っていますか?
テーブルと椅子での茶道(!)を提唱、ここでも「茶道の歴史」を菊池宗津さんは教えられたそうなのですが。
http://www.ota-bunkanomori.jp/event_pdf/100405.pdf
しかし、立膝韓国茶道を通じて、茶道は韓国起源説に協力する日本人は菊池宗津さんのみならず・・・・
民族衣装のチマ・チョゴリ姿で韓国茶礼を披露する女性ら=静岡市清水区の清見寺で
韓国の茶をたしなむ作法「韓国茶礼(されい)」と日本の煎茶道の両方を体験する茶会が
23日、静岡市清水区の清見寺の広間であった。
韓国茶礼を習う「日韓茶文化交流会」の女性が、かつて高貴な女性が優雅に味わった点前を
披露。民族衣装チマ・チョゴリ姿で韓国の新茶を入れ、もち米を揚げた韓国菓子とともに振る舞った。
煎茶道席は知足庵(あん)流の大石和子さんらが、和服姿で静岡市葵区小布杉の玉露を水で
入れた。大石さんは干しシイタケを煮た手作り菓子などを用意し、もてなした。
韓国茶礼の作法を興味深そうに見守った来場者は「衣装も韓国と日本では大きく異なり、
雰囲気を楽しめました」と話していた。
清見寺ではこの日、NPO法人「AYUドリーム」が江戸時代の外交使節「朝鮮通信使」の
再現イベントを開催。茶会は同法人の依頼を受け、日韓茶文化交流会代表で茶問屋役員の
大塚喜美江さんらが協力して催した。 (松本利幸)
最初は日本の茶筅を真似ていたのが、そのままだとパクリがばれるので、途中で長くした経緯がありそうです。
なんだか物悲しいまでのパクリ光景ですが、しかし放置しておくと韓国茶道が実際にあったように
定着してしまいますし、それはまあ韓国内なら妄想ご自由にですが、彼らは必ずそこへ「起源はこちら」を
言うし、菊池宗津さんのような日朝・日韓問題に無知な日本人がその後押しをしますから・・・
否定だけはしておきましょうということで。
立膝を指摘されたら、どうやら今度は子供の頃から正座での茶道教育を始めたようで・・・
韓国に正座は日常ではありません。茶道に関する民団の驚くべき嘘記事と共にごらんください。